水曜日, 11月 03, 2010

森の妖精と三人の女神

この書籍は、先日56年振りの小学校同窓会で同級生から贈呈されたもの、純物語を読むのは久しぶりでした。
小中と同級、同じクラスになったことは無いことから、親しく話をしたことが無かったのですが、彼の生き様を知って貰いたいと自分の著書をくれたのだろうと想像しています。

水の惑星と呼ばれる地球も、遠い原始の時代には赤茶けた岩と砂漠しか無かったのだが、神のいたずら心から緑の園が造られることになった。しかし、神の単なるいたずら心では、その園も永続きがせず、太陽と月の支援を受けた森の妖精と三人の女神が、緑の園を生命感の溢れる森の姿に変貌させる物語となっています。
山之森.jpg

著者は緑の森への深い想いが強烈で、擬人的な太陽と月、及び森の妖精と三人の女神との会話体で物語を展開して行くのです。

そんな会話を読みながら、ふとボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」で女神達が集う様を思い浮かびますし、又勤しんで造り上げた森を大切に思う気持ちはサン・テグジュペリの「星の王子様」で残して来たバラを思う気持ちに通じるものがありました。

この本は、小説物語と言うより手塚漫画「火の鳥」の様に、絵とセリフで展開した方が余程迫力が出て来るのではないかと思われてなりません。

地球も現在の姿、常温水と空気の環境は一瞬、全球凍結の氷河時代から水の無い灼熱時代と輪廻変遷しつつあることも事実、現在の環境無しには人間を含めて全ての生物は生きられないのだと、そんな悠久の歴史を考えながら読み進めるのも一興と思われました。

日曜日, 10月 31, 2010

後有を受けず-誤解された仏教

家内の1周忌に訪れてくれる人も絶え、供えてくれました供花も萎んで来て、又静かな独り暮らしに戻りました。
2週間前の1周忌法要では和上が種々読経してくれたのですが、最後に「般若波羅蜜多」と唱えてくれたことしか覚えていませんし、「般若」は「悟りの智慧」・「波羅蜜多」は「完成」となるのですが、悟りを開いている訳でもなく、信心深くも無いので、普段通りに毎朝焼香しているに過ぎません。

「誤解された仏教」では次の様に述べられていますが、衆生には納得出来るものがあります。

「わが心の解脱は不動である。後有(ごう)を受けない」と釈尊は宣言した。
これは「私は輪廻を解脱した。これが最後の生存で、もう何にも何処にも生まれ変わらない」と言う意味で、これが仏教本来の考え方である。

しかし、愛妻の死が縁となり比叡山で回峰行に挑んだ阿闍利(あじゃり)は「心も肉体も空だから物心一如、一体何が残るのだろうか。私は“想いの深さ”が残ると敢えて言いたい。“想い”によって女房から色々なものを与えられた」と言うのである。


私と17才で知り合い27才の時に結婚したのは、1970年3月東大構内の赤門近くの学士会館別館でした。
1970326

それからは39年間の長きに亘って家族を愛し、静かに好きな読書をしつつ、時には義母と共に聴いたクラシック音楽を楽しむと言う平凡な人生を天命と受け止め、天寿を全うしたのです。

葬式仏教の法要・供養を一概に否定するものではありませんが、「後有(ごう)を受けず」で死後の世界は存在せず、「想いが残る」として家族・親戚・知人の心の中に刻まれて残ると言うのが、現在の私としましては、最も納得出来る様に思われます。

木曜日, 10月 28, 2010

シェールガス(Shale Gas)

今シェールガス開発が注目されているらしい。
通常の天然ガス田の場合、地下の空間にガスが溜まっているが、シェールガスは深い岩盤のすき間に薄く広く存在するもので、掘り出すのが難しかったのです。
しかし米国で水平に穴を掘り、水と薬品で岩をくだいて押し出す技術が確立し、生産が伸びているとのことです。
ShaleGas

シェール(Shale)とは、薄い岩石層が固まった頁岩のことですが、層の隙間には化石燃料も封じ込められる事例が多い様です。

私が、コロラド州のオイル・シェール・プロジェクト開発を進めていた会社Toscoを訪問したのは1980年代初頭のことでしたが、採掘コストが当時の原油価格に対抗出来ず、中止となったことはよく覚えています。
ガス(シェールガス)は液体(オイル・シェール)に比べて、採掘コストが安価に実施出来ると言うことなのでしょうが、地下地盤を破壊し、注入した水と薬品の混合物は環境汚染を引き起こすものでありますので、再利用・処理技術の改善が望まれる処です。

岩盤層に閉じこめられている天然ガス「シェールガス」の開発が世界から注目されている。米国で生産が飛躍的に伸びた為で、世界のエネルギー勢力図を揺るがす可能性もある。

2000年に米国の天然ガスの1%だった産出量は昨年、2割に達した。液化天然ガス(LNG)を輸入する必要はなくなり、ガス価格も押し下げた。天然ガス価格は2008年には12ドル/MMBTUほどだったのが、いまは4ドル未満。原油価格は金融危機後に再上昇したのに、ガスは低いままだ。

全世界のシェールガスの埋蔵量は「3200兆立方フィートで在来型の天然ガスの半分ほど」と言われ、かなり大きい。一方で、採掘に使う薬品による環境汚染などの問題もある。

日本企業では、大手商社が相次いでシェールガス開発への大規模投資に動いている。
住友商事は、昨年末米国でシェールガス開発への投資に踏み切り、今年9月にもさらに米国で権益を得た。2件の総投資額は約1500億円に上る。
三井物産は2月に米国で権益を取得し約1260億円を投資する。
双日も6月、米国の既存鉱区からシェールガスを拡大生産すると発表した。
三菱商事が8月に約360億円投資を発表したカナダのシェールガス事業は、出資比率が5割にのぼり、日本企業の資源エネルギー投資としては異例の高さだ。

火曜日, 9月 07, 2010

文人哲学者 和辻哲郎

独り暮らしとなると、結構家事に割かれる時間が多く、ゆっくり音楽を聴いたり、本を読んだりする習慣が無くなりつつあります。
以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。

下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。

「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。

西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。

私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。

和辻哲郎「古寺巡礼」


和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。

九鬼周造随筆集


50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。

西田幾多郎-生きることと哲学

水曜日, 5月 05, 2010

セーヌの流れ 印象派の光と色と愛の軌跡

霜月

著者の霜月十三星(しもつき とみほし)氏とお会いしたのは、唐木田駅前にある喫茶「友愛」、丁度店内にモーツアルトの音楽が種々流れている時に、話が始まりました。
霜月氏は「ベートーヴェンは良いが、モーツアルトは分からない!」と言うので、私は「気分が落ち込んだ時は、ベートーヴェンは勇気づけてくれるが、モーツアルトは更に落ち込み、精神が充実している時で無いと聞けない。」と応じたのです。

すると霜月氏は「画家モネも貧乏でたいへんでした」と話題を変えましたので、私は「ジヴェルニーでは、平安な生活をして晩年は裕福で幸福だったのではないでしょうか?」と言いましたら、上記の書籍をカバンから取り出して、「どうぞお読みください!」と贈呈してくれました。

ブックカバーには「フランスの芸術家達に多大な影響を与えた、北斎や広重の描いた日本の美。そして、誰よりもその美しさを追求した画家モネと娘マリーが、情熱をかたむけた日本への憧憬を綴る」と紹介されています。

冒頭に「ゲーテの色彩論」が述べられているのに先ず驚きました。これは、大学時代の独文学教科書で、難渋なドイツ語だったと記憶していたからで、遠き思い出を引き起こされたのです。

読み進む内に、「モネの考えを言葉で表現し、理解するには手間は掛らない。彼にとっては、全てが現在形で、過去も無く、未来も無い。人間の無我があるがままの自然に吸い込まれていく。それが美の本質なのだ」と言う核心に近づきます。

カントは「人は哲学を学ぶことは出来ない。ただ哲学することを学び得るに過ぎない」と言っている。
この主張に従えば「人は美を創造することは出来ない。美を創り出す方法を模索し得るに過ぎない」
モネの人生は、東洋の美を模索したひと時であったのか?
人類は皆、限られた生命と寿命の範囲で、絶対への軌跡を描きなぐって行くのみなのか?

そうエピローグで哲学することで結んでくれますので、読後爽快となりました。

閑話休題:著者本名は平林治雄。1925年11月13日生まれをペンネームとしたとのこと

水曜日, 4月 28, 2010

高速増殖炉もんじゅ運転再開

私が「もんじゅ」を見学したのは、1995年秋の定期点検中でした。
1991年試運転を開始し、高速増殖炉は、本来は核燃料にならないウラン238をプルトニウムに変化させ、理論上は使った以上の燃料を生み出せることから、「夢の原子炉」とも呼ばれ、国も原子力政策の柱として開発を推進していた頃でした。
定期点検を終えて、運転再開しましたが、直後の1995年12月にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止したのでしたから驚きでした。

「もんじゅ」原子炉の冷却媒体に金属ナトリウムを使っているのは気にしていたのですが、旧来の水銀では熱伝達率が不足している事情から仕方の無い技術的理由があると納得していたのです。金属ナトリウムは常温では固体で、常に加熱して液体状態を保たなければなりませんし、また空気中では不安定で、水分を含む湿気で発火する弱点があるのでした。
適正な加熱状態を検知する熱電対管の後流にカルマン渦が発生し、その自励振動で熱電対管根元に亀裂が入り、其処から金属ナトリウムが漏れ出して火災を起こしたのが事故の原因だったのでした。
カルマン渦は自然現象でも日常的に見られ、風の強いに電線が振動して風切音が聞こえるもので、電線が切れる事故は無いのですから、設計余裕があれば事故を防げるのです。

高速増殖炉はフランス、ロシア、中国、インド等が開発を進めている「夢の原子炉」ですから、技術的ブレークスルーで難局を突破して頂きたいものです。

日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」について、内閣府の原子力安全委員会は、「運転再開は妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の評価結果を了承した。運転再開に関する国の手続きは終了し、原子力機構は地元の福井県と敦賀市に安全協定に基づく事前協議を申し入れ、運転再開は経済産業省原子力安全・保安院の立ち入り検査を経て、5月の大型連休明けになる見通し。
14年5ヶ月ぶりとなる「もんじゅ」の再開で、運転しながら核燃料を増やせる“夢の原子炉”の高速増殖炉開発が再び動き出すことになった。
もんじゅは、実験炉の次の段階の「原型炉」にあたる。


建設費は当初予算約5,900億円でしたが、事故後処置も含めて、掛かった総予算としては約1兆6000億円とされていて、仕様は下記の通りです。

原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器

土曜日, 4月 24, 2010

ぼんやりの時間-辰濃和男(岩波新書)

筆者は1975~1988年に亘って、朝日新聞の「天声人語」を担当していた経歴を持っていることから、エスプリの利いた筆致で「近代化を見なおそう」と主張します。
ぼんやり


無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。
近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。
しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。
この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。


批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。
その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。

現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。
ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。
しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。
ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。


私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。
「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。