土曜日, 12月 13, 2008

自負と偏見のイギリス文化-J・オースティンの世界

イギリスではオースティンの作品は「イギリス的ユーモア」があることで、200年に亘って人気があり、学校の教科書にも採用されているとのことです。尤も「学校で読まされる、上品で面白みの無い作家」との範疇になるのだそうですが・・
しかし、1980年代にテレビドラマ化されると共に、魅力再発見となり、空前のオースティン・ブームが続いているとも言うのですが、実感は湧きません。

自負と偏見のイギリス文化(J・オースティンの世界)-岩波新書1149(新井潤美 著)

ジェイン・オースティンは1775年生まれ、6点の小説を出版し1817年にアディソン病と言う難病に冒されて亡くなった女性作家。その頃は摂政(Regency)時代で、寛容でダイナミックな雰囲気に溢れ、自由な社会であった様です。

イギリスでは未だ階級制度が厳然として残っているのですが、彼女は貴族階級でも無く、庶民でもない「ジェントリー」と呼ばれる階級(現在ではアッパー・ミドル・クラス)に属していて、その階級内でのゴシック小説へのパロディ作品を書き続けたのです。
ゴシック小説とは、恋愛・結婚をテーマとし、ヒーローとめでたく結ばれる前に、必ず悪党にさらわれ、何処かに幽閉されて、様々な危険を経て、ヒーローに助けられてハッピーエンドとなる小説を言うのですから現実味の無いもので、ジェイン・オースティンのパロディは時宜を得たものであったのでしょう。

現在、再発見されたジェイン・オースティンを熱狂的に支持する人達は、「ジェイトナイト」(ジェインをもじった言葉で、日本語で言えばジェイン・オタクだろうか?)と呼ばれ、高学歴で、洗練されており、特別な感性を持つと自認する人々であるらしい。

著者の新井潤美(あらい えみ)女史もイギリス生活を経て、「ジェイトナイト」を自認している様ですが、オタクの通例として主観的な自己陶酔が過ぎて、客観的な意味で「ゲーテ、セルバンテスと並び、シェイクスピア、モリエールの様な深み、繊細さを持って人物を描ける作家」とも言われるジェイン・オースティンの良さが伝わって来ません。

木曜日, 12月 11, 2008

銀河系中心のブラックホール

欧州南天天文台が提供したと言う画像を見てもブラックホールが存在しているとも思えませんが、16年に亘る恒星の動きを追跡研究したデータを処理した結果の結論らしく、格段に進歩したデータ処理技術の成果と考えられます。

Black Hole

近赤外線で観測した銀河系の中心部。見えない超巨大ブラックホールがあり、周囲の星の動きを長期観測した結果、質量は太陽の約400万倍と分かった。ブラックホールの解明が進むと期待される。

これだけでは良く分かりませんので、インターネット英文版を覗いてみますと、次の様に記載されていました。

The 16-year study involved tracking the movement of 28 stars at the center of the Milky Way using telescopes at the European Southern Observatory in Chile.
Using the data collected, astronomers were able to calculate important properties about the black hole -- called Sagittarius A* -- such as its size and mass.
欧州南天天文台チリ観測所に於いて、16年に亘って銀河系中心部にある28恒星の動きを追跡研究して来た。蓄積されたデータを解析し、「サジタリアスA」と呼ばれるブラックホールの大きさ・質量等の重要な特性を計算出来ることとなった。

Professor Reinhard Genzel, who led the study at the Bavaria-based Max-Planck Institute for Extraterrestrial Physics, said the data collected proved the existence of the black hole "beyond any reasonable doubt."
ドイツのマックス・プランク研究所での地球外物理学を主導する、ラインハルト・ゲンツェル教授は「集められたデータは、如何なる疑念も無く、ブラックホールの存在を証明した」と述べた。

"Undoubtedly the most spectacular aspect of our long term study is that it has delivered what is now considered to be the best empirical evidence that super-massive black holes do really exist," said Genzel. The black hole had a central mass concentration of four million solar masses, he added.
ゲンツェル教授は「超巨大なブラックホールが存在すると言うことが、最善の帰納的な証拠として考えられる」、又「その質量は太陽の400万倍」と付け加えた。

The study also enabled astronomers to calculate the distance of the earth from the center of the galaxy, now measured to be 27,000 light-years, and enhanced by six times the accuracy to which they were able to measure the positions of stars -- the equivalent of seeing a one euro coin from a distance of 10,000 kilometers.
この研究で、地球から銀河系中心部までの距離は2万7000光年と計算することを可能とし、その精度は1万km先から1ユーロコインを見極める程度に達している。

ブラックホールをウィキペディアで調べますと、下記解説がありました。

現在、ブラックホール自体を直接観測することはまだ成功していないが、周囲の物質の運動やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すX線や宇宙ジェットから、その存在が信じられている。
銀河の中心には、太陽質量の10*E6~10*E10倍程度の巨大ブラックホール (super-massive black hole) が存在すると考えられており、超新星爆発後は、太陽質量の10倍~50倍のブラックホールが形成すると考えられている。最近、両者の中間の領域(太陽質量の10*E3程度)のブラックホールの存在をうかがわせる観測結果も報告されており、中間質量ブラックホール (intermediate mass black hole; IMBH) と呼ばれている。


今回計算確認されたブラックホールは太陽換算10*E6倍質量ですから、将に探し続けていた巨大ブラックホールなのでしょうか?

火曜日, 12月 09, 2008

写真版 東京大空襲の記録-新潮社


著者である早乙女勝元氏は岩波新書版「東京大空襲」のベストセラーを出したことで知られていますし、ご存じの方も多いと思います。

唯、この本では記載文よりも掲載された写真が圧倒的に事実を知らせていると思いますので、その写真家のことを「あとがき解説」で松浦総三氏が紹介して興味深いので転載いたします。

石川光陽氏は警視庁のカメラマンで上司の命令で東京空襲や戦災の写真を撮った人である。戦中は報道管制は厳重を極め、戦災地をカメラを持って歩いただけで逮捕された。そんな中で職務で撮った石川さんの写真は極めて貴重であった。この写真は、戦後占領軍の知る所となりGHQは提出命令を出した。石川さんはこの命令を拒否した剛直の士である。この写真の迫力は、第二次世界大戦の中でも類を見ないものである。これらの写真が、戦争の悲惨さを、戦争を知らない世代に知らせる大きな武器となり、空襲・戦災記録運動に大変役立ったことは言うまでもない。

東京大空襲は、大型爆撃機による無差別の都市爆撃であり、皆殺し作戦である。その1回目はナチスによるゲルニカ爆撃であり、その後日本軍による重慶爆撃、連合軍によるハンブルク爆撃、米軍による東京空襲、広島・長崎原爆投下と続きました。
大戦後になっても、朝鮮戦争ナパーム弾攻撃、ベトナム戦争枯れ葉作戦とエスカレートして行くばかりです。
私は、原爆投下、東京空襲の様なことが2度と起こってはならないと思い、その為には皇軍に虐殺された南京市民と、連帯の手を握りたいと考えている。(1987年6月)


2001年の同時多発テロ事件に続く、アフガン戦争、今回のイラク戦争でも劣化ウラン弾、バンカーバスター、デイジーカッター等の殺戮兵器などが使用されました。

米政府の報道管制が徹底しているのか今の所被害状況が明らかになっていませんが、ベトナム戦争の悲惨さが戦後暫く経って明らかになったと同様に、後遺症も含めて将来公開されることがあるだろうと思っています。

月曜日, 12月 08, 2008

量子暗号通信システム(Quantum Cryptography)

第2回国際量子暗号会議(Quantum Cryptography 2008)が2008年12月1~2日に開催され、NHKBS1英語ニュースで報道されていました。

量子力学の基本原理とされる「ハイゼンベルグの不確定性原理」を利用する技術と言うから驚きです。
「ハイゼンベルグ(Heisenberg)の不確定性原理(Uncertainty Principle)」とは「或る素粒子物質の二つの状態量は同時には正確な測定は出来ず、誤差は避けようが無い」と言う原理で、敷衍すると「量子の或る状態を測定すると量子は必ず別の状態に変化する」と言うことになります。
20世紀物理学の巨星アインシュタイン(Einstein)は、「決まってはいるが人間に分からないだけ、神はサイコロを振らない」と反論し、忌み嫌った理論でもありました。

公開鍵暗号方式は不特定多数の相手と暗号通信を行える技術として普及している。しかし、計算量によって暗号鍵が保証されるパラダイムであり、高性能コンピュータの進歩によっては安全性が崩される可能性もある。
絶対に安全な暗号化技術として「量子暗号」と呼ばれる技術が研究されている。それは「ハイゼンベルグの不確定性原理」に基づいて盗聴の有無を必ず確認することで暗号鍵の安全性が保証される。即ち、量子データ通信中にそのデータを盗み見ようとすると、その量子の状態が変化するためデータが盗聴されたかを認識できる仕組みだ。
一般的な光通信では沢山の光子をまとめて「0」か「1」の情報を符号化させるが、量子通信では光子1個に「0」か「1」の情報を与えるため、光子の変化が厳密に判断できる。

87km長距離通信に成功する等、完成度は高く、光ファイバを活用することが可能。現代暗号と組み合わせたシステムを構築したことにより、実際に製品として納入することも可能だと言う。


しかし、量子暗号通信は通信速度が非常に遅く7.2bpsにしか達しない等、課題克服とはなっていません。
兎に角、素粒子物理学でしか利用出来ないと思われた「ハイゼンベルグの不確定性原理」の工学への適用と言うその進歩には目を見張るものがありますが、通信技術の中核として光子と言う素粒子を問題にするですから、これは必然の方向だったのでしょうか?

木曜日, 10月 16, 2008

ITPro Expo-分散型PC環境は中央集権に回帰してアウトソーシング化?


昨日、東京ビッグサイトで行われているITPro Expo 2008 Autumnに行って来ました。

大きなテーマは「クラウド(Cloud)・コンピューティング」「クリーン(Clean)IT」「仮想化(Virtualization)技術」となっていた様でした。
1970年代の汎用コンピュータによる企業情報管理から、1980年代のPC性能の格段的進歩によって発展した分散型情報管理方式が、増大する一方のIT経費・セキュリティ問題等を解決すべく、ネット環境の発達と共に変わろうとしている様でした。

特に、クラウド・コンピューティングの市場はいま急速に拡大しようとしていると言うことでした。

第1にセキュアな通信環境整備で強化されたネットワークの上で、サーバーなどのハードウエアをユーティリティとして活用する企業も増加。
 ITの保有ではなく利用。自社開発の場合はシステムが稼働するまでに相当の時間と大きな初期コストが発生し、固定資産になるが、クラウド・コンピューティングであれば外部サービスを組み合わせて使え、初期投資を抑えつつ迅速に導入することが出来る。
第2にSAPやオラクル、マイクロソフトといった大手ITプロバイダーも取り組み強化を表明していて、選択肢が豊富。
 クラウドから調達したソフトウエアやサービスを社内の既存システムと連携させて企業システムを構築することも出来、多様な組み合わせが可能になる。ユーザーに対してより多様なサービスを提供することができるようになる。
第3にユーザーのニーズで、コスト削減とスピードアップ要求に対応。
 オフィスツールやコラボレーション環境などの領域では、容易にクラウド・コンピューティングを導入出来る。最も難易度が高いのは,企業固有の業務が大きな割合を占めているCRMやSCM,ERPなどの領域だ。
又、ユーザー数が一定以上になると外部サービスを利用するよりも、自社保有の方がコスト面で有利になることもある。従って,将来のシステム拡張も考慮しながら「SaaS(Software as a Service) が有利か、自社保有が有利か」と言う分岐点を見極める必要がある。
以上の点に注意しながら、導入が容易な領域からクラウド・コンピューティングを利用することが望ましい。


ICTも企業サイドの変革は風雲急を告げている様ですが、個人・家庭のネット環境への波及は、その様子待ちと言った処では無いかと思いつつ帰宅しました。

木曜日, 6月 12, 2008

占領と改革-岩波新書

著者の主張は、「現在日本の骨格となっている一連の戦後改革は占領政策によるものとされているが、改革の原点は戦前の日本社会から継承したものの中にあったので、占領が無くても改革は行われた」となっているが、その主張は事後からのレトリック的考察に過ぎず、与することは出来ない。
成程、大正デモクラシーから続く萌芽はあったのだが、徹底的に弾圧を受け瀕死の状態で育つことは恐らくあり得なかったと推断出来る。
敗戦後であっても、国会は軍部に懐柔された大政翼賛会に牛耳られたままの状態で、連合国総司令部(GHQ)の強引な「公職追放」実施無しには、それらに属する議員が当選多数を占めて、一切の改革はなし得なかったと思われるからだ。

しかし、著者・雨宮昭一氏の次の分析・予測は傾聴に値する。

戦後体制は、国際的には戦勝国によるポツダム体制・サンフランシスコ冷戦体制、政治的には1955年の自民2/3・社会党1/3体制、経済的には民需中心の日本的経営体制、法的には日本国憲法体制からなる体制である。
そして今、この体制が高度経済成長を経て揺らぎ、次の体制へ移行する処であろう。
このまま放置すれば、その方向に行く体制をパート1、選択する体制をパート2と考えると、パート1は国際的にはアメリカ中心堅持、経済的には新自由主義、法的には憲法改正、社会的には市場主義の体制となろう。
パート2は国際的には国家主権の相互制限、アジアにおける安全共同体、経済では非営利・非政府の協同主義と市場主義の混合体、社会的には個性化・多様化の基づく非営利・非政府領域と連帯の拡大となる。
パート2移行となれば、保守も革新も分解を始めるだろう。


現在与党の自公政権与党もパート1派が勢いを無くし、民主党を核とする野党もパート2を志向しつつ活動していることが窺われる情勢で、現実にも「ねじれ国会」となっている現時点に於いては、過去の離合集散から将来の政界再編を見据えると言う観点から、一読に値する本と思われます。

水曜日, 6月 11, 2008

オイルシェールによる原油開発-三井物産

1974年のオイルショックを受け、1970年代後半にはオイルサンド・オイルシェールの石油資源開発は注目を浴びていましたが、1980年代の原油価格低迷から、全て中止と言うことになりました。
昨今の異常な原油高騰を受けて、30年振りにオイルシェール開発が取り沙汰されているのが気になりますが、「石油は魔物」と言われていますので今後の動向が注目されます。

三井物産はオイルシェール(油分を含む頁岩)の大型開発に参画する。ブラジル国営石油会社ペトロブラス等と共同で2013年以降、日量5万バレル規模の商業生産を目指し、事業権益の最大2割を獲得する。オイルシェールからの原油量産は成功すれば世界初。米原油先物が一時1バレル140ドルに迫るなど原油高騰が続く中、コスト高で手つかずの新資源への投資が本格化し始めた。
両社は米ベンチャー企業のオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)が米政府から開発権を得ている中西部ユタ州の鉱区開発に参画する。30~40億バレル(日本の年間消費量の2~3年分に相当)の埋蔵量を見込んでいる。


オイルシェール開発を手掛けていたTosco(The Oil Shale Corporation)を訪問したのは1981年頃でしたが、Exxonが介入して来たことで開発プロジェクトは1982年に放棄されたと記憶しています。
イラン革命・アメリカ大使館人質問題も決着に向かい、原油価格が低迷しつつある時期でしたから、採算が取れないと判断された様です。
その頃は、今で言うバイオ燃料、天然ガス由来のGTL(Gas to Liquids)燃料と言う代替石油の選択肢も無く、採算分析は比較的単純だったと思われますが、今回は果たしてどうなるのでしょう?
歴史は繰り返すとは良く言われますが、情勢の違いを克服できるか注目される処です。

世界中に埋蔵されているオイルサンド、オイルシェールから得られる重質原油は5兆バレル以上と推定されている。
オイルサンド(Oil Sands)は、極めて粘性の高い原油を含む砂岩。母岩が砂岩ではなく頁岩の場合にはオイルシェール(Oil Shale)と呼ばれる。

オイルサンド・オイルシェールから原油を得るためには、母岩を採掘・乾留するので、大量の産業廃棄物が発生する。従来原油と比較して採掘及び抽出コストが高く、廃棄土砂の処理に多額の費用を要するため、不採算資源として放置されてきた。しかし、原油(WTI)価格が高騰して採算コストを上回るようになり、大規模な採掘・精製が行われるようになった。これに伴い、埋蔵地や採掘権の買収に多額の投機マネーが集まっている。

オイルサンドは、カナダ(アルバータ州)、ベネズエラに分布する。極めて低質なものは日本でも新潟県新潟市の新津油田などに見受けることができる。代表的なオイルシェール地帯はアメリカ合衆国(西部)、ブラジル、ロシア、オーストラリアなどに分布する。


インターネット検索しますと、Tosco (The Oil Shale Corporation) は幾多の曲折を経て、2001年にフィリップス石油(Phillips Petroleum)に吸収され、2002年からはConocoPhillips 傘下の一部門となっている様です。
今回三井物産が権利を得ようとしているオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)とは、Toscoとは別企業。
未だに「石油は魔物」で、採掘権・鉱区開発などで種々の選択肢があるのは歴史的なものの様です。

火曜日, 5月 27, 2008

人生読本落語版-岩波新書

著者は1935年生まれの後期高齢者直前、テレビ放送も無い時代、ラジオ寄席が娯楽番組として全盛を極めている時に青年期を過ごしたことで、落語の面白さを身に沁みて感じた経験も相俟って、過去を回想するのを佳いとする世代の様です。
案の定、40余のタイトルには自分の人生経験と関連する落語が入り混じって紹介されています。

そうは言っても、単なる愚痴と懐古趣味が蔓延していることは無く、新書版で気軽に読め、少しは世の中の情勢への対処法、楽しく人生を送る術を考えさせてくれる書籍です。

近頃は、テレビ放送でも「お笑いブーム」が再燃していますが、視覚的動きで笑いを誘う傾向が強く、読み言葉として文章に耐えられるものは少ない様に思われますが、その点、落語は文章となっても十分面白さを満喫できる資質を備えた伝統文化であることが分かります。

人生読本落語版-岩波新書1130(著者 矢野誠一)

著者は「はじめに」章で次の様に述懐していて、その時流に阿らない姿勢は、傾聴に値するものだと思われます。

古今亭志ん生がしばしば口にした「こんなこと学校じゃ教えない」の一言は、将に教育の妙諦で、あの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。決して世のため、人のためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送る術を学んで来た。
昨今の地に堕ちた世情を見せられると、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁な不便でも心豊かな人生を、落語の世界から改めて学びなおしても良いのではあるまいか。


この本、電車内でも気軽に読めるのですが、本を読みながらもにやにやとせざるを得ず、変な人と思われる危険性がありますので、要注意でしょう!

土曜日, 3月 15, 2008

ルポ貧困大国アメリカ-岩波新書(堤未果 著)

著者の堤未果女史は年齢不詳とされていますが、30才位の新進気鋭のジャーナリスト、マスコミ業界に阿ることも無く、ルポ報告での舌鋒鋭い指摘は新鮮そのものです。
アメリカに倣って経済自由主義・格差是認のグローバル化を直走る日本の現状・近未来に対する警鐘だと見ても差し支えありません。

嘗て「市場原理」は、バラ色の未来を運んで来るかの様に謳われた。競争によりサービスの質が上がり、国民生活がもっと便利で豊かになると言うイメージだ。
政府が国際競争力を規制緩和や法人税の引き下げで大企業を優遇し、社会保障費を削減することで帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中に組み込まれてしまった。
グローバル市場において効率良く利益を生み出すものの一つに弱者を食い物にする「貧困ビジネス」がある。

「サブプライムローン問題」は単なる金融の話では無く、過激な「市場原理」が経済的弱者を食い物にした「貧困ビジネス」の一つだ。
アメリカで中流階級の消費が飽和状態となった時、ビジネスが次のターゲットとして低所得者層を狙ったのが「サブプライムローン」、そこでは弱者が食い物にされ、使い捨てにされ生存権を奪われて行く現実がある。

この世界を動かす大資本の力はあまりに大きく私たちの想像を超えているし、現状が辛いほど私たちは試される。
しかし、現実を正確に伝えるべきメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されている状態に声を上げ、健全なメディアを立て直す。それも私たち国民の責任なのだ。


新鮮な感じのするルポ報告とは言え、何か「アジテーション演説を聞いている様な錯覚に陥ることも無きにしも非ず」と言う処で、このルポに迎合して庶民の声を上げて行くには短絡すぎる気もしないではありません。
その様な懸念を払拭するには、自分の頭の中で論理再構築することも考えなければなりません。

月曜日, 2月 04, 2008

中国名文選-岩波新書(興膳 宏 著)

日本語は常に変化しつつありますが、原則的には常用漢字2000字を主体として平仮名を使って送り仮名として読みやすい様にし、外来語は原則カタカナ(片仮名)とし表記され、各々の区別がつきやすい様に構成されています。
近頃は漢字で表現出来ることも、英語をカタカナ表現にした日本語の方が恰好が良いと言う風潮から、その様な会話・文章が幅を利かせるようになりましたが、1000年近く使われて来た漢字中心の日本語は今後も廃れることは無い様に思われます。

中国古典は永く日本人の教養を形作って来ましたが、先人が考案した漢文訓読というユニークな読解法が日本語でも違和感無く理解出来ると言うことが大きな役割を果たし、又、それらの簡潔な表現は日本語の文章に影響を与えて、今でも一部は「4文字熟語」として脈々として受け継がれています。

しかし、序章の冒頭に述べられている事実は目から鱗の様に感じられます。

中国では、かなり早い時期から書き言葉の文体が話し言葉から独立して、独自の発達を遂げた。書き言葉によって綴られた文章を「文言」と言うが、その特徴は、口頭で話される言葉を逐一写すのではなく、言わんとする意の要所を摘んで、簡潔に掬い上げることにある。

その「文言」も種々の変遷があるらしく、次の様に紹介しています。

「文言」も「史記」で完成を見ますが、歴史を辿るに従って、六朝時代(3~6世紀)には形式を重んずる文体が発展して技巧を尊重することとなります。しかし、8世紀後半の中唐となって復古運動が推進され、形式に縛られず自由に表現出来る中国のルネッサンスともされる「古文運動」が起きて来ます。

種々古典から選び抜いた名文は、孟子・荘子から宋代の蘇軾・李清照まで12人の文章家による内容・形式もさまざまな代表文、読みどころを押さえながら訓読し、白文も添えて、分かり易い解説がその味わいを伝えてくれます。

新書版で僅か12名文しかありませんので、気軽に中国古典を親しめる機会を提供してくれます。各項目別に、興味が出ましたら詳細な書籍を見つければ良さそうで、日本語ルネッサンスへの恰好な入門書に思えます。

日曜日, 1月 20, 2008

西田哲学-西田幾多郎

どうも金権主義と享楽主義が蔓延り、「ハウツーが横行するだけ」の如何ともし難い状況に陥っている様です。
「清貧」と言う言葉は死語と化して「金儲けと享楽のみが生き甲斐」となって久しく、強者は批判を封じ込めることに汲々とし、弱者を見つけると徹底的に批判して「その生き様」まで否定しようとするのですから、世の中は住みにくくなってしまい、とてもではありませんが一般大衆は堪りません。
政治家の政治資金偽装、実業家の偽装行為、マスコミの情報流用操作・インサイダー取引など頻発して「チャンスを生かす強者の論理」は留まることがありません。
「パンとサーカスを生き甲斐」とする哲学不在の時代が、そうした生き様を肯定してしまったのだと言うことでしょうか?

西田幾多郎-生きることと哲学 岩波新書(藤田正勝 著)

西田幾多郎は、「善の研究」で一世を風靡し、純粋経験を標榜した西田哲学を確立した哲人として知られている。

哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」でなくして深い人生の悲哀でなければならない。

「功なり名遂げた」人生を予想するだが、絶筆にあたって全く違った眼で自らの生涯を見ていたことが分かった。

私の論理は学界からは理解されず、一顧も与えられないと言っても良いのである。批評が無いではない。しかしそれは異なった立場から私の言う所を曲解しての批評に過ぎない。

西田は、さまざまな思想家から批判を受けたが、その都度、批判を正面から受け止め、自らの思想を発展させる原動力にして行った。批判を自らの思想の中に取り込み、それを糧として新たな発展を遂げていく力強さ、エネルギーが西田の思索の中にはあった。


西田は図らずも弁証法的生き様を貫いたのかも知れません。

ある命題(テーゼ=正)と、それを否定する命題(アンチテーゼ=反対命題)、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)として、サイクル化されているのである。
全てのものは矛盾を含んでおり、必然的に己と対立するものを生み出す。生み出すものと生み出されたものは互いに対立しあうが、その対立によって互いに結びつき、最後には二つがアウフヘーベン(aufheben)される。

金曜日, 1月 04, 2008

人工浮島で太陽発電-スイスの研究所(CSEM)が研究開発

現在は水素を得る為には炭素を含む化石燃料を原料とし、改質器の中で二酸化炭素(CO2)、猛毒の一酸化炭素(CO)が発生しますので、除去しなければなりません。特に12%も入っています一酸化炭素は、二酸化炭素変成プロセス過程を経て、排気中に10PPM以下となる様に設定されています。結局、排ガス中には相当量の二酸化炭素(CO2)が含まれ、CO2発生率は従来発電方式と殆ど同等となってしまいます。化石燃料を使う限り、その宿命は変わらないのです。
無尽蔵の太陽エネルギーを使って、純水素ガスを製造し、燃料電池で動力・電力を得て、環境を汚さずに生活する、そんな時代が来て欲しいものです。

スイスの民間研究所CSEM(Centre Suisse d'Electronique et de Microtechnique)が太陽発電を行う人工浮島(MegaFloat)を海上に建設するプロジェクトに取り組んでいる。2010年代初頭の実用化を目標に、強い日差しを遮る障害物のない海上で効率よく太陽発電を行う研究開発を進めている。
アラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国のラスアルハイマにてプロジェクトが進められている。2007年5月にラスアルハイマ当局に太陽発電の浮島構想を説明し、500万ドルの資金提供を含めたプロジェクト推進への支援を取り付けた。
直径5km円形の浮島に太陽の熱エネルギーを集めて貯蔵する設備を設置し、太陽熱エネルギーによって蒸気を発生させ、水素を取り出し発電に活用する。且つ、直射日光の強い昼間に熱エネルギーを蓄えて夜間の発電にも利用する。


日本でも経済産業省・環境省・NEDOを中心に同じような動きがあり、人工浮島(メガフロート)上に風力発電・太陽光発電・海水淡水化設備、水素製造設備を設けて海洋上で水素製造・発電する計画ですが、予算化もならず未だ検討段階に過ぎません。

具体的には海上に移動可能な人工浮島を設け、その上でクリーンなエネルギー源である水素を、太陽光や風力などの自然エネルギーで得られた電力を利用して製造する。
技術的には風力や太陽光は天候に大きく左右され、電力の供給源として安定性に欠けることが実用化の上で問題視されているが、この不安定な電力を水素製造するための「水の電気分解」に利用することで欠点を補うことが期待でき、近未来に自動車や家庭のエネルギー源の主流と目されている水素を安定供給する可能性を検討することができる。
又、人工浮島は移動が可能であるため、各地の太陽光や風力などのデータ採取が可能である。他の方法より長期的に環境面で優位と判断されれば、海上を利用した大規模な自然エネルギー水素製造設備や発電設備を検討することもできる。また、海洋上に水素の貯蔵設備が位置するため、地震・津波などの自然災害に強く、万一事故が発生しても周辺への被害が少ない。


日本が検討している人工浮島(MegaFloat)拡張計画、風力発電も入れて一寸欲張り過ぎている気がします。
太陽光発電・水素製造・燃料電池だけに絞らないと膨大な予算が必要で、パイロットプラント化も難しいと考えています。