月曜日, 2月 10, 2020

新実存主義-フランスではなくドイツから提言

第2次大戦後に、フランスの哲学者サルトルやぼボーヴォワールが展開した哲学的見解で、ポンティやカミュ等も実存主義運動を展開しましたが、元来実存主義者とは「人生に目的を持たず不条理に現実存在している」ことを批判する呼び方でもあって、マルクス主義との哲学闘争に後塵を拝し、「実存主義」のレッテルを貼られることをあからさまに拒絶する様になって、次第に下火となりました。

生きる哲学としてのマルクス主義も、新自由資本主義との経済競争に敗れてしまって、哲学不在の時代となりましたが、ドイツ哲学や観念論、現象学、解釈学を踏まえて、実存哲学から抽出したものを抱合した「新実存主義」がフランスではなくドイツから提唱されている様です。


新実存主義とは、「心」と言う乱雑そのものとしかない包括的用語に対応する、現象や実在はあり得ない見解とされて、種々の反駁をされている未完の提言である様です。

世界は、あらゆるものを抱合する1個の対象領域でも、あらゆる事柄を抱合する1個の事実領域でもなく、「あらゆる意味の場から成る意味の場(Field of Sense : FOS)」として理解すべきである。新実存主義では、「心」は自然秩序(宇宙)にも世界にも属さない。
「心」は、しかるべきFOSに位置を占め、容易にその存在を受け入れることが出来るのだ。


「心」と言う語で表される一つは存在しないとし、実存主義と心の哲学を繋ぎ、精神の自由を取り戻す為の存在テーゼとしていますが、未だ反駁や議論は続く様な気がします。