木曜日, 10月 25, 2018

手塚治虫のネオ・ファウスト-絶筆の遺作漫画

手塚治虫氏の遺作漫画は第2部の始めで絶筆となって、絵コンテのみが残されています。
第1部は1960年代の学園紛争の中、それとは無縁であった老齢の教授が、「この世が美しいと言う処まで世の中を謳歌出来る」との悪魔と契約して、若者に変身して活躍、遂には妙齢の女性を誘惑しては捨て去り、国外逃亡となる処で終わる。

第2部は、それから数十年経って帰国し、その女性に会い、後悔の念に駆られている処で、絶筆となっていますが、どの様な展開を見せるのかは、興味の湧く処です。
多分、原作の「ゲーテのファウスト」と同じく、その女性に悪魔との契約を解いて貰うことになるのかも知れませんし、オリジナルストーリーとするのかは、何とも判断し兼ねます。

ネットでは、次の様に紹介されています。

手塚治虫は生涯で3回、ゲーテのファウスト物語を基にした漫画を描いた。1作目は戦後間もない20才頃に描いた児童向け赤本漫画「ファウスト」で、2作目は虫プロ社長を辞めた直後、42才頃に描いた「百物語」である。「ネオ・ファウスト」は3作目に当たる。 「ネオ・ファウスト」は、1987年から「朝日ジャーナル」にて連載されたが、1989年の手塚の死により未完且つ絶筆となった。

終盤になると絵コンテのみが掲載され、そのまま絶筆になったことを物語っている。収録されている最後のページは絵コンテのまま「先生の側近に三人のおもしろい者たちをはべらせます」「誰なんだ」という台詞で終わっている。その3人が一体誰を指すのかは謎のままであるが、手塚はその後の展開を作り上げていた。それは、作中に登場する左翼活動家・石巻の精子が新生物となり、地球環境を壊滅させるという内容である。また、物語中盤で球体に入った女性が登場するが、これは人間ではなく「地球の存在そのものを表す生命体」として登場する予定であった。

月曜日, 8月 13, 2018

中島敦の名人伝を楽しむ

1950年代後半に、国語として漢文読み下し文を必修科目があった高校時代を過ごしましたので、中島敦の小説は漢文を活性化し駆使したものとして魅力を感じていました。
1942年に33年の短い一生の中で、珠玉の典雅な作品を残した中島敦は、持病の喘息が悪化して夭折してしまったのですが、その様な仕事をする作家は、歯ごたえの無い口語体文章が時代情勢から考えますと、もう出て来ることは無いのでしょう! 趙の時代、都邯鄲に、紀昌と言う男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。 当今、弓矢をとっては、名手・飛衛に及ぶ物があろうとは思われず、その門に入った。 5年を掛けた日々の基礎訓練を経て、写術の奥義を会得し、師をも凌ぐ力量に達してしまいます。 そこで、師飛衛は弟子紀昌に、「この道の蘊奥を極めたいと望むならば、霍山頂きの甘蠅老師がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射の如きは殆ど児戯に値する」と諭す。 気負い立つ紀昌を迎えたのは、羊の様な柔和な目をした、しかも酷くよぼよぼの爺さんであった。 「一通り出来るようじゃな、だが、それは所詮、射之射と言うもの、好漢未だ不射之射を知らぬと見える」と弓不要の芸道の深淵を見せたのです。 9年の間、紀昌は甘蠅老師の許に留まった。山を降りて来た時、人々は紀昌の顔付の変わったのに驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂は影をひそめ、木偶の如く愚者の如き容貌に変わっている。 旧師の飛衛は、「これでこそ天下の名人だ。我らの如き、足下にも及ぶものでない」と感嘆して叫んだ。 甘蠅老師の許を辞してから40年の後、紀昌は静かに、誠に煙の如く静かに世を去った。その40年の間、彼は絶えて射を口にすることが無かったことから、弓矢を執っての活動などあろうはずも無い。 その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の弦を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。 僅か、文庫本で10ページの小編ですが、古来伝統となっていた漢文脈を活性化しつつ、それを駆使出来た最後の例の一つなのかも知れません。

日曜日, 1月 28, 2018

独居老人の一語-君は至る所で死を待ち受けよ

五木寛之著 「百歳人生を生きるヒント」 日経新書

著者は、ローマの哲学者セネカの言葉を90代の人達に贈るとしているが、日本の僧釋月性が漢詩で読んだ「人間到る処青山あり」として、良く知られる言葉でもあります。

著者は現在85才で、人生百才時代を迎えるにあたり、過去への懐古と将来の展望を込めて50才代から90才代までの生活のあるべき姿を提示するのです。

70才代への提言として、著者は「腹八分」と言うことを以前から薦めます。
伸び盛りの十代までは、腹十分でしっかり育つ
二十代に入れば、腹九分で良い
三十代は、腹八分で基準
四十代になると、少し控えて腹七分
五十代では、腹六分、以下十才増える毎に一分ずつ減らし
六十代で、腹五分
七十代に達すると、腹四分
八十代で、腹三分、一日あたり一食半
九十代で腹二分
百才代で、腹一分と言うのは酷でしょうか?

80才代では、現在頻発し問題とされる孤独死を社会の歪みとして悲観的に考えるのではなく、本来、人間とはそう言うものではないかと言うことを振り返ってみる必要がありますとし、資金的な経済不安に対しては、若い時から貯蓄しなさいと勧めるのですが、85才の自分のザル感覚を反省していると自戒します。

そして、90才代には「君は至る所で死を待ち受けよ」とし、思い悩むのを止めて、先ず今日一日を生き抜く覚悟をしなさいと提言するのです。


平易な文章で、200ページ足らずの新書版ですので、読み応えはありませんが、生きて行くヒントにはなりそうな気がします。