木曜日, 9月 28, 2006

呉子(呉起)-尾崎秀樹(ほっき)

訳者の尾崎秀樹は実兄である尾崎秀実が関わったゾルゲ事件を究明したことで知られ、大衆文学研究家としても活躍、1999年に71才で没している。
訳者尾崎秀樹(ほつき)が思いを述べた「呉子の世界」10ページ、訳文60ページ、書き下し文30ページに過ぎない薄い小冊子ですので、あっと言う間に読了してしまいました。

呉子は戦国初期(2千数百年前)に、楚の国の宰相となった呉起の言葉を収録した兵書、孫子と共に広く読まれ、戦国末期には「家毎に孫呉の書を蔵す」(韓非子)と言われる程であった。司馬遷が史記列伝で「呉起は刻薄残暴、為に、我が身を亡う」と書きとめ、出世の為に妻を手にかけ、母の葬儀にも参列しない権力亡者の様に言われ、非情の兵家とみなされて来た。
郭沫若は「十批判書」(邦訳名「中国古代の思想家たち」)の中で、呉起の業績にふれ、その不幸は楚の悼王の死があまりに早かったことにある。もし悼王の死が遅れて、5年或いは10年の期間が呉起に与えられていれば、全てが安泰となり、秦の基礎を築いた法家である商鞅にも劣らぬ功績を認められたかも知れない。呉起の覇業が楚国で成功していれば、中国統一と言う偉業も又秦人の手に帰することは無かったであろうと評価する。
孫子と並んで呉子が、現代経営戦略の宝典とされる言われは、表面的には戦略・戦術を説いても、その基底には人間を見る普遍的な認識があり、多少の差はあれ戦争を罪悪とみる反省があって、その倫理的意識が平和への悲願を裏に秘めていたことも見落としてはなるまい。


孫子・呉起列伝-「史記」司馬遷 日記はこちらです

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