日曜日, 3月 12, 2017

繰り返された「生前退位」と天皇の正体-定説から外れた歴史観のアルトファクト

結論としては、生前退位は歴史上多数あり、又平安時代の院政の図式は考えられず、今上天皇の譲位(生前退位)を認めるべきだと言うのです。

しかし、定説から外れた著者特有の「関史観」と言う独特の歴史観から明かされる謎解きを展開し、藤原氏は百済王族の末裔と推断し、律令制度導入の混乱に乗じて、不安定となった天皇制度を我が物として「日本書紀」「続日本紀」を都合の良い様に編纂して、400年近い混乱を招いてしまったと断ずるのです。

細かい史実も網羅していて、邪馬台国は畿内の奈良盆地に大和朝廷なのだが、北部九州の「女酋」が朝鮮半島に進出して来たばかりの魏に対し「我々が邪馬台国」と偽りの報告をして、「親魏倭王」の称号を獲得したと言う本居宣長説が正解だとします。

天武天皇は天智天皇よりも4才年上で、蘇我系豪族の支えがあって、皇位に近い存在であったのだが、蘇我入鹿暗殺でその芽を摘んだと言うのです。 壬申の乱で、天武天皇が即位して藤原氏は遠ざけられるのですが、崩御後は持統天皇に阿り「持統朝は天智と藤原鎌足政権の再来」として復帰し、遂に外戚として栄華を奮う様になり、それ以前に天皇を補佐して来た蘇我氏や物部氏を悪者として扱った「日本書紀」を編纂して、歴史の真実を消し去ってしまったと言うのです。

歴史の碩学井上光貞氏の説も引用し、皇位継承の困難に際して、6世紀中葉から7世紀末まで譲位が多く、中継ぎとして6女帝が選ばれているのではと言うのです。

著者の藤原氏嫌いは徹底していて、そんな著書が多数ある様で、中には又同じ展開かと言う批判もあるようですが、政党歴史学界とはかけ離れた内容の展開は、古代史のエンターテナーとしては惹きつけるものがあり、近頃話題となっている所謂アルトファクト(Alternative Facts)として読むには面白い書籍だと思われます。