水曜日, 4月 28, 2010

高速増殖炉もんじゅ運転再開

私が「もんじゅ」を見学したのは、1995年秋の定期点検中でした。
1991年試運転を開始し、高速増殖炉は、本来は核燃料にならないウラン238をプルトニウムに変化させ、理論上は使った以上の燃料を生み出せることから、「夢の原子炉」とも呼ばれ、国も原子力政策の柱として開発を推進していた頃でした。
定期点検を終えて、運転再開しましたが、直後の1995年12月にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止したのでしたから驚きでした。

「もんじゅ」原子炉の冷却媒体に金属ナトリウムを使っているのは気にしていたのですが、旧来の水銀では熱伝達率が不足している事情から仕方の無い技術的理由があると納得していたのです。金属ナトリウムは常温では固体で、常に加熱して液体状態を保たなければなりませんし、また空気中では不安定で、水分を含む湿気で発火する弱点があるのでした。
適正な加熱状態を検知する熱電対管の後流にカルマン渦が発生し、その自励振動で熱電対管根元に亀裂が入り、其処から金属ナトリウムが漏れ出して火災を起こしたのが事故の原因だったのでした。
カルマン渦は自然現象でも日常的に見られ、風の強いに電線が振動して風切音が聞こえるもので、電線が切れる事故は無いのですから、設計余裕があれば事故を防げるのです。

高速増殖炉はフランス、ロシア、中国、インド等が開発を進めている「夢の原子炉」ですから、技術的ブレークスルーで難局を突破して頂きたいものです。

日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」について、内閣府の原子力安全委員会は、「運転再開は妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の評価結果を了承した。運転再開に関する国の手続きは終了し、原子力機構は地元の福井県と敦賀市に安全協定に基づく事前協議を申し入れ、運転再開は経済産業省原子力安全・保安院の立ち入り検査を経て、5月の大型連休明けになる見通し。
14年5ヶ月ぶりとなる「もんじゅ」の再開で、運転しながら核燃料を増やせる“夢の原子炉”の高速増殖炉開発が再び動き出すことになった。
もんじゅは、実験炉の次の段階の「原型炉」にあたる。


建設費は当初予算約5,900億円でしたが、事故後処置も含めて、掛かった総予算としては約1兆6000億円とされていて、仕様は下記の通りです。

原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器

土曜日, 4月 24, 2010

ぼんやりの時間-辰濃和男(岩波新書)

筆者は1975~1988年に亘って、朝日新聞の「天声人語」を担当していた経歴を持っていることから、エスプリの利いた筆致で「近代化を見なおそう」と主張します。
ぼんやり


無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。
近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。
しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。
この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。


批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。
その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。

現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。
ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。
しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。
ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。


私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。
「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。

火曜日, 10月 20, 2009

海潮音-岩波文庫

この文庫本は、周囲が褐色に変色しています。発行年月は1970年ですから無理も無いのでしょう!
海潮音

その中で、アホウドリを題材にした、ボードレールの「信天翁(をきのたいふ)」が眼に止まりました。

波路遙けき徒然の慰草(なみさみぐさ)と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ、
楫(かじ)の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな、
沖津潮騒すべりゆく舷近くむれ集ふ。

たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止の極なる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。

天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き痩姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、
煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行の空に憧るゝ。

雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男(さつお)の弓をあざみしも、
地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。


七五調になっていて、日本語として響きが良いものですが、古い文語調でもあり、フリ仮名が添えてありませんと読み易くはありません。

「海潮音」は上田敏が雑誌帝国文学や明星上で発表したイタリア・イギリス・ドイツ・フランス・プロヴァンスといった翻訳した海外詩を1905年に 取り纏めたもので、新潮文庫や「上田敏全訳詩集」岩波文庫(山内義雄・矢野峰人編)、初版復刻版「海潮音」もある。

特に当時文壇の注目を集めていたフランス象徴主義に代表される詩人の作品を、象徴詩として紹介している点で有名であり、日本の象徴詩の隆盛の一端を担った。
カール・ブッセの作品「Pipa Passe」を翻訳した「山のあなた」や、ポール・ヴェルレーヌの「Chanson d'Automne」の翻訳「落葉」は国語の教科書で採用されている。

日曜日, 8月 16, 2009

佐々木毅の「政治の精神」-岩波新書1189

今を時めく21世紀臨調共同代表である佐々木毅氏、元東大総長の肩書もあり、総選挙間近い時期、時宜を得たものとも思えますが、別の見方をすれば、一寸時流に阿り過ぎた不満もあります。

著者は次の様に主張していますが、どんなものでしょうか?

マニフェスト(政権公約)をツールとした政党政治改革提案は、余りにも肥大化した密教部分を可能な限り押さえ込み、顕教型体制の正当性を復活することによって、政治的統合機能を回復させるという基本構想に沿ったものである。言い換えれば、戦後自民党が作り上げて来た仕組みはもはや維持できないし、維持すべきでないと言うことである。
政党間の競争と選択の内実を政権公約をツールとして質的に向上させることである。個々の問題を一つ一つ潰していくよりも、大きく全体を動かすことが肝要である。全体が動けば、一つ一つの厄介な問題も解決の目途が立つ。漫然となんとかなると言った感覚から脱出して、選挙に対する政党の態度や取り組みを冷静に判断する有権者の存在が、この質的向上には不可欠である。総選挙は「政党政治の精神」の最大のテストの場であり、政権公約はその中の不可欠な装置であると言うのが私の主張である。


著者は、政治制度並びに体制理解を是とし、その制度並びに体制がもたらす処の脆弱でない政治的統合に於ける政治が肯定されると考えるのである。そこに民主主義の理念よりして問題あるものが出来したとしても、それが政治的統合の強さもたらすものであるならば、積極的に肯定される意義を有すると考えてしまうのだ。

東大政治学の権威で総長であった人物が、その重責・権威の欠片も無く、あまりに時流に阿る曲学阿世の徒ではないかと思わざるを得ません。東大政治学も説得力を持たなくなりました。

金曜日, 5月 15, 2009

ビジネス・インサイト-岩波新書

超優良企業であった自動車企業、電機総合企業各社が大幅赤字に陥って、失業者が町に溢れて不況の只中にいて出口が見えません。
政府の経済活性化対策が不況克服の糸口になればと願うのですが、官僚主導の「靴の上から掻くような施策」ばかりで、どうも納得出来そうもありません。
デパート業界に至っては、前年割れの状態が何年も続き、再生の道筋は無いのでは思われる程で、消費者離れ対策が欠落しているのではと思うばかりです。
官民揃って何れも、昔のサクセスストーリに縋った洞察力不足(Lack of Insight)と言うか、経営陣の不徳の致す処では無いかと懸念するばかりです。

そんな折、「経営者を跳ばなければならない」をキャプションとした、インタラクティブ指向を説く下記の書籍が参考となりました。

ビジネス・インサイト-岩波新書1183(石井淳蔵 著)

与えられた状況下でやるべきことを仮説、それを現実で確かめる検証、そうして経営指針を立てて実行する。それを繰り返すことで、経営の質が改善させる実証型経営を駆動するのはマネジメントの力である。現代資本主義を成り立たせる力であり、大企業を支える最も重要な力であるが、これは「強み伝いの経営」で激動する世情では破綻する。
経営者は将来の事業についての洞察するインサイト、即ちビジネス・インサイトを保持し、跳ばなければ破綻は免れ得ない。
そうした見方は、これまでの経営学の論理実証主義に対して異なった立場であることを自覚して、学んだり研究したりする技法、特にケース教育とケース・リサーチについても検討したい。


そして、次の様なパラダイム・チェンジを提案するのですが、これは啓蒙型マーケティングに取りつかれた現経営陣の総入れ替えがなければその実現は叶いそうに無いと思われてなりません。

製品(Product)、価格(Price)、販売(Promotion)、流通(Place)の4P分析を駆使し、開発物や企画のコンセプトを、消費者に強く絶えず打ち込んで行く啓蒙型マーケティングは、なかなか通用しなくなっている。
これからの企業は「顧客との共同制作物を造る」と言う感覚が重要で、両者が相互依存し、影響し合う一つのシステムとして認識する姿勢が大事だと思われる。

市場も技術も資源そして企業自体も、戦術判断の拠り所にならない世界、謂わば底が抜けた世界では「共同の意思」こそが、唯一残された判断の拠り所になるのだろう。

金曜日, 4月 24, 2009

新約聖書の世界-ギリシャ・ローマの盛衰

ギリシャ・ローマの盛衰-講談社学術文庫(村川堅太郎他 著)

この文庫本は読み応えのあるものですが、その10章は「新約聖書の世界」となっていて、キリスト教の本質を理解するのに手助けとなる様な気がします。

ユダヤ人で無い者には、イエスと言う人が神の子キリストであると言うことは、とても「本当にそうだ(アーメン)」と言う訳にはいかないものである。しかしこの甚だ奇異な、しかも不確かに見える命題を、敢えて将に確かなものと前提する処に、一つの「生き方」が成り立つ。それは目に見えない絶対者への信頼と隣人との爽やかな交わりに生きようとするものである。
パウロは言う「十字架につけられたキリストはユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召されたもの自身にとっては、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、神の力、神の知恵であるキリストなのである」(コリント人への手紙第一)。


正典とされる「旧約聖書」と「新約聖書」の位置づけにおいても、分かりやすく解説されています。

4つの福音書とパウロの書簡とその他の文書が教典として結集される様になったのは、2世紀後半で、それらは相寄って、イエスによって確立した「新しい契約」を伝えるものであった。この新しい契約は、ユダヤ人に与えられた契約を「旧い契約」としてしまうものであったが、旧い契約に示された神の義が新しく示された神の愛の前提であり、その関係から両者を「聖書」とするのがキリスト教者の態度である。
新約聖書が現在の形で正典となったのは4世紀末であった。


1993年第1刷発行ですので、アマゾン書籍でもインターネット検索されないのですが、読んで頂きたい1冊だと思われました。

月曜日, 4月 20, 2009

地下鉄に乗って-浅田次郎

こんな描写があり、小中高校と子供時代に徘徊した地域でしたので、気をそそられました。

いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・

中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。

浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。

ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。
そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。

但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。
「覆水盆に返らず」とも言われ、既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。

火曜日, 4月 07, 2009

堕落するマスコミへの警鐘-ジャーナリズムの可能性

若者を中心に活字離れが加速し、出版不況のみならず、新聞離れも昂じて来ていますし、安易なテレビ視聴に替わって来て久しいものがあります。
テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。

ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)

既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。

自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。
権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。


既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。

ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。

その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。

日曜日, 2月 15, 2009

第2世代バイオ燃料-バイオディーゼル(BTL, BHD)

植物が原料の「バイオ燃料」は、燃焼時に排出されるCO2量が植物の成長する際に吸収したCO2量と等しいことから、「カーボン・ニュートラル」とみなされ、CO2排出はゼロと見なされる燃料なのですが、現状の「バイオ燃料」はトウモロコシや大豆等の食料を原材料とすることから、穀物相場高騰をもたらしたと言う批判も大きなものとなっています。

そこで、食用では無い植物や藻から作る「第2世代バイオ燃料」が注目されています。原料は非食物系の植物「カメリナ」「ジャトロファ」など3種類、これまでは種を搾って油を採りランプ油などに使われて来たことで、食物と競合しないのが利点とされ、しかも、乾燥してやせた土地や高地でも育ち、代替燃料として期待されている様です。

第1世代バイオエタノールとは違って、植物油そのものですから、粘度も高いことからガソリン代替とはならず、ディーゼル油仕様となりますが、化石油代替としては十分です。

フォルクスワーゲン社とダイムラー社は、第2世代バイオ燃料メーカー独コレーン社(CHOREN)に出資、BTL(Biomass To Liquid=バイオマス・トゥー・リキッド)燃料の普及を目的とする。
BTL燃料は植物から生成される液体燃料で、3社は既に2002年から、BTL研究開発を行っている。コレーン社はフライブルグにBTL工場を建設、1万5000トンのBTLを生産するが、これは1万5000台の車が1年間に使用するBTL量に相当する。又、同社は生産能力20万トンの工場を建設する計画も進めている。


日本でバイオディーゼルとされるのは、第一世代のFAME(Fatty Acid Methyl Ester:脂肪酸メチルエステル)、廃食油(天ぷら油など)を回収し、メタノールを加えてエステル化したもので、試験的にバス等の運行に利用されている。植物油のリサイクル利用と言う面では良いのだが、酸化安定性や重合安定性の問題が指摘され、不純物問題もある。

第二世代バイオディーゼルは、BHD:バイオ原料油の水素化処理油(Bio Hydrofined Diesel)と呼ばれ、植物油、廃食用油および獣脂を原料とし、石油精製プラントで水素化精製して作る。FAMEとは異なり軽油に近い組成となり、実用化ハードルは小さいが、原料調達の仕組みをどう作り上げるかが最大の課題となるようだ。

数年来、次世代エネルギーの主役として、水素や燃料電池が脚光を浴びていますが技術的ブレークスルーも経済的な価格面からもハードルも高く、最近では実用化でのハードルの低いバイオ燃料がニュースで取り上げられることになった様に思われます。

木曜日, 2月 12, 2009

白熱電球と置き換え可能な電球型LEDランプ

電球形蛍光灯が従来の白熱電球に比べ、寿命約6倍、電気代・CO2約1/4とされることから、東芝ネオボールZリアルに交換しましたのは1ヶ月前のことでした。価格は800円強と白熱電球の10倍でしたが、寿命6倍で経費的にほぼ同じだと思ったのです。

ところが、昨日テレビニュースで「LED電球が発売間近」と報じていましたので注目し、インターネットで調べてみました。

東芝ライテックは「E-CORE LED電球」シリーズの新製品「一般電球形4.3W」を発表した。発売は2009年3月18日で、価格は10,500円。
消費電力は4.3Wで、一般的な白熱電球の20-30W型に相当し、白熱電球とほぼ同じサイズを持つLED電球で、既存の白熱電球ソケットに差し替えて使用することが可能だ。

一般的な白熱電球では全方向に光が出るのに対し、同製品では上側にしか光が出ないため、ランプ全体としては20-30W相当の明るさだが、器具に取り付けて照明として使用する場合、下方向に向かう光の量は40W型の白熱電球に相当する。

また、一般電球形4.3Wでは、密閉形の照明器具への取りつけも可能となった。従来、発熱の問題から、電球型LEDは密閉形の器具へは使用できなかったのだが、大型の放熱フィンでこの問題をクリアしており、より広い範囲で使用することが可能になった。LED電球は、電球形蛍光灯が苦手とする、寒い場所や、繰り返しの点灯に強いというメリットもある。

一般電球形4.3Wの定格寿命は4万時間で、白熱電球の40倍となる。価格は白熱電球40個分よりも高い。しかし、4万時間分の電気代では、一般電球型4.3Wの方が2万7,000円程度節約できると言う。


電球型蛍光灯の明るさ比4倍・寿命比6倍であるのに比べ、LED式電球の方は明るさ比8~9倍・寿命比40倍と各段に改善されていることが分かりましたが、販売価格が100倍程度に高いのには驚くばかりで、普及するには時期尚早と判断しました。

又、私の技術的認識では「LED電球は発熱せずに高効率」と言うイメージがありましたので、「発熱問題を放熱フィンで解決」と報じているのも意外でした。
「確認せずに持っている先入観は、あやふやで危険なことなのだ」と、改めて自戒させて頂きました。

水曜日, 1月 28, 2009

家紋を探る-平凡社新書(森本景一 著)

近頃は冠婚葬祭も洋風になり、家紋入りの和服を着る機会も殆ど無いことから、自分の家紋も知らない人が激増しているだと思われます。
未だ墓石の多くには家紋が彫られている現状ですが、家より自分の想いを墓石に刻む例も増えて来ていますので、家紋の将来は風前の灯と言ったところでしょうか?

各家に代々伝わるとされる家紋は、平安時代後期に貴族が装飾的目的で使用し始め、鎌倉時代に武家が敵味方を判別する必要性から広まり、江戸時代に庶民が「家を表す」意味で使うに至って、数および絵柄が著しく増え、現在では2万5000種以上となるそうです。

家紋と言うものは、先祖から受け継がれることに価値があるものですから、出来るだけ探してみるのが良いのです。「家紋を探る」ことは家の伝統を探ることそのもの、此処に家紋を持つロマンが感じられます。
しかし手を尽くしても見つからない時は、新しく作ってしまうのも一つの手で、自分の好きな植物・動物や器具、星座や干支でも良く、自分に纏わるもので自由に作ってしまうことも出来るのです。

外国の紋章が動物をモチーフにしたものが多いのに対し、日本では植物紋が目を引きます。これは日本人が農耕民族だからで、野山に咲く花を愛し、雑草でさえも美しく紋章化してしまう日本人の美意識には脱帽です。


2時間程で気軽に読了してしまえるのは、著者が厳格な家紋専門家でなく、染色補正の職人として家紋を補正している内に、洗練されたデザインに引き込まれた結果の感動が、文章に籠められているからなのかも知れません。

木曜日, 1月 15, 2009

ヘーゲル法哲学批判序説-城塚登のマルクス解説

ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説-マルクス著 城塚登訳

この本はマルクスの「既存の一切に対する仮借の無い批判」として出版されたものですが、文章が仮借なく晦渋で読みにくいことから、読み続けるには相当の忍耐力が必要とされますが、あとがきに該当する 30ページを超える城塚登氏の訳者解説が秀逸です。

マルクスはユダヤ人であるが、「ユダヤ教の現世的基礎が私利私欲にあること、彼等の世俗的な神が貨幣であることを確認した上で、実際的欲望、利己主義が実は市民社会の原理である」とし、「貨幣はあらゆる神を貶め、それらを商品に変える。この疎遠な貨幣の存在が人間を支配し、人間はそれを崇拝するのである」と喝破するのである。

青年ヘーゲル学派(Jung Hegeliana)として活躍しつつ、やがてヘーゲル法哲学を批判することとなります。

ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが、民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。宗教が人間を創るのでは無く、人間が宗教を創るのであったように、体制が国民を創るのでは無く、国民が体制を創るのである。

この若い時代に、既に官僚主義の弊害に論述しているのは注目に値します。

ヘーゲルは「官僚には、国家の意識および卓越した教養が存在し、合法性と知性とについて国家の基柱をなす」とするが、官僚制の普遍的精神は、内部の位階秩序によって外に向かっては閉鎖的な職業団体と言う性格を持ち保護されている。それ故、公開的な国家精神も国家心情も、官僚にとっては、その組織への裏切りの様に思われる。個々の官吏について言えば、国家目的は彼の私的目的、より高い地位への狂奔、立身出世に転化しているのである。

彼の思考した共産主義は、低開発国のロシアで実現、その後国際共産主義として中国等にも波及するのですが、全ての地で「国家主体とする官僚独占体制」で硬直化、腐敗が蔓延して瓦解することになるのです。
結局、「民主主義と公開的国家精神」を保持する現在の先進国群の方が、彼の意図した共産主義社会に近いのではと思えてなりません。

土曜日, 12月 13, 2008

自負と偏見のイギリス文化-J・オースティンの世界

イギリスではオースティンの作品は「イギリス的ユーモア」があることで、200年に亘って人気があり、学校の教科書にも採用されているとのことです。尤も「学校で読まされる、上品で面白みの無い作家」との範疇になるのだそうですが・・
しかし、1980年代にテレビドラマ化されると共に、魅力再発見となり、空前のオースティン・ブームが続いているとも言うのですが、実感は湧きません。

自負と偏見のイギリス文化(J・オースティンの世界)-岩波新書1149(新井潤美 著)

ジェイン・オースティンは1775年生まれ、6点の小説を出版し1817年にアディソン病と言う難病に冒されて亡くなった女性作家。その頃は摂政(Regency)時代で、寛容でダイナミックな雰囲気に溢れ、自由な社会であった様です。

イギリスでは未だ階級制度が厳然として残っているのですが、彼女は貴族階級でも無く、庶民でもない「ジェントリー」と呼ばれる階級(現在ではアッパー・ミドル・クラス)に属していて、その階級内でのゴシック小説へのパロディ作品を書き続けたのです。
ゴシック小説とは、恋愛・結婚をテーマとし、ヒーローとめでたく結ばれる前に、必ず悪党にさらわれ、何処かに幽閉されて、様々な危険を経て、ヒーローに助けられてハッピーエンドとなる小説を言うのですから現実味の無いもので、ジェイン・オースティンのパロディは時宜を得たものであったのでしょう。

現在、再発見されたジェイン・オースティンを熱狂的に支持する人達は、「ジェイトナイト」(ジェインをもじった言葉で、日本語で言えばジェイン・オタクだろうか?)と呼ばれ、高学歴で、洗練されており、特別な感性を持つと自認する人々であるらしい。

著者の新井潤美(あらい えみ)女史もイギリス生活を経て、「ジェイトナイト」を自認している様ですが、オタクの通例として主観的な自己陶酔が過ぎて、客観的な意味で「ゲーテ、セルバンテスと並び、シェイクスピア、モリエールの様な深み、繊細さを持って人物を描ける作家」とも言われるジェイン・オースティンの良さが伝わって来ません。

木曜日, 12月 11, 2008

銀河系中心のブラックホール

欧州南天天文台が提供したと言う画像を見てもブラックホールが存在しているとも思えませんが、16年に亘る恒星の動きを追跡研究したデータを処理した結果の結論らしく、格段に進歩したデータ処理技術の成果と考えられます。

Black Hole

近赤外線で観測した銀河系の中心部。見えない超巨大ブラックホールがあり、周囲の星の動きを長期観測した結果、質量は太陽の約400万倍と分かった。ブラックホールの解明が進むと期待される。

これだけでは良く分かりませんので、インターネット英文版を覗いてみますと、次の様に記載されていました。

The 16-year study involved tracking the movement of 28 stars at the center of the Milky Way using telescopes at the European Southern Observatory in Chile.
Using the data collected, astronomers were able to calculate important properties about the black hole -- called Sagittarius A* -- such as its size and mass.
欧州南天天文台チリ観測所に於いて、16年に亘って銀河系中心部にある28恒星の動きを追跡研究して来た。蓄積されたデータを解析し、「サジタリアスA」と呼ばれるブラックホールの大きさ・質量等の重要な特性を計算出来ることとなった。

Professor Reinhard Genzel, who led the study at the Bavaria-based Max-Planck Institute for Extraterrestrial Physics, said the data collected proved the existence of the black hole "beyond any reasonable doubt."
ドイツのマックス・プランク研究所での地球外物理学を主導する、ラインハルト・ゲンツェル教授は「集められたデータは、如何なる疑念も無く、ブラックホールの存在を証明した」と述べた。

"Undoubtedly the most spectacular aspect of our long term study is that it has delivered what is now considered to be the best empirical evidence that super-massive black holes do really exist," said Genzel. The black hole had a central mass concentration of four million solar masses, he added.
ゲンツェル教授は「超巨大なブラックホールが存在すると言うことが、最善の帰納的な証拠として考えられる」、又「その質量は太陽の400万倍」と付け加えた。

The study also enabled astronomers to calculate the distance of the earth from the center of the galaxy, now measured to be 27,000 light-years, and enhanced by six times the accuracy to which they were able to measure the positions of stars -- the equivalent of seeing a one euro coin from a distance of 10,000 kilometers.
この研究で、地球から銀河系中心部までの距離は2万7000光年と計算することを可能とし、その精度は1万km先から1ユーロコインを見極める程度に達している。

ブラックホールをウィキペディアで調べますと、下記解説がありました。

現在、ブラックホール自体を直接観測することはまだ成功していないが、周囲の物質の運動やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すX線や宇宙ジェットから、その存在が信じられている。
銀河の中心には、太陽質量の10*E6~10*E10倍程度の巨大ブラックホール (super-massive black hole) が存在すると考えられており、超新星爆発後は、太陽質量の10倍~50倍のブラックホールが形成すると考えられている。最近、両者の中間の領域(太陽質量の10*E3程度)のブラックホールの存在をうかがわせる観測結果も報告されており、中間質量ブラックホール (intermediate mass black hole; IMBH) と呼ばれている。


今回計算確認されたブラックホールは太陽換算10*E6倍質量ですから、将に探し続けていた巨大ブラックホールなのでしょうか?

火曜日, 12月 09, 2008

写真版 東京大空襲の記録-新潮社


著者である早乙女勝元氏は岩波新書版「東京大空襲」のベストセラーを出したことで知られていますし、ご存じの方も多いと思います。

唯、この本では記載文よりも掲載された写真が圧倒的に事実を知らせていると思いますので、その写真家のことを「あとがき解説」で松浦総三氏が紹介して興味深いので転載いたします。

石川光陽氏は警視庁のカメラマンで上司の命令で東京空襲や戦災の写真を撮った人である。戦中は報道管制は厳重を極め、戦災地をカメラを持って歩いただけで逮捕された。そんな中で職務で撮った石川さんの写真は極めて貴重であった。この写真は、戦後占領軍の知る所となりGHQは提出命令を出した。石川さんはこの命令を拒否した剛直の士である。この写真の迫力は、第二次世界大戦の中でも類を見ないものである。これらの写真が、戦争の悲惨さを、戦争を知らない世代に知らせる大きな武器となり、空襲・戦災記録運動に大変役立ったことは言うまでもない。

東京大空襲は、大型爆撃機による無差別の都市爆撃であり、皆殺し作戦である。その1回目はナチスによるゲルニカ爆撃であり、その後日本軍による重慶爆撃、連合軍によるハンブルク爆撃、米軍による東京空襲、広島・長崎原爆投下と続きました。
大戦後になっても、朝鮮戦争ナパーム弾攻撃、ベトナム戦争枯れ葉作戦とエスカレートして行くばかりです。
私は、原爆投下、東京空襲の様なことが2度と起こってはならないと思い、その為には皇軍に虐殺された南京市民と、連帯の手を握りたいと考えている。(1987年6月)


2001年の同時多発テロ事件に続く、アフガン戦争、今回のイラク戦争でも劣化ウラン弾、バンカーバスター、デイジーカッター等の殺戮兵器などが使用されました。

米政府の報道管制が徹底しているのか今の所被害状況が明らかになっていませんが、ベトナム戦争の悲惨さが戦後暫く経って明らかになったと同様に、後遺症も含めて将来公開されることがあるだろうと思っています。

月曜日, 12月 08, 2008

量子暗号通信システム(Quantum Cryptography)

第2回国際量子暗号会議(Quantum Cryptography 2008)が2008年12月1~2日に開催され、NHKBS1英語ニュースで報道されていました。

量子力学の基本原理とされる「ハイゼンベルグの不確定性原理」を利用する技術と言うから驚きです。
「ハイゼンベルグ(Heisenberg)の不確定性原理(Uncertainty Principle)」とは「或る素粒子物質の二つの状態量は同時には正確な測定は出来ず、誤差は避けようが無い」と言う原理で、敷衍すると「量子の或る状態を測定すると量子は必ず別の状態に変化する」と言うことになります。
20世紀物理学の巨星アインシュタイン(Einstein)は、「決まってはいるが人間に分からないだけ、神はサイコロを振らない」と反論し、忌み嫌った理論でもありました。

公開鍵暗号方式は不特定多数の相手と暗号通信を行える技術として普及している。しかし、計算量によって暗号鍵が保証されるパラダイムであり、高性能コンピュータの進歩によっては安全性が崩される可能性もある。
絶対に安全な暗号化技術として「量子暗号」と呼ばれる技術が研究されている。それは「ハイゼンベルグの不確定性原理」に基づいて盗聴の有無を必ず確認することで暗号鍵の安全性が保証される。即ち、量子データ通信中にそのデータを盗み見ようとすると、その量子の状態が変化するためデータが盗聴されたかを認識できる仕組みだ。
一般的な光通信では沢山の光子をまとめて「0」か「1」の情報を符号化させるが、量子通信では光子1個に「0」か「1」の情報を与えるため、光子の変化が厳密に判断できる。

87km長距離通信に成功する等、完成度は高く、光ファイバを活用することが可能。現代暗号と組み合わせたシステムを構築したことにより、実際に製品として納入することも可能だと言う。


しかし、量子暗号通信は通信速度が非常に遅く7.2bpsにしか達しない等、課題克服とはなっていません。
兎に角、素粒子物理学でしか利用出来ないと思われた「ハイゼンベルグの不確定性原理」の工学への適用と言うその進歩には目を見張るものがありますが、通信技術の中核として光子と言う素粒子を問題にするですから、これは必然の方向だったのでしょうか?

木曜日, 10月 16, 2008

ITPro Expo-分散型PC環境は中央集権に回帰してアウトソーシング化?


昨日、東京ビッグサイトで行われているITPro Expo 2008 Autumnに行って来ました。

大きなテーマは「クラウド(Cloud)・コンピューティング」「クリーン(Clean)IT」「仮想化(Virtualization)技術」となっていた様でした。
1970年代の汎用コンピュータによる企業情報管理から、1980年代のPC性能の格段的進歩によって発展した分散型情報管理方式が、増大する一方のIT経費・セキュリティ問題等を解決すべく、ネット環境の発達と共に変わろうとしている様でした。

特に、クラウド・コンピューティングの市場はいま急速に拡大しようとしていると言うことでした。

第1にセキュアな通信環境整備で強化されたネットワークの上で、サーバーなどのハードウエアをユーティリティとして活用する企業も増加。
 ITの保有ではなく利用。自社開発の場合はシステムが稼働するまでに相当の時間と大きな初期コストが発生し、固定資産になるが、クラウド・コンピューティングであれば外部サービスを組み合わせて使え、初期投資を抑えつつ迅速に導入することが出来る。
第2にSAPやオラクル、マイクロソフトといった大手ITプロバイダーも取り組み強化を表明していて、選択肢が豊富。
 クラウドから調達したソフトウエアやサービスを社内の既存システムと連携させて企業システムを構築することも出来、多様な組み合わせが可能になる。ユーザーに対してより多様なサービスを提供することができるようになる。
第3にユーザーのニーズで、コスト削減とスピードアップ要求に対応。
 オフィスツールやコラボレーション環境などの領域では、容易にクラウド・コンピューティングを導入出来る。最も難易度が高いのは,企業固有の業務が大きな割合を占めているCRMやSCM,ERPなどの領域だ。
又、ユーザー数が一定以上になると外部サービスを利用するよりも、自社保有の方がコスト面で有利になることもある。従って,将来のシステム拡張も考慮しながら「SaaS(Software as a Service) が有利か、自社保有が有利か」と言う分岐点を見極める必要がある。
以上の点に注意しながら、導入が容易な領域からクラウド・コンピューティングを利用することが望ましい。


ICTも企業サイドの変革は風雲急を告げている様ですが、個人・家庭のネット環境への波及は、その様子待ちと言った処では無いかと思いつつ帰宅しました。

木曜日, 6月 12, 2008

占領と改革-岩波新書

著者の主張は、「現在日本の骨格となっている一連の戦後改革は占領政策によるものとされているが、改革の原点は戦前の日本社会から継承したものの中にあったので、占領が無くても改革は行われた」となっているが、その主張は事後からのレトリック的考察に過ぎず、与することは出来ない。
成程、大正デモクラシーから続く萌芽はあったのだが、徹底的に弾圧を受け瀕死の状態で育つことは恐らくあり得なかったと推断出来る。
敗戦後であっても、国会は軍部に懐柔された大政翼賛会に牛耳られたままの状態で、連合国総司令部(GHQ)の強引な「公職追放」実施無しには、それらに属する議員が当選多数を占めて、一切の改革はなし得なかったと思われるからだ。

しかし、著者・雨宮昭一氏の次の分析・予測は傾聴に値する。

戦後体制は、国際的には戦勝国によるポツダム体制・サンフランシスコ冷戦体制、政治的には1955年の自民2/3・社会党1/3体制、経済的には民需中心の日本的経営体制、法的には日本国憲法体制からなる体制である。
そして今、この体制が高度経済成長を経て揺らぎ、次の体制へ移行する処であろう。
このまま放置すれば、その方向に行く体制をパート1、選択する体制をパート2と考えると、パート1は国際的にはアメリカ中心堅持、経済的には新自由主義、法的には憲法改正、社会的には市場主義の体制となろう。
パート2は国際的には国家主権の相互制限、アジアにおける安全共同体、経済では非営利・非政府の協同主義と市場主義の混合体、社会的には個性化・多様化の基づく非営利・非政府領域と連帯の拡大となる。
パート2移行となれば、保守も革新も分解を始めるだろう。


現在与党の自公政権与党もパート1派が勢いを無くし、民主党を核とする野党もパート2を志向しつつ活動していることが窺われる情勢で、現実にも「ねじれ国会」となっている現時点に於いては、過去の離合集散から将来の政界再編を見据えると言う観点から、一読に値する本と思われます。

水曜日, 6月 11, 2008

オイルシェールによる原油開発-三井物産

1974年のオイルショックを受け、1970年代後半にはオイルサンド・オイルシェールの石油資源開発は注目を浴びていましたが、1980年代の原油価格低迷から、全て中止と言うことになりました。
昨今の異常な原油高騰を受けて、30年振りにオイルシェール開発が取り沙汰されているのが気になりますが、「石油は魔物」と言われていますので今後の動向が注目されます。

三井物産はオイルシェール(油分を含む頁岩)の大型開発に参画する。ブラジル国営石油会社ペトロブラス等と共同で2013年以降、日量5万バレル規模の商業生産を目指し、事業権益の最大2割を獲得する。オイルシェールからの原油量産は成功すれば世界初。米原油先物が一時1バレル140ドルに迫るなど原油高騰が続く中、コスト高で手つかずの新資源への投資が本格化し始めた。
両社は米ベンチャー企業のオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)が米政府から開発権を得ている中西部ユタ州の鉱区開発に参画する。30~40億バレル(日本の年間消費量の2~3年分に相当)の埋蔵量を見込んでいる。


オイルシェール開発を手掛けていたTosco(The Oil Shale Corporation)を訪問したのは1981年頃でしたが、Exxonが介入して来たことで開発プロジェクトは1982年に放棄されたと記憶しています。
イラン革命・アメリカ大使館人質問題も決着に向かい、原油価格が低迷しつつある時期でしたから、採算が取れないと判断された様です。
その頃は、今で言うバイオ燃料、天然ガス由来のGTL(Gas to Liquids)燃料と言う代替石油の選択肢も無く、採算分析は比較的単純だったと思われますが、今回は果たしてどうなるのでしょう?
歴史は繰り返すとは良く言われますが、情勢の違いを克服できるか注目される処です。

世界中に埋蔵されているオイルサンド、オイルシェールから得られる重質原油は5兆バレル以上と推定されている。
オイルサンド(Oil Sands)は、極めて粘性の高い原油を含む砂岩。母岩が砂岩ではなく頁岩の場合にはオイルシェール(Oil Shale)と呼ばれる。

オイルサンド・オイルシェールから原油を得るためには、母岩を採掘・乾留するので、大量の産業廃棄物が発生する。従来原油と比較して採掘及び抽出コストが高く、廃棄土砂の処理に多額の費用を要するため、不採算資源として放置されてきた。しかし、原油(WTI)価格が高騰して採算コストを上回るようになり、大規模な採掘・精製が行われるようになった。これに伴い、埋蔵地や採掘権の買収に多額の投機マネーが集まっている。

オイルサンドは、カナダ(アルバータ州)、ベネズエラに分布する。極めて低質なものは日本でも新潟県新潟市の新津油田などに見受けることができる。代表的なオイルシェール地帯はアメリカ合衆国(西部)、ブラジル、ロシア、オーストラリアなどに分布する。


インターネット検索しますと、Tosco (The Oil Shale Corporation) は幾多の曲折を経て、2001年にフィリップス石油(Phillips Petroleum)に吸収され、2002年からはConocoPhillips 傘下の一部門となっている様です。
今回三井物産が権利を得ようとしているオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)とは、Toscoとは別企業。
未だに「石油は魔物」で、採掘権・鉱区開発などで種々の選択肢があるのは歴史的なものの様です。

火曜日, 5月 27, 2008

人生読本落語版-岩波新書

著者は1935年生まれの後期高齢者直前、テレビ放送も無い時代、ラジオ寄席が娯楽番組として全盛を極めている時に青年期を過ごしたことで、落語の面白さを身に沁みて感じた経験も相俟って、過去を回想するのを佳いとする世代の様です。
案の定、40余のタイトルには自分の人生経験と関連する落語が入り混じって紹介されています。

そうは言っても、単なる愚痴と懐古趣味が蔓延していることは無く、新書版で気軽に読め、少しは世の中の情勢への対処法、楽しく人生を送る術を考えさせてくれる書籍です。

近頃は、テレビ放送でも「お笑いブーム」が再燃していますが、視覚的動きで笑いを誘う傾向が強く、読み言葉として文章に耐えられるものは少ない様に思われますが、その点、落語は文章となっても十分面白さを満喫できる資質を備えた伝統文化であることが分かります。

人生読本落語版-岩波新書1130(著者 矢野誠一)

著者は「はじめに」章で次の様に述懐していて、その時流に阿らない姿勢は、傾聴に値するものだと思われます。

古今亭志ん生がしばしば口にした「こんなこと学校じゃ教えない」の一言は、将に教育の妙諦で、あの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。決して世のため、人のためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送る術を学んで来た。
昨今の地に堕ちた世情を見せられると、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁な不便でも心豊かな人生を、落語の世界から改めて学びなおしても良いのではあるまいか。


この本、電車内でも気軽に読めるのですが、本を読みながらもにやにやとせざるを得ず、変な人と思われる危険性がありますので、要注意でしょう!