月曜日, 10月 02, 2006

ルネサンスと宗教改革-西村貞二

西村貞二氏が逝去されてからどの位経過しているのかは分かりませんが、敬虔なクリスチャンであり西洋史学者でありました。第2次世界大戦後、東大総長は南原、矢内原とクリスチャンが2代続き、彼等に私淑して東大教養学部の助教授でしたが、彼等の退任から暫くして東北大に転出し、其処で教授、名誉教授となりました。

ルネサンスと宗教改革-講談社学術文庫(西村貞二 著)

嘗て燦然たるルネサンス文化を生み出した活力は何処へ行ってしまったのであろう。現代社会において人間は組織や管理で手かせ足かせをはめられている。画一主義が横行する中で個性の発揮は難しい。
ヒューマニズムは単なる学識でなく、人間が生きる為の精神的土壌だった。しかし、万事に於いて実利主義が幅を利かす当節、古典教養が人間形成の具だ等と言うのはお笑い草だろう。古典知識は閑人の閑仕事とみなされ、大学か研究室で余喘を保っているに過ぎない。宗教改革はどういう結末をつげたか。ルターは形骸化したローマ教会の制度儀式に抗議したが、こうした抗議の姿勢は長くは維持出来なかった。ルター派が宗教改革を成功させる為には、否が応でも世俗権力と手を組まねばならなかった。その為、次第に俗権に対する抵抗力を弱め、現実政治に無関心になるか卑屈な隷属に陥り、単なる個人的信仰に逃避してしまった。
昨今、「近代の終焉」をしきりに耳にする。だからこそ、もう一度初心に立ち帰ることが有意義なのではなかろうか。


この書籍は元来1968年文藝春秋に発表されたものの復刊なのですが、1993年復刊に際しての「あとがき」として上記に様に述べているのです。西村貞二氏は歴史から学んだ事柄を現代に反映させ、政治社会体制にも警鐘を鳴らす人でもありました。

ギリシャの歴史と政治について、「アテネが王政にはじまり、貴族政治・金権政治・僭主政治・民主政治をへて衆愚政治に堕落する経路は、まるで政治のひな型を見るようでありませんか」と記し、民主主義が最善でないことはもとより、その脆弱性・衆愚性・危険性を暗示していました。人々は富を求めて競争するのが当然とされ、結果として自己の利益を優先する「個人主義」、他者を蹴落とす術に長けた者のみを成功者とする「弱肉強食」の社会が構築されることへの警鐘でしたが、残念ながら省みられること無く、尚一層その傾向が加速してしまっている様です。

此処数年改革と言う標題が吹き荒れましたが、問題はその後道義ある初心をどの様に展開するのかに掛かっているのだと思います。

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