月曜日, 11月 26, 2007

新聞社 破綻したビジネスモデル(新潮新書)

言論の自由が役立つ場面よりも、報道被害の方が目に付く中で、国民は「マスコミは知る権利に本当に応えているのか。寧ろ私権を侵害しているのではないか。マスコミに公共性があるとするなら、具体的に示して欲しい」と問いかけるようになった。実際、ワイドショーの中には自分で自分の首を絞めているとしか思えないものがあります。

著者の河内孝氏は、毎日新聞の営業担当常務を務めた人物で、業界内でも語られない販売の裏側について、生々しく紹介しているのは珍しいかも知れません。

「販売が大変だから改革せねばならない」ことには、全員賛成でした。改革案を役員会に提示し全員一致で決めたのです。身を切る改革に販売局、販売店主達から相当の反発、抵抗が起きることも当然覚悟していました。
結果的には私には想定内の事態が、他の人達には予想外の深刻な事態になってしまい、改革は挫折し、私は退任・退社したのですが、誠に残念でした。


ジャーナリズムを議論するのでなく、ビジネスとしての将来像を見つめることで、これまでの新聞批判本とは違う特異性はあります。
3大新聞と呼ばれて来ましたが、圧倒的に読売、朝日のメガ新聞に差を開けられてしまった、毎日新聞の再生の為に採るべき方向を指し示しているのが本書の狙いの様でした。
それは第三極構想とされ、毎日新聞を中心に産経新聞・中日新聞が業務提携するというもので、中部圏では非常に強固な地盤を持つ中日、首都圏では産経、九州地区では毎日が強い地盤なので、連携すれば全国紙の展望が開けると言うのです。
しかし、毎日サイドの我田引水的な色彩が濃く、連携相手とされる産経・中日側には、危機に瀕した毎日と連携するメリットは少ないのでは懸念せざるを得ません。

結局は、社内改革抗争に敗れた著者が、出版社の力を借りてその改革案を世に問うた著作ですが、読み進む内に社内文書を読まされている感じがして仕方がなく、何とも読み応えが無いのが如何にも残念でした。

水道本管(ダクタイル鋳鉄)の更正工事-多摩ニュータウンの事例

多摩ニュータウンでは幹線道路での水道管の更正工事が始まって久しく、半年を経過しても完了していません。処々に路線規制もあり、アスファルト路面も凸凹でとてもスムーズな走行は出来ません。
当初はねずみ鋳鉄(Gray Cast Iron)管からダクタイル鋳鉄(Ductile Iron)管への更新をしているのかと思っていたのですが、1970年代に開発された多摩ニュータウン地区は最初からダクタイル鋳鉄(Ductile Iron)管が敷設されていた様で、今回は「高度浄水」のコンセプトにも対応した管内エポキシ塗装を更新・更正する工事の様です。

東京都水道局では、平成19年4月からNS形ダクタイル鋳鉄管の採用口径を呼び径75~250mmまでを呼び径1,000mmまで拡大したことに伴い、説明会を平成19年3月に開催しました。
その後の入札結果から、施工企業が選定し、ダクタイル鋳鉄管の直管の管内面塗装を現行の呼び径350mmから呼び径1,000mmまでモルタルライニングからエポキシ樹脂粉体塗装への変更工事を行いますのでお知らせします。
留意事項:
US形ダクタイル鋳鉄管の内面継手管・ダクタイル鋳鉄管推進工法など、管路内での作業を伴うものについては、従来どおりモルタルライニング管としますのでご注意ください。


ダクタイル鋳鉄とは、普通鋳鉄の衝撃に弱い欠点を克服し、鋳鉄でありながら鋼と変わらない強度と伸び特性を持つ「球状黒鉛鋳鉄」。1954年クボタが世界にさきがけて大口径ダクタイル鋳鉄管の製造に成功させ、1957年には遠心力鋳造法によるダクタイル鋳鉄管の量産を実現させた。

厚生省では1991年には「フレッシュ水道計画」を策定、「質の高い水道施設づくり」として21世紀に向けた水道整備の長期目標を示し、地震などの災害にも強い水道を強調した。更にモータリゼーション進展により管路に加わる荷重は一層の増大傾向にあり、広範な地域で発生している地盤沈下と言う深刻な課題克服もあり、ダクタイル鋳鉄管は、瞬間的に発生する巨大な衝撃に耐え、長期間にわたって厳しい圧力に耐える要求に応える戦略素形材として位置付けられている。
又、現代の都市事情・交通事情に見合った新しい施工技術。たとえば「パイプ・イン・パイプ工法」「既設管破砕推進工法」も開発されている。既設パイプをさや管としてその中に新パイプを挿入し管路更新する工法である。パイプ接合を省人自動化する「接合ロボット」の研究開発も進む。「高度浄水」のコンセプトにも対応したパイプ内面処理技術の高度化(内面エポキシ樹脂粉体塗装)も進む。


幹線水道本管がエポキシ塗装となりますと、各家庭への小さな給水管は塩ビ製ですから、これでは全てプラスチック配管で供給された水道水を飲むことになり、プラスチックからは環境ホルモン物質の溶解が懸念されることになります。
この様なシステムを変更することは困難と思われますが、近頃多くなった飲料水・お茶販売なども全てペットボトルで販売されていますので、その不安は消えません。

月曜日, 11月 12, 2007

石油100ドル/バレル時代の衝撃-代替石油の可能性

石油価格の指標となるNY原油 WTIは現時点95ドル/バレルとなっていて、今にも100ドルを超える情勢となるに留まらず150~200ドル/バレルも予測され、生活への影響は甚大になりつつあります。
一方NY天然ガスは8.3ドル/MMBTUで、相場価格は倍額近く上昇しているものの、原油程の高騰とはなっていません。しかし、このままの単位単価ではエネルギー源としての価格比較は難しいので、原油価格を熱量ベースで天然ガスと同じ単位になる様に算出することにしたい。

1バレル=42ガロン(=159リッター)、石油密度8.34lb/ガロン(=0.82kg/リッター)、石油熱量18,000BTU/lb(=10,000kcal/kg)とすると、石油1バレルに含まれる熱量は(42*8.34*18,000BTU)=6.3MMBTUとなる。

即ち、原油 WTI価格は95ドル/6.3MMBTU=15.1ドル/MMBTUとなり、同じ熱量の天然ガス価格に比べて概略1.8倍の価格となっていることに留意したく、やはり原油相場は極めて投機的色彩が強いのです。

日本の電力・ガス各社はLNGバッチ輸送にて25年長期契約で天然ガスを輸入しており、3ドル/MMBTU程度で、現時点驚くほど安価なエネルギー源となっています。
この天然ガスから代替石油を製造し流通させるのが、バイオ燃料と異なり食料穀物市場との軋轢も無く、現時点では最善の方法と考えています。

フィッシャー・トロプシュ(FT)法を用い天然ガスから石油を製造するGTL(Gas to Liquids)商業用プラントが稼働している。
GTL技術により精製した石油は、硫黄やアロマ分(芳香族)を含まず、排気ガス中の煤塵や硫黄酸化物の有害物質が少なく、環境への負荷が小さい次世代エネルギーとして注目されている。
2006年シェル社ではマレーシアの商業用プラントを稼働させつつ、2010年を目途にメジャー他社とも共同でカタールに世界最大規模のGTLプラントを完成させ、普及拡大を図る方針と伝えられる。日本でも石油資源開発で研究が進められていて、2007年9月新潟市で実証プラントの起工式が行われ、2008年の完成を目指すとされている。

このGTL代替石油、原油よりも可採年数が長いとされる天然ガスを利用するので、長期の安定供給が可能とみられている。又、マイナス162℃の液化天然ガス(LNG)とは異なり、常温での流通が可能で、従来の石油インフラが全て使える利点がある。


1年前に記述しました“GTL-クリーンな代替石油”と言う日記はこちらです

石油時代は終わったと極論する人もありますが、ハンドリング容易なことから離れ難いものがあるのです。
しかし、経済発展に合わせて石油供給量を増やすことを画策するのでは無く、省エネを進めて石油使用量を何とか少なくする工夫が、今求められている喫緊の課題だと思っています。

金曜日, 10月 05, 2007

超臨界水による廃液処理

今朝のNHKニュースで、広島県の機械メーカが「超臨界水による廃液処理装置」を製造・販売していることが報じられていました。
注目しているのは焼酎メーカ業界、醸造後の廃液を従来は海上投棄していたのですが、これからは投棄禁止となり、年間22万トンに及ぶ廃液処理は喫緊の課題となりました。
デモンストレーションによると、どろどろの廃液は、超臨界水を使うことで水と2酸化炭素ガスに分解され、固形物は何も残りません。
しかしニュースで見る限り、実験室規模に近く、年間22万トンに及ぶ大型廃液処理プラントが実現するには未だ壁が幾つかある様な気がします。
それでもこのようなニュース報道には、環境技術の進歩が感じられ、持続可能な社会実現への一歩とも思われ、嬉しいものがあります。

超臨界流体は、入り込む気体の性質(拡散性)と、成分を溶かす液体の性質(溶解性)を持っていますので、環境/医薬品分野での有機溶媒の代替としても利用でき、環境に優しい技術として注目を浴びています。

水の場合は圧力22.1MPa・温度374℃、二酸化炭素の場合は圧力7.4MPa・温度31℃を超えた領域で超臨界状態となります。

超臨界水利用は1990年代中頃から始まっていましたが、超臨界二酸化炭素に比べて相当の高温・高圧が必要で、特有の取り扱い難さを伴って進展はなかなかの様でした。
しかし、燃焼処理とは異なり、ダイオキシンやNOx(窒素酸化物)等は発生しませんので、特にプラスチック処理・ダイオキシン分解等には、環境にも優しい超臨界水利用の処理装置実用化の進展が期待されます。


この種の問題は、何時もコスト競争力の有無が、最後の難関となります。

溶剤を使わない超臨界二酸化炭素でのクリーニングは、環境に優しく繊維を傷めず、色落ちも無いことで、数年前に話題になりましたが、現在業界に浸透しつつあるのでしょうか?

土曜日, 9月 01, 2007

ボーイング737事故原因は設計変更不良の疑い

ボーイング737事故原因は設計変更不良の疑いが濃くなり、ボーイング社の製造物賠償責任(PL)法を始めとする法的責任が問われることになる気配となりました。

ボーイング737旧世代機からハイテク装備の新世代機にする際、前部可動翼(スラット)アームを取り付けるナット直径をボルト穴とほぼ同じで抜けやすいものになっていたことが分かった。
旧世代機のナットは直径1.4cmで、新世代機より30%大きい。アーム穴はそれより小さく、しかもボルト穴とナットの間にあるダウンストップ内径は0.8cmで、ワッシャーが無くてもナットが抜けない構造となっていた。
新世代機ではナット直径1.06cm、スラットアーム穴1.12cm、ダウンストップ内径は1.06cmであり、ワッシャーの介在無しには抜け落ちる懸念のある構造となっている。
整備士は「旧世代機の仕様の方が理にかなっている」と話している。


何故その様な設計変更が行われたのか現段階では不明ですが、私は「部品共通性を図った結果」だと推測しています。
何十万点ともなる航空機部品は、共通化が図られれば製造コストダウンも達成出来ますし、使用工具類も少なくなりますので、組立・整備工数も格段に少なくなるのです。
今回問題となったナットは、飛行機での違う構造部材との共通部品になっているに違いありません。
設計時の設計審査(デザイン・レビュー)では、他方面からFail Safe(間違っても安全な運行可能)・Fault Tolerant(未習熟の行為でも安全性確保)が厳しく問われる筈なのにと考えますと、何故見過ごされたのか不思議でなりません。
万全を期しても人知は限りがあるのですが、今回の不具合は「企業倫理を忘れコスト優先に走った」と言う企業営業論理の結果かも知れません。

火曜日, 7月 17, 2007

SS400とSPHC-フジテック・エレベーターの強度不足問題

フジテック・エレベーターの強度不足問題ではつくづく日本製造業の技術力低下を実感しました。

技術力は組織の総合力によって支えられ、設計、製造、購買、営業の各部門がベクトルを合わせて良い製品を造り上げることにあると言っても良い。
何らかの変更が余儀なくされた時は、各部門が連携をとってより良い製品への設計変更・次善の策を模索する方法が長い間培われて来たのです。その中でも、設計部門においては担当者の考えがOJTで上司からダブルチェック・トリプルチェックされ、設計組織全体の責任として他部門に展開されたのです。

強度部材用のSS400に比べ、板金プレート部材のSPHCは強度的に30%劣るのに、見過ごされたミスは信じられません。
今回の強度不足問題は、購買と設計の連携不足にあると言っても間違い無く、担当者の「少しでも安価な鋼材でも良い」と判断したことにありそうだ。
人間個人の考え方には限界があり、総合的組織判断力に委ねる必要があるのだが、今回は欠落していたと断ぜざるを得ません。
売上高・利益率至上主義の蔓延で、部門内のOJTもままならず、又部門間の連携が破壊され、日本製造業の技術力低下は加速度的に低下しているのだと危惧しています。

SS400 一般構造用圧延鋼材(JIS G3101)
SS(Structural Steel)400:最小引張強さ400N/mm2
用途 車両、建築、橋梁、船舶等の強度部材

SPHC 熱間圧延軟鋼及び鋼帯(JIS G3131)
SPHC(Steel Plate Hot Commercial):最小引張強さ270N/mm2
用途 大型キャビネット、各種機械部品のプレート部材


しかし、「プレート部材を強度部材に使用するとは!」、ISO9000規格をどうのこうのと言う前に、基本的技術判断力に欠けた行為で愕然としてしまいます。

水曜日, 6月 27, 2007

年金問題の正しい考え方-中公新書

社会保険庁が管理する年金保険料の内「宙に浮いた年金記録」が5095万件、更に93万件と1430万件もの不明年金が在ったことも発覚して、社会保険庁の杜撰さが指摘され、政府首脳のボーナス返納から社会保険庁職員のボーナス返上と、マスコミを賑わせている。
「年金問題を政争の具にすべきでは無い」と言うのは正論であるが、政治家の発言行動は混迷を極め、マスコミの論調も相変わらず異常事態を騒ぐだけで何の見通しも無く、一刻も早い「短期的な救済策」から「長期的且つ建設的な制度提言」が何も見えて来ない状況は「不可解」の一言に尽きる。

そこで、マスコミ情報に踊らされずに年金問題を考えてみたいと、下記の書籍を買って来ました。

年金問題の正しい考え方-中公新書(盛山和夫 著)

年金を巡る政治家の提言やマスコミの論調も、相変わらず混迷が続いている。元来、年金制度は人々に安心をもたらすものである筈なのだが、今ではそれ自体が不安の源となっている。

年金制度は現代福祉国家の持続可能性に関わっている。公的年金は社会的弱者だけの福祉ではなく、全ての国民を対象に生活基盤を安定化することを目指した包括的制度であって、国家が果たすべき基幹的機能の一つである。
今や社会保障費全体は毎年80兆円を超えて、ほぼ国家一般会計の予算規模に匹敵しているが、年金給付は半分の40兆円を超えており、GDP(国内総生産)の10%近くに達している。しかも、年金制度は、限られた世代を超えて異なる世代がお互いに協力し合いながら、永遠に続いて行くことを前提にした超長期的な社会的協働の制度である。


2004年国会において「年金制度改訂2004スキーム」が提出されたが、政治家の年金未加入問題でもめて、実質的な議論が出来ずに通過させてしまった。100年安心とも与党が自賛した「改訂年金制度」は、結局、公平性の観点からは失格していると警告している。

基本的な制度設計を、狭い範囲の官僚と専門学者と言った少数の人達だけに任せて来たのが、問題の根本解決を阻んできた最大の原因である。この状況を変えて、多くの人々が仕組みについての基本的知識を持った上で、積極的に議論参加出来る様にしなければならない。

そして、「望ましい年金制度は次の4項目の基準が満足することが必要で、専門家だけでなく、多くの人々が積極的に議論参加出来る様にしなければならない」とし、将来世代に対する我々の重大な責任としているのには説得力がありました。

基準1 持続可能であること
基準2 それぞれの世代内では、同一拠出に対して同一給付となること
基準3 異なる世代間で、相対的年金水準が一定に保たれること
準則 現役世代の負担が一方的に上昇したり、高齢者世代の給付水準が一方的に削減されないこと。
基準4 将来の拠出負担と給付水準は、人口変化と経済変化に左右されるが、どの様に決まるのか、明確な予測が提示されること

水曜日, 5月 30, 2007

白洲次郎の日本国憲法

白洲次郎は「吉田茂の茶坊主」「ラスプーチン」と揶揄されながらも、黒子に徹していた為か、あまり知られていない。しかも政界での活躍のみならず、戦後日本復興の原動力となった通産省設立、9電力会社体制構築、東北電力社長就任と経済界での活躍も幅広い。

白洲次郎の日本国憲法-(光文社知恵の森文庫 鶴見 紘 著)

戦後日本の方向を決定した日本国憲法制定、対日講和条約に重要な役割を果たしたのだが、黒子に徹していた為か、記録上はおよそ知られていない。吉田茂の右腕としてGHQと対峙し、一方では自由党代議士連を牛耳り「白洲300人力」と囁かれつつ、日本国憲法制定に深く関わった。

1989年に「隠された昭和史の巨人-白洲次郎の日本国憲法」として発行され、白洲ブームの先駆けとなった一作の加筆修正版らしい。

しかし、章の構成に問題があるのか、著者の熱い思いが伝わって来ないのです。
加筆された最終章には「文庫化にあたって 白洲次郎が考えていたこと」として、白洲次郎に対する熱き思いが大いに感じられのだが・・

考えてみると、取材をしつつ資料提供を受けた白洲正子夫人に敬意を表して、巻頭言を譲ったことにその原因があると見ました。この「特別寄稿 ソアラの縁」がこの書籍とベクトルがずれているのだ。随筆家として知られる白洲正子だが、その文体が軽すぎて、しかも変な先入観を読者に植え付けてしまうのが頂けない様に思われるのです。

読了して、最終章と巻頭言を入れ替えることで、著者の熱い思いがストレートに伝わってくるのでは無いかと判断せざるを得ませんでした。
夫唱婦随とは言いますが、このままでは婦唱のみとなっていて、これはいけません!

水曜日, 4月 25, 2007

種子島宇宙センター

種子島
この写真は15年ほど前、種子島宇宙センターを訪問した時のもので、向かって右に並んでおられる現地所長にセンター内を案内して貰った時のものです。

当時はJAXAでなくNASDAの時代で、ロケットもH-II、3重工が独立に現地事務所を開設し、NASDAをサポートしていました。
その前年、H-IIメインエンジンLE-7がエンジン試験場で破損事故を起こしたので、原因究明と対策が検討されている時期でもありました。
水素・酸素燃焼では炎温度が3200℃にも達するので、エンジン試験場への影響・被害も心配でした。

今ではロケットは改良型のH-IIAとなり、製造責任は三菱重工が全体責任を負う様に変更となりました。やはり受け取り機構のJAXAでなく、製造責任がメーカでなければなりませんので、これは正しい改革だと思っています。

現在は国際的に評価される20機連続成功を目指しているのですが、国際競争力を高める為には、一層の品質管理とコストダウンは不可欠だと思っています。
今後、情報収集・宇宙科学需要から、年平均3機打ち上げの官需があり、民間・海外からの追加受注を考えますと、少なくとも年4機打ち上げ体制の構築が必要だと思われます。

従ってロケット製造だけでなく、打ち上げも民営化して業務移管する方向でロケットビジネスの改革が進められている途上となっています。
今後ともJAXA主導で、ロケット製造・打ち上げシステムの仕様改良を行って行く方向ですので、官民の連携を上手く生かして行ければ良いなと思っています。

1969年に設立された種子島宇宙センターは、総面積約970万平方メートルにもおよぶ日本最大の宇宙開発施設です。種子島東南端の海岸線に面しており、世界一美しいといわれているロケット打ち上げ射場です。
ロケットの組み立てから打ち上げまで、そして衛星の最終チェックからロケットへの搭載までを行っており、我が国のロケットや人工衛星の打ち上げを担う施設です。
施設内には、小型ロケット打ち上げ用の「竹崎射場」、日本の主力ロケットであるH-IIAロケット打ち上げを中心とする「大崎射場」があり、その北方には「増田宇宙通信所」「野木レーダ局」、西方に「宇宙ヶ丘レーダステーション」「光学観測所」などの試験設備が整備されています。
また、液体ロケットエンジンおよび固体ロケットの地上燃焼試験等を行う開発関連設備も備えています。

日曜日, 3月 11, 2007

機関設計OB会-現代技術の中核なのに

機関とは駆動機エンジンのことで、外燃機関と内燃機関に大別される。

外燃機関は、エンジン内を流れる作動流体が外部加熱器にて燃料熱で温められて高温高圧のガスとして流入し、動力を発生した後、外部環境によって冷却されて初期状態に戻って、再び循環サイクル流体となる。
代表的なものとしては水/水蒸気を作動流体とする蒸気タービンがあり、加熱器はボイラーと呼ばれて、火力発電所、原子力発電所に多く用いられている。
郷愁を誘う蒸気機関車は、往復動の蒸気エンジンで、これで産業革命が始まった歴史的な外燃機関でもある。
その他、近頃環境対策に良いとされ、宇宙空間にても採用されているスターリング・エンジンもこの範疇に入る機種である。

一方、内燃機関は、大気を吸い込んで高圧状態としてから、燃料熱で直接温められて高温高圧のガスとして流入させ、動力を発生した後は、大気中に排出され、循環することは無い。
自動車用ガソリンエンジン、トラック用も多いディーゼルエンジンが、代表的なものであり、航空機用のジェットエンジン/ファンエンジンもこの範疇に入り、近頃はガスタービン火力発電所も従来型火力を駆逐する情勢で、この世の中の駆動機として用途が極めて広い。


1960年代まで、日本の造船業での主力エンジンであった蒸気タービンは、残念ながら熱効率の観点からディーゼルエンジンに取って替わられ、その設計・製造部門は廃止となってしまっている。
其処から派生発展した航空機用ジェットエンジンが主力機種となっているが、陸舶用ガスタービンはジェットエンジンの下部組織として編入されエンジン製造工場を持てなくなっているのは寂しい。今でも現代技術の中核として考えられ、重工他社の後塵を拝しているのは悔しい限りだ。
機関設計OB会は、長年、江東区豊洲地区で外燃機関と内燃機関設計・製造を担当したOBの集いとなっていて、日本のエンジン技術をリードした猛者が多い。
従って、独自のエンジン製造工場を持てないでいる現在の会社状況を考えると、切磋扼腕するOBが多いのも頷ける。
機関設計2007

重工各社は、1960年代とは異なり工学系学生の人気ランキングからも外れつつあり、有能な後継者が育たないと言われているのも、世相が変化しているとは言え、先人としてはとても残念だ。

しかし世の中、全業種で「全てマニュアル通り」が会社方針となり、技術裏付けが希薄なコストダウンが主流、損傷対策・事故対策は後手に回ったことで、ガスストーブ・湯沸かし器の中毒事故等が頻発していると思われるのは、結局何か大切なものを失っていることなのだ。

OB会で先輩後輩と話をしつつ、在籍した会社の、延いては日本の技術レベルの低下を、ひしひしと感じざるを得なかったのが現実でした。

火曜日, 2月 27, 2007

風力発電 と国立公園−開発か自然保護か

開発か自然保護かは何時も論議される問題ですが、環境保全を得つつ発電すると言われる風力発電もその埒外では無い様です。
極端な開発も困りますが、極端な自然保護にも付いて行けないものがあります。
Yes or Noの結論を簡単に着けるだけで無く、何とか双方で妥協の出来る次善の方法を探って行く必要がありそうです。

朝日新聞の「天声人語」に次の様に書かれています。

国立・国定公園でも風力発電施設を設けやすくする様な基準を作って欲しいと、推進自治団体や発電事業者の団体が政府に要望した。
環境省の検討会では、安定して強い風が得られると要望のあった山の尾根への建設を、景観が損なうとして厳しく規制する方針と言う。
光や水や風の活用は大事だし、更に広げて行きたい。寧ろ、前向きに考えて、よくよく悩んだ上で折り合いをつけて貰いたい。風は、消えることも減ることも無いのだから。


従来は風の強い地域で、僻地や離島での発電確保を目的とした風力発電も東京湾地区にも設置される様になりました。
化石燃料も核燃料も使いませんので、CO2削減に最適の様ですが、発電容量が極めて小さく設置コストが高価である為、CO2削減の切り札と考えるには無理があります。
政策的な新エネルギー奨励助成が外されますと、従来の火力発電に較べて発電コストが極めて高く、それらと競合出来なくなり経営的には成り立ちません。
種々の評価と論議が必要でしょうが、送電コストが高くなってしまう僻地や離島での発電が、風力発電の生かされる道だと考えています。

経済産業省資源エネルギー庁HPには次の様に紹介されています。

風力エネルギーは、風向・風速の変動により安定したエネルギー供給の難しさはあるものの、潜在的には資源が広範に賦存し、無尽蔵な純国産のエネルギーである。
経済産業省では、1976〜2000年までサンシャイン計画において風力発電システムの技術開発、1981〜1986年度まで三宅島で100kW級風力発電プラントの研究、1990〜1998年度まで大型発電システムの技術開発、1999年度から離島用風力発電システム等の技術開発を実施している。
我が国の風力発電の導入実績は、2001年度で260基超、出力約14万kWとなっている。これまで、そのほとんどは電力会社、地方公共団体、国等が試験研究用あるいはデモンストレーションとして設置したものであったが1992年の電力会社による余剰電力購入制度及び1993年の系統連系技術要件ガイドラインの整備により、近年、発電電力を電力会社に売ることが可能となったため、売電事業を目的として設置されたものも増加している。
 また、世界第1位のドイツにおける風力発電の導入実績は約610万kW、第2位のアメリカは約260万kWで、我が国に比して相当大きな導入量となっており、一層の導入拡大を目指した政策的支援が行われている。 
 我が国における風力発電の導入における最大の課題は、普及が進んでいる欧米諸国に比べ大気の乱れが大きく、設備利用率等に起因する高い発電コストである。1995年度から「風力発電フィールドテスト事業」を創設し、風力発電の有望地域において風況精査を実施するとともに風力発電設備を設置・運転を行い、データ収集等の調査研究事業を実施している。
又、1997年度から地方公共団体に対する支援制度として「地域新エネルギー導入促進事業」及び民間事業者に対する支援制度として「新エネルギー事業者支援対策事業」により導入経費に対する補助を行っている。

レイノルズ数-工学無次元数の代表格

工学の世界では、実際の現象を実験室規模でシミュレーションして再現しながら解析し、改良に適用することが重要であるとされている。

それぞれの解析目的で種々提案されていて、代表例として次の様な無次元数がある。

レイノルズ数(流体における慣性と粘性の比率。流体解析に必須)
マッハ数(物体の速度と音速の比率。高速流体解析に必須)
プラントル数(熱輸送と運動量輸送の比率。熱流体解析に必須)
ヌセルト数(熱伝達と熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
ビオ数(熱伝達と固体側熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
レーリー数(温度勾配を無次元化した量。熱対流解析に必須)
グラスホフ数(自然対流を表す無次元数。熱対流解析に必須)
リチャードソン数(密度が層状変化する流れ。気象力学に必須)

逆に複数の現象比較を行う際には、スケールの違いなどの影響を除くために、計測結果などを無次元化して、無次元数で比較を行うことが妥当と考えられる。


流体力学の分野で多く用いられるレイノルズ(Re)数は、代表長さ[長さの次元]、代表速度[速さの次元]、動粘性係数[粘性/密度の次元]の値を用いて求められ、流れ場の状態を表す無次元数となり、応用性が広い無次元数の代表格とされている。

MoodyFriction
上記のグラフは円管内流れ場におけるRe数と流体摩擦損失無次元数との関係を表したもので、上下水の水道管、ガス管等の大きさ設定の妥当性に用いられる。
即ち、水、各種溶液等の液琉体、空気、各種ガス等のガス流体を流送する場合に、適切な口径と摩擦抵抗に見合うポンプ・圧縮機の所要動力が設定されるのである。

レイノルズ(Re)数は、交通機関媒体を設計するにも有用な無次元数で、設計には欠かせないものとなっている。
例えば、航空機・自動車を設計する際に、実際の媒体と模型について、このレイノルズ数が同じであれば、媒体周りの空気の流れは相似となりサイズは異なっても本質的には同じ現象と考えることが出来るのである。
乗用車であれば大きさは数メートルなので、実際媒体で風洞試験を行い、流体抵抗を実測することが出来そうに思われる。
しかしながら、航空機となると数十から百mを超える大きさになるので、小さな模型を用いてレイノルズ(Re)数が同一となる様に試験して、設計是非を検討することが必須になる。結果は所要エンジン動力大きさに直結するので、極めて重要な試験解析となるのである。
近年コンピュータによるCFD解析で解析出来そうに思われるのだが、Re数が異なればその解析は用を為さないので、どうしてもRe数を同一にしたシミュレーション風洞試験を実施しなければならない。

小さな模型試験で、レイノルズ(Re)数を合わせるには、風洞の高圧化・極低温化など種々方法が考えられるが、いずれも詳細な工学検討と多大な設備投資が必要となる。
この実際動向については種々あるが、多大な設備投資が必要で、国家もしくは多国間プロジェクトで推進されている例が多い。

この件については、いずれ又、次の機会を得て論じたいと思っています。

木曜日, 1月 04, 2007

日中2000年の不理解

創刊朝日新書の一つで、横帯には「何故日本人の心は隣人に伝わらない-卓越の日本文化論」となっていますので、購入し読了しました。この手のタイトル本には、私を含めて島国の住人である日本人は弱い様です。

納得できる論点もありましたが、多様性国家の代表格である中国を儒教国家と単純に位置づけ、日本を感性主体の無宗教国家と位置づける拙速さが目立ち、結論的には性急で固定観念に満ちた漢民族から見た比較文化論だと思われます。

日中2000年の不理解-朝日新書(王敏 著)

小著は日本人・日本文化論の範疇に属するかも知れない。日本文化を感性文化と特色付けて輪郭だけを描くことに主眼をおいた。そして、この宿命的な感性文化のマイナスを克服して、日本は国際化を図らなければならない。
一向に未熟から抜け出られない愚考であることを正直に告白し、多くの方のご叱正とご教示を受けたいと願っている。


「日本は如何なる文化・宗教も受け入れるが、その過程で日本式に変容させてしまう」と喝破したことで知られていますのは、大正末期の芥川の小編「朱儒の言葉」ですが、それを念頭に散文的に敷衍させただけの様にみえて仕方がありません。

「キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々から見て、日本文化は完全に異文化である」と指摘するに至っては、漢民族を普遍的とした中華思想を発露した傲慢さが感じられるとしか言い様がありません。

山本七平氏がイザヤ・ペンダサンのペンネームで発表した「日本人とユダヤ人」と比べて、視点の低さは大きいものと感じざるを得ないものがあります。

曰く「互いに交われば相互理解が出来ると単純に考える日本人が余りに多い。お互いに肩を触れ合い話す機会は益々多くなり、日常的なことなる。だが、それが相互理解に通ずる等と絶対に安直に考えてはならない。もしそうなら、ユダヤ人はもう二千年も、西欧人と肩を触れ合って生きているのである。」

要は乱暴な国家論の観点から文化を論じるのでなく、また排他的宗教的見地でもなく、個人の主体性が真価を問われる時代に来ていると言うのが妥当な見方だと思っています。

その点からみると、この新書は旧態依然としていて、飽き足らないものがあります。

日曜日, 12月 10, 2006

山雲涛声(さんうんとうせい)−東山魁夷

「山雲涛声」は奥飛騨路天生峠の霧「山雲」、能登西海岸輪島近くにうち寄せる波「涛声」を主題にした唐招提寺御影堂障壁画の画題で、完成は1975年6月です。

平凡な風景を生命自体の輝きを宿すものと見たのは、実は戦争の為に絵を描くことはおろか、生きる望みを失ったその瞬間でありました。私は、その時の心が最も純粋であったと後に気が付いたのです。

近頃平和呆けした日本では考えられない戦争の悲惨さを体験した画家の東山魁夷氏は唐招提寺の障壁画完成記念講演で述べています。
企業社会が発展し経済第一に何の疑念も持たず、生きる哲学も無く、欲望の赴くままに他人を騙して迄も金に執着する拝金主義の現状に対する警告でもある様に思われます。

日本の美を求めて−講談社学術文庫(東山魁夷 著)

「山雲涛声」の画題は、この障壁画の着手の初めに、鑑真和上の伝記を読み、唐招提寺の性格を研究しました時、自然に浮かんで来たものです。
人は意志する所に行為がある、と言われます。しかし、自己を無にする場合に初めて自分の外から発する真実の声が聞こえるのです。
私はずっと以前から、自分は生きているのでは無く、生かされていると感じると言う考えの下に、今日まで自分の道を辿って来た様な気がします。
私は宗教心が薄いものですから、私が何によって生かされ、何によって歩かされているかは分かりません。しかしそう感ずることによって、地上に存在する全てのものと自己が同じ運命に繋がる、同じ根を持つ同根の存在であると感じたのです。
山の雲は雲自身の意志によって流れるのでは無く、又、波も波自身の意志によってその音を立てているので無い。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによっているのでは無いでしょうか?


1976年12月発行の僅か100ページ程の小さな本ですが、職業著作家では無い率直な表現が新鮮に感じられました。
掘り下げ方がもう少しあったらと思いますが、何故絵を描くのかが良く理解出来る珍しい書籍の一つかも知れません。

新聞は生き残れるか−岩波新書

近頃の種々の情報がインターネット、テレビ等で氾濫していますが、私にはその場限りのどうでも良いようなニュースが大半の様な気がします。
インターネットは能動的で自分で選択して見ることが出来るのですが、受動的なテレビ放送では何の意味もない芸能タレントの馬鹿ふざけ番組が多く、視聴者に笑いや雑学を提供はするのですが、真面目に「考えさせてくれる」番組は減ってしまい希有となって来ている様です。

一昨日の日記に新聞とテレビの関連を書きましたので、気になって本屋に行って関連のありそうな2003年4月発刊の岩波新書を購入して読んでみました。著者は朝日新聞で政治部員、論説委員に長年携わっていた人ですが読み進む内に、信頼できる情報提供の雄としての位置を占めている新聞が購読者数を減らして存亡の危機を迎えていると知り驚いてしまいました。
どの家庭でも配達される新聞を購読すると思ったのですが、若い世代を中心に新聞離れが進み、無読者層が増えていると言うことです。

新聞は生き残れるか−岩波新書(中馬清福 著)

新聞普及率というのがある。日刊紙を月決めで購読している世帯が総世帯の内にどの位あるか、その比率のことだ。1984年この普及率は97%だった。日本が世界に冠たる新聞王国であったことは良く知られていたが、それにしても大変な数字である。
ところが、中央調査社のマスメディア・リサーチ(MMR)によると、1991年まで何とか97%で推移していた普及率は、1992年から低下し始め1999年には94.6%になった。
特に若者がひどく、例えば世帯主が24才以下の世帯の普及率は、1984年90.4%あったものが1999年には53.4%迄急落した。15年間で37ポイントの下落だが、内33ポイントは最新10年間で落ちているから、新聞離れに加速がついている。
世帯主が25才から29才の世帯も、普及率は毎年低下し1999年には25%が新聞をとっていない。
このまま進めば2004年には、30〜34才世帯が75%、35〜39才世帯が87%に落ちると推測される。
30才迄の関心事項の順位は、事件、音楽、流行、おしゃれ・ファッション、スポーツ、旅行・レジャー、環境、飲食店、芸能・タレント、就職・アルバイト、と続き、経済は12位、政治は16位だ。1位の事件を除き、日本の一般紙が積極的で無かったテーマである。新聞が若者に敬遠される筈だ。こうした若者の反乱に大いに悩まざるを得ない。

あとがきで次の様に結んでいます。

インターネット系にしろ、テレビ番組にしろ、確かに情報は乱舞していますが、知的な情報となると、専門的分野は兎も角、一般的には満足出来る段階とは言えません。印刷媒体か電子媒体か、それはどちらでも良い。人々に「考えさせる喜び」を与える媒体づくりを急がないと、この国の知的状況は厄介なことになるのではないでしょうか。


どうも記者・編集者を経験している割に文章に迫力が無く魅力に欠けている様に思われ読みにくいのです。即刻読ませる新聞記事とじっくり読ませる書籍文では、文章表現が違うのでしょうか?
結局は読者ニーズに合わせた紙面作りを提唱している様ですが、それにしても全てのニーズに応えられる筈も無く、混迷に困り果てている現状に愚痴を述べている本なのかと消化不良を感じる読後感が残りました。

こんなことを日記に書く私自身もトレンディーな流行に乗り遅れている愚痴を言っているだけかも知れないと自戒に念も出て来て仕方ありません。

火曜日, 12月 05, 2006

岩波新書の歴史-深刻な出版不況の中で

深刻な出版不況の中で、売れ筋の新書版の巨人「岩波新書」新赤版が1000冊を超えたらしい。
1970年代迄の青版では「教養・向学」と言う観点から出版されていたのですが、新赤版では「ハウ・ツー」ものが多くなり、極めて通俗的になって来たと思っています。

岩波新書の歴史-岩波新書(鹿野政直 著)

岩波新書は、「新書」と言う体裁の出版物では元祖の位置を占め、その歴史は半世紀を越えた。それを総括すると、次の様になる。

赤版  1938~1946年    101冊
青版  1949~1977年   1000冊
黄版  1977~1987年    396冊
新赤版 1988~2006年   1008冊

日本現代史を専攻すると言う立場から、岩波新書と言う窓を通して戦中・戦後の思想史を眺めようとしたことになるかも知れない。こうした目標に向けて序章に「新書の誕生」を置き、1~4章は時期ごとの特徴づけを試みて、この本を構成した。


著者は、出版不況・読書離れについては、編集長レポートを引用し「現代の読者は、テレビ・メディアを中心として形成された圧倒的なメディア支配の下で、書物と言うものを処遇している」、そして「大量で画一された情報の社会的強制によって、もはや“自分の人生の行き着く先が分かってしまっている”との運命論的現実認識が、若者に読書離れをもたらせている」と分析していますが、将に正論で、「近頃のテレビ・メディアは安易なお仕着せエンタメ放送が殆んどを占め、自分で考えない様に目隠し誘導している」と思わざるを得ません。

「出版不況」とインターネット検索すると、次の様な記事がありましたが、読者だけで無く出版者もビジネス本位となり、使命感を失っている様です。

書籍・雑誌の販売総額は今や2兆5千億円と低迷し、街中の本屋がどんどん少なくなり、経営基盤が脆弱な出版社の破産も多いらしい。
金額だけが尺度かもしれないが、「本が危ない」のは何も売上げだけではない。出版界では柳の下にドジョウが30匹までいると言われる。編集者はベストセラーの追従が企画だと思い,類似書を本屋の店頭にうずたかく積み上げている。読者はベストセラーを図書館に予約して競って借りるが,数年後ブックオフなどの新古書店の店頭に1冊百円で並んでいても誰も手にとろうともしない。雑誌は読者ではなく広告主のために創刊され,広告収入に頼った雑誌が返品率を押し上げている。 既刊本が売れなければ勢い新刊依存になる。昨年の新刊は7万点に近づき過去最高となった。専門書にも売れ筋があり,売り上げ重視で,安易に寿命の短い新刊を作った自分の反省もある。つまり出版不況は売れないことだけが問題なのではない。類似の企画,雑な編集,安易な新雑誌の創刊。どれもこれも出版界の精神的不況の結果である。貧すれば鈍する。だから本が危ないのである。

土曜日, 11月 25, 2006

アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書

この本は半世紀以上にわたるアメリカの心象風景をまとめたもので、体験した原風景を基調にしながら、エッセイ風に書き綴りました。
私はブッシュ政権がイラク戦争を開始した直後、「アメリカよ!」と言う本を編纂し、末尾は「アメリカよ、美しく年をとれ」と言う短い一文で締めくくったので、それ以来同じタイトルで一冊にまとめてみようと考えていました。


アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書(猿谷 要 著)

こんな「あとがき」で終わっていますので、一般的なアメリカ礼賛書で、その過程で一寸苦言を呈する程度の本だろうと読み進めました。
しかし、「嘗てあれほど世界から愛され好かれていたのに、そのプラスの財産を使い果たし、マイナスのイメージが先行するようになってしまった」と言う如く、苦言と言うより批判の連続でした。

特に「レーガンからブッシュ親子へと引き継がれた共和党政治」への痛烈な批判は、長すぎる一党継続政権が国を腐らせてしまうのだとの主張でもあり、日本の長すぎる自民党政治体制と酷似するのではと、そんなことまで考えさせられてしまいます。

「西部開拓史」と言う表現は如何にも一方的で、アメリカ政府にとっては都合の良い表現で、今では私は「開拓」と言うより「侵略」とか「征服」と言った方が現実に近いと考えている。

悪名高い「マッカーシズム」、アメリカ人は自分たちの自由民主主義を基調とする資本主義より、共産主義社会の方がもっと平等観念が進んだ社会に見え、コンプレックスがあったのでは無いか?

黒人(アフリカ系アメリカ人)差別解消の「公民権法」、問題は解決されたのかと言うと決してそうでは無く、目に見える差別は見えなくなったが心理的な差別は消えていない。
厳然として人種別居住地域が区分けされ、日中は同じオフィスで働いても夜は別々の社会に戻っていくのだ。今まで労働組合等が黒人を中産階級に押し上げたが、今では失業率が高まり、夢も消えようとしている。


私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、重点を移行させるのが最善の方策であると信じる。世界の警察官を務める無益を悟り、自国内に未だ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。
そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。


この結言、意識的か否かは分かりませんが、アメリカに向けられているようで日本の現状に向けられているのでは、と考えてしまいます。

憲法改正論議から唐突に出て来た「核武装論」、美しい日本の名の下に推し進められる愛国教育推進、非正規社員の固定化構想、このような情勢では、文化力よりも経済力、経済力より軍事力、と最悪の方策が取られ始めていると感じざるを得ません。

火曜日, 11月 21, 2006

子供が減って何が悪いか?−リサーチ・リテラシーの勧め

都心に出掛ける電車の中で読もうと駅前の書店で購入した本でした。近頃年金改革で問題となって少子高齢化を論じた軽い読み物だと思っていたのです。
論点が重複したり、主張の展開方法が雑だと思われる所も見受けられますが、新書版にしては割合読み応えのあるものでした。特にリサーチ・リテラシー(Research Literacy)を発揮して、公表少子化データの誤りを指摘している所は迫力がありました。

結論的には、「少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず、年金制度設計は低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ」となるですが、従来公表されている「男女共同参画的な少子化対策が出生率は回復する」が夢想に過ぎないことを看破していること等は非常に興味がそそられることになりました。

子供が減って何が悪いか−筑摩新書(赤川学 著)

世に溢れる世論調査や統計的データの中には胡散臭いものが相当含まれている。そのようなデータ類を批判的に解読するリサーチ・リテラシー(Research Literacy)が提唱されている。リサーチ・リテラシーとは国や報道機関が公表したことなら事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階を超えて、データに対して疑いの目を向け、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目標としている実践教育である。

男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは、マスコミとか政府関係者とかの言説であって、いくらその層を支援しても晩婚・非婚の解消には繋がらないし、夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しか無い。


著者は社会学を専攻する大学助教授であり、少子化問題については素人であると告白していますが、その専門分野で使われるリサーチ・リテラシーを駆使して少子化問題についての公表データ・結論等が間違っていると指摘するのは小気味良いのです。
その為か、アンチ・フェミニズムの保守派と詰られて一般公表するのも躊躇したらしいのですが、一石を投じる意義はあると出版に踏み切った経緯もあとがきに述べられています。

この手の本は往々にして予見を持って読まれることが多いのですが、この本は虚心坦懐に読むことが求められそうです。
著者の言うリサーチ・リテラシーの立場からすれば、この本自体を批判的に読むことも許されるのでしょうし、又逆に、無批判に受け入れること無く読み進めば多くの論点において一読に値する内容を備えた本だと思われました。

火曜日, 11月 07, 2006

「中国・アジア・日本」-書評をAmazonに投稿

近頃、中国は「北朝鮮核開発問題」6者協議の議長国として存在感を増し、米国からも「共通利害関係者(Stakeholder)」として謝意を受ける程となっているのは4千年歴史の重みでしょうか。又、ASEAN諸国の経済共同体構築外交、アフリカ諸国への資源獲得外交と「アジア盟主」を自認しての外交攻勢が続いています。

一方、日本では「日米同盟一色で良い」との硬直した政府方針が国是となりつつあり、アジアの中で孤立してしまうのでは無いかと懸念を覚えつつあります。100年以上も前に「アジアは一つ」と日本のあるべき姿を論じた岡倉天心の精神は何処に消えてしまったのでしょうか?

「中国・アジア・日本」-筑摩新書(天児 慧 著)

中国には世界最古の文明国としての誇りがありながら、近代においては戦争で日本に痛めつけられたと言う大きな屈辱は今も疼いている。
日本は明治維新以来アジアで近代化を成功させた唯一の国として、又第二次世界大戦後奇跡の復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったと言う誇りがある。
双方とも相手に対する強い対抗心が盛り上がっている。台頭中国はまだ続き、「失われた10年」を乗り切った日本も元気を取り戻している。したがって、日中両雄がライバル意識を強めているのも無理からぬことであろう。

日中がそれぞれ発展し、繁栄して行く為には、既にお互いが必要な存在になっている現実を認識することであり、その障害となっている相互信頼意識の欠如を解消することが急務である。そうすれば、大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる。


現状分析については傾聴に値するものがありますが、結論は極めて楽観的に過ぎ、注意して付き合うべきだと警戒心の欠如が気にかかる所です。やはり実務に疎い評論家の宿命かも知れません。

そこで、Amazonに投稿した書評は次の様になりました。

江沢民政権の反日愛国教育を受けた世代が次の政権を握ることは間違い無いし、そうした思想は如何に取り繕うが変わることは無さそうに思える。
本書では「両雄並び立たず」の確執を超克し、相互に安定的で協力し合う関係を創造することが、問題解決の要点としているが、反日DNA世代に対しての警戒心への対応が薄弱。
「大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる」と論じているのだが、相互信頼が確立されて初めて生きて来る論理で、時期尚早と見る。
現代中国は、民主化以前の共産党独裁政権、胡錦濤政権で是正されつつあるが、その変貌の様子を見つつ付き合うのが必要と考えるのが妥当。
共産党独裁政権へ好意的であるのは、専攻が「中国政治、アジア現代史」と言うことで、実務に疎い大学教授としての限界を示している様な感がある。

金曜日, 10月 20, 2006

超高輝度LED懐中電灯-F3級LED

此処10年程愛用して来たハロゲン懐中電灯Magliteより、高輝度で超寿命と言われています超高輝度LED懐中電灯を購入して来ました。

製品のメーカは“GENTOS”と言い中国製ですが、核心部品の超高輝度LEDはアメリカ製ですので不安は感じませんでした。近年、超高輝度LEDの開発が急速に進められている様で、店頭でもF1級、F3級、F5級の三種類が展示販売されていました。
LEDの寿命は10万時間と言われていますので、従来の様に電球の交換をする必要が無いのが最大の特色です。
F1級は高輝度LEDより12倍明るいもので約3000円、F3級は輝度30倍で6000円、F5級は50倍で9000円となっていましたので、中庸を選べば不満は無かろうと思いF3級を選択しましたが、一寸間違ったかも知れません。

開梱してみますと使用電池は通常の単3電池でなくリチウム電池でした。
同梱されていたリチウム電池を入れスウィッチオンして見ますと、猛烈に明るいと言うより明る過ぎるのです。
パッケージ裏側をよく見ましたら、小さな字で注意書きが次の様に表示されています。

「明るさは従来の高輝度LEDの約30倍、普及型LEDに比べると90倍に達する為、目に大変危険です。光源への直視、動物への照射は絶対にお止め下さい」

これでは、暗い屋内での機械装置・電気機器を調査するには良いのですが、野外・屋外での使用には適しませんし、凶器にもなりかねません。
従来のハロゲン懐中電灯Magliteは目を傷める程の輝度はありませんので、野外・屋外では使い続ける必要がありそうです。

プロ用でもF1級で十分だった気がしていますが、購入したF3級LEDライト、仕方がありませんので、注意書きに準じて用途別(装置調査LEDライト、その他一般Maglite)に使い分けることにしようと思います。
広く使える買い物をしようとしたのですが、「過ぎたるは及ばざるが如し」とオーバースペック気味で失敗だったかも知れません!

超高輝度白色LEDについては、インターネット検索しますと次の様に紹介されています。

超高輝度白色LEDは熱効率が高く且長寿命(10万時間)なので、次世代の照明システムとして有望視されている。この開発の成果として、液晶テレビのバックライトとしても使われるようになって来ている。

従来液晶画面のバックライトには蛍光灯に似た冷陰極管が使われ、その寿命は約1万~5万時間、メーカーが公称する寿命時間は、製品出荷時の最も明るい状態で使い続けて、明るさが半分になった状態までの時間です。ユーザーによっては、少し暗めで使用していれば、寿命はさらに伸びます。ただし、冷陰極管は家庭で使われる蛍光灯と同様、オン・オフを繰り返すことで管の内部が黒くなり、暗くなることがあります。こうなると、規定の寿命時間までは持たなくなります。


超高輝度白色LEDをノートパソコンに適用することで、綺麗で明るい画像を得ると同時に電池消耗量が減りますので、技術的には良いようです。
しかしながら、現在の販売価格では高すぎ適用不能で、現在の普及型LED相当まで価格が下がることを期待します。