土曜日, 11月 14, 2015

高速増殖原型炉もんじゅ-運営不適当との勧告

私は原子力工学者では無いのですが、「夢の原子炉」と言われた高速増殖炉もんじゅを見学させて貰ったのは1995年春のことでした。
1994年臨界に達し、1995年秋の本格運転に向けての定期検査の最中で、運営は動燃(動力炉・核燃料開発事業団)、ウラン補給不要のプルトニウムを再利用するMOX燃料を使う核燃料サイクルの中核となるもので、新技術開発の希望が膨らんでいる時期でした。

MOX燃料の核分裂はウラン燃料に比べて核分裂速度が速く、原子炉冷却が冷却水では出来ず、高温の金属ナトリウムを使用するのが売りでも懸念でもありました。 ナトリウム漏洩事故(国際事故評価尺度レベル1)の隠蔽工作等が批判され、動燃は解体、その後運転再開の見通しの無いまま、運営を日本原子力研究開発機構に委ねることになりましたが、インセンティブの無い保守管理だけでしたので、士気も上がらず企業の協力も得られずに点検でも多くの不備が指摘される様になり、今日の勧告に至りました。

原子力規制委員会は、安全管理上のミスが相次ぐ高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)について、運営主体の日本原子力研究開発機構は「不適当」とし、新たな運営組織を見つけるよう馳浩文科相に求める勧告をまとめた。半年以内に適切な運営主体を示せない場合、もんじゅのあり方を抜本的に見直すことも求める。

もんじゅは2012年機器全体の2割に当たる約1万件で点検漏れが発覚、規制委は2013年に原子炉等規制法に基づく運転禁止命令を出し、原子力機構に管理体制の見直しを求めたが、その後も新たな点検漏れや機器の安全重要度分類のミスなどが次々と発覚するなど改善されなかったため、初の勧告に踏み切った。もんじゅは過去に約1兆円、年間約200億円の国費が投入されたが稼働実績はほとんどない。


もんじゅは高速増殖炉の原型炉、使った以上の燃料を生み出すため「夢の原子炉」とも言われ、水を使う一般の原発と異なり、核分裂で発生した熱吸収を液体ナトリウムで行うのが特徴ですので、ナトリウムは水分に触れると爆発燃焼するので、高度な技術が求められます。
もんじゅ運営に関して、原子力機構に代わる新組織を見つけるのは難しく、もんじゅを中核とした国の核燃料サイクル政策は大きな岐路を迎えることになりました。

今年も日本人のノーベル賞受賞者がいましたがそれは過去の産物、近頃の建設業の杭打ち不正等を考えますと、日本の技術水準は難局を切り開く進取の気勢が無く、衰えて来ていると思わざるを得ません。

水曜日, 10月 28, 2015

ドイツ帝国が世界を破滅させる-中国帝国との意思疎通が懸念

著者はフランスの歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏、日本では、覇権主義の国と言えば中国を思い起こさせるのですが、EU圏内でのドイツの力は圧倒的でドイツ帝国として君臨しつつあると言う。

パックスアメリカーナとして君臨したアメリカの国力が落ちて、世界中でシステムにひびが入り、アジアでは韓国が日本に対する恨み辛みの故に、アメリカのライバルである中国と共謀し始めていますし、ヨーロッパに於いては国力とヘゲモニーからドイツ帝国の体を為しつつある。
戦後のアメリカの戦略は、ユーラシア大陸の二つの大きな産業の国の極、即ち日本とドイツをコントロールすることで成立して来たことが言われています。 日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も似ており、経済面でも酷似、産業力が逞しく、貿易収支が黒字だと言うことですが、日本文化が他人を傷つけないで遠慮するのに対して、ドイツ文化は剥き出しの率直さを価値付けます。

ヨーロッパには発展の余地のある低賃金ゾーンを利してドイツ産業が発展、それ以外の国々の産業システムが壊滅して、ドイツだけが得をするシステムとなっている。 ドイツが頑固に緊縮財政を押し付け、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかない状況を見ると、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸ではないかと懸念するのです。

「ドイツ帝国」は最初もっぱら経済的だったが、今日では既に政治的になっていて、弱体化して来たアメリカに対抗すべく「ヘゲモニー」を掛けて、アメリカと同盟を強化する日本ではなく、もう一つの世界的輸出大国である「中華帝国」と意思疎通を通じ合わせ始めているのは見逃せないとしています。

木曜日, 10月 08, 2015

パトスではなくロゴスが肝要-加藤周一と丸山眞男へのオマージュ

近頃、戦後レジームの脱却を叫ぶ政治制度を含めて、世の中全て自己の情熱(Pathos)を語ることが多く、論理(Logos)が欠如しているので、説明を求められると、その都度説明が違って説得力がありません。 安保法制を憲法違反とする立場の著者ですが、戦後日本を代表する知識人である加藤周一と丸山眞男へのオマージュを呈しつつ、論理(Logos)の大切さを説いていることで、一読に値する書籍と思われます。 アリストテレスは説得のあり方について、3つの側面から考察する。 logos(ロゴス、言論):理屈による説得 pathos(パトス、感情):聞き手の感情への訴えかけによる説得 ethos(エートス、人柄):話し手の人柄による説得 logos(言論)を中心に据え、最も多くの記述を費やし、pathos(感情)やethos(人柄)の側面についても、それなりの記述を費やしている。 近代社会学の父であるマックス・ヴェーバーによって提示された社会支配の三形態、「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」とも重なる。 加藤周一は、「民主主義」は「個人の尊厳と平等の原則の上に考えられる制度」と定義し、1955年の「雑種文化論」にて、「持続・伝統と言う「型」の思考の枠組みの中に、「段階」思考の実質的問題意識を埋め込んだと主張する。 「型」と「段階」思考は、松尾芭蕉の言う「不易」と「流行」に等しく、働きかけの余地を無くす「型」でなく、進歩を追う「段階」でもなく、伝統の中に「変化」を促すと言う緊張関係に自分を置き、知識階級の広い層が闘うだけの質量を蓄える必要があり、「9条の会」に対する肩入れは、それを目指していたのだ。 丸山眞男は、「個人は国家を媒介としのみ具体的鼎立定立を得つつ、しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持する如き関係に立たねばならぬ」とし、「弁証法的な全体主義」を必須として、「弁証法的な」と言う形容詞の無い「全体主義、有機体国家、権威国家、単一政党国家、等族国家等、一様に均された(Gleichschaltung)国民大衆の上に成立する権威的な体制国家は全て否定する」のです。 丸山は自由の質を問題にして「規範創造的自由」を「人欲の解放」としての自由に対置し、加藤は知識人の孤立を繰り返さない為に「雑種文化」の可能性を模索したのだ。 憲法に対する立場は改憲、加憲、保持と様々で、著者の考え方に賛同は要しませんが、パトス的な意思表明だけではなく、納得できるロゴス的議論が為されなければ、丸山の警戒する全体主義勃興が懸念されることになります。将に「言葉ありき」が本質です。

金曜日, 6月 05, 2015

加藤周一を記憶する-「戦後レジームからの脱却」へのアンチテーゼ

戦後を代表する知識人である加藤周一氏は、文化、芸術、政治について、時には見識の転回を重ねつつ啓蒙的活動をして来た稀有の存在で、その見識は近頃の「反知性主義」による安易な右翼的傾向に棹差すアンチテーゼとして見直す必要があるのでしょう。

文化的な解釈では、1970年代、例えば「もののあはれ」を表すとされた「源氏物語」は日本文学の正典中の正典とされていますが、仏教の影響を考察し、時間意識を読み取り、「源氏物語が我々に啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れと言う日常的で根本的な人間の条件である」と新解釈を披露します。

政治的な解釈では、既に1980年代に次のように喝破しています。 「国民の生命財産を守るだけでなく、基本的人権、そして権力の民主的統御を守ることが求められ、その為には超大国との緊張関係を緩和する以外に有効な手段はない。
日本の軍国化が嘗てそうであった様に将来も又日本国民に不幸をもたらすだろう。殊に軍国化が、超大国間の争いの先棒を担ぐ形で行われる時はなお更である。 昨日は遠くて今日近きものは、教科書の書き直し強制、首相の靖国公式参拝、憲法9条空文化ですし、今日遠くて明日近きものは、自衛隊核武装、国際的な海外派兵、愛国の為の徴兵制度、平和の名目での局地戦となります。」

現状は、教科書検定の書き直し強制、憲法9条空文化、国際的な海外派兵、平和の名目での局地戦等が混在して到来しつつあるのでしょう!

著者は本書につき、下記のようにコメントしています。

加藤周一は、状況との緊張関係をもち、絶えず自らの知をつくり替えていった。「戦後思想」から出発し、フランス留学後の「雑種文化」によって「転回」をとげ、その後、60年安保を経てさらなる「転回」をなし、パリ五月革命、中国文化大革命など「68年」の状況に向き合う。そして晩年の「九条の会」参加に至るまで、5つの局面を経ている。 こうした加藤の「転回の軌跡を明らかにすることは、その時々の「知」の検証―「戦後」の内在的な検証となり、「戦後知」の新たな形を示す作業となる。更に安易になされている「戦後レジームからの脱却」への批判となるであろう。 「啓蒙の知」は現状への処方となり得るはずである。「反知性主義」への対抗として、啓蒙主義の放棄ではなく、啓蒙主義の蜂起へと至るものとして。

月曜日, 4月 27, 2015

コーシーとリーマン-高木貞治著「近世数学史談」

函数論は高等数学の入口ともされ、複素平面上にて正則函数の挙動を研究する分野で、多項式函数、 指数函数、三角函数、対数函数等を含むもので、大学では犬井鉄郎教授の講義を受けて、面白さに惹かれたものでした。
社会に出た後、地中管からの熱放出による温度分布解析には、等角写像を用いた図形変換で簡単に解決出来た際には、応用数学の有用さを実感したものです。

正則函数とは、複素函数(複素数を変数とする函数)の内で、定義域にて微分可能な函数のことである。領域内の全てで微分可能であることは正則性と言われ、多項式函数、 指数函数、三角関数、対数函数、ガンマ関数など、複素解析において中心的な役割を演じる函数の多くはこの性質を持っている。
z = x + iy とし、複素函数 f)は実 2 変数函数 u(x,y), v(x,y) を用いてf(x,y) = u(x,y) + iv(x,y)と表すことができる。f(z) = f(x, y) が正則函数であれば、u, v はコーシー・リーマンの方程式と呼ばれる偏微分方程式を満たす。


教養学部での解析学の教科書「解析概論」の著者である高木貞治氏は、1933年に「近世数学史談」を刊行、近世数学の巨人達の様子を紹介していますが、これがロマンチックな物語となっていて、倦むことがありません。
函数論の章では、コーシーを先駆者、リーマンを発展者として次の様に紹介しています。

コーシーの業績で最も顕著なのは函数論の創設であろう。しかしコーシーは創設を意識していたのではなく、ラプラース、ルジャンドル等が遭遇した特殊な定積分を計算することが要因だったのである。それらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的な方法で計算されることを看破し、1825年「虚数限界内の定積分の論」なる論文を発表、その成果は今日で言う「極点(pole)に関する留数の定理」であった。
1851年に至って、今日の解析函数全てが函数論の対象として確認され、30年の歳月を経てコーシーの函数論に目鼻がついたのである。 1851年と言えばリーマンの学士論文「複素変数の函数の理論基礎」が出た年である。「微分商dw/dzが微分dzに関係無き一定の値を有する時に、wを複素変数zの函数」とし、コーシーが30年の歳月を経て辛くも達し得た立脚点を、平気で占有したのであった。


理論の進歩とはそう言うもので、ロゴス(知性論理)には適正な先人の業績を受け継ぐ伝統が必要なのでしょう!

月曜日, 4月 13, 2015

示唆に富む人生体験随想-五木寛之著「選ぶ力」

私たちは何時も大小取り混ぜて何らかの選択をしていますが、この何事も不確定で「思うままにならない」時代にどの様に対応して良いのか不安を覚えることも多い筈です。

著者は学校教師の家庭に生まれるも、生後まもなく朝鮮に渡り、敗戦による引き揚げでの生活苦、何とか大学入学するが貧困による大学中退、売血による生活維持しつつ、生来の活字好きから編集の仕事にあり付き、ルポライターを経て作家に転身と言う激動の人生を送った体験が詳らかに綴られています。

選ぶ、選ばれるは人生の一大事だ。しかも最近の世相は、「選ぶ」幅が激減して、やれリストラだ、非正規雇用だと、「選ばれる」リスクが大きくのしかかって来ている。一方で私たちの目の前には、自ら「選ばざるを得ない」状況が次々と巡って来る。
私自身は敗戦以来、一度の健康診断も検査も受けずに今日まで来た。いくつかの健康上の問題を抱えつつも、放置して暮らしている。しかし、それも私自身が選んだ道であり、そのことに関しては後悔が無い。


著者は近年、仏教への思いを募らせた著作が多く、本書でも始祖である仏陀の言葉や、法然・親鸞の著作が引用されて、選ぶ・選ばれる際の参考にすべきとしている。

仏陀「自分自身を頼りとして生きよ。そして真理を見失うな」
法然「阿弥陀仏一仏信仰は相互選択的なもの、選ぶ力が大切」
親鸞「分からないままに闇を彷徨い嘆くなら、何かを信じるしかない」

「思うままにならない」世の中では、巧みな言葉だけで励まされる様な時代は。もう終わったのだ。私たちに必要なのは、大声で送られるエールではなく、すれ違う際の一瞬の目配せの様なものではあるまいか。
私が述べたことは、私自身の正直な体験に過ぎない。それが迷いつつ生きる人々の何らかの一助になれば、と密かに願っている。


若い世代には嫌われる老人の昔話物語についても、回想療法と言うアルツハイマー対策での一番の治療法と述べていることにも納得出来る処がありました。

土曜日, 3月 21, 2015

なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか-石平著(PHP新書)

中国の民主化運動に傾倒し、日本での著作活動に転じた後、遂には日本国籍を取得した著者の出自から鑑み、覇権主義を標榜する中国共産党政権には厳しい。
日米同盟を強化し、近隣諸国を属国化を図る中国の囲い込みに奔走する安倍政権は正しいとして、それにエールを送る著作となっている。

習金平の目指す処は、嘗ての中国を頂点とした中華秩序の再建を目指すことで、毛沢東による中華秩序の再建が失敗に終わって40数年、鄧小平路線による富国強兵が達成された今、中華帝国の新皇帝となった習近平は、アジアを支配すると言う中華帝国の復権を目指し、その為には近代史においてその中華秩序をひっくり返した日本と言う国をねじ伏せておくことを必須案件として、その出足から日本に対して高圧・威嚇的態度に出た。

それを察知した安倍政権は、日本の安全保障を脅かす最大の脅威が即ち中国の覇権主義と軍拡と捉え、連携すべき相手ではなく、寧ろ警戒すべき潜在的脅威としたことは明らかだ。

米国の外交評論家キッシンジャーも「中国は平等な国家からなる世界システムに馴染めず、自国をトップ、唯一の主権国家と考え、外交は交渉よりも世界階層秩序で各国の位置づけを決めると考えている」と、警鐘を鳴らしている。

日本は今後どうするべきなのか。
先ずは米国との同盟関係が何より重要で、日本にとって最大の安全保障となっていることは論を俟たない。米国が提唱する「航海の自由を守る法秩序」は誰が見ても、覇権主義的な中華秩序よりも遥かに公正で正義に適ったものだ。
法に基づく平和秩序を守り、中華帝国の野望を封じ込める中核的存在として、中国共産党政権の海洋制覇を阻止して中華秩序の亡霊を葬り去ることが、戦前の歴史を超克してアジアの民主主義先進国となった日本の背負うべき使命であり、生きる道なのだ。

月曜日, 3月 09, 2015

文春新書「新・戦争論」-対談版の限界

TVニュース解説で活躍中の元NHKアナウンサーと評論文書多数で知られる元外務官僚で評論家との対談を新書版で纏めたもので、TVや新聞等のマスコミでは得られない評論がありましたが、新書版の悲しさで出典・根拠と言うバックアップに欠ける様に思われました。 名指しはしませんが、領土拡張を画策する中国、自国利益を他国に押し付けるTPPを画策する米国、等を念頭にした下記の分析は納得が出来ます。 新帝国主義とはコストの掛かる植民地を持たず、局地戦に限っての戦争に止めて、資本の投資対象を国外に求めて利益を追求して行く国々のことである。 外交面では、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化して行く。他方。相手国が必死に抵抗し国際社会も干渉する場合には譲歩する。それは心を入れ替えたからではなく、譲歩した方が結果として極大化出来ると言う判断に依るものである。 韓国朝鮮問題では、韓国人と朝鮮人は別と言う見方もあると論じます。 中国にとっては北朝鮮の労働力と地下資源は魅力で、韓国も中国寄りになって来るので朝鮮半島が丸ごと属国にあると言う戦略を描いていたが、北は離反する動きを見せ、南が属国になりつつあると言う南北が入れ替わる様相となって来た。 これは、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることが出来、あるいは北朝鮮が渤海だとも考えられる。新羅は中国に朝貢していたが、渤海は日本に朝貢していたのだ。北朝鮮としては、同じ朝鮮半島の国とは言え、三国の時代から元々違うと言いたいのかも知れない。 韓国は歴史上、中国の臣となることで生き延びて来たので、経済力と軍事力の増強の著しい中国の方に抱かれている方が、劣化の目立つ米国よりも、心地よいのだろう。 善隣友好と言い、遠交近攻策と言い、自国民を守ると言うのは一筋縄ではいかないことが分かる書籍でした。

金曜日, 1月 09, 2015

60分でわかるピケティの「21世紀の資本」-Q&AのWebアプリに似る

僅か77頁で内容も薄弱、本の帯には「サブテキストとして最適」とキャッチコピーされていますが、何故ベストセラーになるのか分からない書籍とも思えましたが、出版物を読まない風潮で軽いテキストが好まれる様です。 「21世紀の資本」が英訳されるや、世界中でベストセラーとなり注目されたのは、21世紀に暴走して来ている資本主義に不安を感じていることの現れなのでしょう。 資本主義のアンチテーゼであった共産主義は、労働者への幸福をもたらすこと無く、幹部官僚独裁国家に変貌してしまっているのは、よく知られることとなりました。 宗主国ソ連は崩壊し、中国は党エリート独裁の国家資本主義に変貌し格差は資本主義以上に拡大させる始末、北朝鮮では基本的な人権を認めない蹂躙国家と成り果てました。 ピケティはマルクスと同様に、資本主義では格差が拡大するのが普通だと分析するのですが、アンチテーゼの共産主義はあり得ず、資本主義より効率の高い経済システムは無いと結論付けるのです。 解決策として、グローバルな発展で利益を貪る資本主義の暴走を抑えるには、累進課税を強化し、グローバルな資本課税を提案するのです。 「21世紀の資本」は著名な学者・経済人が絶賛するのですが、従来には無い資本主義の矛盾を突く経済書としながらも、マルクスとは違う結論に至る理論的考証も未だこれからであり、一般人には難解な本ですので、このような薄いガイドブックを読むことで少し判った気になるのも良いのですが、何かQ&AのWebアプリを見ているだけの軽薄な著書と感じられないでもありません。