土曜日, 11月 25, 2006

アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書

この本は半世紀以上にわたるアメリカの心象風景をまとめたもので、体験した原風景を基調にしながら、エッセイ風に書き綴りました。
私はブッシュ政権がイラク戦争を開始した直後、「アメリカよ!」と言う本を編纂し、末尾は「アメリカよ、美しく年をとれ」と言う短い一文で締めくくったので、それ以来同じタイトルで一冊にまとめてみようと考えていました。


アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書(猿谷 要 著)

こんな「あとがき」で終わっていますので、一般的なアメリカ礼賛書で、その過程で一寸苦言を呈する程度の本だろうと読み進めました。
しかし、「嘗てあれほど世界から愛され好かれていたのに、そのプラスの財産を使い果たし、マイナスのイメージが先行するようになってしまった」と言う如く、苦言と言うより批判の連続でした。

特に「レーガンからブッシュ親子へと引き継がれた共和党政治」への痛烈な批判は、長すぎる一党継続政権が国を腐らせてしまうのだとの主張でもあり、日本の長すぎる自民党政治体制と酷似するのではと、そんなことまで考えさせられてしまいます。

「西部開拓史」と言う表現は如何にも一方的で、アメリカ政府にとっては都合の良い表現で、今では私は「開拓」と言うより「侵略」とか「征服」と言った方が現実に近いと考えている。

悪名高い「マッカーシズム」、アメリカ人は自分たちの自由民主主義を基調とする資本主義より、共産主義社会の方がもっと平等観念が進んだ社会に見え、コンプレックスがあったのでは無いか?

黒人(アフリカ系アメリカ人)差別解消の「公民権法」、問題は解決されたのかと言うと決してそうでは無く、目に見える差別は見えなくなったが心理的な差別は消えていない。
厳然として人種別居住地域が区分けされ、日中は同じオフィスで働いても夜は別々の社会に戻っていくのだ。今まで労働組合等が黒人を中産階級に押し上げたが、今では失業率が高まり、夢も消えようとしている。


私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、重点を移行させるのが最善の方策であると信じる。世界の警察官を務める無益を悟り、自国内に未だ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。
そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。


この結言、意識的か否かは分かりませんが、アメリカに向けられているようで日本の現状に向けられているのでは、と考えてしまいます。

憲法改正論議から唐突に出て来た「核武装論」、美しい日本の名の下に推し進められる愛国教育推進、非正規社員の固定化構想、このような情勢では、文化力よりも経済力、経済力より軍事力、と最悪の方策が取られ始めていると感じざるを得ません。

火曜日, 11月 21, 2006

子供が減って何が悪いか?−リサーチ・リテラシーの勧め

都心に出掛ける電車の中で読もうと駅前の書店で購入した本でした。近頃年金改革で問題となって少子高齢化を論じた軽い読み物だと思っていたのです。
論点が重複したり、主張の展開方法が雑だと思われる所も見受けられますが、新書版にしては割合読み応えのあるものでした。特にリサーチ・リテラシー(Research Literacy)を発揮して、公表少子化データの誤りを指摘している所は迫力がありました。

結論的には、「少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず、年金制度設計は低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ」となるですが、従来公表されている「男女共同参画的な少子化対策が出生率は回復する」が夢想に過ぎないことを看破していること等は非常に興味がそそられることになりました。

子供が減って何が悪いか−筑摩新書(赤川学 著)

世に溢れる世論調査や統計的データの中には胡散臭いものが相当含まれている。そのようなデータ類を批判的に解読するリサーチ・リテラシー(Research Literacy)が提唱されている。リサーチ・リテラシーとは国や報道機関が公表したことなら事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階を超えて、データに対して疑いの目を向け、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目標としている実践教育である。

男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは、マスコミとか政府関係者とかの言説であって、いくらその層を支援しても晩婚・非婚の解消には繋がらないし、夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しか無い。


著者は社会学を専攻する大学助教授であり、少子化問題については素人であると告白していますが、その専門分野で使われるリサーチ・リテラシーを駆使して少子化問題についての公表データ・結論等が間違っていると指摘するのは小気味良いのです。
その為か、アンチ・フェミニズムの保守派と詰られて一般公表するのも躊躇したらしいのですが、一石を投じる意義はあると出版に踏み切った経緯もあとがきに述べられています。

この手の本は往々にして予見を持って読まれることが多いのですが、この本は虚心坦懐に読むことが求められそうです。
著者の言うリサーチ・リテラシーの立場からすれば、この本自体を批判的に読むことも許されるのでしょうし、又逆に、無批判に受け入れること無く読み進めば多くの論点において一読に値する内容を備えた本だと思われました。

火曜日, 11月 07, 2006

「中国・アジア・日本」-書評をAmazonに投稿

近頃、中国は「北朝鮮核開発問題」6者協議の議長国として存在感を増し、米国からも「共通利害関係者(Stakeholder)」として謝意を受ける程となっているのは4千年歴史の重みでしょうか。又、ASEAN諸国の経済共同体構築外交、アフリカ諸国への資源獲得外交と「アジア盟主」を自認しての外交攻勢が続いています。

一方、日本では「日米同盟一色で良い」との硬直した政府方針が国是となりつつあり、アジアの中で孤立してしまうのでは無いかと懸念を覚えつつあります。100年以上も前に「アジアは一つ」と日本のあるべき姿を論じた岡倉天心の精神は何処に消えてしまったのでしょうか?

「中国・アジア・日本」-筑摩新書(天児 慧 著)

中国には世界最古の文明国としての誇りがありながら、近代においては戦争で日本に痛めつけられたと言う大きな屈辱は今も疼いている。
日本は明治維新以来アジアで近代化を成功させた唯一の国として、又第二次世界大戦後奇跡の復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったと言う誇りがある。
双方とも相手に対する強い対抗心が盛り上がっている。台頭中国はまだ続き、「失われた10年」を乗り切った日本も元気を取り戻している。したがって、日中両雄がライバル意識を強めているのも無理からぬことであろう。

日中がそれぞれ発展し、繁栄して行く為には、既にお互いが必要な存在になっている現実を認識することであり、その障害となっている相互信頼意識の欠如を解消することが急務である。そうすれば、大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる。


現状分析については傾聴に値するものがありますが、結論は極めて楽観的に過ぎ、注意して付き合うべきだと警戒心の欠如が気にかかる所です。やはり実務に疎い評論家の宿命かも知れません。

そこで、Amazonに投稿した書評は次の様になりました。

江沢民政権の反日愛国教育を受けた世代が次の政権を握ることは間違い無いし、そうした思想は如何に取り繕うが変わることは無さそうに思える。
本書では「両雄並び立たず」の確執を超克し、相互に安定的で協力し合う関係を創造することが、問題解決の要点としているが、反日DNA世代に対しての警戒心への対応が薄弱。
「大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる」と論じているのだが、相互信頼が確立されて初めて生きて来る論理で、時期尚早と見る。
現代中国は、民主化以前の共産党独裁政権、胡錦濤政権で是正されつつあるが、その変貌の様子を見つつ付き合うのが必要と考えるのが妥当。
共産党独裁政権へ好意的であるのは、専攻が「中国政治、アジア現代史」と言うことで、実務に疎い大学教授としての限界を示している様な感がある。