木曜日, 9月 29, 2011

数学は矛盾しているか不完全のどちらかである

先日本屋に行って、気軽に読める新書本ではなく、偶にはじっくりと読める図書を探していましたら、ゲーデル著「不完全定理」と言う岩波文庫がありましたので、買って帰りました。

51年昔、教養学部での数学の講義は、高校時代での問題を解くことを主にする授業と違い、定義を大切にする意味合いが強く、興味深いものでした。
解析学では、当時微分幾何学の気鋭学者である長野正氏が講師で、参考書は高木貞治著「解析概論」と言う名著でした。
代数学では、講師は森繁雄氏で、受験参考書で知られていた人で、スミルノフ著「高等数学教程」を参考書として勧められました。
その後、工学部に進みましたので、数学講義も純粋数学から応用数学へ転換し、犬井鉄郎氏の講義となりましたが、やはり興味をそそるものがあったのです。

企業に入り、応用数学適用の命題が多く、寺沢寛一著「数学概論」を参考にすることも多くなり、業務上の難問解決の為、微分方程式の構築、行列知識の適用・応用等には心血を注いだものでした。

しかし50年を過ぎて、頭もすっかり硬くなり、純粋数学書では、なかなか読み進めることが出来ません。
やはり、工学者の弱点でもあるのでしょうか、物理的意味合いの無い命題を、数学的に理解する意気が続かないのです。

1.形式系と呼ばれる論理学の人工言語で記述された数学は、その表現力が十分豊かならば、完全且つ無矛盾であることはない。(第一不完全性定理)
2.形式系が無矛盾であると言う事実は、その事実が本当である限り、その形式系自身の中では証明出来ない。(第二不完全性定理)

20世紀最大の数学者ヒルベルトは、数学における合理性を究極の形で確立すると言う、極めて近代ヨーロッパ的な目的を担っていたが、上記ゲーデルの不完全性定理が結果的に合理性に対する素朴な信頼性に否を突き付ける形になった。
その為、数学の定理でありながら、西洋哲学、心理学、思想、情報学等の研究者を引き付け、様々な影響を与える結果となっている。


解説が面白いので、もう少し読み進めますが、読破する自信は全くありません!

我が家の本棚には、永らく使われたことが無いまま、高木貞治著「解析概論」、寺沢寛一著「数学概論」、スミルノフ著「高等数学教程」12巻は、寂しく眠っています。

木曜日, 9月 22, 2011

LEDナツメ球

先日、蛍光灯の真ん中についていて常夜灯に使うナツメ球(豆球、ベビー電球)が切れましたので、100円ショップに買いに行きました。

!従来のナツメ球は白熱電球タイプで、フィラメントが光り消費電力は5W程度のものが一般的です。
105円で2個入っているのが売られていましたが、同じ棚にはLEDナツメ球1個が105円で陳列されていましたので、LEDタイプのものを購入することにしました。

蛍光灯の真ん中に付いているナツメ球(豆球、ベビー電球)は、LED光源のものが数年前から実用レベルになって来ている様です。
LEDタイプの消費電力は0.5Wと白熱電球タイプに比べ、1/10に過ぎませんのも魅力です。

玄関外灯、階段灯、トイレ灯等の60W白熱電球はLED電球に取り換えましたが、従来の白熱電球が100円程度で買えたのに比べ、2000円とは高過ぎますので、風呂場灯、玄関内灯は800円程度で買える蛍光灯タイプのままにしてあります。
それでも、消費電力は1/5にはなるからです。
ランニングコストが安いため、短期間使うだけなら白熱電球がお得、長期間使うならLED電球が良いと言われますが、イニシャルコスト次第だろうと思っています。

しかし、LEDナツメ球は従来のものに較べて、2倍程度の価格で手頃、他の場所も取り替えて行こうかと思っています。

木曜日, 9月 15, 2011

星と嵐(五つの北壁登行)

森林浴を満喫するべく、時々日帰りで低山トレッキングをしています。
日帰りとするのは、噴き出た汗をゆっくりと自宅のシャワーで流しつつ、疲れた体を休めるのが快適と思っているからなのです。

何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。

もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。


森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。

マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。


28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。
Gornergrat

下りでしたので息が切れる訳でもありませんでしたが、富士山頂を越える高さでアルプの世界、周囲は殆ど瓦礫だらけで、その下は永久凍土の世界だったと記憶しています。

木曜日, 9月 08, 2011

学校秀才の内部告発-官僚の責任

財務省と並んで、キャリア組のエリートが集まる省ともされる経産省生え抜きの改革派キャリアの内部告発なのですが、今話題となっている松下政経塾と関係の深いPHP新書であるのが気に掛ります。
彼の名は古賀茂明、仙石由人の彼に対する脅しは、2010年7月に辞任を、9月にイジメ出張を強要、10月の覚悟を決めて古賀審議官が国会参考人発言したことに、意味の無い公開恫喝を行ったことで、一躍知られることとなりました。

彼は、次の様に分析していて、正鵠を得ている様に思われます。

日本の官僚は優秀でも公正でも中立でも無い。「官僚組織は最高の頭脳集団」は単なる幻想に過ぎなかった。
「世界一」と我々が信じ、拠り所にして来た日本の技術力の高さが、原発事故の対応の拙さから、実は幻想に過ぎなかったと言う現実が明らかになったと同じ様に、日本の官僚も、専門知識に乏しく、判断も決断も出来ず、自分では責任を取ろうとしない、素人集団であることを、広く国民の前に露呈してしまった。
原子力の分野に留まらず、財政悪化させたことから明らかな様に、財務官僚のレベルもお粗末なもので、あらゆる分野で日本の官僚は世界標準に較べて相当遅れていると言わざるを得ない。
それどころか、今や危機的状況にある国を食い潰し、崩壊させかねない存在になっていると言っても過言では無くなっている。


しかし、実務経験に乏しい学校秀才の出自による限界なのか、本書後半の提言で「官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人達が集まれば、未だ何とかなる」との認識には大きな違和感を持たざるを得ません。

「東大法科卒エリートが国を動かす」と言う永らく是認されて来た方針は、東京電力、保安院やエネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性の無さは、失敗だったことを示しています。
其処で、政治家や官僚の思惑で何かを決めるのではなく、国民の強い意志を反映させた産学政官共通基盤で国民を導く体制を構築すること、後世の検証に耐え得る組織が要求されているのです。従前のキャリア組主導方式では上手く行かないのですから・・

上記の如く、起承転結の「転」部分には肯ずる訳には行かない処がありますが、「結」部分には納得出来るものがあります。

消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうでは無く、既得権益グループと戦える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費増税を小さくしても大丈夫な道筋をつけることに命を賭けて欲しい。
そして公務員改革を断行して官僚が真の政治家を全力で支える、それが理想だ。