水曜日, 5月 30, 2007

白洲次郎の日本国憲法

白洲次郎は「吉田茂の茶坊主」「ラスプーチン」と揶揄されながらも、黒子に徹していた為か、あまり知られていない。しかも政界での活躍のみならず、戦後日本復興の原動力となった通産省設立、9電力会社体制構築、東北電力社長就任と経済界での活躍も幅広い。

白洲次郎の日本国憲法-(光文社知恵の森文庫 鶴見 紘 著)

戦後日本の方向を決定した日本国憲法制定、対日講和条約に重要な役割を果たしたのだが、黒子に徹していた為か、記録上はおよそ知られていない。吉田茂の右腕としてGHQと対峙し、一方では自由党代議士連を牛耳り「白洲300人力」と囁かれつつ、日本国憲法制定に深く関わった。

1989年に「隠された昭和史の巨人-白洲次郎の日本国憲法」として発行され、白洲ブームの先駆けとなった一作の加筆修正版らしい。

しかし、章の構成に問題があるのか、著者の熱い思いが伝わって来ないのです。
加筆された最終章には「文庫化にあたって 白洲次郎が考えていたこと」として、白洲次郎に対する熱き思いが大いに感じられのだが・・

考えてみると、取材をしつつ資料提供を受けた白洲正子夫人に敬意を表して、巻頭言を譲ったことにその原因があると見ました。この「特別寄稿 ソアラの縁」がこの書籍とベクトルがずれているのだ。随筆家として知られる白洲正子だが、その文体が軽すぎて、しかも変な先入観を読者に植え付けてしまうのが頂けない様に思われるのです。

読了して、最終章と巻頭言を入れ替えることで、著者の熱い思いがストレートに伝わってくるのでは無いかと判断せざるを得ませんでした。
夫唱婦随とは言いますが、このままでは婦唱のみとなっていて、これはいけません!

水曜日, 4月 25, 2007

種子島宇宙センター

種子島
この写真は15年ほど前、種子島宇宙センターを訪問した時のもので、向かって右に並んでおられる現地所長にセンター内を案内して貰った時のものです。

当時はJAXAでなくNASDAの時代で、ロケットもH-II、3重工が独立に現地事務所を開設し、NASDAをサポートしていました。
その前年、H-IIメインエンジンLE-7がエンジン試験場で破損事故を起こしたので、原因究明と対策が検討されている時期でもありました。
水素・酸素燃焼では炎温度が3200℃にも達するので、エンジン試験場への影響・被害も心配でした。

今ではロケットは改良型のH-IIAとなり、製造責任は三菱重工が全体責任を負う様に変更となりました。やはり受け取り機構のJAXAでなく、製造責任がメーカでなければなりませんので、これは正しい改革だと思っています。

現在は国際的に評価される20機連続成功を目指しているのですが、国際競争力を高める為には、一層の品質管理とコストダウンは不可欠だと思っています。
今後、情報収集・宇宙科学需要から、年平均3機打ち上げの官需があり、民間・海外からの追加受注を考えますと、少なくとも年4機打ち上げ体制の構築が必要だと思われます。

従ってロケット製造だけでなく、打ち上げも民営化して業務移管する方向でロケットビジネスの改革が進められている途上となっています。
今後ともJAXA主導で、ロケット製造・打ち上げシステムの仕様改良を行って行く方向ですので、官民の連携を上手く生かして行ければ良いなと思っています。

1969年に設立された種子島宇宙センターは、総面積約970万平方メートルにもおよぶ日本最大の宇宙開発施設です。種子島東南端の海岸線に面しており、世界一美しいといわれているロケット打ち上げ射場です。
ロケットの組み立てから打ち上げまで、そして衛星の最終チェックからロケットへの搭載までを行っており、我が国のロケットや人工衛星の打ち上げを担う施設です。
施設内には、小型ロケット打ち上げ用の「竹崎射場」、日本の主力ロケットであるH-IIAロケット打ち上げを中心とする「大崎射場」があり、その北方には「増田宇宙通信所」「野木レーダ局」、西方に「宇宙ヶ丘レーダステーション」「光学観測所」などの試験設備が整備されています。
また、液体ロケットエンジンおよび固体ロケットの地上燃焼試験等を行う開発関連設備も備えています。

日曜日, 3月 11, 2007

機関設計OB会-現代技術の中核なのに

機関とは駆動機エンジンのことで、外燃機関と内燃機関に大別される。

外燃機関は、エンジン内を流れる作動流体が外部加熱器にて燃料熱で温められて高温高圧のガスとして流入し、動力を発生した後、外部環境によって冷却されて初期状態に戻って、再び循環サイクル流体となる。
代表的なものとしては水/水蒸気を作動流体とする蒸気タービンがあり、加熱器はボイラーと呼ばれて、火力発電所、原子力発電所に多く用いられている。
郷愁を誘う蒸気機関車は、往復動の蒸気エンジンで、これで産業革命が始まった歴史的な外燃機関でもある。
その他、近頃環境対策に良いとされ、宇宙空間にても採用されているスターリング・エンジンもこの範疇に入る機種である。

一方、内燃機関は、大気を吸い込んで高圧状態としてから、燃料熱で直接温められて高温高圧のガスとして流入させ、動力を発生した後は、大気中に排出され、循環することは無い。
自動車用ガソリンエンジン、トラック用も多いディーゼルエンジンが、代表的なものであり、航空機用のジェットエンジン/ファンエンジンもこの範疇に入り、近頃はガスタービン火力発電所も従来型火力を駆逐する情勢で、この世の中の駆動機として用途が極めて広い。


1960年代まで、日本の造船業での主力エンジンであった蒸気タービンは、残念ながら熱効率の観点からディーゼルエンジンに取って替わられ、その設計・製造部門は廃止となってしまっている。
其処から派生発展した航空機用ジェットエンジンが主力機種となっているが、陸舶用ガスタービンはジェットエンジンの下部組織として編入されエンジン製造工場を持てなくなっているのは寂しい。今でも現代技術の中核として考えられ、重工他社の後塵を拝しているのは悔しい限りだ。
機関設計OB会は、長年、江東区豊洲地区で外燃機関と内燃機関設計・製造を担当したOBの集いとなっていて、日本のエンジン技術をリードした猛者が多い。
従って、独自のエンジン製造工場を持てないでいる現在の会社状況を考えると、切磋扼腕するOBが多いのも頷ける。
機関設計2007

重工各社は、1960年代とは異なり工学系学生の人気ランキングからも外れつつあり、有能な後継者が育たないと言われているのも、世相が変化しているとは言え、先人としてはとても残念だ。

しかし世の中、全業種で「全てマニュアル通り」が会社方針となり、技術裏付けが希薄なコストダウンが主流、損傷対策・事故対策は後手に回ったことで、ガスストーブ・湯沸かし器の中毒事故等が頻発していると思われるのは、結局何か大切なものを失っていることなのだ。

OB会で先輩後輩と話をしつつ、在籍した会社の、延いては日本の技術レベルの低下を、ひしひしと感じざるを得なかったのが現実でした。

火曜日, 2月 27, 2007

風力発電 と国立公園−開発か自然保護か

開発か自然保護かは何時も論議される問題ですが、環境保全を得つつ発電すると言われる風力発電もその埒外では無い様です。
極端な開発も困りますが、極端な自然保護にも付いて行けないものがあります。
Yes or Noの結論を簡単に着けるだけで無く、何とか双方で妥協の出来る次善の方法を探って行く必要がありそうです。

朝日新聞の「天声人語」に次の様に書かれています。

国立・国定公園でも風力発電施設を設けやすくする様な基準を作って欲しいと、推進自治団体や発電事業者の団体が政府に要望した。
環境省の検討会では、安定して強い風が得られると要望のあった山の尾根への建設を、景観が損なうとして厳しく規制する方針と言う。
光や水や風の活用は大事だし、更に広げて行きたい。寧ろ、前向きに考えて、よくよく悩んだ上で折り合いをつけて貰いたい。風は、消えることも減ることも無いのだから。


従来は風の強い地域で、僻地や離島での発電確保を目的とした風力発電も東京湾地区にも設置される様になりました。
化石燃料も核燃料も使いませんので、CO2削減に最適の様ですが、発電容量が極めて小さく設置コストが高価である為、CO2削減の切り札と考えるには無理があります。
政策的な新エネルギー奨励助成が外されますと、従来の火力発電に較べて発電コストが極めて高く、それらと競合出来なくなり経営的には成り立ちません。
種々の評価と論議が必要でしょうが、送電コストが高くなってしまう僻地や離島での発電が、風力発電の生かされる道だと考えています。

経済産業省資源エネルギー庁HPには次の様に紹介されています。

風力エネルギーは、風向・風速の変動により安定したエネルギー供給の難しさはあるものの、潜在的には資源が広範に賦存し、無尽蔵な純国産のエネルギーである。
経済産業省では、1976〜2000年までサンシャイン計画において風力発電システムの技術開発、1981〜1986年度まで三宅島で100kW級風力発電プラントの研究、1990〜1998年度まで大型発電システムの技術開発、1999年度から離島用風力発電システム等の技術開発を実施している。
我が国の風力発電の導入実績は、2001年度で260基超、出力約14万kWとなっている。これまで、そのほとんどは電力会社、地方公共団体、国等が試験研究用あるいはデモンストレーションとして設置したものであったが1992年の電力会社による余剰電力購入制度及び1993年の系統連系技術要件ガイドラインの整備により、近年、発電電力を電力会社に売ることが可能となったため、売電事業を目的として設置されたものも増加している。
 また、世界第1位のドイツにおける風力発電の導入実績は約610万kW、第2位のアメリカは約260万kWで、我が国に比して相当大きな導入量となっており、一層の導入拡大を目指した政策的支援が行われている。 
 我が国における風力発電の導入における最大の課題は、普及が進んでいる欧米諸国に比べ大気の乱れが大きく、設備利用率等に起因する高い発電コストである。1995年度から「風力発電フィールドテスト事業」を創設し、風力発電の有望地域において風況精査を実施するとともに風力発電設備を設置・運転を行い、データ収集等の調査研究事業を実施している。
又、1997年度から地方公共団体に対する支援制度として「地域新エネルギー導入促進事業」及び民間事業者に対する支援制度として「新エネルギー事業者支援対策事業」により導入経費に対する補助を行っている。

レイノルズ数-工学無次元数の代表格

工学の世界では、実際の現象を実験室規模でシミュレーションして再現しながら解析し、改良に適用することが重要であるとされている。

それぞれの解析目的で種々提案されていて、代表例として次の様な無次元数がある。

レイノルズ数(流体における慣性と粘性の比率。流体解析に必須)
マッハ数(物体の速度と音速の比率。高速流体解析に必須)
プラントル数(熱輸送と運動量輸送の比率。熱流体解析に必須)
ヌセルト数(熱伝達と熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
ビオ数(熱伝達と固体側熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
レーリー数(温度勾配を無次元化した量。熱対流解析に必須)
グラスホフ数(自然対流を表す無次元数。熱対流解析に必須)
リチャードソン数(密度が層状変化する流れ。気象力学に必須)

逆に複数の現象比較を行う際には、スケールの違いなどの影響を除くために、計測結果などを無次元化して、無次元数で比較を行うことが妥当と考えられる。


流体力学の分野で多く用いられるレイノルズ(Re)数は、代表長さ[長さの次元]、代表速度[速さの次元]、動粘性係数[粘性/密度の次元]の値を用いて求められ、流れ場の状態を表す無次元数となり、応用性が広い無次元数の代表格とされている。

MoodyFriction
上記のグラフは円管内流れ場におけるRe数と流体摩擦損失無次元数との関係を表したもので、上下水の水道管、ガス管等の大きさ設定の妥当性に用いられる。
即ち、水、各種溶液等の液琉体、空気、各種ガス等のガス流体を流送する場合に、適切な口径と摩擦抵抗に見合うポンプ・圧縮機の所要動力が設定されるのである。

レイノルズ(Re)数は、交通機関媒体を設計するにも有用な無次元数で、設計には欠かせないものとなっている。
例えば、航空機・自動車を設計する際に、実際の媒体と模型について、このレイノルズ数が同じであれば、媒体周りの空気の流れは相似となりサイズは異なっても本質的には同じ現象と考えることが出来るのである。
乗用車であれば大きさは数メートルなので、実際媒体で風洞試験を行い、流体抵抗を実測することが出来そうに思われる。
しかしながら、航空機となると数十から百mを超える大きさになるので、小さな模型を用いてレイノルズ(Re)数が同一となる様に試験して、設計是非を検討することが必須になる。結果は所要エンジン動力大きさに直結するので、極めて重要な試験解析となるのである。
近年コンピュータによるCFD解析で解析出来そうに思われるのだが、Re数が異なればその解析は用を為さないので、どうしてもRe数を同一にしたシミュレーション風洞試験を実施しなければならない。

小さな模型試験で、レイノルズ(Re)数を合わせるには、風洞の高圧化・極低温化など種々方法が考えられるが、いずれも詳細な工学検討と多大な設備投資が必要となる。
この実際動向については種々あるが、多大な設備投資が必要で、国家もしくは多国間プロジェクトで推進されている例が多い。

この件については、いずれ又、次の機会を得て論じたいと思っています。

木曜日, 1月 04, 2007

日中2000年の不理解

創刊朝日新書の一つで、横帯には「何故日本人の心は隣人に伝わらない-卓越の日本文化論」となっていますので、購入し読了しました。この手のタイトル本には、私を含めて島国の住人である日本人は弱い様です。

納得できる論点もありましたが、多様性国家の代表格である中国を儒教国家と単純に位置づけ、日本を感性主体の無宗教国家と位置づける拙速さが目立ち、結論的には性急で固定観念に満ちた漢民族から見た比較文化論だと思われます。

日中2000年の不理解-朝日新書(王敏 著)

小著は日本人・日本文化論の範疇に属するかも知れない。日本文化を感性文化と特色付けて輪郭だけを描くことに主眼をおいた。そして、この宿命的な感性文化のマイナスを克服して、日本は国際化を図らなければならない。
一向に未熟から抜け出られない愚考であることを正直に告白し、多くの方のご叱正とご教示を受けたいと願っている。


「日本は如何なる文化・宗教も受け入れるが、その過程で日本式に変容させてしまう」と喝破したことで知られていますのは、大正末期の芥川の小編「朱儒の言葉」ですが、それを念頭に散文的に敷衍させただけの様にみえて仕方がありません。

「キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々から見て、日本文化は完全に異文化である」と指摘するに至っては、漢民族を普遍的とした中華思想を発露した傲慢さが感じられるとしか言い様がありません。

山本七平氏がイザヤ・ペンダサンのペンネームで発表した「日本人とユダヤ人」と比べて、視点の低さは大きいものと感じざるを得ないものがあります。

曰く「互いに交われば相互理解が出来ると単純に考える日本人が余りに多い。お互いに肩を触れ合い話す機会は益々多くなり、日常的なことなる。だが、それが相互理解に通ずる等と絶対に安直に考えてはならない。もしそうなら、ユダヤ人はもう二千年も、西欧人と肩を触れ合って生きているのである。」

要は乱暴な国家論の観点から文化を論じるのでなく、また排他的宗教的見地でもなく、個人の主体性が真価を問われる時代に来ていると言うのが妥当な見方だと思っています。

その点からみると、この新書は旧態依然としていて、飽き足らないものがあります。

日曜日, 12月 10, 2006

山雲涛声(さんうんとうせい)−東山魁夷

「山雲涛声」は奥飛騨路天生峠の霧「山雲」、能登西海岸輪島近くにうち寄せる波「涛声」を主題にした唐招提寺御影堂障壁画の画題で、完成は1975年6月です。

平凡な風景を生命自体の輝きを宿すものと見たのは、実は戦争の為に絵を描くことはおろか、生きる望みを失ったその瞬間でありました。私は、その時の心が最も純粋であったと後に気が付いたのです。

近頃平和呆けした日本では考えられない戦争の悲惨さを体験した画家の東山魁夷氏は唐招提寺の障壁画完成記念講演で述べています。
企業社会が発展し経済第一に何の疑念も持たず、生きる哲学も無く、欲望の赴くままに他人を騙して迄も金に執着する拝金主義の現状に対する警告でもある様に思われます。

日本の美を求めて−講談社学術文庫(東山魁夷 著)

「山雲涛声」の画題は、この障壁画の着手の初めに、鑑真和上の伝記を読み、唐招提寺の性格を研究しました時、自然に浮かんで来たものです。
人は意志する所に行為がある、と言われます。しかし、自己を無にする場合に初めて自分の外から発する真実の声が聞こえるのです。
私はずっと以前から、自分は生きているのでは無く、生かされていると感じると言う考えの下に、今日まで自分の道を辿って来た様な気がします。
私は宗教心が薄いものですから、私が何によって生かされ、何によって歩かされているかは分かりません。しかしそう感ずることによって、地上に存在する全てのものと自己が同じ運命に繋がる、同じ根を持つ同根の存在であると感じたのです。
山の雲は雲自身の意志によって流れるのでは無く、又、波も波自身の意志によってその音を立てているので無い。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによっているのでは無いでしょうか?


1976年12月発行の僅か100ページ程の小さな本ですが、職業著作家では無い率直な表現が新鮮に感じられました。
掘り下げ方がもう少しあったらと思いますが、何故絵を描くのかが良く理解出来る珍しい書籍の一つかも知れません。

新聞は生き残れるか−岩波新書

近頃の種々の情報がインターネット、テレビ等で氾濫していますが、私にはその場限りのどうでも良いようなニュースが大半の様な気がします。
インターネットは能動的で自分で選択して見ることが出来るのですが、受動的なテレビ放送では何の意味もない芸能タレントの馬鹿ふざけ番組が多く、視聴者に笑いや雑学を提供はするのですが、真面目に「考えさせてくれる」番組は減ってしまい希有となって来ている様です。

一昨日の日記に新聞とテレビの関連を書きましたので、気になって本屋に行って関連のありそうな2003年4月発刊の岩波新書を購入して読んでみました。著者は朝日新聞で政治部員、論説委員に長年携わっていた人ですが読み進む内に、信頼できる情報提供の雄としての位置を占めている新聞が購読者数を減らして存亡の危機を迎えていると知り驚いてしまいました。
どの家庭でも配達される新聞を購読すると思ったのですが、若い世代を中心に新聞離れが進み、無読者層が増えていると言うことです。

新聞は生き残れるか−岩波新書(中馬清福 著)

新聞普及率というのがある。日刊紙を月決めで購読している世帯が総世帯の内にどの位あるか、その比率のことだ。1984年この普及率は97%だった。日本が世界に冠たる新聞王国であったことは良く知られていたが、それにしても大変な数字である。
ところが、中央調査社のマスメディア・リサーチ(MMR)によると、1991年まで何とか97%で推移していた普及率は、1992年から低下し始め1999年には94.6%になった。
特に若者がひどく、例えば世帯主が24才以下の世帯の普及率は、1984年90.4%あったものが1999年には53.4%迄急落した。15年間で37ポイントの下落だが、内33ポイントは最新10年間で落ちているから、新聞離れに加速がついている。
世帯主が25才から29才の世帯も、普及率は毎年低下し1999年には25%が新聞をとっていない。
このまま進めば2004年には、30〜34才世帯が75%、35〜39才世帯が87%に落ちると推測される。
30才迄の関心事項の順位は、事件、音楽、流行、おしゃれ・ファッション、スポーツ、旅行・レジャー、環境、飲食店、芸能・タレント、就職・アルバイト、と続き、経済は12位、政治は16位だ。1位の事件を除き、日本の一般紙が積極的で無かったテーマである。新聞が若者に敬遠される筈だ。こうした若者の反乱に大いに悩まざるを得ない。

あとがきで次の様に結んでいます。

インターネット系にしろ、テレビ番組にしろ、確かに情報は乱舞していますが、知的な情報となると、専門的分野は兎も角、一般的には満足出来る段階とは言えません。印刷媒体か電子媒体か、それはどちらでも良い。人々に「考えさせる喜び」を与える媒体づくりを急がないと、この国の知的状況は厄介なことになるのではないでしょうか。


どうも記者・編集者を経験している割に文章に迫力が無く魅力に欠けている様に思われ読みにくいのです。即刻読ませる新聞記事とじっくり読ませる書籍文では、文章表現が違うのでしょうか?
結局は読者ニーズに合わせた紙面作りを提唱している様ですが、それにしても全てのニーズに応えられる筈も無く、混迷に困り果てている現状に愚痴を述べている本なのかと消化不良を感じる読後感が残りました。

こんなことを日記に書く私自身もトレンディーな流行に乗り遅れている愚痴を言っているだけかも知れないと自戒に念も出て来て仕方ありません。

火曜日, 12月 05, 2006

岩波新書の歴史-深刻な出版不況の中で

深刻な出版不況の中で、売れ筋の新書版の巨人「岩波新書」新赤版が1000冊を超えたらしい。
1970年代迄の青版では「教養・向学」と言う観点から出版されていたのですが、新赤版では「ハウ・ツー」ものが多くなり、極めて通俗的になって来たと思っています。

岩波新書の歴史-岩波新書(鹿野政直 著)

岩波新書は、「新書」と言う体裁の出版物では元祖の位置を占め、その歴史は半世紀を越えた。それを総括すると、次の様になる。

赤版  1938~1946年    101冊
青版  1949~1977年   1000冊
黄版  1977~1987年    396冊
新赤版 1988~2006年   1008冊

日本現代史を専攻すると言う立場から、岩波新書と言う窓を通して戦中・戦後の思想史を眺めようとしたことになるかも知れない。こうした目標に向けて序章に「新書の誕生」を置き、1~4章は時期ごとの特徴づけを試みて、この本を構成した。


著者は、出版不況・読書離れについては、編集長レポートを引用し「現代の読者は、テレビ・メディアを中心として形成された圧倒的なメディア支配の下で、書物と言うものを処遇している」、そして「大量で画一された情報の社会的強制によって、もはや“自分の人生の行き着く先が分かってしまっている”との運命論的現実認識が、若者に読書離れをもたらせている」と分析していますが、将に正論で、「近頃のテレビ・メディアは安易なお仕着せエンタメ放送が殆んどを占め、自分で考えない様に目隠し誘導している」と思わざるを得ません。

「出版不況」とインターネット検索すると、次の様な記事がありましたが、読者だけで無く出版者もビジネス本位となり、使命感を失っている様です。

書籍・雑誌の販売総額は今や2兆5千億円と低迷し、街中の本屋がどんどん少なくなり、経営基盤が脆弱な出版社の破産も多いらしい。
金額だけが尺度かもしれないが、「本が危ない」のは何も売上げだけではない。出版界では柳の下にドジョウが30匹までいると言われる。編集者はベストセラーの追従が企画だと思い,類似書を本屋の店頭にうずたかく積み上げている。読者はベストセラーを図書館に予約して競って借りるが,数年後ブックオフなどの新古書店の店頭に1冊百円で並んでいても誰も手にとろうともしない。雑誌は読者ではなく広告主のために創刊され,広告収入に頼った雑誌が返品率を押し上げている。 既刊本が売れなければ勢い新刊依存になる。昨年の新刊は7万点に近づき過去最高となった。専門書にも売れ筋があり,売り上げ重視で,安易に寿命の短い新刊を作った自分の反省もある。つまり出版不況は売れないことだけが問題なのではない。類似の企画,雑な編集,安易な新雑誌の創刊。どれもこれも出版界の精神的不況の結果である。貧すれば鈍する。だから本が危ないのである。

土曜日, 11月 25, 2006

アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書

この本は半世紀以上にわたるアメリカの心象風景をまとめたもので、体験した原風景を基調にしながら、エッセイ風に書き綴りました。
私はブッシュ政権がイラク戦争を開始した直後、「アメリカよ!」と言う本を編纂し、末尾は「アメリカよ、美しく年をとれ」と言う短い一文で締めくくったので、それ以来同じタイトルで一冊にまとめてみようと考えていました。


アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書(猿谷 要 著)

こんな「あとがき」で終わっていますので、一般的なアメリカ礼賛書で、その過程で一寸苦言を呈する程度の本だろうと読み進めました。
しかし、「嘗てあれほど世界から愛され好かれていたのに、そのプラスの財産を使い果たし、マイナスのイメージが先行するようになってしまった」と言う如く、苦言と言うより批判の連続でした。

特に「レーガンからブッシュ親子へと引き継がれた共和党政治」への痛烈な批判は、長すぎる一党継続政権が国を腐らせてしまうのだとの主張でもあり、日本の長すぎる自民党政治体制と酷似するのではと、そんなことまで考えさせられてしまいます。

「西部開拓史」と言う表現は如何にも一方的で、アメリカ政府にとっては都合の良い表現で、今では私は「開拓」と言うより「侵略」とか「征服」と言った方が現実に近いと考えている。

悪名高い「マッカーシズム」、アメリカ人は自分たちの自由民主主義を基調とする資本主義より、共産主義社会の方がもっと平等観念が進んだ社会に見え、コンプレックスがあったのでは無いか?

黒人(アフリカ系アメリカ人)差別解消の「公民権法」、問題は解決されたのかと言うと決してそうでは無く、目に見える差別は見えなくなったが心理的な差別は消えていない。
厳然として人種別居住地域が区分けされ、日中は同じオフィスで働いても夜は別々の社会に戻っていくのだ。今まで労働組合等が黒人を中産階級に押し上げたが、今では失業率が高まり、夢も消えようとしている。


私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、重点を移行させるのが最善の方策であると信じる。世界の警察官を務める無益を悟り、自国内に未だ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。
そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。


この結言、意識的か否かは分かりませんが、アメリカに向けられているようで日本の現状に向けられているのでは、と考えてしまいます。

憲法改正論議から唐突に出て来た「核武装論」、美しい日本の名の下に推し進められる愛国教育推進、非正規社員の固定化構想、このような情勢では、文化力よりも経済力、経済力より軍事力、と最悪の方策が取られ始めていると感じざるを得ません。

火曜日, 11月 21, 2006

子供が減って何が悪いか?−リサーチ・リテラシーの勧め

都心に出掛ける電車の中で読もうと駅前の書店で購入した本でした。近頃年金改革で問題となって少子高齢化を論じた軽い読み物だと思っていたのです。
論点が重複したり、主張の展開方法が雑だと思われる所も見受けられますが、新書版にしては割合読み応えのあるものでした。特にリサーチ・リテラシー(Research Literacy)を発揮して、公表少子化データの誤りを指摘している所は迫力がありました。

結論的には、「少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず、年金制度設計は低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ」となるですが、従来公表されている「男女共同参画的な少子化対策が出生率は回復する」が夢想に過ぎないことを看破していること等は非常に興味がそそられることになりました。

子供が減って何が悪いか−筑摩新書(赤川学 著)

世に溢れる世論調査や統計的データの中には胡散臭いものが相当含まれている。そのようなデータ類を批判的に解読するリサーチ・リテラシー(Research Literacy)が提唱されている。リサーチ・リテラシーとは国や報道機関が公表したことなら事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階を超えて、データに対して疑いの目を向け、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目標としている実践教育である。

男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは、マスコミとか政府関係者とかの言説であって、いくらその層を支援しても晩婚・非婚の解消には繋がらないし、夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しか無い。


著者は社会学を専攻する大学助教授であり、少子化問題については素人であると告白していますが、その専門分野で使われるリサーチ・リテラシーを駆使して少子化問題についての公表データ・結論等が間違っていると指摘するのは小気味良いのです。
その為か、アンチ・フェミニズムの保守派と詰られて一般公表するのも躊躇したらしいのですが、一石を投じる意義はあると出版に踏み切った経緯もあとがきに述べられています。

この手の本は往々にして予見を持って読まれることが多いのですが、この本は虚心坦懐に読むことが求められそうです。
著者の言うリサーチ・リテラシーの立場からすれば、この本自体を批判的に読むことも許されるのでしょうし、又逆に、無批判に受け入れること無く読み進めば多くの論点において一読に値する内容を備えた本だと思われました。

火曜日, 11月 07, 2006

「中国・アジア・日本」-書評をAmazonに投稿

近頃、中国は「北朝鮮核開発問題」6者協議の議長国として存在感を増し、米国からも「共通利害関係者(Stakeholder)」として謝意を受ける程となっているのは4千年歴史の重みでしょうか。又、ASEAN諸国の経済共同体構築外交、アフリカ諸国への資源獲得外交と「アジア盟主」を自認しての外交攻勢が続いています。

一方、日本では「日米同盟一色で良い」との硬直した政府方針が国是となりつつあり、アジアの中で孤立してしまうのでは無いかと懸念を覚えつつあります。100年以上も前に「アジアは一つ」と日本のあるべき姿を論じた岡倉天心の精神は何処に消えてしまったのでしょうか?

「中国・アジア・日本」-筑摩新書(天児 慧 著)

中国には世界最古の文明国としての誇りがありながら、近代においては戦争で日本に痛めつけられたと言う大きな屈辱は今も疼いている。
日本は明治維新以来アジアで近代化を成功させた唯一の国として、又第二次世界大戦後奇跡の復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったと言う誇りがある。
双方とも相手に対する強い対抗心が盛り上がっている。台頭中国はまだ続き、「失われた10年」を乗り切った日本も元気を取り戻している。したがって、日中両雄がライバル意識を強めているのも無理からぬことであろう。

日中がそれぞれ発展し、繁栄して行く為には、既にお互いが必要な存在になっている現実を認識することであり、その障害となっている相互信頼意識の欠如を解消することが急務である。そうすれば、大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる。


現状分析については傾聴に値するものがありますが、結論は極めて楽観的に過ぎ、注意して付き合うべきだと警戒心の欠如が気にかかる所です。やはり実務に疎い評論家の宿命かも知れません。

そこで、Amazonに投稿した書評は次の様になりました。

江沢民政権の反日愛国教育を受けた世代が次の政権を握ることは間違い無いし、そうした思想は如何に取り繕うが変わることは無さそうに思える。
本書では「両雄並び立たず」の確執を超克し、相互に安定的で協力し合う関係を創造することが、問題解決の要点としているが、反日DNA世代に対しての警戒心への対応が薄弱。
「大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる」と論じているのだが、相互信頼が確立されて初めて生きて来る論理で、時期尚早と見る。
現代中国は、民主化以前の共産党独裁政権、胡錦濤政権で是正されつつあるが、その変貌の様子を見つつ付き合うのが必要と考えるのが妥当。
共産党独裁政権へ好意的であるのは、専攻が「中国政治、アジア現代史」と言うことで、実務に疎い大学教授としての限界を示している様な感がある。

金曜日, 10月 20, 2006

超高輝度LED懐中電灯-F3級LED

此処10年程愛用して来たハロゲン懐中電灯Magliteより、高輝度で超寿命と言われています超高輝度LED懐中電灯を購入して来ました。

製品のメーカは“GENTOS”と言い中国製ですが、核心部品の超高輝度LEDはアメリカ製ですので不安は感じませんでした。近年、超高輝度LEDの開発が急速に進められている様で、店頭でもF1級、F3級、F5級の三種類が展示販売されていました。
LEDの寿命は10万時間と言われていますので、従来の様に電球の交換をする必要が無いのが最大の特色です。
F1級は高輝度LEDより12倍明るいもので約3000円、F3級は輝度30倍で6000円、F5級は50倍で9000円となっていましたので、中庸を選べば不満は無かろうと思いF3級を選択しましたが、一寸間違ったかも知れません。

開梱してみますと使用電池は通常の単3電池でなくリチウム電池でした。
同梱されていたリチウム電池を入れスウィッチオンして見ますと、猛烈に明るいと言うより明る過ぎるのです。
パッケージ裏側をよく見ましたら、小さな字で注意書きが次の様に表示されています。

「明るさは従来の高輝度LEDの約30倍、普及型LEDに比べると90倍に達する為、目に大変危険です。光源への直視、動物への照射は絶対にお止め下さい」

これでは、暗い屋内での機械装置・電気機器を調査するには良いのですが、野外・屋外での使用には適しませんし、凶器にもなりかねません。
従来のハロゲン懐中電灯Magliteは目を傷める程の輝度はありませんので、野外・屋外では使い続ける必要がありそうです。

プロ用でもF1級で十分だった気がしていますが、購入したF3級LEDライト、仕方がありませんので、注意書きに準じて用途別(装置調査LEDライト、その他一般Maglite)に使い分けることにしようと思います。
広く使える買い物をしようとしたのですが、「過ぎたるは及ばざるが如し」とオーバースペック気味で失敗だったかも知れません!

超高輝度白色LEDについては、インターネット検索しますと次の様に紹介されています。

超高輝度白色LEDは熱効率が高く且長寿命(10万時間)なので、次世代の照明システムとして有望視されている。この開発の成果として、液晶テレビのバックライトとしても使われるようになって来ている。

従来液晶画面のバックライトには蛍光灯に似た冷陰極管が使われ、その寿命は約1万~5万時間、メーカーが公称する寿命時間は、製品出荷時の最も明るい状態で使い続けて、明るさが半分になった状態までの時間です。ユーザーによっては、少し暗めで使用していれば、寿命はさらに伸びます。ただし、冷陰極管は家庭で使われる蛍光灯と同様、オン・オフを繰り返すことで管の内部が黒くなり、暗くなることがあります。こうなると、規定の寿命時間までは持たなくなります。


超高輝度白色LEDをノートパソコンに適用することで、綺麗で明るい画像を得ると同時に電池消耗量が減りますので、技術的には良いようです。
しかしながら、現在の販売価格では高すぎ適用不能で、現在の普及型LED相当まで価格が下がることを期待します。

月曜日, 10月 16, 2006

小笠原航路-空路vs超高速船(TSL)

都心から南に1000km離れた小笠原諸島は「東洋のガラパゴス」とも呼ばれ、特異な動植物形態を形成していることで知られています。しかしアクセスは、小笠原諸島へは東京港から25時間半掛かる定期船のみで、救急患者の搬送は海上自衛隊の飛行艇に頼っているのが現状となっている様です。
環境保護問題で空港開設が白紙撤回となってからは、国主導で開発した超高速船テクノスーパーライナー(TSL)就航が脚光を浴び推進されて来ましたが、原油高で大幅な赤字が見込まれ、就航直前の昨秋取り止めとなってしまいました。

最近、何故かこのTSL検討再開がニュースとなっていますが、国と都の攻めぎ合いにしか見えないのが残念です。

都は定期航空路を開設する為、具体的な実施手順などを盛り込むことを決めた。航空路開設への約2300人村民の合意を得た上で、都と村が協議会を設置、村民に加え航空関係者や環境保護の専門家らから意見を聞く会議を今年度中に実施し、建設予定地を固める。現段階では都が設置・管理する第3種空港として、旧日本軍の飛行場があった父島西部の洲崎地区に設置する案が有力とみられる。

これに対して国交省は、超高速船「テクノスーパーライナー」(TSL)の小笠原航路就航を再検討すると表明、TSL就航を都と再検討することで合意し、国交省と都が協議会を設置することに合意したことを明かにしたと報じられた。

しかし、この合意も国交省の一方的な発表で、石原都知事は「正式な協議会をつくる必要は無く、担当者が話し合えばいい」と語り、隔たりを見せている。
石原都知事は9月22日の記者会見で、年間約30億円の赤字が見込まれるなどの問題点を挙げて「すぐに結論は出ない、財政的に国がどこまで金を出すか。長期的に出資を続ける意思があるかだ」と語り、就航は困難との見解を示している。


昨年は赤字20億円と発表されていたのですが、今年の更なる原油高騰で赤字幅が増大した様です。TSLはホーバークラフトのように船体を空気圧で浮上させる方式で、推進主機が軽量小型ガスタービンですのでディーゼルと違って燃料として高価な軽油だけしか使えないのが主原因です。
しかし、物流的には航空路より海上航路の方が圧倒的に有利で、運賃も空路に比べて半額と考えられますので、都と村が設置する協議会内でも、国と都の攻めぎ合いでなく環境影響の少ない代替案として比較検討を続けて貰いたいものだと思っています。

テクノスーパーライナー(TSL)は1000トンの荷物を積んで、50ノット(時速約93km)のスピードで500海里(約930km)の距離を航行するという構想で、平成元年度(1989年)にスタートした国家プロジェクト研究開発で、トラック100台分の貨物を海上輸送することで、安価な輸送費と道路渋滞を解決出来ると言うのがプロジェクトの売りでした。
平成6年度から駿河湾で防災船兼カーフェリー「飛翔」の総合実験が実施され、開発目標がほぼ達成されたとし、小笠原TSLが建造され、2005年11月に実船就航されるとして注目を集めていたのです。
しかし石油価格高騰で、当初予想された経済性が得られず、補助金無しには実船就航が難しい状況となり、事態は暗転してしまいました。推進主機が軽量小型ガスタービンですのでディーゼルと違って燃料として重油が使用できず、高価な軽油だけしか使えないと言うのが主原因でした。
プロジェクトを始めた時点では石油価格は20ドル/bbl程度、推進中は14~15ドル/bbl迄低下していたのですが、中国経済の躍進で石油需要が一挙に高まり、50ドル/bblを越えてしまい、リスクヘッジの限界を超えてしまった様です。

日曜日, 10月 15, 2006

サルトル(思想の多様性)-J.P. Sartre

昨年はジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)生誕100年だったそうで、フランスでは3月から国立図書館で「サルトル展」が開かれ、6月にソルボンヌで生誕記念式典が行われた様ですが、日本では既に「過去の人」として位置付けられているのでしょうか、あまり話題になりませんでした。

我が家の書棚にはカミュの「異邦人」、「ペスト」、「シジフォスの神話」等が散見されますが、サルトルに関しては僅か「革命家反抗か」と言う書籍位しか見つけることが出来ません。

サルトルは第二次世界大戦後、実存主義の旗手として活躍し、評論や小説、劇作を通じて、実存主義思想は世界中を席巻することになり、日本でも大きな影響を与えました。

しかしながら、1950年には一転マルクス主義に転向して実存主義作家カミュとの論争となりました。
その後、ソ連の立場を概ね支持しながらも、ソ連による1956年のハンガリー侵攻、1968年のチェコスロヴァキア侵攻「プラハの春」に対する軍事介入には批判の声を上げ、対峙することとなりました。

その間、1964年にはノーベル文学賞に選ばれましたが、「神格化されるには値しない」と言って、これを辞退したことは良く知られています。

1980年4月に逝去してからは、これらの事例に対する一貫しない態度に誹謗と中傷が集まり、彼の著作への封殺が始まりましたが、1990年には逆に彼の訴えていた「一貫したヒューマニズム」の復権が始まり、今に至っている様です。

サルトル-岩波新書(海老沢 武著)

まえがきに次の様な著者の思いを綴っています。

20世紀は、大量に人間が人間を殺し・監禁した世紀であり、サルトルは幸福で無かったこの20世紀の様々な出来事に対し、その都度自分の立場を明らかにし、精力的にメッセージを発信し続けた。意見を異にするにしても、同時代人には比類なき対話者だった。
21世紀の人間にはどうだろう。21世紀は民族と宗教の時代とも言われるが、時代の提出する問題は大きく変わっていない。問題は生の意味であり、自由であり、人間的なものへの破壊にどう抵抗するかだからだ。
サルトルの著作は残されているので、問いかけてみよう。私たちの問いを問い直させ、幅を広げ、深化させて、生きてゆく勇気を、時には与えてくれるからだ。


僅か200頁しかない新書版ですので複雑な彼の想いが十分描かれていない可能性もあり、その内違った思いが生まれましたら、別の日記に記載してみようかと思っています。

金曜日, 10月 13, 2006

対話に学ぶ-「戦争の罪を問う」Karl Jaspers

どうも制定60年を過ぎた現憲法の「戦力放棄宣言」から「自虐史観」となり、中韓からの干渉を招いて国益を損ねているとの解釈から、教育基本法改正から憲法改正へと持って行きたいのが、自民党政権の方針と見えます。

歴史観修正方式には3修正主義があるのですが、国民的論議も殆んどされずコンセンサスを得てはいません。

原理主義的歴史修正:
先の大東亜戦争を欧米植民地主義に対抗する自衛戦争とし、日本の戦争犯罪を否定する。
国民主義的歴史修正:
大東亜戦争を不正な侵略戦争と認めるが、改めて国民的な歴史を形成しようとするネオ・ナショナリズム。
市場主義的歴史修正:
歴史論争の中に倫理的判断や責任意識を導入せず、歴史論争では多元的な物語があって良いとする。

昨今、一部の教育委員会では「原理主義的歴史修正」を施した“新しい歴史教科書をつくる会”編纂の教科書を採用して来ている様ですが、未だ大勢を占めるには至っていません。

そんな折、偶然読んだヤスパース「戦争の罪を問う」(平凡社ライブラリ)、既に60年を経過していますが、賛成意見より寧ろ反対意見を尊重しつつ対話から真の方向を学ぶ態度が大切と説いているのには、現在でも一読に値すると思われました。

ヤスパースは戦争の罪を4つに分け、それぞれの罪の種別に応じて、取るべき責任・償いの仕方も異なり、その事実をしっかりと受け止めることに人間の使命があるとしています。

政治的な罪:戦争を起こした戦争指導者たちの罪。
法律上の罪:人道平和に対する罪、戦争犯罪。
道徳的な罪:自分が戦争に参加したことによって相手を殺したりすることに対する罪。
形而上的罪:共有した戦時における不法と不正に対する罪で、その審判者は神のみ。

戦勝国の弾劾裁判ともされる「ニュルンベルク裁判」も、「敗戦国」の人間として転換の好機と捉えることで正当なものと判断し、それらの困難を乗り越えるものは、権力への渇望・迎合で無く「公正」な思考に於いて、 内面的な革新と生まれ変わりをもたらすのであり、そのことこそが「戦勝国」に、平和への「責任」を突きつけることになると説くのです。

ヤスパースは冒頭次のように述べて対話の重要性を指摘しています。

我々は語り合うと言うことを学びたいものである。つまり自分の意見を繰り返すばかりでなく、相手の考えている所も聞きたいものである。主張するだけでなく、理の在る所に耳を傾け、新たな洞察を得るだけの心構えを失いたくないものである。
反対者は、真理に到達する上で、賛成者より大事である。反対論のうちに共通点を捉えることは、互いに相容れない立場を早急に固定させ、そう言う立場との話し合いを見込みの無いものとして打ち切ってしまうより重要である。


戦争世代が生物学的にもどんどん亡くなって行き、戦後世代が今後どの様に動いていくのかも喫緊の課題で、被爆体験を含めて戦争体験を記憶として新しく作り上げていくのかと言う問題になりますが、現在提唱されつつある歴史修正主義は、その記憶を修正してしまうことが起こるような気もします。

日曜日, 10月 08, 2006

低硫黄軽油-ディーゼル復権?

2003年10月から、東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県の条例で定める粒子状物質(PM)の排出基準を満たさないディーゼル車の走行が禁止されて以来、真っ黒な排煙が少しは軽減された様な気がします。
首都圏の大気汚染は深刻な状況にあり、浮遊粉塵(PM)は気管支喘息などの呼吸器系の疾患や肺がんなどの健康への悪影響や、花粉症とも関係があると疑われていますのですから、もっと早く実施すべきでした。それに加えて、硫黄酸化物による大気汚染軽減の為、東京都は石油連盟に対し、低硫黄軽油の早期供給を要請して来ました。現行の軽油のJIS規格では、軽油中に含まれる硫黄分は500ppm(ppm:100万分の1)以下ですが、低硫黄軽油は50ppm以下へと硫黄分を低減させた軽油です。

ディーゼルエンジンは貨物輸送には最適のエンジンとされて来ました。ガソリンエンジンに較べ燃料効率が30%良いこと、軽油がガソリンに較べて価格が30%安いこと等が大きな理由でした。トータルで考えますと半分の燃料経費で済むのです。しかし、ディーゼルエンジンでは燃料を自然発火させる為、圧縮比を高くしなければならず(電気火花機関ガソリンエンジンの3倍)、それが振動大、浮遊粉塵(PM)、窒素酸化物(NOx)排出増の要因となっています。それに加えて、坂道での動力増強の為に燃料大量噴射しますので、未燃分による黒煙・臭気が酷く、すっかり悪者扱いとなりました。

その為、日本では乗用車でのディーゼル搭載は無くなってしまいましたが、欧米では未だに燃料経済性の面から乗用車でも一定の位置を占めています。ディーゼルエンジンの燃料効率が30%良いと言うことは、二酸化炭素排出が30%少ないと言うことですから、その面から復権を狙っている様です。

米国機械学会誌2005年1月号に「ディーゼル代替:The Diesel Alternative-Cleaner, quieter versions may be coming」と言う記事がありましたので、要約紹介致します。

貨物輸送の生き血であるディーゼルの技術改善が実施中で、燃料直接噴射と電子制御による二段燃焼改善により振動・粉塵・窒素酸化物問題を改良させていますし、日本と同様に粒子状物質(PM)減少装置も2007年米国でのディーゼル全車モデルから装着されることになりました。硫黄酸化物排出改善の為、米国環境保全局(EPA)では2006年から日本より厳しい15ppm低硫黄軽油を義務づけています。窒素酸化物(NOx)排出に対しては、選択触媒還元装置(SCR: Selective catalytic reduction:尿素噴射による窒素酸化物分解)によって大気汚染規制値適合を目指す方向です。問題は製造コストで、現状では約1500ドル余計に掛かることになりますので、何とか半減以下とし、2008年モデルでは500~600ドル追加程度にしたいとのことです。


改良されたディーゼルは温暖化防止の観点から、トラックだけでなく乗用車用エンジンとして復権なるでしょうか? 現状エコカーとして知られるハイブリッド車もガソリンエンジンとの組み合わせよりもディーゼルとの組み合わせの方が二酸化炭素削減には有利になるのですが・・

燃料電池車も原料を化石燃料に頼る現状では、二酸化炭素排出率はそれ程改善される訳ではありません。


このエンジンの発明者はルドルフ・ディーゼル、普く全世界に使って欲しいとの彼の希望はナチスドイツによって阻害され、殺害されたと言われています。

土曜日, 10月 07, 2006

家庭用燃料電池-分散電源ビジネスとなるか?

エネルギー取得時に於けるCO2削減の切り札として、燃料電池が永らく注目を浴びて来ました。燃焼を伴わない、水素と酸素ガスから水にすると言う化学変化によってエネルギーを得る、中学校理科の実験「水の電気分解」を逆にした理屈ということで、発電効率が高いこと、排出されるのは水だけであること等、環境問題とエネルギー問題の同時解決が目論まれていたのです。

   種類         作動温度     発電効率    用途
リン酸型(PAFC)     約200℃     45%以下    小規模コージェネ発電、バス・トラック
固体高分子型(PEFC)   100℃以下  40%以下    分散電源、自動車、パソコン
溶融炭酸塩型(MCFC) 約650℃     50%以下    大規模コージェネ発電
固体電解質型(SOFC) 約1000℃     50%以上    中・大規模コージェネ発電

これで水素製造が太陽、風力、水力などの自然エネルギーによる水の電気分解で出来れば環境問題は解決出来るのですが、エネルギー出力総量が小さくそうは問屋が卸しません。 現在は水素を得る為には炭素を含む化石燃料を原料としますので、改質器の中で二酸化炭素、猛毒の一酸化炭素が発生しますので、除去しなければなりません。
特に12%も入っています一酸化炭素は、二酸化炭素変成プロセス過程を経て、排気中に10PPM以下となる様に設定されています。従って、排ガス中には相当量の二酸化炭素(CO2)が含まれていますので、CO2発生率は従来発電方式と殆ど同等となってしまいます。
化石燃料を使う限り、その宿命は変わりません! 広告の一方的な「うたい文句」に惑われないことがユーザとしても肝要です。

兎に角、新型大型火力発電所の最新型複合サイクル発電効率が最高60%ですが、固体電解質型(SOFC)とガスタービンを組み合わせることで70%効率が達成出来るとされ、米国エネルギー省(DOE)が技術開発に邁進しています。

中でも、自動車への適用開発過程から特に固体高分子型燃料電池(PEFC)の技術が進み小型化していますので、波及して家庭用分散電源、パソコン・携帯の電源として期待されていました。但し、上記の目標効率は達成出来ず、熱効率30%程度ですので、分散電源として発電単価が買電単価より高くなってしまう懸念はあります。
もっと問題なのは機器コストの高さで、単位kW当たりの価格が通常火力では10万円程度なのですが、燃料電池方式では10倍の100万円になってしまうので、現在開発の主目的は価格低減にあります。通常自動車の出力100kWとすると、エンジンだけで1000万円となりますので、ガソリンエンジン自動車にとても太刀打ち出来ないのです。

しかし昨年、将来の価格低減を見越して、東京ガスが家庭用燃料電池の発売を宣言しました。
容量は僅か1kWですので家庭需要の半分を賄う程度に過ぎませんが、2007年の電力完全自由化に向けて、ガス会社が電力会社に先駆けて分散電源ビジネス確保に先手を打ったと言えるのでは無いかと思います。
しかし「急いてはことを仕損じる」、消費者ユーザは当面様子見をするのが賢明だと思います。電力会社も魅力ある提案をして来る筈です。

インターネットニュースでは次の様に報じられています。
東京ガスは、松下電器産業、荏原製作所と共同開発を進めてきた家庭用燃料電池を2005年2月から一般に貸し出す、と発表した。
東ガスは、家庭向けに商品化されるのは世界初、としている。他の都市ガスや石油会社も様々な方式を開発中で今後、商品化が続きそうだ。
燃料電池は、水素を酸素と化合させると、電気・熱と水が発生することを原理にしている。東ガスの装置は熱電併給(コージェネレーション)方式で、都市ガスから取り出した水素を使って発電。排熱も利用してお湯をわかし、給湯や暖房に使う。発電・熱回収の装置(高さ約1m、幅80cm)と貯湯槽(高さ約2m、幅約80cm)の二つからなり、出力は1kWで、4人家族の標準世帯が使う電力の60%をまかなう。
2006年3月までに200台を貸し出し、期間は10年間で使用料は100万円。利用者にはガス料金を3年間3%割り引く。通常のガス・電気利用に比べ、標準世帯で光熱費を年間約6万円節約でき、エネルギー消費量も26%減るという。
2009年度には年間1万台の普及を見込んでいる。 東京ガスは「今は採算性を考えず、先行投資のつもりで普及させたい」と話す。
今後、1万3千時間(約3年分)程度の電池寿命を4万時間に延ばすことや、販売価格目標(50万円)に見合う製造コスト(現行数百万円)の引き下げが課題だ。
大阪、東邦ガスは東ガスの後を追い、同様の製品を2005年度中に投入する計画。大ガスは京セラと共同で、発電効率の高い別タイプも開発中で、2008年度の商品化をめざしている。
石油業界では新日本石油と出光興産がそれぞれ2006年度の商品化を目標に、灯油から水素を取り出す方式の燃料電池を開発中。
次世代家庭エネルギーの主役の座をめぐる開発競争の中から、さまざまな商品が登場しそうだ。

工業的大型酪農からのBioFuel

一見何の関係も無さそうな両者が結びつくのは、よく落語で使われる「風が吹けば桶屋が儲かる」と言った三題噺ではありません。そうした研究があるらしく、現在米国イリノイ大学で行われている様子です。


この写真は酪農関係の雑誌でも無く、環境関連のものの表紙でもありません。最近郵送されて来ました、歴とした米国機械学会の副学会誌「Power & Energy」の表紙です。

「隠れた資源:新技術は豚一頭一生分の糞尿廃棄物を0.5バレル(80リットル)の石油に変換します」として、記事には下記の様に記載されています。

米国での工業農業は巨大な規模で実施されています。毎年1億頭を越える豚が屠殺されて食卓に供されていますが、これは各家庭1頭分に相当します。しかし、豚は同時に相当量の糞尿を生み出しまして、環境汚染の一因ともなって来ました。豚舎の排水、汚泥だけで無く、悪臭汚染が大きな問題となって来たのです。豚酪農の環境に対するこれらの深刻な影響は、政府各局、公共機関、酪農業界の関心事となり、解決策を模索中です。糞尿廃棄物は嘗て価値のある肥料として使われたのですが、大規模酪農の進展によって業界の大きな負担となってしまったのです。
イリノイ大学で行われている研究は、逆手を取って、これら大量の糞尿を熱化学変換プロセスでエネルギー源としようとの試みで、再生可能な代替燃料を生産しようとするものです。熱化学変換プロセスは1970年代、主として石炭、泥炭、廃木材を無酸素状態の雰囲気で石油資源にしようとの研究テーマで、技術的には納得出来る結果を得ていたのですが、経済効率が低く、小規模の実験プラントで留まって頓挫してしまいました。今回の研究は、原料が石炭等の燃料では無く、酪農家にとって重荷となっていた廃棄物処理ですので、経済効率が向上し、環境影響の面からも成果が期待されています。実験室的には廃棄物固体の63%がベンジン主体の代替石油に変換され、発熱量は30500kJ/kgで高炉用燃料とほぼ同じという結果が出ています。


日本でも酪農農家から出る廃棄物は、肥料として再利用されるだけでは無く、発酵プロセスを使ってメタンガス生産が試みられていますが、工業規模とはなっていないのが現状です。
それにガスより液体の方が貯蔵・輸送が断然有利なので、出来れば代替石油を生産する方がベターに思えます。WTO農業交渉の進展次第では、日本でも工業農業の導入が真剣に検討されなければなりませんが、米国のこの様な研究は大きな助けになりそうです。

金曜日, 10月 06, 2006

地球温暖化防止-コジェネとCHP

地球温暖化防止には、エネルギーの効率的な利用が望まれますし、化石燃料を大量に消費する従来方式の効率化は不可欠です。従来方式から排熱利用を促進することで10%の効率改善はそれ程困難なことではありません。
原子力発電に依存する方法は、廃棄物処理の困難さ、高価格建設コスト、寿命後の解体処理問題から見て、最善とは思われません。

20年程前から米国でコジェネレーション(Cogeneration)と呼ばれ、発電用熱機関の排熱を利用して70%以上のエネルギー効率が見込まれるものでした。技術的にはそれ程先進的なものではありませんので、あっと言う間に米国全州に流布することになりました。日本でも1980年代後半から導入が始められ、当初は「熱併給発電」と言う日本語が使われましたが、近頃では「コジェネ」と言うカタカナ米語が使われる様です。ヨーロッパでも日本と同時期に導入が始まり、「熱併給発電」に相当する「CHP(Combined Heat & Powerの略)」が使われ、以来「コジェネ」と言う米語が充てられることはありませんでした。ヨーロッパの誇りかも知れません。

カタ仮名英語が多くて辟易もするのですが、Cogenerationは“二つの有益物を生み出す”と言う意味で、CHPに較べてなかなか良い造語だと思います。 Tri-Generationとの表現もあり、“電気出力、蒸気出力、排ガス出力”となれば最善となりますが殆ど使われることはありません。

我が家には2ヶ月毎に、ロンドンで発行される「Cogeneration & On-site Power」が郵送されて来ますので、今月号から環境先進国ドイツのCHP協会会員の記事を紹介します。

「欧米に於けるCHPの明るい未来」再生可能な風力、太陽電池、水力発電での拡充は、長期的には熱併給発電(CHP)のポテンシャルを大いに減じることになります。しかしながら、中・短期的には情勢は異なりまして、CHP開発は殆どの国々で市場導入が活発になることが予想出来ます。ヨーロッパでは、長い間余裕のある発電容量を享受して来たのですが、現在稼働中の発電所は古くなり性能劣化が顕著になっているのです。2010~20年には、ヨーロッパの大部分の発電所が更新時期を迎えているのです。又、幾つかの国々では、原子力発電所の段階的廃止を決めていることも影響があります。次世代の発電所計画決定には、排出物(二酸化炭素排出)取引が、大きな要素となり、その意味でCHP開発には有利な状況のなっている様に思えます。電力価格の上昇傾向もCHP開発には望ましい方向ですが、化石燃料の天然ガス価格の価格高騰で、一部は相殺されてしまうこともあります。総括的に見ますと、ヨーロッパでの近未来CHP開発は、過去の情勢に較べて明るくなっていると考えられます。

日本でも、再生可能な風力、太陽電池の導入が進められ注目を集めてはいますが、如何せん、発電容量が小さすぎて、需要に見合うことはあり得ません。
原子力発電の頓挫している現在、現存の火力発電所を熱併給発電方式(コジェネ又はCHP)にて更新、効率アップを図って、二酸化炭素排出抑制に動かなければなりません。