ヒラリー・クリントン女史は2016年の大統領選の民主党候補として最有力とされていますが、格差是正を掲げるサンダース氏に苦戦の様相を呈しています。
8年前にも最有力だったのですが、人種差別撤廃を掲げるオバマ候補に、集金力不足と女性差別撤廃キャンペーンの選択違いもあり敗れたのです。
やはり、「人種差別主義者と見られるくらいなら、女性差別主義者と見られた方が益しだ」と言うアメリカの伝統は根強かった様です。
しかし、捲土重来、今回も健全で強いアメリカの回復を目指して立候補しているのですから、イギリスのサッチャー以上に「鉄の女」と言えるかも知れません。
あとがきを見ますと、二部構成の様で、ヒラリー・クリントンがファーストレディとして鮮烈な登場を遂げて以来「こう言う女性類型は世界史に登場したことは無かった」と感激し、半分は2008年民主党予備選でヒラリーが勝つと思い込んで書き終えたが、マイノリティ融和を主張するオバマに一敗地に塗れた後、国務長官に就任して2016年次期大統領を担う運命を引き受けたと述懐しています。
彼女の座右の銘は「現実を楽観的にではなく悲観的に捉え、最悪のシナリオを想定せよ。にも拘わらず希望を失わずに現実に対処し、パワーの行使によって打開せよ」であり、交渉のテーブルに引き出すには敵を追い詰め、一方では利を食らわせる古典的手法を執る「リアル・ポリティーク」を主手順とするらしい。
イスラム圏の厄介さはイスラム教の中核を女性に対する束縛が占めていることにあり、「女性の解放こそが安全保障と深く関わる」と彼女の外交の射程が相手国の貧困、環境、教育、家族計画にまで拡大されていることになる。
中東だけでなく、北朝鮮、中・露に対しても、ヒラリー路線がオバマ外交の基調となった。
対中国政策では、オバマ時代と異なり、強硬路線に変貌するのは間違い無さそうです。
第1次オバマ政権からクリントンが離脱し、第2次オバマ政権は中国に対し「誤解された友邦」として太平洋に緊張がない様に振舞う「リバランス(再均衡)政策」は、中国の覇権膨張主義は度合いを増して、限界を迎えている。
ヒラリーは国務長官就任早々の訪問にて柔軟路線で効果がないと知るや、対決路線に切り替えた。尖閣や南シナ海への中国の膨張政策を真っ向から批判、オバマ以前の大統領の対中政策をガラリと入れ替えた。これはアメリカ開拓時代の米国西部同様、法の支配を無視した弱肉強食の場として切り捨てたのだ。
火曜日, 2月 16, 2016
土曜日, 11月 14, 2015
高速増殖原型炉もんじゅ-運営不適当との勧告
私は原子力工学者では無いのですが、「夢の原子炉」と言われた高速増殖炉もんじゅを見学させて貰ったのは1995年春のことでした。
1994年臨界に達し、1995年秋の本格運転に向けての定期検査の最中で、運営は動燃(動力炉・核燃料開発事業団)、ウラン補給不要のプルトニウムを再利用するMOX燃料を使う核燃料サイクルの中核となるもので、新技術開発の希望が膨らんでいる時期でした。
MOX燃料の核分裂はウラン燃料に比べて核分裂速度が速く、原子炉冷却が冷却水では出来ず、高温の金属ナトリウムを使用するのが売りでも懸念でもありました。 ナトリウム漏洩事故(国際事故評価尺度レベル1)の隠蔽工作等が批判され、動燃は解体、その後運転再開の見通しの無いまま、運営を日本原子力研究開発機構に委ねることになりましたが、インセンティブの無い保守管理だけでしたので、士気も上がらず企業の協力も得られずに点検でも多くの不備が指摘される様になり、今日の勧告に至りました。
原子力規制委員会は、安全管理上のミスが相次ぐ高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)について、運営主体の日本原子力研究開発機構は「不適当」とし、新たな運営組織を見つけるよう馳浩文科相に求める勧告をまとめた。半年以内に適切な運営主体を示せない場合、もんじゅのあり方を抜本的に見直すことも求める。
もんじゅは2012年機器全体の2割に当たる約1万件で点検漏れが発覚、規制委は2013年に原子炉等規制法に基づく運転禁止命令を出し、原子力機構に管理体制の見直しを求めたが、その後も新たな点検漏れや機器の安全重要度分類のミスなどが次々と発覚するなど改善されなかったため、初の勧告に踏み切った。もんじゅは過去に約1兆円、年間約200億円の国費が投入されたが稼働実績はほとんどない。
もんじゅは高速増殖炉の原型炉、使った以上の燃料を生み出すため「夢の原子炉」とも言われ、水を使う一般の原発と異なり、核分裂で発生した熱吸収を液体ナトリウムで行うのが特徴ですので、ナトリウムは水分に触れると爆発燃焼するので、高度な技術が求められます。
もんじゅ運営に関して、原子力機構に代わる新組織を見つけるのは難しく、もんじゅを中核とした国の核燃料サイクル政策は大きな岐路を迎えることになりました。
今年も日本人のノーベル賞受賞者がいましたがそれは過去の産物、近頃の建設業の杭打ち不正等を考えますと、日本の技術水準は難局を切り開く進取の気勢が無く、衰えて来ていると思わざるを得ません。
1994年臨界に達し、1995年秋の本格運転に向けての定期検査の最中で、運営は動燃(動力炉・核燃料開発事業団)、ウラン補給不要のプルトニウムを再利用するMOX燃料を使う核燃料サイクルの中核となるもので、新技術開発の希望が膨らんでいる時期でした。
MOX燃料の核分裂はウラン燃料に比べて核分裂速度が速く、原子炉冷却が冷却水では出来ず、高温の金属ナトリウムを使用するのが売りでも懸念でもありました。 ナトリウム漏洩事故(国際事故評価尺度レベル1)の隠蔽工作等が批判され、動燃は解体、その後運転再開の見通しの無いまま、運営を日本原子力研究開発機構に委ねることになりましたが、インセンティブの無い保守管理だけでしたので、士気も上がらず企業の協力も得られずに点検でも多くの不備が指摘される様になり、今日の勧告に至りました。
原子力規制委員会は、安全管理上のミスが相次ぐ高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)について、運営主体の日本原子力研究開発機構は「不適当」とし、新たな運営組織を見つけるよう馳浩文科相に求める勧告をまとめた。半年以内に適切な運営主体を示せない場合、もんじゅのあり方を抜本的に見直すことも求める。
もんじゅは2012年機器全体の2割に当たる約1万件で点検漏れが発覚、規制委は2013年に原子炉等規制法に基づく運転禁止命令を出し、原子力機構に管理体制の見直しを求めたが、その後も新たな点検漏れや機器の安全重要度分類のミスなどが次々と発覚するなど改善されなかったため、初の勧告に踏み切った。もんじゅは過去に約1兆円、年間約200億円の国費が投入されたが稼働実績はほとんどない。
もんじゅは高速増殖炉の原型炉、使った以上の燃料を生み出すため「夢の原子炉」とも言われ、水を使う一般の原発と異なり、核分裂で発生した熱吸収を液体ナトリウムで行うのが特徴ですので、ナトリウムは水分に触れると爆発燃焼するので、高度な技術が求められます。
もんじゅ運営に関して、原子力機構に代わる新組織を見つけるのは難しく、もんじゅを中核とした国の核燃料サイクル政策は大きな岐路を迎えることになりました。
今年も日本人のノーベル賞受賞者がいましたがそれは過去の産物、近頃の建設業の杭打ち不正等を考えますと、日本の技術水準は難局を切り開く進取の気勢が無く、衰えて来ていると思わざるを得ません。
水曜日, 10月 28, 2015
ドイツ帝国が世界を破滅させる-中国帝国との意思疎通が懸念
著者はフランスの歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏、日本では、覇権主義の国と言えば中国を思い起こさせるのですが、EU圏内でのドイツの力は圧倒的でドイツ帝国として君臨しつつあると言う。
パックスアメリカーナとして君臨したアメリカの国力が落ちて、世界中でシステムにひびが入り、アジアでは韓国が日本に対する恨み辛みの故に、アメリカのライバルである中国と共謀し始めていますし、ヨーロッパに於いては国力とヘゲモニーからドイツ帝国の体を為しつつある。
戦後のアメリカの戦略は、ユーラシア大陸の二つの大きな産業の国の極、即ち日本とドイツをコントロールすることで成立して来たことが言われています。 日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も似ており、経済面でも酷似、産業力が逞しく、貿易収支が黒字だと言うことですが、日本文化が他人を傷つけないで遠慮するのに対して、ドイツ文化は剥き出しの率直さを価値付けます。
ヨーロッパには発展の余地のある低賃金ゾーンを利してドイツ産業が発展、それ以外の国々の産業システムが壊滅して、ドイツだけが得をするシステムとなっている。 ドイツが頑固に緊縮財政を押し付け、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかない状況を見ると、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸ではないかと懸念するのです。
「ドイツ帝国」は最初もっぱら経済的だったが、今日では既に政治的になっていて、弱体化して来たアメリカに対抗すべく「ヘゲモニー」を掛けて、アメリカと同盟を強化する日本ではなく、もう一つの世界的輸出大国である「中華帝国」と意思疎通を通じ合わせ始めているのは見逃せないとしています。
パックスアメリカーナとして君臨したアメリカの国力が落ちて、世界中でシステムにひびが入り、アジアでは韓国が日本に対する恨み辛みの故に、アメリカのライバルである中国と共謀し始めていますし、ヨーロッパに於いては国力とヘゲモニーからドイツ帝国の体を為しつつある。
戦後のアメリカの戦略は、ユーラシア大陸の二つの大きな産業の国の極、即ち日本とドイツをコントロールすることで成立して来たことが言われています。 日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も似ており、経済面でも酷似、産業力が逞しく、貿易収支が黒字だと言うことですが、日本文化が他人を傷つけないで遠慮するのに対して、ドイツ文化は剥き出しの率直さを価値付けます。
ヨーロッパには発展の余地のある低賃金ゾーンを利してドイツ産業が発展、それ以外の国々の産業システムが壊滅して、ドイツだけが得をするシステムとなっている。 ドイツが頑固に緊縮財政を押し付け、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかない状況を見ると、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸ではないかと懸念するのです。
「ドイツ帝国」は最初もっぱら経済的だったが、今日では既に政治的になっていて、弱体化して来たアメリカに対抗すべく「ヘゲモニー」を掛けて、アメリカと同盟を強化する日本ではなく、もう一つの世界的輸出大国である「中華帝国」と意思疎通を通じ合わせ始めているのは見逃せないとしています。
木曜日, 10月 08, 2015
パトスではなくロゴスが肝要-加藤周一と丸山眞男へのオマージュ
近頃、戦後レジームの脱却を叫ぶ政治制度を含めて、世の中全て自己の情熱(Pathos)を語ることが多く、論理(Logos)が欠如しているので、説明を求められると、その都度説明が違って説得力がありません。
安保法制を憲法違反とする立場の著者ですが、戦後日本を代表する知識人である加藤周一と丸山眞男へのオマージュを呈しつつ、論理(Logos)の大切さを説いていることで、一読に値する書籍と思われます。
アリストテレスは説得のあり方について、3つの側面から考察する。
logos(ロゴス、言論):理屈による説得
pathos(パトス、感情):聞き手の感情への訴えかけによる説得
ethos(エートス、人柄):話し手の人柄による説得
logos(言論)を中心に据え、最も多くの記述を費やし、pathos(感情)やethos(人柄)の側面についても、それなりの記述を費やしている。
近代社会学の父であるマックス・ヴェーバーによって提示された社会支配の三形態、「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」とも重なる。
加藤周一は、「民主主義」は「個人の尊厳と平等の原則の上に考えられる制度」と定義し、1955年の「雑種文化論」にて、「持続・伝統と言う「型」の思考の枠組みの中に、「段階」思考の実質的問題意識を埋め込んだと主張する。
「型」と「段階」思考は、松尾芭蕉の言う「不易」と「流行」に等しく、働きかけの余地を無くす「型」でなく、進歩を追う「段階」でもなく、伝統の中に「変化」を促すと言う緊張関係に自分を置き、知識階級の広い層が闘うだけの質量を蓄える必要があり、「9条の会」に対する肩入れは、それを目指していたのだ。
丸山眞男は、「個人は国家を媒介としのみ具体的鼎立定立を得つつ、しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持する如き関係に立たねばならぬ」とし、「弁証法的な全体主義」を必須として、「弁証法的な」と言う形容詞の無い「全体主義、有機体国家、権威国家、単一政党国家、等族国家等、一様に均された(Gleichschaltung)国民大衆の上に成立する権威的な体制国家は全て否定する」のです。
丸山は自由の質を問題にして「規範創造的自由」を「人欲の解放」としての自由に対置し、加藤は知識人の孤立を繰り返さない為に「雑種文化」の可能性を模索したのだ。
憲法に対する立場は改憲、加憲、保持と様々で、著者の考え方に賛同は要しませんが、パトス的な意思表明だけではなく、納得できるロゴス的議論が為されなければ、丸山の警戒する全体主義勃興が懸念されることになります。将に「言葉ありき」が本質です。
金曜日, 6月 05, 2015
加藤周一を記憶する-「戦後レジームからの脱却」へのアンチテーゼ
戦後を代表する知識人である加藤周一氏は、文化、芸術、政治について、時には見識の転回を重ねつつ啓蒙的活動をして来た稀有の存在で、その見識は近頃の「反知性主義」による安易な右翼的傾向に棹差すアンチテーゼとして見直す必要があるのでしょう。
文化的な解釈では、1970年代、例えば「もののあはれ」を表すとされた「源氏物語」は日本文学の正典中の正典とされていますが、仏教の影響を考察し、時間意識を読み取り、「源氏物語が我々に啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れと言う日常的で根本的な人間の条件である」と新解釈を披露します。
政治的な解釈では、既に1980年代に次のように喝破しています。 「国民の生命財産を守るだけでなく、基本的人権、そして権力の民主的統御を守ることが求められ、その為には超大国との緊張関係を緩和する以外に有効な手段はない。
日本の軍国化が嘗てそうであった様に将来も又日本国民に不幸をもたらすだろう。殊に軍国化が、超大国間の争いの先棒を担ぐ形で行われる時はなお更である。 昨日は遠くて今日近きものは、教科書の書き直し強制、首相の靖国公式参拝、憲法9条空文化ですし、今日遠くて明日近きものは、自衛隊核武装、国際的な海外派兵、愛国の為の徴兵制度、平和の名目での局地戦となります。」
現状は、教科書検定の書き直し強制、憲法9条空文化、国際的な海外派兵、平和の名目での局地戦等が混在して到来しつつあるのでしょう!
著者は本書につき、下記のようにコメントしています。
加藤周一は、状況との緊張関係をもち、絶えず自らの知をつくり替えていった。「戦後思想」から出発し、フランス留学後の「雑種文化」によって「転回」をとげ、その後、60年安保を経てさらなる「転回」をなし、パリ五月革命、中国文化大革命など「68年」の状況に向き合う。そして晩年の「九条の会」参加に至るまで、5つの局面を経ている。 こうした加藤の「転回の軌跡を明らかにすることは、その時々の「知」の検証―「戦後」の内在的な検証となり、「戦後知」の新たな形を示す作業となる。更に安易になされている「戦後レジームからの脱却」への批判となるであろう。 「啓蒙の知」は現状への処方となり得るはずである。「反知性主義」への対抗として、啓蒙主義の放棄ではなく、啓蒙主義の蜂起へと至るものとして。
文化的な解釈では、1970年代、例えば「もののあはれ」を表すとされた「源氏物語」は日本文学の正典中の正典とされていますが、仏教の影響を考察し、時間意識を読み取り、「源氏物語が我々に啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れと言う日常的で根本的な人間の条件である」と新解釈を披露します。
政治的な解釈では、既に1980年代に次のように喝破しています。 「国民の生命財産を守るだけでなく、基本的人権、そして権力の民主的統御を守ることが求められ、その為には超大国との緊張関係を緩和する以外に有効な手段はない。
日本の軍国化が嘗てそうであった様に将来も又日本国民に不幸をもたらすだろう。殊に軍国化が、超大国間の争いの先棒を担ぐ形で行われる時はなお更である。 昨日は遠くて今日近きものは、教科書の書き直し強制、首相の靖国公式参拝、憲法9条空文化ですし、今日遠くて明日近きものは、自衛隊核武装、国際的な海外派兵、愛国の為の徴兵制度、平和の名目での局地戦となります。」
現状は、教科書検定の書き直し強制、憲法9条空文化、国際的な海外派兵、平和の名目での局地戦等が混在して到来しつつあるのでしょう!
著者は本書につき、下記のようにコメントしています。
加藤周一は、状況との緊張関係をもち、絶えず自らの知をつくり替えていった。「戦後思想」から出発し、フランス留学後の「雑種文化」によって「転回」をとげ、その後、60年安保を経てさらなる「転回」をなし、パリ五月革命、中国文化大革命など「68年」の状況に向き合う。そして晩年の「九条の会」参加に至るまで、5つの局面を経ている。 こうした加藤の「転回の軌跡を明らかにすることは、その時々の「知」の検証―「戦後」の内在的な検証となり、「戦後知」の新たな形を示す作業となる。更に安易になされている「戦後レジームからの脱却」への批判となるであろう。 「啓蒙の知」は現状への処方となり得るはずである。「反知性主義」への対抗として、啓蒙主義の放棄ではなく、啓蒙主義の蜂起へと至るものとして。
月曜日, 4月 27, 2015
コーシーとリーマン-高木貞治著「近世数学史談」
函数論は高等数学の入口ともされ、複素平面上にて正則函数の挙動を研究する分野で、多項式函数、 指数函数、三角函数、対数函数等を含むもので、大学では犬井鉄郎教授の講義を受けて、面白さに惹かれたものでした。
社会に出た後、地中管からの熱放出による温度分布解析には、等角写像を用いた図形変換で簡単に解決出来た際には、応用数学の有用さを実感したものです。
正則函数とは、複素函数(複素数を変数とする函数)の内で、定義域にて微分可能な函数のことである。領域内の全てで微分可能であることは正則性と言われ、多項式函数、 指数函数、三角関数、対数函数、ガンマ関数など、複素解析において中心的な役割を演じる函数の多くはこの性質を持っている。
z = x + iy とし、複素函数 f)は実 2 変数函数 u(x,y), v(x,y) を用いてf(x,y) = u(x,y) + iv(x,y)と表すことができる。f(z) = f(x, y) が正則函数であれば、u, v はコーシー・リーマンの方程式と呼ばれる偏微分方程式を満たす。
教養学部での解析学の教科書「解析概論」の著者である高木貞治氏は、1933年に「近世数学史談」を刊行、近世数学の巨人達の様子を紹介していますが、これがロマンチックな物語となっていて、倦むことがありません。
函数論の章では、コーシーを先駆者、リーマンを発展者として次の様に紹介しています。
コーシーの業績で最も顕著なのは函数論の創設であろう。しかしコーシーは創設を意識していたのではなく、ラプラース、ルジャンドル等が遭遇した特殊な定積分を計算することが要因だったのである。それらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的な方法で計算されることを看破し、1825年「虚数限界内の定積分の論」なる論文を発表、その成果は今日で言う「極点(pole)に関する留数の定理」であった。
1851年に至って、今日の解析函数全てが函数論の対象として確認され、30年の歳月を経てコーシーの函数論に目鼻がついたのである。 1851年と言えばリーマンの学士論文「複素変数の函数の理論基礎」が出た年である。「微分商dw/dzが微分dzに関係無き一定の値を有する時に、wを複素変数zの函数」とし、コーシーが30年の歳月を経て辛くも達し得た立脚点を、平気で占有したのであった。
理論の進歩とはそう言うもので、ロゴス(知性論理)には適正な先人の業績を受け継ぐ伝統が必要なのでしょう!
社会に出た後、地中管からの熱放出による温度分布解析には、等角写像を用いた図形変換で簡単に解決出来た際には、応用数学の有用さを実感したものです。
正則函数とは、複素函数(複素数を変数とする函数)の内で、定義域にて微分可能な函数のことである。領域内の全てで微分可能であることは正則性と言われ、多項式函数、 指数函数、三角関数、対数函数、ガンマ関数など、複素解析において中心的な役割を演じる函数の多くはこの性質を持っている。
z = x + iy とし、複素函数 f)は実 2 変数函数 u(x,y), v(x,y) を用いてf(x,y) = u(x,y) + iv(x,y)と表すことができる。f(z) = f(x, y) が正則函数であれば、u, v はコーシー・リーマンの方程式と呼ばれる偏微分方程式を満たす。
教養学部での解析学の教科書「解析概論」の著者である高木貞治氏は、1933年に「近世数学史談」を刊行、近世数学の巨人達の様子を紹介していますが、これがロマンチックな物語となっていて、倦むことがありません。
函数論の章では、コーシーを先駆者、リーマンを発展者として次の様に紹介しています。
コーシーの業績で最も顕著なのは函数論の創設であろう。しかしコーシーは創設を意識していたのではなく、ラプラース、ルジャンドル等が遭遇した特殊な定積分を計算することが要因だったのである。それらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的な方法で計算されることを看破し、1825年「虚数限界内の定積分の論」なる論文を発表、その成果は今日で言う「極点(pole)に関する留数の定理」であった。
1851年に至って、今日の解析函数全てが函数論の対象として確認され、30年の歳月を経てコーシーの函数論に目鼻がついたのである。 1851年と言えばリーマンの学士論文「複素変数の函数の理論基礎」が出た年である。「微分商dw/dzが微分dzに関係無き一定の値を有する時に、wを複素変数zの函数」とし、コーシーが30年の歳月を経て辛くも達し得た立脚点を、平気で占有したのであった。
理論の進歩とはそう言うもので、ロゴス(知性論理)には適正な先人の業績を受け継ぐ伝統が必要なのでしょう!
月曜日, 4月 13, 2015
示唆に富む人生体験随想-五木寛之著「選ぶ力」
私たちは何時も大小取り混ぜて何らかの選択をしていますが、この何事も不確定で「思うままにならない」時代にどの様に対応して良いのか不安を覚えることも多い筈です。
著者は学校教師の家庭に生まれるも、生後まもなく朝鮮に渡り、敗戦による引き揚げでの生活苦、何とか大学入学するが貧困による大学中退、売血による生活維持しつつ、生来の活字好きから編集の仕事にあり付き、ルポライターを経て作家に転身と言う激動の人生を送った体験が詳らかに綴られています。
選ぶ、選ばれるは人生の一大事だ。しかも最近の世相は、「選ぶ」幅が激減して、やれリストラだ、非正規雇用だと、「選ばれる」リスクが大きくのしかかって来ている。一方で私たちの目の前には、自ら「選ばざるを得ない」状況が次々と巡って来る。
私自身は敗戦以来、一度の健康診断も検査も受けずに今日まで来た。いくつかの健康上の問題を抱えつつも、放置して暮らしている。しかし、それも私自身が選んだ道であり、そのことに関しては後悔が無い。
著者は近年、仏教への思いを募らせた著作が多く、本書でも始祖である仏陀の言葉や、法然・親鸞の著作が引用されて、選ぶ・選ばれる際の参考にすべきとしている。
仏陀「自分自身を頼りとして生きよ。そして真理を見失うな」
法然「阿弥陀仏一仏信仰は相互選択的なもの、選ぶ力が大切」
親鸞「分からないままに闇を彷徨い嘆くなら、何かを信じるしかない」
「思うままにならない」世の中では、巧みな言葉だけで励まされる様な時代は。もう終わったのだ。私たちに必要なのは、大声で送られるエールではなく、すれ違う際の一瞬の目配せの様なものではあるまいか。
私が述べたことは、私自身の正直な体験に過ぎない。それが迷いつつ生きる人々の何らかの一助になれば、と密かに願っている。
若い世代には嫌われる老人の昔話物語についても、回想療法と言うアルツハイマー対策での一番の治療法と述べていることにも納得出来る処がありました。
著者は学校教師の家庭に生まれるも、生後まもなく朝鮮に渡り、敗戦による引き揚げでの生活苦、何とか大学入学するが貧困による大学中退、売血による生活維持しつつ、生来の活字好きから編集の仕事にあり付き、ルポライターを経て作家に転身と言う激動の人生を送った体験が詳らかに綴られています。
選ぶ、選ばれるは人生の一大事だ。しかも最近の世相は、「選ぶ」幅が激減して、やれリストラだ、非正規雇用だと、「選ばれる」リスクが大きくのしかかって来ている。一方で私たちの目の前には、自ら「選ばざるを得ない」状況が次々と巡って来る。
私自身は敗戦以来、一度の健康診断も検査も受けずに今日まで来た。いくつかの健康上の問題を抱えつつも、放置して暮らしている。しかし、それも私自身が選んだ道であり、そのことに関しては後悔が無い。
著者は近年、仏教への思いを募らせた著作が多く、本書でも始祖である仏陀の言葉や、法然・親鸞の著作が引用されて、選ぶ・選ばれる際の参考にすべきとしている。
仏陀「自分自身を頼りとして生きよ。そして真理を見失うな」
法然「阿弥陀仏一仏信仰は相互選択的なもの、選ぶ力が大切」
親鸞「分からないままに闇を彷徨い嘆くなら、何かを信じるしかない」
「思うままにならない」世の中では、巧みな言葉だけで励まされる様な時代は。もう終わったのだ。私たちに必要なのは、大声で送られるエールではなく、すれ違う際の一瞬の目配せの様なものではあるまいか。
私が述べたことは、私自身の正直な体験に過ぎない。それが迷いつつ生きる人々の何らかの一助になれば、と密かに願っている。
若い世代には嫌われる老人の昔話物語についても、回想療法と言うアルツハイマー対策での一番の治療法と述べていることにも納得出来る処がありました。
土曜日, 3月 21, 2015
なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか-石平著(PHP新書)
中国の民主化運動に傾倒し、日本での著作活動に転じた後、遂には日本国籍を取得した著者の出自から鑑み、覇権主義を標榜する中国共産党政権には厳しい。
日米同盟を強化し、近隣諸国を属国化を図る中国の囲い込みに奔走する安倍政権は正しいとして、それにエールを送る著作となっている。
習金平の目指す処は、嘗ての中国を頂点とした中華秩序の再建を目指すことで、毛沢東による中華秩序の再建が失敗に終わって40数年、鄧小平路線による富国強兵が達成された今、中華帝国の新皇帝となった習近平は、アジアを支配すると言う中華帝国の復権を目指し、その為には近代史においてその中華秩序をひっくり返した日本と言う国をねじ伏せておくことを必須案件として、その出足から日本に対して高圧・威嚇的態度に出た。
それを察知した安倍政権は、日本の安全保障を脅かす最大の脅威が即ち中国の覇権主義と軍拡と捉え、連携すべき相手ではなく、寧ろ警戒すべき潜在的脅威としたことは明らかだ。
米国の外交評論家キッシンジャーも「中国は平等な国家からなる世界システムに馴染めず、自国をトップ、唯一の主権国家と考え、外交は交渉よりも世界階層秩序で各国の位置づけを決めると考えている」と、警鐘を鳴らしている。
日本は今後どうするべきなのか。
先ずは米国との同盟関係が何より重要で、日本にとって最大の安全保障となっていることは論を俟たない。米国が提唱する「航海の自由を守る法秩序」は誰が見ても、覇権主義的な中華秩序よりも遥かに公正で正義に適ったものだ。
法に基づく平和秩序を守り、中華帝国の野望を封じ込める中核的存在として、中国共産党政権の海洋制覇を阻止して中華秩序の亡霊を葬り去ることが、戦前の歴史を超克してアジアの民主主義先進国となった日本の背負うべき使命であり、生きる道なのだ。
日米同盟を強化し、近隣諸国を属国化を図る中国の囲い込みに奔走する安倍政権は正しいとして、それにエールを送る著作となっている。
習金平の目指す処は、嘗ての中国を頂点とした中華秩序の再建を目指すことで、毛沢東による中華秩序の再建が失敗に終わって40数年、鄧小平路線による富国強兵が達成された今、中華帝国の新皇帝となった習近平は、アジアを支配すると言う中華帝国の復権を目指し、その為には近代史においてその中華秩序をひっくり返した日本と言う国をねじ伏せておくことを必須案件として、その出足から日本に対して高圧・威嚇的態度に出た。
それを察知した安倍政権は、日本の安全保障を脅かす最大の脅威が即ち中国の覇権主義と軍拡と捉え、連携すべき相手ではなく、寧ろ警戒すべき潜在的脅威としたことは明らかだ。
米国の外交評論家キッシンジャーも「中国は平等な国家からなる世界システムに馴染めず、自国をトップ、唯一の主権国家と考え、外交は交渉よりも世界階層秩序で各国の位置づけを決めると考えている」と、警鐘を鳴らしている。
日本は今後どうするべきなのか。
先ずは米国との同盟関係が何より重要で、日本にとって最大の安全保障となっていることは論を俟たない。米国が提唱する「航海の自由を守る法秩序」は誰が見ても、覇権主義的な中華秩序よりも遥かに公正で正義に適ったものだ。
法に基づく平和秩序を守り、中華帝国の野望を封じ込める中核的存在として、中国共産党政権の海洋制覇を阻止して中華秩序の亡霊を葬り去ることが、戦前の歴史を超克してアジアの民主主義先進国となった日本の背負うべき使命であり、生きる道なのだ。
月曜日, 3月 09, 2015
文春新書「新・戦争論」-対談版の限界
TVニュース解説で活躍中の元NHKアナウンサーと評論文書多数で知られる元外務官僚で評論家との対談を新書版で纏めたもので、TVや新聞等のマスコミでは得られない評論がありましたが、新書版の悲しさで出典・根拠と言うバックアップに欠ける様に思われました。
名指しはしませんが、領土拡張を画策する中国、自国利益を他国に押し付けるTPPを画策する米国、等を念頭にした下記の分析は納得が出来ます。
新帝国主義とはコストの掛かる植民地を持たず、局地戦に限っての戦争に止めて、資本の投資対象を国外に求めて利益を追求して行く国々のことである。
外交面では、相手国の立場を考えずに自国の立場を最大限に主張する。相手国が怯み国際社会が沈黙するなら、そのまま権益を強化して行く。他方。相手国が必死に抵抗し国際社会も干渉する場合には譲歩する。それは心を入れ替えたからではなく、譲歩した方が結果として極大化出来ると言う判断に依るものである。
韓国朝鮮問題では、韓国人と朝鮮人は別と言う見方もあると論じます。
中国にとっては北朝鮮の労働力と地下資源は魅力で、韓国も中国寄りになって来るので朝鮮半島が丸ごと属国にあると言う戦略を描いていたが、北は離反する動きを見せ、南が属国になりつつあると言う南北が入れ替わる様相となって来た。
これは、三国時代の新羅と高句麗の対立と見ることが出来、あるいは北朝鮮が渤海だとも考えられる。新羅は中国に朝貢していたが、渤海は日本に朝貢していたのだ。北朝鮮としては、同じ朝鮮半島の国とは言え、三国の時代から元々違うと言いたいのかも知れない。
韓国は歴史上、中国の臣となることで生き延びて来たので、経済力と軍事力の増強の著しい中国の方に抱かれている方が、劣化の目立つ米国よりも、心地よいのだろう。
善隣友好と言い、遠交近攻策と言い、自国民を守ると言うのは一筋縄ではいかないことが分かる書籍でした。
金曜日, 1月 09, 2015
60分でわかるピケティの「21世紀の資本」-Q&AのWebアプリに似る
僅か77頁で内容も薄弱、本の帯には「サブテキストとして最適」とキャッチコピーされていますが、何故ベストセラーになるのか分からない書籍とも思えましたが、出版物を読まない風潮で軽いテキストが好まれる様です。
「21世紀の資本」が英訳されるや、世界中でベストセラーとなり注目されたのは、21世紀に暴走して来ている資本主義に不安を感じていることの現れなのでしょう。
資本主義のアンチテーゼであった共産主義は、労働者への幸福をもたらすこと無く、幹部官僚独裁国家に変貌してしまっているのは、よく知られることとなりました。
宗主国ソ連は崩壊し、中国は党エリート独裁の国家資本主義に変貌し格差は資本主義以上に拡大させる始末、北朝鮮では基本的な人権を認めない蹂躙国家と成り果てました。
ピケティはマルクスと同様に、資本主義では格差が拡大するのが普通だと分析するのですが、アンチテーゼの共産主義はあり得ず、資本主義より効率の高い経済システムは無いと結論付けるのです。
解決策として、グローバルな発展で利益を貪る資本主義の暴走を抑えるには、累進課税を強化し、グローバルな資本課税を提案するのです。
「21世紀の資本」は著名な学者・経済人が絶賛するのですが、従来には無い資本主義の矛盾を突く経済書としながらも、マルクスとは違う結論に至る理論的考証も未だこれからであり、一般人には難解な本ですので、このような薄いガイドブックを読むことで少し判った気になるのも良いのですが、何かQ&AのWebアプリを見ているだけの軽薄な著書と感じられないでもありません。
水曜日, 8月 27, 2014
48年ぶりに「沈黙」を読む
五島滞在中にTVが見られなくなりましたので、義母の書棚から遠藤周作氏の「沈黙」を取り出して読んでいました。
この書籍は発売と同時に購入して感銘を受けましたので、五島出身の友人に読む様に勧めて貸し出したつもりでしたが返却されず我が家の書棚には無く、再読するのは48年ぶりのことでした。
遠藤周作氏は、グレアム・グリーン氏にも多大な影響を受けており、「沈黙」はグリーン氏の「権力と栄光」の切支丹迫害日本版との感触もありましたが、内外のキリスト教団体・信者などの原理主義者から批判にも晒された様です。
遠藤周作は、1966年長編小説「沈黙」を上梓し、同年谷崎潤一郎賞を受賞しましたが、この作品は、内外のキリスト教団体・信者などから批判されました。
・基督はユダさえも救おうとされていたのである(4 ロドリゴの書簡)
批判:背教者であるユダをイエス・キリストが救おうとする訳がない。
・主よ。こんな人生にも頑なに黙っていられる(8 ロドリゴの心中)
・神は何もせぬではないか(8 フェレイラのセリフ)
批判:神の声が聞こえなかったと言うことは、信仰がなかったと言うことだ。
・ロドリゴが踏絵をしようとした瞬間、基督が「踏むがいい」と言った(8の最後)
批判:キリストが棄教して良いなどと言う訳がない。
「沈黙」が翻訳されて海外での評価が高まり、グレアム・グリーン氏が、この作品を絶賛したのは有名です。著者の「弱いイエス」は多くの共感を得たのでしょう。
神の子であるイエスでさえ、磔刑にされる直前に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と神の沈黙に対して疑問を投げかけたのですから、ロドリゴ神父が信徒を救うべく棄教すると言う人道的行為は許されることであって、一概に人間的弱さとは言えないと思うのです。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とは - 磔にされたイエス・キリストが言った最後の言葉。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と言う意(マタイによる福音書 第27章)。
旧約聖書「詩篇」第22篇からの引用とされるが、イエス受難書(福音書)は全体として、イエスをこの「苦難の義人」と並行関係に置こうとしている傾向が見て取れる。例えば、イエスを責める人々の行動を描いた部分にも、「詩篇」第22篇で「苦難の義人」を苛む人々の行動そのままの箇所が複数ある。
しかも十字架上のイエスはすぐその後で「大声を放って息絶えた」と記されている。このイエスの絶叫に祈りの言葉を与えたのが受難物語の記載者ではないかと考えられる。
水曜日, 5月 28, 2014
初めて覚えた漢詩-絶句「江南の春」杜牧
昨日、NHKプレミアムアーカイブス HV特集「天才画家の肖像 雪舟 画聖と呼ばれた男」を見ていました。
日本美術史の中で唯一“画聖”と讃えられる水墨画の巨人、雪舟。16mに及ぶ究極の絵巻物『山水長巻』、リアルな実景図『天橋立図』など国宝に指定されている代表作5点を選び、模写再現に挑んだり、真贋鑑定をしたり、絵の中を旅する画中紀行を試みたりして、読み解いていく。
山水長巻の中に旅人が擬人的に入って、山水風景を楽しみつつ、中国の詩人「李白」などに出会い、漢詩を吟じていく設定は、なかなか感心させられるものがありました。
そんな中、ふと吟じられた「江南の春」、杜牧の「江南絶句」は高校1年生の漢文授業で出て来て初めて覚えた漢詩だったので、良く記憶していたのです。
千里鶯啼緑映紅 千里鶯啼いて緑紅に映ず
水村山郭酒旗風 水村山郭酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中 多少の楼台煙雨の中
現代語訳
そこらじゅうで鶯が啼き木々の緑が花の紅色と映しあっている。
水際の村でも山沿いの村でも酒屋ののぼりがたなびいている。
古都金稜には南朝以来のたくさんの寺々が立ち並び、
その楼台が春雨の中に煙っている。
近頃は、頭脳の記憶回路が支障を来たしつつあり、なかなか覚えることが出来なくなりましたが、57年前に記憶した漢詩はすらすらと出て来るのです。
アルツハイマーの初期現象なのかも知れません!
日曜日, 11月 24, 2013
田中優子女史の「江戸を歩く」
江戸の研究家としても知られる著者が、写真家と共に東京に残る江戸の名残を紹介したものでありますが、東京と言う近代に押しつぶされた江戸のうめき声が聞こえる様で、一読に値するものと思われます。
私は東京を見て来て、所謂観光地ではなく、あまり人の行かない密やかな処に楽天地があるのだと知った。何時までもいたくなる良い場所を探したいと言う気持ちにさせてくれる。
こうなると東京も満更ではないのだ。
江戸は周到に作られた都市であったが、閉じられた都市ではなかった。人はここを出ては入り、入っては出て、自らを新たにした。
私にとって東京に暮らすと言うことは、その様な人々に再び出会うことである。
湯島界隈では、次の様に解説していて現在に警鐘を鳴らしているにも思われます。
江戸時代の学問のエッセンスは論語に言う「故きを温めて新しきを知れば、以て師為るべし」で、古典を学び、歴史を学び、深く理解していることである。
しかしそれだけでは人を指導することが出来ない。「学びて思わざれば則ち罔し、思ひて学ざれば則ち殆し」-これも学問の神髄で、知識をため込んでも思想がなければ何にもならない。
両方なければ知性と言えないのである。人になるとはどう言うことなのか。哲学を欠いた学問は学問とは言えない。
著者の田中優子女史は、法政大学総長に選出されることが報じられていますが、人格識見は卓越しているのだろうと思われます。
法政大学の総長に同大社会学部長の田中優子氏(61)を選んだと発表、来月4日の理事会で正式に決める。女性総長は同大で初めて。
東大を含む「東京六大学」でも、総長、学長に女性が就任するのは初めてとなる。
田中氏は同大文学部卒で、日本近世の文化を研究。同大第一教養部教授などを経て2012年から現職。2009~11年度に芸術選奨選考審査員。
水曜日, 4月 03, 2013
コロニアリズムと文化財-荒井信一著
近年、19~20世紀に於ける植民地からの文化財持ち出しの返還運動、植民地主義(コロニアリズム)の清算が盛んになっていて、文化財ナショナリズムがエスカレートしています。
文化財に関しては1970年のユネスコ条約が根幹な規定ではありますが、1980年代までは「国際主義」と「ナショナリズム」と言う2方向の考え方があり、「危険な状態の遺物を安全な場所に輸出する方が原産国で粗末にされ壊されるより望ましい」とし、他方では「不適切な管理による文化財の破損は残念だが輸出による喪失よりも益し」とするのだが、私はバーミヤンの大仏爆破等を考えると「国際主義」に与したいのです。
永く植民地支配責任を究明しつつ、衆議院外務委員会で文化財に関する日韓協定の審議に参加した著者が、広く私的見解を発信すべく、結果として公的発言を問うたものです。
コロニアリズムと文化財-荒井信一著(岩波新書1376)
1970年のユネスコ条約は、文化財を「宗教的理由によるかどうかを問わず、各国が考古学上、先史学上、歴史上、文学上、美術上又は科学上重要なものとして特に指定した物件」と定義し、文化財の不法な輸出入や所蔵権譲渡を取り締まることを目的としている。
植民地支配の清算に直接拘わるのは「外国による国土占領に直接又は間接に起因する強制的な輸出及び所有権譲渡は不法であると見做す」と規定するのだが、文化財の返還・回復は締結国が外交機関を通じて要請するものとするだけなのである。
そこで、1995年にユニドロワ(UNIDROIT)条約「盗取され又は不法輸出された文化財に関する条約」として、「善意の第3者として所有していた個人・団体に対する補償をどうするべきか法的基準」を明らかにし、50年間の時効を定めつつ原産国への復帰を容易にした。
最近の返還交渉では、原産国での劣悪な環境は著しい改善が見られ、公共物として大きな注意が払われるようになり、文化財返還とポストコロニアルな和解の緊密な関係を示唆するものとして注目しなければならない。
大英博物館でエルジンマーブル、ロゼッタストーンを、ルーブル美術館でミロのヴィーナスを、シカゴ美術館で源氏物語絵巻を、ボストン美術館で種々日本美術品を、見るにつけ文化財は人類共有のもので過去の経緯は兎に角、大事に維持保管されて展示されることで「国際主義」で良いのではと思っています。
文化財に関しては1970年のユネスコ条約が根幹な規定ではありますが、1980年代までは「国際主義」と「ナショナリズム」と言う2方向の考え方があり、「危険な状態の遺物を安全な場所に輸出する方が原産国で粗末にされ壊されるより望ましい」とし、他方では「不適切な管理による文化財の破損は残念だが輸出による喪失よりも益し」とするのだが、私はバーミヤンの大仏爆破等を考えると「国際主義」に与したいのです。
永く植民地支配責任を究明しつつ、衆議院外務委員会で文化財に関する日韓協定の審議に参加した著者が、広く私的見解を発信すべく、結果として公的発言を問うたものです。
コロニアリズムと文化財-荒井信一著(岩波新書1376)
1970年のユネスコ条約は、文化財を「宗教的理由によるかどうかを問わず、各国が考古学上、先史学上、歴史上、文学上、美術上又は科学上重要なものとして特に指定した物件」と定義し、文化財の不法な輸出入や所蔵権譲渡を取り締まることを目的としている。
植民地支配の清算に直接拘わるのは「外国による国土占領に直接又は間接に起因する強制的な輸出及び所有権譲渡は不法であると見做す」と規定するのだが、文化財の返還・回復は締結国が外交機関を通じて要請するものとするだけなのである。
そこで、1995年にユニドロワ(UNIDROIT)条約「盗取され又は不法輸出された文化財に関する条約」として、「善意の第3者として所有していた個人・団体に対する補償をどうするべきか法的基準」を明らかにし、50年間の時効を定めつつ原産国への復帰を容易にした。
最近の返還交渉では、原産国での劣悪な環境は著しい改善が見られ、公共物として大きな注意が払われるようになり、文化財返還とポストコロニアルな和解の緊密な関係を示唆するものとして注目しなければならない。
大英博物館でエルジンマーブル、ロゼッタストーンを、ルーブル美術館でミロのヴィーナスを、シカゴ美術館で源氏物語絵巻を、ボストン美術館で種々日本美術品を、見るにつけ文化財は人類共有のもので過去の経緯は兎に角、大事に維持保管されて展示されることで「国際主義」で良いのではと思っています。
水曜日, 1月 30, 2013
核融合研究炉JT-60SAの組立作業開始
国際熱核融合実験炉(ITER)の建設候補地としては、当初米国サンディエゴ近傍、日本苫小牧、青森県六ヶ所村、仏国カダラッシュが挙げられていたが、2005年6月カダラッシュに建設することが決定された。
現在最も研究が進んでいるのは、磁気閉じ込め方式の一種であるトカマク型であり、ITERでもこの方式を用いられる。
しかし、核融合は自然界恒星で起きているD-D反応では10億度プラズマを必要とし実用が難しいとされ、採用されない。
D (重水素)+ D(重水素)→He (ヘリウム)+エネルギー
反応条件が緩やかなD-T反応は1億度程度の高温で核融合反応が起きるので、実用に適するとして採用されることになっている。
D(重水素) + T(三重水素)→He(ヘリウム) + n(中性子)+エネルギー
三重水素(トリチウム)は放射性元素で放射能の危険性は無視できないし、D-T反応では高速中性子が発生し炉壁などの放射化への問題解決が求められる。
又、トカマク型にも弱点があり、核融合の際に発生する中性子が炉壁などを傷つけるためにその構成材質の変質・耐久力が問題となる。
ヘリウム冷凍で極低温となったニオブ合金が超電導状態となるので、それで強力磁場を形成し1億度のプラズマをトカマク炉内に浮かすのであるが、未だ電気を取り出す程持続出来てはおらず、又ヘリウム冷凍システム故障の場合における安全な熱解放(Quench)システムも未だ万全では無い。
研究炉(JT-60SA)、実験炉(ITER)を経て、発電実証炉に至るのであるが、2050年迄に実現出来るか否か、未だ見通しは立っていないのが現状だろうと思っている。
日本原子力開発機構那珂研究所で1月28日、核融合技術の研究炉JT-60SAの組立作業が始まった。日米欧7ヶ国が平成19年から共同で進めている国際熱核融合実験炉(ITER)計画の一環で、平成31年3月の実験開始を目指す。
ITER計画は、重水素やトリチウム等からヘリウム原子核になる反応を地上で起こし、発電に利用する「核融合発電」の実用化を目指す国際プロジェクト。
JT-60SAは、フランスで建設中のITERの1/2スケールで、直径約13.5m、高さ15.5m。ITERに先行して実験を行い、結果をITERや将来の発電炉に反映させる。
日欧が建設費計435億円を出し、各国で製造したパーツを同研究所で組み立てる。
金曜日, 11月 23, 2012
習近平が仕掛ける新たな反日-中国では発禁処分だろう
共産主義独裁の国家真本主義で発展の一途を辿って来た中国も、官僚腐敗等の制度矛盾により陰りが見えて来たように思われます。
日中国交回復から40年、日本主導の互恵関係から、中国主導の競争関係となり、江沢民時代の反日教育が功を奏して、潜在していた反日暴動も顕在化してもう日中友好時代に後戻りすることはありません。
トウ小平から胡錦涛までの30余年、中国共産党の3代指導者は政治に於いて前例踏襲に終始し、其処に進歩と言う文字は無かった。トウ小平は天安門事件の遺恨を残し、江沢民は宗教団体の法輪功を弾圧し、胡錦濤は非暴力改革派学者の劉曉波を牢獄に送り込んだ。民衆の憤懣と言う火山が間もなく爆発しようとしているのが、現在の中国の姿である。
妥当な分析だと思われるのだが、言論自由が無く、政府批判の許されない中国本土では即発禁処分になるだろうと思われます。
現在、中国には約500の強大な権力と財産を持つ家柄があると言われている。江沢民家族、曾慶紅家族はその華麗なる豪族であり、13億人強の中国人民の頂点に立つ億万長者であり、当然、これら巨大な財産は超特権階級の立場を利用して根こそぎ奪い取って来たものだ。
江沢民と曾慶紅が手を組んで習近平をトップに仕立てた理由も理解できる。習近平に恩を着せ、引き続き自らの利益集団を守らせる-これが江沢民と曾慶紅が仕組んで習近平を引き上げた真の狙いだろう。
胡錦濤の意を汲む李克強が後継者争いで習近平に負けたのは、胡錦濤の策略が江沢民のしたたかさが無かったからだと言えるだろう。
しかしながら、習近平政権の中国は破綻すること無く改革を成し遂げ、中華覇権主義を成功させ世界トップの経済国となって君臨することとなり、日本は中国には単独で対抗出来ないと結論付けていることには、疑念を抱かざるを得ません。
日本は東アジア自由貿易協定にも、TPP協定にも加入することが出来る。更に南に下がって東アジアとインドの巨大市場にも参入することが出来、日本は2大経済圏を左右する大きな鍵となる。
21世紀は、日本にとって挑戦とチャンスの時代で、適切に生かせば、必ず収穫のある世紀となる筈である。反対に、どちらにも付かず決断がはっきりしない場合は、黄金期を逸し、スペインの様な2等国へと陥落し、世界的な経済大国から外れる可能性もあるのだ。
木曜日, 7月 05, 2012
最後の未確認素粒子「ヒッグス粒子」の発見
「神の粒子」と呼ばれ、最後の未確認素粒子とされ、星や生命などの誕生の源である「ヒッグス粒子」の発見に王手が掛ったと言うことです。
欧州合同原子核研究機関(CERN)は、「ヒッグス粒子とみられる新たな素粒子を見つけた」と発表した。
ヒッグス粒子はすべての物質に「質量」を与えた粒子で、神の粒子と呼ばれている。存在が確認されれば、宇宙の成り立ちの解明につながると注目されている。スイスにある巨大な装置で実験を行った結果、ヒッグス粒子とみられる粒子を99.99998%の確率で観測したとしていて、「発見に向けて王手」ということで、現代物理学は新たなステージに突入する。
壮大な宇宙論と素粒子物理論が結びつくのではとロマンを誘う話題ですが、工学技術者である私には、質量とは考える前の前提条件でしかなく、将に「猫に小判」、解説を読んでもなかなか理解しにくいものがあります。
宇宙が誕生した137億年前のビッグバンの瞬間、ヒッグス粒子を含むあらゆる素粒子は光速で飛び回っていた。しかし約100億分の1秒後、宇宙が急膨張したことで冷やされ、水蒸気が水になるような「相転移(そうてんい)」という急激な変化が起きた。その時、飛び回っていた素粒子の周りにヒッグス粒子が結露のようにまとわりつき、素粒子は水の中を泳ぐように動きづらくなった。この「動きづらさ」が質量と考えられている。
宇宙誕生の大爆発(ビッグバン)以来、137億年間未だに膨張が止まらないとされる宇宙であり、質量保持するべく今でも地球を含めて宇宙にはヒッグス粒子が充満してとのことですが、その謎にも挑むことが出来るのでしょうか?
日曜日, 6月 17, 2012
40年廃炉は原子力規制委が判断-40年寿命は妥当
政府が脱原発政策の目玉に掲げた、原発の運転期間を原則40年とする大方針が、早くも揺らいでいる。
三党合意では、40年廃炉の文面だけは残ったが、9月に発足する見通しの「原子力規制委員会」が期間を速やかに見直す規定が盛り込まれ、その判断次第では廃炉の文面は有名無実となる。
規制委は国家行政組織法三条に基づく独立性の高い組織で、有識者5人で構成。5人は国会の同意が必要で、今回の修正と同様に、自民党などの意向に左右される。
「40年を超える原発は、例外に当たらなければそこで止めることになっている」と枝野経済産業相は強調したが、先行きは危うい。
電気事業法技術基準によれば、原子力容器や蒸気タービン等高温に晒される機器は、10万時間クリープラプチャー強度に対して安全率2倍にて設計製造されなければならないことになっていましたし、今でもそれが原則だと考えています。
従って、年間6000時間稼働させるとしますと、16年間は安全に使用出来ることになっています。ですから、当初は原子力発電所も16年使用で寿命廃炉とする計画になっていたと思いますが、何時の頃からか耐用年数が30年、40年と延長され、今では60年との説もあります。技術革新の世の中で、発達した予防整備である程度寿命を延長出来ることは理解するのですが・・
意見具申したのは誰か分かりませんが、政府の言う40年廃炉方針は、通常火力発電30年余の寿命設定から見て一寸長いが、使用材料データ更新も考慮すると妥当ではないかと判断しています。
部品交換し60年超の運転可能とするのは、我田引水の詭弁ではないかと思っています。
40年廃炉を見直す動きの背景には、原子力ムラからの強い巻き返しがある。電力各社でつくる電気事業連合会は1月に「40年で運転制限する技術的根拠の明確化」を国に要望。日本原子力学会も今月、原発は部品交換すれば60年超の運転が可能として、制限は「合理性・科学性に疑問」と反対を表明した。
細野原発事故担当相は40年廃炉を確実にする厳しい基準をつくると宣言していたが、準備はまったく進んでいない。
それどころか、規制機関であるはずの経産省原子力安全・保安院は、東京電力福島第一原発事故について、老朽化の影響は「考えがたい」とする見解を発表。7月に運転開始40年を迎える関西電力美浜2号機の運転延長に道を開く不可解な審査を強行した。
脱原発依存・40年廃炉について政府は明確に約束した。安易な妥協を繰り返し、約束を反古にすることは決して許されない。
同じ様に高温に晒される機器を持つ、自動車、船舶、航空機等はせいぜい20年で寿命とされ、通常は技術革新が20年では格段に進み、旧態依然たる機器は新機種に換装し更新する方が得策とされているのです。
原子力関連では、現状の熱効率の悪い蒸気リアクターから高効率のヘリウムガスリアクターへの技術革新も考えられ、現状の蒸気リアクターに関する電気事業法技術基準だけが例外的扱いで寿命更新することは妥当ではないと思っています。
月曜日, 6月 11, 2012
ダイソンのエアマルチプライアーへの疑問
今年は節電志向が強く、エアコンの替りに高額の扇風機に人気が集まっていると聞き、家電量販店に行ってみました。2万~3万円の種々の工夫をした新製品が並び、結構売れているようでした。
兎に角、中心部と外周部でファン形状を変えたり、ファン枚数を増やして静粛な風切り音となる等、柔らかく一様で自然に吹く風に近い工夫をする技術が発揮されている様で白物家電の好調さはメーカーの努力による処が大きいと感心させられました。
その中で異質を放っていましたのがダイソンのエアマルチプライアー、至って高額で5万円を越えますし、見た目では大きな輪があるだけで羽根が無いのが特徴です。
工学的に言いますと、蒸気エジェクター(Ejector)・空気エダクター(Eductor)を応用したもので、特に突出した技術ではありません。
支柱ポールに内蔵されている遠心式の斜流インペラー(Mixed Flow Impeller)で圧縮された空気を円輪状のスリットから放出して、周りの空気を誘引して15倍の風を作りだす空気エダクター装置なのです。
この斜流インペラーはダイソンのサイクロンセパレータ式掃除機にも利用されているもので、回転数が毎分10万回を越える強力なものですので、高周波騒音が大きいことでも知られています。
通常の改良型軸流式ファンでは、従来の30W動力を半減させ、静音設計で20dBを実現させているのです。
しかしながら、ダイソンのエアマルチプライアーでは40~65Wと所要動力と大きくて節電志向ではありませんし、騒音も改良型軸流式ファンとは較べものにならない程大きいと推測出来ますので、静かな室内で使うには適当では無いと考えるに至りました。
土曜日, 6月 02, 2012
浄土真宗は何故日本で一番多いのか(島田裕巳 著)-幻冬舎新書
日本の主な宗派としては、奈良時代からの南都六宗を始め、天台宗、天台宗から派生した浄土系(浄土宗、浄土真宗)、禅系(臨済宗、曹洞宗)、法華系の日蓮宗等があり、その「宗」の下にはいくつもの「派」が存在する。
浄土真宗では、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)が、その勢力を二分し、共に大教団となっている。
それら宗派及び新宗教(創価学会)の成り立ちと特徴・現状を分かりやすく紹介してくれているのは有り難く、宗派への理解が少し出来る様になりました。
信徒数は曹洞宗が700万人強、真宗本願寺派が700万人弱と続き、真宗大谷派、浄土宗、日蓮宗の順番になるらしい。
しかし、新宗教の創価学会は信徒1700万人とされる最大の宗教集団であり、その他の新宗教集団も相当数の信徒を抱えているが、日蓮宗から派生しつつも、決別して在家仏教を目指して性格を鮮明にして独立方向にあるらしい。
現在の葬式仏教は、曹洞宗の発案で、死者を一旦僧侶にするべく、戒律を授け、戒名を授けると言う仏教の伝統的考え方から外れる儀式を行うのだが、定着して他の宗派にも伝わって行く。
編み出された葬儀方法を通して、故人の供養と言う領域にも進出して、宗派の経済的基盤を充実させたことは大きい。
民間の霊園が多くなり、其処に墓を求めても、檀家関係を結ばないケースが増えている。檀家は本来、寺を支えるスポンサーとしての役割を果たすものであり、檀家離れは寺の経済基盤を失わせることに結びついて行く。
団塊の世代が消滅した後からは、死亡者数は減り、葬儀の簡略化は一層進み、檀家離れも加速されていることだろう。その時点で、本格的な葬式仏教の危機が訪れる筈だ。
しかし、新宗教を含め多様な仏教宗派が産まれ、それが現代にまで受け継がれていると言うことは、それだけ日本人が仏教に多くを期待して来た証でもあるのだ。
我が家でも、葬儀・49日法要は、葬儀社が紹介してくれた青梅市の和尚にお願いしましたが、納骨式、1周忌法要、3回忌法要は、霊園で近郊の和尚を紹介して貰ってことで、寺との檀家関係は無いのです。
日曜日, 5月 20, 2012
米国ノースダコタ州のシェールオイル
昨晩、NHKBSドキュメントWaveで「シェールオイルを掘り起こせ:新石油開発の衝撃」と言う番組で、ノースダコタ州バッケン(Bakken)油田でのオイルブームの様子が放映されていました。
米国は、新技術の開発によりシェールガス層から天然ガスを生産するのに加え、シェールオイル層から原油採掘を開始して、世界一の埋蔵量を保持する国に変貌しつつあり、アメリカンドリームの再来と期待されているのです。
シェールガスとシェールオイル採掘法:
シェールオイル開発は1980年代前半に採掘コストが高く、一旦断念となったのですが、近年の原油高騰で、再び脚光を浴び出したのです!
石油産業コンサルタントEPRINC(Energy Policy Research Foundation, Inc.)からノースダコタ州におけるシェールオイルの開発状況に関する特別レポートの寄稿を受けたので、同社の許可を得て掲載する。
Bakkenシェールオイル層とThree Forksシェールオイル層は、Williston Basinの一部を形成しており、カナダ・サスカチュワン州、マニトバ州、米国ノースダコタ州、モンタナ州、サウスダコタ州を取り囲むように賦存している。
Bakkenシェールオイル層の主要生産ゾーンは、主にノースダコタ州西部、サスカチュワン州南部とモンタナ州東部地域にある世界最大の連続した石油集積層であると考えられている
Bakken地域では、地表から約1万ft(3048m)地下のシェールロック層に軽質・低硫黄原油が賦存している。Bakkenシェールは3層から構成されており、上部はシェールロック層、中間は砂岩/ドロマイトの層、下部は再びシェールロック層となっている。
今日では、通常、中間の砂岩層を対象に水平坑井が掘削され、フラッキング(水圧破砕法)処理が施される。
Bakken地域の原油生産は採掘コストが高いが、先進的な技術の適用や運用会社のサポート強化によって、50ドル/bbl以上の井戸元価格を確保できる限りは、生産は維持できると考えられている。
フラッキング(水圧破砕法)処理は、掘削孔に高圧水やプロパント(砂、セラミック)、化学薬品を坑井から圧入してこのフラックを広げ、シェールオイル層に含まれる原油を坑井側に流し出す技術で、これに高度のノウハウが必要とされている。
しかし、この技術は完成されておらず、地下水脈への環境汚染が懸念されており、一部の州では規制の動きが強まっており、全てのシェールオイル層が、3000mを越える地下に賦存しているとは言えないことから、更なる技術開発が望まれる情勢にあるらしい。
水曜日, 5月 09, 2012
老いて知力が著しく低下-ウィーナーのサイバネティクスが読み難い
現代の制御・通信理論の原点となって、名著とされるウィーナーの「サイバネティクス」が岩波文庫として復刊されていましたので購入して来ましたが、とても読みにくいのです。
雑音の解析・合成には、非線形装置に無作為入力を与え、その出力をエルミート多項式と密接に関係した直交函数系の明確に定義された級数に展開することであり、非線形回路の解析は、多項式の係数を入力信号のあるパラメータの函数として、平均操作により決定することに帰着する。
曲線の予測を行う装置では、変分法の問題から導き出されるある型の積分方程式は、導波管の問題や、その他多くの応用数学の面白い問題にも出て来ることが示された。
大学時代は工学部ではありましたが、応用数学は好きな講義の一つで多少は勉強もし、直交函数系によるフーリエ変換、ラプラス変換、変分法は成程と習ったものでした。
しかし、会社に就職してからは、行列、全微分法、偏微分方程式を適用させることはあっても、積分方程式展開に至ることは無く、何時しか知識は忘却の彼方となっていたのです。
ギブズの統計力学には、時間平均と位相平均が出て来て、これら2種類の平均がある意味同じであることを示そうとした点では正しかったが、その関係の示し方に於いては完全に間違っていた。それにはルベーク積分の知識が不可欠なのだが、やっとアメリカに伝わって来たばかりで、30年後になって初めてフォン・ノイマン等の数学者達が、遂にギブズの統計力学に正しい基礎を与えたのである。
ギブズは同時代のヘヴィサイドと同じ様に、物理数学的な勘が論理に先行し、一般には正しい理論に達するけれども、何故正しいのかと言う説明が出来なかった学者の一人である。
ギブズは熱機関工学者にとって、自由エネルギーで知られる著名学者なのですが、応用数学講義ではルベーク積分の習得も無かったので何とも理解し兼ねる処があります。
又、ヘヴィサイドはフィードバック理論に不可欠なラプラス変換を使って、実質的に制御フィードバック理論を展開させたのですが、厳密な数学理論を基礎づけたラプラスにその名を譲ることになったのです。
実用を重んずる工学の世界では理論より応用が重視されますので仕方が無いのですが、工学者の一員として寂しいものがあります。
何れにせよ、サイバネティクスを読破出来るか否か、甚だ疑問の状態です!
木曜日, 4月 19, 2012
古代インド思想史観からの仏教概説-仏教誕生(講談社学術文庫)
日本では大乗仏教しか流入しておらず、その大乗仏教が最大の論的とした「外道」一派の思想研究を専門とした著者の論述は非常に興味あるものとなっている。
釈尊が創始した初期仏教は、道徳論に近いもので、難解では無かったとするのである。
因果応報の法則に基づいて生類は輪廻しつつ生きていると言う考えの下では、生類が自ら積んだ善悪の所産である。
この教えを代表するものとしては七仏通戒偈で、漢訳では次の通りである。
諸悪莫作 諸の悪を作すことなかれ
衆善奉行 衆くの善を奉行せよ
自浄其意 自ら其の意を浄めよ
是諸仏教 是れ諸の仏の教えなり
成道を得た釈尊その人には善悪は全く存在しない。ただ、釈尊は、窮極の目標に達していない人に向かっては、善をなし悪を止める様に勧めたのである。
仏教を広めるべく、大衆化路線が執られ、釈尊を超人的な仏として崇拝、祈念することによって、その無限の慈悲のお蔭で救われると言う救済思想を生みだしたとし、空海が持ち込んだ密教思想も初期仏教からの変質が激しいとするのである。
しかし、絶対的救済神を奉ずるヒンドゥー教の刺激を受け、西暦紀元前後に興った大乗仏教は、民衆化の名の下に超越的な仏、無辺の慈悲による菩薩救済と言うテーマを打ち出し、禅定と言う名の瞑想も極めて神秘主義的となり、心作用が停止する三昧体験を窮極の目標たる解脱であるとした。
密教に至っては手段が目的とされ、悟りとは三昧体験だと言う瞑想と智慧との区別が全く出来ていない根本的な誤解に貫かれた解釈だと言わざるを得ない。
又、苦行修行による覚り開眼も、禅宗の祖とされる道元をも、釈尊への誤解ではないかと具申するのです。
釈尊は説法を始めてから死に至るまで、苦楽中道の生き方を貫いた。既に釈尊は窮極の目的を達成していたのであるから、この生き方が修行であったとは言えない。
我が国の道元禅師は、「釈尊は生涯に亘って修行生活を送った、覚り(証)は修行(修)の中のみに現れる」と解釈しているが、これは彼独自の美しい誤解である。
結局は、祈祷仏教と葬式仏教に陥ってしまった我が国の仏教は、変革する余地があるのではないかと提言するのです。
わが国で、智慧の生まれ無い処に僅かに生き残ったのが祈祷仏教と葬式仏教だけと言うのも、当然の成り行きだったのであろう。
アジアに仏教と名のつく宗教が数ある中で、日本仏教ほど生のニヒリズムに縁遠い仏教は無かったのである。
既存仏教に飽き足らず数多くの新興宗教が興りつつある現在、著者の提言は仏教界のプロテスタント運動なのか知れないと思われてなりません。
土曜日, 4月 14, 2012
ひきこもれ-吉本隆明(大和書房)
本書は対談集では無いのですが、命題を定めた会話を録音編集したものであり書き下ろし文に較べて冗漫性は否めません。
それでも、我慢して読み続けますと示唆に富んだ提言を発見することが出来ます。
「ひきこもり」は良くなく、ひきこもっている奴は社会に引っ張り出した方が良いと言う考え方に僕は到底賛同することが出来ません。
家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。周りからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない一纏まりの時間」を持つことが、どんな職業にも必ず必要なのだ。
世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身に着けないと一人前になれない種類のものなのだ。
ですから自信を持ってひきこもれと言うのですが、やはり個人では生き抜けないと一般社会的な問題分析を提示するのです。
ひきこもりの人の弱点は、職業を持って自立することが遅れがちなここで、「いい年をして定職に着かない」と非難されることもある。
其処からの展開は、意を決して仕事を見つけることを推奨するのですが、少なからず唐突感があります。
なるべく早く、引っ込み思案ならその自分に合った仕事を見つけた方が良いのだ。何故なら、どんな仕事でも経験の蓄積がものを言うからで、持続と言うことが大切で、ある日突然何者かに成れると言うことは無いと言うことを知っておいた方が良い。
他人に満足をもたらす仕事には熟練が必要であり、又、熟練する程賃金も良くなり、本人にも自分は何かを身につけたと言う実感があります。
「ひきこもり」問題には、吉本隆明も示唆に富んだ提言をしてくれましたが、昔も今も自助努力・他人の助け無しには解決を見つけにくいと言うことで、やはり正解を見つけにくいと言うことなのでしょう。
火曜日, 4月 10, 2012
吉本隆明も老いて凡愚に還る
老いの超え方-朝日文庫
本書は身体、社会、思想、死の4部構成となっており、全てが対談内容をそのまま文章化して纏めたものである。又各部には、著者が過去に述べた対話が、語録集として追加されることになっている。
しかし、どうしてこの様な手を抜いた書籍を発行したのか、対話形式の文章化は編集者に任せ、自分では怠惰に徹して推敲を重ねる労力を惜しんだとしか考えられない。
戦後の日本を代表する詩人で思想家とされる著者も、老いて怠惰となり愚者に還ったのだと考えると合点が行きますが、侘しさが募って仕方が無い。
結局、本書は各部の語録集とあとがきを読めば、良いのでは思われるのだ。
「“もう良いことなんか何もねえよ”と言う軌道に入ったら、希望を小刻みに持つことしかない。今日は孫と遊んで楽しかった、面白かったと言う状態に持っていける様にするしか防ぎようが無い」と「家族の中で死ぬ」ことを強調するだけとするのも何とも情けない。孤立死は避けて通れないことにつき、発信して欲しいものなのに・・
死については、高村光太郎の「死ねば死に切り」と親鸞の「生死は不定である」が良いのではないかと結論付けるのだが、釈迦入滅に際して「後有(ごう)を受けず-即ち来世は無い」と喝破していることから考えると、考察不足では無いかとも疑いたくなってしまう。
本書のせめてもの救いは、書き下ろしの「あとがき」で、ゲーテの色彩論についての解釈で、ニュートンの科学的色彩論に較べて惨敗にも見えるのだが、ゲーテは四季折々の自然の豊富な色彩で「自然は際立っている」と感じる、その生態の謎が認知したい処だったのではなかろうかと述べていることにありそうだ。
詩人・思想家と言うならば、死ぬ直前まで意識のある限り、感銘を与える様な文章を発信し続けて貰いたいものだ。
日曜日, 3月 25, 2012
政府は必ず嘘をつく-堤未果(角川新書)
著者の堤未果女史は現在では少なくなった左派のジャーナリストであり、希少価値があるかも知れません。分析には鋭いものがあるのですが、自己変革に向けての啓蒙活動という方策しか示されていないのは残念に思われます。
しかし、現在問題とされる記者クラブを通じて政官と癒着してしまったマスコミに対してメスを入れたことは読んでみる価値があると思われます。
原発を推進して来た自民党と原発事故を隠蔽する民主党の根っこは同じだった。官僚と企業の癒着が安全神話を撒き続け、マスコミも学者も支配下に置いていた原子力村の存在は、海外メディアにも大きく取り上げられている。
巨大な資金力を持つ経済界が政治と癒着する“コーポラティズム”が支配を進める程に、選挙も又消費活動の一環としてマーケティング戦略に組み込まれて行き、“資本独裁国家”と化して、国民の選択肢は限りなく一党独裁に近いのだ。
対話形式の論理展開が多いので、雑駁の感は否めないが、ナオミ・クライン(Naomi Klein)の「ショック・ドクトリン」の日本版と言えないこともありません。
豊かな国有資源を持つイラクが、フセイン転覆後に大資本の特売場と化したように、リビアの富も又、市場に並べられるのだろうか。ナオミ・クラインが指摘した“戦争と債権の民営化モデル”が、此処にも見え隠れしている。
TPPへの参加協議を迎える日本も例外で無く、東日本大震災被災地における外資への税制優遇が「特区構想」や、「グローバル化」を掲げるだけでその実態は説明されないままだ。5大紙の社説はこうしたワンフレーズを含む推進内容になっており、「漁協」「農協」が旧体制のシンボルとして成長を阻む敵の様に描かれている。
TPP全加盟国の中でアメリカだけが、自国内法と異なるルールが検討事項に挙がった際、議会の承認が得られないことを理由に拒否できるのだ。これはTPPが自由貿易ではなく、アメリカ政府が要求するルールに支配されるものであることを示している。
これらショック・ドクトリンへの対抗策は、FacebookもTwitterも“コーポラティズム”範疇にあるので、自己変革が必要だと結論づけるのには竜頭蛇尾と残念に思われて仕方がありません。
原発も放射能汚染も、TPPも金融危機も、医療も教育も第一次産業も、様々な立場からの声が上がるだろう。大切なのは一つの情報を鵜呑みにせず、多角的に集めて比較し、過去を紐解き、自分自身で結論を出すことだ。
マルクスが望んだ「99%のプロレタリアよ、団結せよ!」は、資本独裁主義へのアンチテーゼとして復権されるべきなのでしょう!
土曜日, 2月 25, 2012
不確定性原理が訂正されるらしい
20世紀の物理学の発達は、アインシュタインの天才振りに負う処が大きいのです。
光は波動でもあり粒子でもあると言う光量子説で、ニュートン力学を超越することとなり、光電効果は次の様に表され
E=hν-W (hはプランク定数)
光センサとしての用途が広く、各種の研究開発や工業生産・測定などの現場で利用されていて、太陽光発電も此処から派生したと考えられます。
相対性理論では、物質のエネルギーは次の様な簡便な等式で表わされることを推奨し
E=mc2 (cは光の速度)
核物理学が発展し、核分裂の連鎖反応による原子爆弾兵器の製造を導くこととなった。尤も彼は核爆弾禁止活動に奔走し、原子力平和利用に邁進努力したとされています。
1927年にハイゼンベルクの不確定性原理が発表されたのですが、アインシュタインは自然は極めて単純な等式で表わされると言う経験と自負から、認め難たったとされています。
ハイゼンベルクが提唱した不確定性原理は、等式で無く不等式で表わされるからです。
εqηp ≧ h/4π (hはプランク定数、πは円周率)
アインシュタインの想いに反して、あらゆるものが曖昧で確率的にしか決まらないと言う不確定性原理は認知されることとなり、量子コンピュータや量子暗号等、情報技術の研究の有力な武器になって来ていますが、この有名な不確定原理が訂正されるらしいのです。
数学者の小澤名古屋大教授は、2003年にハイゼンベルクの式を修正する「小澤の不等式」を提唱しました。
εqηp + σqηp + σpεq ≧ h/4π
新たに出てきたσq,σpというのは物体の位置と運動量が,測定前にもともと持っていた量子ゆらぎ。ハイゼンベルクの原式と違って、εqやηpがゼロになっても、σqやσpが無限大であれば成立します。つまり誤差ゼロの測定が実現できるのです。
「小澤の不等式」は「ハイゼンベルクの不等式」を厳密に整理し直したものですから、量子力学の基本方程式は変わりません。
尚、光速を超えたとしたニュートリノの実験結果は間違いだったと最近報道されていますので、アインシュタインの相対性理論は存続する様子です。
土曜日, 2月 11, 2012
天災と国防-寺田寅彦 そして原発問題
寺田寅彦氏は、悲惨な自然災害には、過去の教訓を無視した人災が大きく影響する結果となり、それが2千年来繰り返されていると断じています。

昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかった様である。それは実際いくらか考え映えがする世の中であったからかも知れない。
これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細い様な気がする。2千年来伝わった日本人の魂でさえも、打ち砕いて夷狄の犬に喰わせようと言う人も少ない世の中である。一代前の言い置き等を歯牙にかける人はありそうもない。
しかし地震や津波は新思想の流行等には委細構わず、頑固に保守的に執念深くやって来るのである。科学の法則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
それだからこそ、20世紀の文明と言う空虚な名を恃んで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は1923年の地震で焼き払われたのである。
解説者の畑村洋太郎氏は、その寅彦氏の述懐を反映して、福島第一原発の深刻な事故について次の様に解説しています。
日本全国には原発反対運動と言う大きな縛りがある。電力会社は反対派に対抗する為に「原発は絶対に安全」と言う建前を貫き、その根拠を国の定める外部基準に求め、盾にする様なことをして来た。
しかし原子力を運用する組織がこれを前提に動いていたら、これ程危険なことは無い。
福島第一原発の深刻な事故に結びついたとすると当然の成り行きとしか言いようが無い。
安全対策と言うのは危ないことを前提に動いているから効果があるのである。想定外の問題が起こった時に正しく対処するには、進むべき道を自分で考える為の内部基準が必要となる。内部基準が無い場合は、想定外の門題が起きると大抵は思考停止状態に陥る。
福島第一原発で全ての電源が喪失すると言う想定外の事故が起きた時、何も手を打たず、当然予想できた水素爆発が起こるのを許してしまった。そうすると、この事故は想定外の問題に対して対処出来る内部基準を備えることを怠った組織不良によるものであることは間違い無いのである。
災難であれ失敗であれ、辛い厭なものだが、これらは使い様によって人間を成長させる糧にすることも出来る。自然災害による試練は、地球に住む限り避けては通れない宿命である。そうであるなら、寺田の言う通り、寧ろこれらと向き合って、多くの知恵を授かる様にした方が良いだろう、それが賢い生き方と言うものである。
従来の想定内の事故に対する「制御安全」に拘泥することなく、他国からのミサイル攻撃に耐え得る「本質安全」を目指して聖域なき奮闘努力をして頂きたいものだと思っております。
畑村氏とはどうも大学同期生で、私が学んだ航空学科では、鵜戸口英善氏の材料力学講義、藤井澄二氏の振動学講義には機械学科建屋に出向いて講義を受けていましたので、机を並べて学んでいたと思われますが、学科の違いもあり覚えていませんのは残念です!
金曜日, 2月 10, 2012
中公新書 寺田寅彦-和魂洋才の物理学者
「天災は忘れた頃にやって来る」とは物理学者である寺田寅彦の警言として良く知られています。
東大教授として理化学研究所主任研究員として、ノーベル賞になるべき種々の科学業績を残しつつ、随筆家としても文筆家として類稀なる足跡を残しています。
彼は興味の視点が多岐に亘っていて、理学博士の学位論文が「尺八の音響学的研究」と一風変わった学位論文で、イギリスのノーベル物理学者レーリー卿の「音響理論」に触発されて研究されたものでした。
その論文選択には、熊本第五高等学校からの恩師であった夏目漱石の文学的影響に加えて、科学への係わり方、人生観への影響も少なからずあったのだと推断出来ます。
しかし其処で、著者は寺田寅彦には二人の師がいたとし、それは夏目漱石とレーリー卿だと断ずるのですが、著者の勝手な思い入れと解釈で、真実は違うのではないかと思わざるを得ません。
寅彦には夏目が人生の師であり私淑したことは確かでしたが、彼を通して“高等遊民”的な人生感を学び、感化された「音響理論」を上程したレーリー卿が偶々“高等遊民”的な生き方していたことに憧れたのかも知れないと考えるのが妥当だと思うからです。
しかし、著者の寅彦に対する判断は以下の点では納得出来るものがありました。
20世紀初頭は物理学の“疾風怒涛”の時代で、こうした嵐の吹き荒れる時代に身を置いた寅彦は、古典物理学の世界に専心し、科学解説サイエンス・コミュニケーションと言う試みを行い、新しい潮流にも力を入れると言う“棲み分け”をしながら、物理学全体を視野に収めた稀有な存在であった。
アインシュタインの「相対性理論」が発表された際に、その素晴らしさを認識した世界でも数少ない物理学者の一人とされていることから、そのことが分かります。
彼が研究視点を分散せず、新しい物理学研究に専心することがあったら日本人初のノーベル物理学受賞者になったことだと思われてなりません!
月曜日, 11月 07, 2011
変換効率36.9%の太陽電池
太陽電池は光電効果で太陽光から直接発電する方式ですが、変換効率の低さが災いして大規模化するには設置面積が大きくなり過ぎる欠点があります。
太陽電池実用化開始時点では10%に満たなかった変換効率も20%を超えて来ていますが、初期投資が過大で、補助金無しの事業展開は無理だと見ていました。
その変換効率が目標値の40%に近づいて来ていると言う注目すべきニュースがありました。
形式は良く知られているSi結晶系ではなく、化合物太陽電池とのことで、コストが高いことが難点の様に思われます。
In(インジウム)、Ga(ガリウム)やAs(ヒ素)などを用いることから主に人工衛星などの用途に限られる様ですが、資源再利用を含めたコストダウンで地球上での一般住宅や車等への技術的波及効果を期待して注目して行きます。
シャープは「化合物3接合型太陽電池」にて変換効率36.9%を達成したことを発表した。
化合物太陽電池は、Si結晶系に比べて高い変換効率を実現出来るが、コストもSi結晶系に比べて高くなってしまい、Ga(ガリウム)やAs(ヒ素)などを用いることから一般住宅ではなく主に人工衛星などの用途に用いられている。
同社は2000年から違う波長の光吸収層をGaAs基板からトップ/ミドル/ボトム層の順に積み重ねて、最終的にGaAs基板から切り取ってさまざまな別の基板に転写することで高効率化を実現する「化合物3接合型太陽電池」の開発を進め、2009年にはボトム層を従来のGeからInGaAsに変えることで3層を効率よく積み上げ、かつ取り出せる電力をより向上できる技術を開発し、変換効率35.8%を実現していた。
今回の研究では、その3層に積層された太陽電池の各層を直接につなぐための必要な接合部の抵抗を低減させることで変換効率の向上を実現した。
将来的には量子ドットなどを4層目として挿入し、4層構造とすることで、さらなる効率の向上を目指しており、通常の地上での変換効率40%、集光型太陽電池での変換効率50%の達成を目標として開発を進めていくとしている。
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が掲げる太陽電池の変換効率の2014年目標値は達成済みで、2025年目標の宇宙37%、地上40%、集光50%を実現させる段階に入りつつある
放熱板との一体化による集光型での高効率化やフィルム転写によるフレキシブル化、GaAs基板の再利用技術の模索などを進めることで、量産効果/リサイクルによる低コスト化の実現を目指すとしている。フィルム型太陽電池が実用できれば、重量とスペースの問題が常に付きまとう宇宙機にとってもブレークスルーとなる可能性も考えられる
化合物太陽電池に関しては、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が評価を進めており、2013年には部品認定を受ける予定で、宇宙での実証実験を経た後、2014~15年頃には実用化としたいとしている。
日曜日, 10月 23, 2011
角栄礼賛のドキュメンタリー-日中国交正常化(中公新書)
田中角栄には金権政治のイメージがあり、その亜流たる小沢一郎もマスコミで叩かれ放題の状況にあります。
しかし、懸案の日中国交正常化を、日米安保体制と両立させ、台湾との民間交流を続けつつ、一気呵成に成し遂げた功績は、日本の国益を考えるとやはり認めなければなりません。
その際の日中共同声明は前文と9項目の本文からなり、両国にとって国情を反映した妥当な声明であると思われるのです。
本文第7項目:
日中両国の国交正常化は、第3国に対するものでない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域に於いて覇権を求めるべきでなく、この様な覇権を確立しようとする他の如何なる国或いは国の集団による試みにも反対する。
しかしながら、近年中国の覇権主義が台頭して、その精神に悖る海洋権益拡大の動きが出て来ていることには残念な思いがしてなりません。
著者は次の様に自分の思いを述べていて、自分の論理に陶酔している感もするが、私の息子世代である若さも、その探求心故にそれなりに評価してあげたいと思うのです。
田中と大平の個性が共振する姿を外交交渉を描きつつ、あり得べき政治指導の姿を探し求めた。政治指導のあり方は、少なからず官僚の使い方に現れるもので、彼らの果たした役割も、インタビューを通じて正当に評価しようと心掛けた。
近年、政治家が官僚との対決を標榜する傾向が見られるものの、少なくとも外交に関する限り未熟な方法と言わねばなるまい。
本文第3項目:
中華人民共和国は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する。
近頃、マスコミも中国政府の宣伝に乗せられて、台湾は中国の一部であることが既成事実の様な論調も目立つのだが、共同声明では、両国の主張併記で、日米安保体制にも抵触させない配慮がなされていることに、改めて確認したいと思うのです。
又、尖閣諸島については、周恩来首相は、日本が実効支配する領土について自国から発議するのは外交上得策では無いと認識し「尖閣諸島について話すのは良くない。石油が出るから問題になった」と話を打ち切ったと言う。そして、対ソ戦略を重視する百戦錬磨の周首相は、日中共同声明の調印を急ぎつつ、日本外交の不慣れさを救ったのだとの逸話が載せられているのは、日本国民として感謝・留意したいものです。
近年の中国外交部には、覇権主義が横溢して、その様な偉大なステーツマンが皆無となりました。
土曜日, 10月 15, 2011
Indignez-vousをAmazonで購入予約
著者ステファン・エッセルは93才、第2次世界大戦のレジスタンス闘士で、ユダヤ人であるにもかかわらず、イスラエルを糾弾する積極的な活動を続けている稀有な人物の様です。
世界的に若者の抗議運動が熱を帯びていますが、フランスではベストセラーとなって、若者たちのバイブルにもなっていると報じられています。
僅か20ページ程の小冊子で、この年末にも邦訳が出版されるとのことですが、フランス語の再学習を込めて、Amazonで購入予約をしました。
1 "Indignez-Vous!(憤激せよ)"
Stephane Hessel; ペーパーバック; ¥ 385
2 "Time for Outrage!(怒りの時)"
Charles Glass; パンフレット; ¥ 485
どうも在庫は無いらしく、入手は11月4~13日と4週間程度掛るとのことです。配送料を含めて1000円程度と考えています。
インターネットで“Indignez-vous”検索しますと、著者に対するインタビューが多数見つかりましたが、93才と言う高齢にも拘わらず、矍鑠たるものがありました。
indignez-vous--de-stephane-hessel-quand-un-ancien-resistant-parle-d_engagement
ステファン・エッセルは、1917年ベルリンで生まれ、1925年にフランスに移住。両親はユダヤ人。父親はプルーストをドイツ語訳した人で、母親は画家。
1937年にフランス国籍を取得。第二次大戦でドイツ軍の捕虜になるが、脱走してロンドンのドゴール将軍の指揮下に入る。
1944年フランスの戦線に戻るが捕えられ、ドイツの強制収容所に移送される。脱走に成功するも再び逮捕、またまた列車から飛び降りて逃亡し、アメリカ軍に加わる。
戦後は国際連合事務局に入り、世界人権宣言の起草に寄与。
アルジェリア戦争当時は、アルジェリア独立運動を支持。1981年ミッテラン大統領によって、フランスの国連大使に任命される。現在、ユダヤ人であるにもかかわらず、パレスチナ人の側に立ってイスラエル商品ボイコットのキャンペーンを行うなど、積極的な活動を続けている。
木曜日, 10月 06, 2011
通貨を知れば世界が読める-PHP新書
著者の浜矩子(はま のりこ)女史は、度々TVに出演しているが、なかなか説得力のある解説者だとコメントを傾聴しています。
一橋大学は、哲学的な方向付けよりも、実務的な経済学者を輩出していることで知られていますが、彼女もそうした基本方針で育てられた人材の一人の様に思われます。
基軸通貨の米ドルが危うくなり、後継とも目された欧州ユーロも先行きが不安視される中、著者の定義は納得出来るものがあります。
「その国にとって良いことが世界にとっても良いことであると言う関係が成り立っている国の通貨」が、国際的基軸通貨と呼ぶに価する。
大英帝国が世界の富を一手に握った「パックス・ブリタニカ」の時代のポンドがそうであり、第2次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ」の時代のドルもそうであった。
それを踏まえた現状分析は、甚だ厳しいものがあります。
2000年代も後半になり、通貨を取り巻く状況を大きく変えた二つの「まさか」が起きた。2008年のリーマン・ショック、及び2009年のギリシャ金融危機である。
前者は、既に実質的には基軸通貨の座を降りたにも拘わらず、それを認めようとしないアメリカへの退場勧告とも言うべきものであり、後者は、ドルに替る基軸通貨として期待されたユーロが、その役割を果たせないこと、更に、その存在すら危ぶまれるものだと言うことを示す警戒シグナルであった。
円高圧力の強い日本の現状分析には、円を裏基軸通貨として展開するのが良いとし、日本人を鼓舞させようとする意図が強い。
今回の東日本大震災で、地球的なサプライチェーンがどれだけ大きな影響を受けたかを考えても、グローバルな次元での日本の社会的責任は大きい。円が動けば世界が揺れる、日本の物作りが揺らげば世界が倒れる。成熟債権国は、自らの行動や降りかかる命運の波及効果を常に意識しておかなければいけない。
明らかに、子供じみた振る舞いとの決別の時が来ている。大人の国の大人の通貨を大人らしく管理する覚悟が求められている。
強い通貨と豊富な債権、そして知恵と工夫を用いて、如何に豊かな国を築いて行くかが問われていて、日本が前人未到の大人の世界を自力で開拓することは、日本型ジャスミン革命となるのではないか。
大きな政治的課題であるTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)には、基本的には反対の様で、21世紀食糧自力調達が問われている現状を踏まえてかは不明ですが、納得出来るものがあります。
TPPは、環太平洋の国々が協定を結んで自由貿易圏を作ろうと言うものであるが、要は特定地域の囲い込み政策で、いわば集団的鎖国主義である。基本的に閉鎖主義的な対応である。
通貨と通商の世界における自己防衛的囲い込みが、地球経済をズタズタに分断して行くのが最悪のシナリオで、其処に向かわない様に、債権大国の誠意ある大人の外交が問われる処だ。
木曜日, 9月 29, 2011
数学は矛盾しているか不完全のどちらかである
先日本屋に行って、気軽に読める新書本ではなく、偶にはじっくりと読める図書を探していましたら、ゲーデル著「不完全定理」と言う岩波文庫がありましたので、買って帰りました。
51年昔、教養学部での数学の講義は、高校時代での問題を解くことを主にする授業と違い、定義を大切にする意味合いが強く、興味深いものでした。
解析学では、当時微分幾何学の気鋭学者である長野正氏が講師で、参考書は高木貞治著「解析概論」と言う名著でした。
代数学では、講師は森繁雄氏で、受験参考書で知られていた人で、スミルノフ著「高等数学教程」を参考書として勧められました。
その後、工学部に進みましたので、数学講義も純粋数学から応用数学へ転換し、犬井鉄郎氏の講義となりましたが、やはり興味をそそるものがあったのです。
企業に入り、応用数学適用の命題が多く、寺沢寛一著「数学概論」を参考にすることも多くなり、業務上の難問解決の為、微分方程式の構築、行列知識の適用・応用等には心血を注いだものでした。
しかし50年を過ぎて、頭もすっかり硬くなり、純粋数学書では、なかなか読み進めることが出来ません。
やはり、工学者の弱点でもあるのでしょうか、物理的意味合いの無い命題を、数学的に理解する意気が続かないのです。
1.形式系と呼ばれる論理学の人工言語で記述された数学は、その表現力が十分豊かならば、完全且つ無矛盾であることはない。(第一不完全性定理)
2.形式系が無矛盾であると言う事実は、その事実が本当である限り、その形式系自身の中では証明出来ない。(第二不完全性定理)
20世紀最大の数学者ヒルベルトは、数学における合理性を究極の形で確立すると言う、極めて近代ヨーロッパ的な目的を担っていたが、上記ゲーデルの不完全性定理が結果的に合理性に対する素朴な信頼性に否を突き付ける形になった。
その為、数学の定理でありながら、西洋哲学、心理学、思想、情報学等の研究者を引き付け、様々な影響を与える結果となっている。
解説が面白いので、もう少し読み進めますが、読破する自信は全くありません!
我が家の本棚には、永らく使われたことが無いまま、高木貞治著「解析概論」、寺沢寛一著「数学概論」、スミルノフ著「高等数学教程」12巻は、寂しく眠っています。
51年昔、教養学部での数学の講義は、高校時代での問題を解くことを主にする授業と違い、定義を大切にする意味合いが強く、興味深いものでした。
解析学では、当時微分幾何学の気鋭学者である長野正氏が講師で、参考書は高木貞治著「解析概論」と言う名著でした。
代数学では、講師は森繁雄氏で、受験参考書で知られていた人で、スミルノフ著「高等数学教程」を参考書として勧められました。
その後、工学部に進みましたので、数学講義も純粋数学から応用数学へ転換し、犬井鉄郎氏の講義となりましたが、やはり興味をそそるものがあったのです。
企業に入り、応用数学適用の命題が多く、寺沢寛一著「数学概論」を参考にすることも多くなり、業務上の難問解決の為、微分方程式の構築、行列知識の適用・応用等には心血を注いだものでした。
しかし50年を過ぎて、頭もすっかり硬くなり、純粋数学書では、なかなか読み進めることが出来ません。
やはり、工学者の弱点でもあるのでしょうか、物理的意味合いの無い命題を、数学的に理解する意気が続かないのです。
1.形式系と呼ばれる論理学の人工言語で記述された数学は、その表現力が十分豊かならば、完全且つ無矛盾であることはない。(第一不完全性定理)
2.形式系が無矛盾であると言う事実は、その事実が本当である限り、その形式系自身の中では証明出来ない。(第二不完全性定理)
20世紀最大の数学者ヒルベルトは、数学における合理性を究極の形で確立すると言う、極めて近代ヨーロッパ的な目的を担っていたが、上記ゲーデルの不完全性定理が結果的に合理性に対する素朴な信頼性に否を突き付ける形になった。
その為、数学の定理でありながら、西洋哲学、心理学、思想、情報学等の研究者を引き付け、様々な影響を与える結果となっている。
解説が面白いので、もう少し読み進めますが、読破する自信は全くありません!
我が家の本棚には、永らく使われたことが無いまま、高木貞治著「解析概論」、寺沢寛一著「数学概論」、スミルノフ著「高等数学教程」12巻は、寂しく眠っています。
木曜日, 9月 22, 2011
LEDナツメ球
先日、蛍光灯の真ん中についていて常夜灯に使うナツメ球(豆球、ベビー電球)が切れましたので、100円ショップに買いに行きました。
!従来のナツメ球は白熱電球タイプで、フィラメントが光り消費電力は5W程度のものが一般的です。
105円で2個入っているのが売られていましたが、同じ棚にはLEDナツメ球1個が105円で陳列されていましたので、LEDタイプのものを購入することにしました。
蛍光灯の真ん中に付いているナツメ球(豆球、ベビー電球)は、LED光源のものが数年前から実用レベルになって来ている様です。
LEDタイプの消費電力は0.5Wと白熱電球タイプに比べ、1/10に過ぎませんのも魅力です。
玄関外灯、階段灯、トイレ灯等の60W白熱電球はLED電球に取り換えましたが、従来の白熱電球が100円程度で買えたのに比べ、2000円とは高過ぎますので、風呂場灯、玄関内灯は800円程度で買える蛍光灯タイプのままにしてあります。
それでも、消費電力は1/5にはなるからです。
ランニングコストが安いため、短期間使うだけなら白熱電球がお得、長期間使うならLED電球が良いと言われますが、イニシャルコスト次第だろうと思っています。
しかし、LEDナツメ球は従来のものに較べて、2倍程度の価格で手頃、他の場所も取り替えて行こうかと思っています。
!従来のナツメ球は白熱電球タイプで、フィラメントが光り消費電力は5W程度のものが一般的です。
105円で2個入っているのが売られていましたが、同じ棚にはLEDナツメ球1個が105円で陳列されていましたので、LEDタイプのものを購入することにしました。
蛍光灯の真ん中に付いているナツメ球(豆球、ベビー電球)は、LED光源のものが数年前から実用レベルになって来ている様です。
LEDタイプの消費電力は0.5Wと白熱電球タイプに比べ、1/10に過ぎませんのも魅力です。
玄関外灯、階段灯、トイレ灯等の60W白熱電球はLED電球に取り換えましたが、従来の白熱電球が100円程度で買えたのに比べ、2000円とは高過ぎますので、風呂場灯、玄関内灯は800円程度で買える蛍光灯タイプのままにしてあります。
それでも、消費電力は1/5にはなるからです。
ランニングコストが安いため、短期間使うだけなら白熱電球がお得、長期間使うならLED電球が良いと言われますが、イニシャルコスト次第だろうと思っています。
しかし、LEDナツメ球は従来のものに較べて、2倍程度の価格で手頃、他の場所も取り替えて行こうかと思っています。
木曜日, 9月 15, 2011
星と嵐(五つの北壁登行)
森林浴を満喫するべく、時々日帰りで低山トレッキングをしています。
日帰りとするのは、噴き出た汗をゆっくりと自宅のシャワーで流しつつ、疲れた体を休めるのが快適と思っているからなのです。
何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。
もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。
森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。
マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。
28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。

下りでしたので息が切れる訳でもありませんでしたが、富士山頂を越える高さでアルプの世界、周囲は殆ど瓦礫だらけで、その下は永久凍土の世界だったと記憶しています。
日帰りとするのは、噴き出た汗をゆっくりと自宅のシャワーで流しつつ、疲れた体を休めるのが快適と思っているからなのです。
何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。
もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。
森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。
マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。
28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。
下りでしたので息が切れる訳でもありませんでしたが、富士山頂を越える高さでアルプの世界、周囲は殆ど瓦礫だらけで、その下は永久凍土の世界だったと記憶しています。
木曜日, 9月 08, 2011
学校秀才の内部告発-官僚の責任
財務省と並んで、キャリア組のエリートが集まる省ともされる経産省生え抜きの改革派キャリアの内部告発なのですが、今話題となっている松下政経塾と関係の深いPHP新書であるのが気に掛ります。
彼の名は古賀茂明、仙石由人の彼に対する脅しは、2010年7月に辞任を、9月にイジメ出張を強要、10月の覚悟を決めて古賀審議官が国会参考人発言したことに、意味の無い公開恫喝を行ったことで、一躍知られることとなりました。
彼は、次の様に分析していて、正鵠を得ている様に思われます。
日本の官僚は優秀でも公正でも中立でも無い。「官僚組織は最高の頭脳集団」は単なる幻想に過ぎなかった。
「世界一」と我々が信じ、拠り所にして来た日本の技術力の高さが、原発事故の対応の拙さから、実は幻想に過ぎなかったと言う現実が明らかになったと同じ様に、日本の官僚も、専門知識に乏しく、判断も決断も出来ず、自分では責任を取ろうとしない、素人集団であることを、広く国民の前に露呈してしまった。
原子力の分野に留まらず、財政悪化させたことから明らかな様に、財務官僚のレベルもお粗末なもので、あらゆる分野で日本の官僚は世界標準に較べて相当遅れていると言わざるを得ない。
それどころか、今や危機的状況にある国を食い潰し、崩壊させかねない存在になっていると言っても過言では無くなっている。
しかし、実務経験に乏しい学校秀才の出自による限界なのか、本書後半の提言で「官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人達が集まれば、未だ何とかなる」との認識には大きな違和感を持たざるを得ません。
「東大法科卒エリートが国を動かす」と言う永らく是認されて来た方針は、東京電力、保安院やエネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性の無さは、失敗だったことを示しています。
其処で、政治家や官僚の思惑で何かを決めるのではなく、国民の強い意志を反映させた産学政官共通基盤で国民を導く体制を構築すること、後世の検証に耐え得る組織が要求されているのです。従前のキャリア組主導方式では上手く行かないのですから・・
上記の如く、起承転結の「転」部分には肯ずる訳には行かない処がありますが、「結」部分には納得出来るものがあります。
消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうでは無く、既得権益グループと戦える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費増税を小さくしても大丈夫な道筋をつけることに命を賭けて欲しい。
そして公務員改革を断行して官僚が真の政治家を全力で支える、それが理想だ。
彼の名は古賀茂明、仙石由人の彼に対する脅しは、2010年7月に辞任を、9月にイジメ出張を強要、10月の覚悟を決めて古賀審議官が国会参考人発言したことに、意味の無い公開恫喝を行ったことで、一躍知られることとなりました。
彼は、次の様に分析していて、正鵠を得ている様に思われます。
日本の官僚は優秀でも公正でも中立でも無い。「官僚組織は最高の頭脳集団」は単なる幻想に過ぎなかった。
「世界一」と我々が信じ、拠り所にして来た日本の技術力の高さが、原発事故の対応の拙さから、実は幻想に過ぎなかったと言う現実が明らかになったと同じ様に、日本の官僚も、専門知識に乏しく、判断も決断も出来ず、自分では責任を取ろうとしない、素人集団であることを、広く国民の前に露呈してしまった。
原子力の分野に留まらず、財政悪化させたことから明らかな様に、財務官僚のレベルもお粗末なもので、あらゆる分野で日本の官僚は世界標準に較べて相当遅れていると言わざるを得ない。
それどころか、今や危機的状況にある国を食い潰し、崩壊させかねない存在になっていると言っても過言では無くなっている。
しかし、実務経験に乏しい学校秀才の出自による限界なのか、本書後半の提言で「官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人達が集まれば、未だ何とかなる」との認識には大きな違和感を持たざるを得ません。
「東大法科卒エリートが国を動かす」と言う永らく是認されて来た方針は、東京電力、保安院やエネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性の無さは、失敗だったことを示しています。
其処で、政治家や官僚の思惑で何かを決めるのではなく、国民の強い意志を反映させた産学政官共通基盤で国民を導く体制を構築すること、後世の検証に耐え得る組織が要求されているのです。従前のキャリア組主導方式では上手く行かないのですから・・
上記の如く、起承転結の「転」部分には肯ずる訳には行かない処がありますが、「結」部分には納得出来るものがあります。
消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうでは無く、既得権益グループと戦える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費増税を小さくしても大丈夫な道筋をつけることに命を賭けて欲しい。
そして公務員改革を断行して官僚が真の政治家を全力で支える、それが理想だ。
火曜日, 5月 31, 2011
スマートグリッドは何処に行ってしまったのか?
ベース電力となっていました原子力発電が疑問を持たれる様になって以来、東電も自信を持って宣伝していたスマートグリッドの話題はすっかり霞んでしまいました。
太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーの導入に、スマートグリッドを構築する必要性は高い。
太陽光や風力などは、その発電量が天候や気候に左右され、非常に不安定だ。更に、電力需要が少ない時に供給量が増加してしまうと、送電・配電線に大量の電力が送られ、負荷をかけることになってしまう。そのため、需要と供給のバランスを調整するなどの系統安定化策が不可欠。
具体的には、大型の蓄電池を設置することで電力をプールする方法や、電気自動車の蓄電池としての代替利用、コージェネやガスエンジンといった機器の電力源としての利用など、他の設備に余剰分の電力を移す方法がある。
停電対策よりも再生可能エネルギーの導入のために推進される日本のスマートグリッドだが、その仕組みづくりには、関連する多くの分野からの協力体制が必要になる。
次世代インターネットの経済学-依田高典
2011年現在、日本のブロードバンド・インフラは有線も無線も世界一である。それでも、医療のデジタル・オンライン化は遅れ、中小企業のICT利用も課題が多い。
他方で、インフラ整備で後れを取るアメリカでは、GoogleやAmazonなど時代の寵児が、Microsoftの牙城を脅かす迄に成長した。世界の最富国アメリカのことだ。インフラ整備の遅れは10年で取り戻すことだろう。
その時、ガラパゴス化した日本に何のアドバンテージが残るのだろうか?
そんな思いで、研究テーマをスマートグリッド・エコノミクスと決めた。スマートグリッドとは、ICTを有効利用し、電力系統の効率化を図り、環境に優しい分散型電源の導入を促進し、消費者の省エネ行動の変容を促すエネルギー産業のイノベーションである。
ブロードバンド・エコノミクスと行動経済学の研究成果を一段高いレベルで統合するものと言って良い。
近頃話題となっている「光の道」の根幹となるFTTH(Fiber to the Home)、固定・携帯電話の融合サービスMC(Fixed-Mobile Convergence)にも識見に満ちた解説と提言があり、時宜を得たもので読んでおきたい書籍だと思われます。
太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーの導入に、スマートグリッドを構築する必要性は高い。
太陽光や風力などは、その発電量が天候や気候に左右され、非常に不安定だ。更に、電力需要が少ない時に供給量が増加してしまうと、送電・配電線に大量の電力が送られ、負荷をかけることになってしまう。そのため、需要と供給のバランスを調整するなどの系統安定化策が不可欠。
具体的には、大型の蓄電池を設置することで電力をプールする方法や、電気自動車の蓄電池としての代替利用、コージェネやガスエンジンといった機器の電力源としての利用など、他の設備に余剰分の電力を移す方法がある。
停電対策よりも再生可能エネルギーの導入のために推進される日本のスマートグリッドだが、その仕組みづくりには、関連する多くの分野からの協力体制が必要になる。
次世代インターネットの経済学-依田高典
2011年現在、日本のブロードバンド・インフラは有線も無線も世界一である。それでも、医療のデジタル・オンライン化は遅れ、中小企業のICT利用も課題が多い。
他方で、インフラ整備で後れを取るアメリカでは、GoogleやAmazonなど時代の寵児が、Microsoftの牙城を脅かす迄に成長した。世界の最富国アメリカのことだ。インフラ整備の遅れは10年で取り戻すことだろう。
その時、ガラパゴス化した日本に何のアドバンテージが残るのだろうか?
そんな思いで、研究テーマをスマートグリッド・エコノミクスと決めた。スマートグリッドとは、ICTを有効利用し、電力系統の効率化を図り、環境に優しい分散型電源の導入を促進し、消費者の省エネ行動の変容を促すエネルギー産業のイノベーションである。
ブロードバンド・エコノミクスと行動経済学の研究成果を一段高いレベルで統合するものと言って良い。
近頃話題となっている「光の道」の根幹となるFTTH(Fiber to the Home)、固定・携帯電話の融合サービスMC(Fixed-Mobile Convergence)にも識見に満ちた解説と提言があり、時宜を得たもので読んでおきたい書籍だと思われます。
水曜日, 11月 03, 2010
森の妖精と三人の女神
この書籍は、先日56年振りの小学校同窓会で同級生から贈呈されたもの、純物語を読むのは久しぶりでした。
小中と同級、同じクラスになったことは無いことから、親しく話をしたことが無かったのですが、彼の生き様を知って貰いたいと自分の著書をくれたのだろうと想像しています。
水の惑星と呼ばれる地球も、遠い原始の時代には赤茶けた岩と砂漠しか無かったのだが、神のいたずら心から緑の園が造られることになった。しかし、神の単なるいたずら心では、その園も永続きがせず、太陽と月の支援を受けた森の妖精と三人の女神が、緑の園を生命感の溢れる森の姿に変貌させる物語となっています。

著者は緑の森への深い想いが強烈で、擬人的な太陽と月、及び森の妖精と三人の女神との会話体で物語を展開して行くのです。
そんな会話を読みながら、ふとボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」で女神達が集う様を思い浮かびますし、又勤しんで造り上げた森を大切に思う気持ちはサン・テグジュペリの「星の王子様」で残して来たバラを思う気持ちに通じるものがありました。
この本は、小説物語と言うより手塚漫画「火の鳥」の様に、絵とセリフで展開した方が余程迫力が出て来るのではないかと思われてなりません。
地球も現在の姿、常温水と空気の環境は一瞬、全球凍結の氷河時代から水の無い灼熱時代と輪廻変遷しつつあることも事実、現在の環境無しには人間を含めて全ての生物は生きられないのだと、そんな悠久の歴史を考えながら読み進めるのも一興と思われました。
小中と同級、同じクラスになったことは無いことから、親しく話をしたことが無かったのですが、彼の生き様を知って貰いたいと自分の著書をくれたのだろうと想像しています。
水の惑星と呼ばれる地球も、遠い原始の時代には赤茶けた岩と砂漠しか無かったのだが、神のいたずら心から緑の園が造られることになった。しかし、神の単なるいたずら心では、その園も永続きがせず、太陽と月の支援を受けた森の妖精と三人の女神が、緑の園を生命感の溢れる森の姿に変貌させる物語となっています。
著者は緑の森への深い想いが強烈で、擬人的な太陽と月、及び森の妖精と三人の女神との会話体で物語を展開して行くのです。
そんな会話を読みながら、ふとボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」で女神達が集う様を思い浮かびますし、又勤しんで造り上げた森を大切に思う気持ちはサン・テグジュペリの「星の王子様」で残して来たバラを思う気持ちに通じるものがありました。
この本は、小説物語と言うより手塚漫画「火の鳥」の様に、絵とセリフで展開した方が余程迫力が出て来るのではないかと思われてなりません。
地球も現在の姿、常温水と空気の環境は一瞬、全球凍結の氷河時代から水の無い灼熱時代と輪廻変遷しつつあることも事実、現在の環境無しには人間を含めて全ての生物は生きられないのだと、そんな悠久の歴史を考えながら読み進めるのも一興と思われました。
日曜日, 10月 31, 2010
後有を受けず-誤解された仏教
家内の1周忌に訪れてくれる人も絶え、供えてくれました供花も萎んで来て、又静かな独り暮らしに戻りました。
2週間前の1周忌法要では和上が種々読経してくれたのですが、最後に「般若波羅蜜多」と唱えてくれたことしか覚えていませんし、「般若」は「悟りの智慧」・「波羅蜜多」は「完成」となるのですが、悟りを開いている訳でもなく、信心深くも無いので、普段通りに毎朝焼香しているに過ぎません。
「誤解された仏教」では次の様に述べられていますが、衆生には納得出来るものがあります。
「わが心の解脱は不動である。後有(ごう)を受けない」と釈尊は宣言した。
これは「私は輪廻を解脱した。これが最後の生存で、もう何にも何処にも生まれ変わらない」と言う意味で、これが仏教本来の考え方である。
しかし、愛妻の死が縁となり比叡山で回峰行に挑んだ阿闍利(あじゃり)は「心も肉体も空だから物心一如、一体何が残るのだろうか。私は“想いの深さ”が残ると敢えて言いたい。“想い”によって女房から色々なものを与えられた」と言うのである。
私と17才で知り合い27才の時に結婚したのは、1970年3月東大構内の赤門近くの学士会館別館でした。

それからは39年間の長きに亘って家族を愛し、静かに好きな読書をしつつ、時には義母と共に聴いたクラシック音楽を楽しむと言う平凡な人生を天命と受け止め、天寿を全うしたのです。
葬式仏教の法要・供養を一概に否定するものではありませんが、「後有(ごう)を受けず」で死後の世界は存在せず、「想いが残る」として家族・親戚・知人の心の中に刻まれて残ると言うのが、現在の私としましては、最も納得出来る様に思われます。
2週間前の1周忌法要では和上が種々読経してくれたのですが、最後に「般若波羅蜜多」と唱えてくれたことしか覚えていませんし、「般若」は「悟りの智慧」・「波羅蜜多」は「完成」となるのですが、悟りを開いている訳でもなく、信心深くも無いので、普段通りに毎朝焼香しているに過ぎません。
「誤解された仏教」では次の様に述べられていますが、衆生には納得出来るものがあります。
「わが心の解脱は不動である。後有(ごう)を受けない」と釈尊は宣言した。
これは「私は輪廻を解脱した。これが最後の生存で、もう何にも何処にも生まれ変わらない」と言う意味で、これが仏教本来の考え方である。
しかし、愛妻の死が縁となり比叡山で回峰行に挑んだ阿闍利(あじゃり)は「心も肉体も空だから物心一如、一体何が残るのだろうか。私は“想いの深さ”が残ると敢えて言いたい。“想い”によって女房から色々なものを与えられた」と言うのである。
私と17才で知り合い27才の時に結婚したのは、1970年3月東大構内の赤門近くの学士会館別館でした。
それからは39年間の長きに亘って家族を愛し、静かに好きな読書をしつつ、時には義母と共に聴いたクラシック音楽を楽しむと言う平凡な人生を天命と受け止め、天寿を全うしたのです。
葬式仏教の法要・供養を一概に否定するものではありませんが、「後有(ごう)を受けず」で死後の世界は存在せず、「想いが残る」として家族・親戚・知人の心の中に刻まれて残ると言うのが、現在の私としましては、最も納得出来る様に思われます。
木曜日, 10月 28, 2010
シェールガス(Shale Gas)
今シェールガス開発が注目されているらしい。
通常の天然ガス田の場合、地下の空間にガスが溜まっているが、シェールガスは深い岩盤のすき間に薄く広く存在するもので、掘り出すのが難しかったのです。
しかし米国で水平に穴を掘り、水と薬品で岩をくだいて押し出す技術が確立し、生産が伸びているとのことです。

シェール(Shale)とは、薄い岩石層が固まった頁岩のことですが、層の隙間には化石燃料も封じ込められる事例が多い様です。
私が、コロラド州のオイル・シェール・プロジェクト開発を進めていた会社Toscoを訪問したのは1980年代初頭のことでしたが、採掘コストが当時の原油価格に対抗出来ず、中止となったことはよく覚えています。
ガス(シェールガス)は液体(オイル・シェール)に比べて、採掘コストが安価に実施出来ると言うことなのでしょうが、地下地盤を破壊し、注入した水と薬品の混合物は環境汚染を引き起こすものでありますので、再利用・処理技術の改善が望まれる処です。
岩盤層に閉じこめられている天然ガス「シェールガス」の開発が世界から注目されている。米国で生産が飛躍的に伸びた為で、世界のエネルギー勢力図を揺るがす可能性もある。
2000年に米国の天然ガスの1%だった産出量は昨年、2割に達した。液化天然ガス(LNG)を輸入する必要はなくなり、ガス価格も押し下げた。天然ガス価格は2008年には12ドル/MMBTUほどだったのが、いまは4ドル未満。原油価格は金融危機後に再上昇したのに、ガスは低いままだ。
全世界のシェールガスの埋蔵量は「3200兆立方フィートで在来型の天然ガスの半分ほど」と言われ、かなり大きい。一方で、採掘に使う薬品による環境汚染などの問題もある。
日本企業では、大手商社が相次いでシェールガス開発への大規模投資に動いている。
住友商事は、昨年末米国でシェールガス開発への投資に踏み切り、今年9月にもさらに米国で権益を得た。2件の総投資額は約1500億円に上る。
三井物産は2月に米国で権益を取得し約1260億円を投資する。
双日も6月、米国の既存鉱区からシェールガスを拡大生産すると発表した。
三菱商事が8月に約360億円投資を発表したカナダのシェールガス事業は、出資比率が5割にのぼり、日本企業の資源エネルギー投資としては異例の高さだ。
通常の天然ガス田の場合、地下の空間にガスが溜まっているが、シェールガスは深い岩盤のすき間に薄く広く存在するもので、掘り出すのが難しかったのです。
しかし米国で水平に穴を掘り、水と薬品で岩をくだいて押し出す技術が確立し、生産が伸びているとのことです。
シェール(Shale)とは、薄い岩石層が固まった頁岩のことですが、層の隙間には化石燃料も封じ込められる事例が多い様です。
私が、コロラド州のオイル・シェール・プロジェクト開発を進めていた会社Toscoを訪問したのは1980年代初頭のことでしたが、採掘コストが当時の原油価格に対抗出来ず、中止となったことはよく覚えています。
ガス(シェールガス)は液体(オイル・シェール)に比べて、採掘コストが安価に実施出来ると言うことなのでしょうが、地下地盤を破壊し、注入した水と薬品の混合物は環境汚染を引き起こすものでありますので、再利用・処理技術の改善が望まれる処です。
岩盤層に閉じこめられている天然ガス「シェールガス」の開発が世界から注目されている。米国で生産が飛躍的に伸びた為で、世界のエネルギー勢力図を揺るがす可能性もある。
2000年に米国の天然ガスの1%だった産出量は昨年、2割に達した。液化天然ガス(LNG)を輸入する必要はなくなり、ガス価格も押し下げた。天然ガス価格は2008年には12ドル/MMBTUほどだったのが、いまは4ドル未満。原油価格は金融危機後に再上昇したのに、ガスは低いままだ。
全世界のシェールガスの埋蔵量は「3200兆立方フィートで在来型の天然ガスの半分ほど」と言われ、かなり大きい。一方で、採掘に使う薬品による環境汚染などの問題もある。
日本企業では、大手商社が相次いでシェールガス開発への大規模投資に動いている。
住友商事は、昨年末米国でシェールガス開発への投資に踏み切り、今年9月にもさらに米国で権益を得た。2件の総投資額は約1500億円に上る。
三井物産は2月に米国で権益を取得し約1260億円を投資する。
双日も6月、米国の既存鉱区からシェールガスを拡大生産すると発表した。
三菱商事が8月に約360億円投資を発表したカナダのシェールガス事業は、出資比率が5割にのぼり、日本企業の資源エネルギー投資としては異例の高さだ。
火曜日, 9月 07, 2010
文人哲学者 和辻哲郎
独り暮らしとなると、結構家事に割かれる時間が多く、ゆっくり音楽を聴いたり、本を読んだりする習慣が無くなりつつあります。
以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。
下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。
「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。
西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。
私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。
和辻哲郎「古寺巡礼」
和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。
九鬼周造随筆集
50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。
西田幾多郎-生きることと哲学
以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。
下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。
「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。
西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。
私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。
和辻哲郎「古寺巡礼」
和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。
九鬼周造随筆集
50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。
西田幾多郎-生きることと哲学
水曜日, 5月 05, 2010
セーヌの流れ 印象派の光と色と愛の軌跡
著者の霜月十三星(しもつき とみほし)氏とお会いしたのは、唐木田駅前にある喫茶「友愛」、丁度店内にモーツアルトの音楽が種々流れている時に、話が始まりました。
霜月氏は「ベートーヴェンは良いが、モーツアルトは分からない!」と言うので、私は「気分が落ち込んだ時は、ベートーヴェンは勇気づけてくれるが、モーツアルトは更に落ち込み、精神が充実している時で無いと聞けない。」と応じたのです。
すると霜月氏は「画家モネも貧乏でたいへんでした」と話題を変えましたので、私は「ジヴェルニーでは、平安な生活をして晩年は裕福で幸福だったのではないでしょうか?」と言いましたら、上記の書籍をカバンから取り出して、「どうぞお読みください!」と贈呈してくれました。
ブックカバーには「フランスの芸術家達に多大な影響を与えた、北斎や広重の描いた日本の美。そして、誰よりもその美しさを追求した画家モネと娘マリーが、情熱をかたむけた日本への憧憬を綴る」と紹介されています。
冒頭に「ゲーテの色彩論」が述べられているのに先ず驚きました。これは、大学時代の独文学教科書で、難渋なドイツ語だったと記憶していたからで、遠き思い出を引き起こされたのです。
読み進む内に、「モネの考えを言葉で表現し、理解するには手間は掛らない。彼にとっては、全てが現在形で、過去も無く、未来も無い。人間の無我があるがままの自然に吸い込まれていく。それが美の本質なのだ」と言う核心に近づきます。
カントは「人は哲学を学ぶことは出来ない。ただ哲学することを学び得るに過ぎない」と言っている。
この主張に従えば「人は美を創造することは出来ない。美を創り出す方法を模索し得るに過ぎない」
モネの人生は、東洋の美を模索したひと時であったのか?
人類は皆、限られた生命と寿命の範囲で、絶対への軌跡を描きなぐって行くのみなのか?
そうエピローグで哲学することで結んでくれますので、読後爽快となりました。
閑話休題:著者本名は平林治雄。1925年11月13日生まれをペンネームとしたとのこと
水曜日, 4月 28, 2010
高速増殖炉もんじゅ運転再開
私が「もんじゅ」を見学したのは、1995年秋の定期点検中でした。
1991年試運転を開始し、高速増殖炉は、本来は核燃料にならないウラン238をプルトニウムに変化させ、理論上は使った以上の燃料を生み出せることから、「夢の原子炉」とも呼ばれ、国も原子力政策の柱として開発を推進していた頃でした。
定期点検を終えて、運転再開しましたが、直後の1995年12月にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止したのでしたから驚きでした。
「もんじゅ」原子炉の冷却媒体に金属ナトリウムを使っているのは気にしていたのですが、旧来の水銀では熱伝達率が不足している事情から仕方の無い技術的理由があると納得していたのです。金属ナトリウムは常温では固体で、常に加熱して液体状態を保たなければなりませんし、また空気中では不安定で、水分を含む湿気で発火する弱点があるのでした。
適正な加熱状態を検知する熱電対管の後流にカルマン渦が発生し、その自励振動で熱電対管根元に亀裂が入り、其処から金属ナトリウムが漏れ出して火災を起こしたのが事故の原因だったのでした。
カルマン渦は自然現象でも日常的に見られ、風の強いに電線が振動して風切音が聞こえるもので、電線が切れる事故は無いのですから、設計余裕があれば事故を防げるのです。
高速増殖炉はフランス、ロシア、中国、インド等が開発を進めている「夢の原子炉」ですから、技術的ブレークスルーで難局を突破して頂きたいものです。
日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」について、内閣府の原子力安全委員会は、「運転再開は妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の評価結果を了承した。運転再開に関する国の手続きは終了し、原子力機構は地元の福井県と敦賀市に安全協定に基づく事前協議を申し入れ、運転再開は経済産業省原子力安全・保安院の立ち入り検査を経て、5月の大型連休明けになる見通し。
14年5ヶ月ぶりとなる「もんじゅ」の再開で、運転しながら核燃料を増やせる“夢の原子炉”の高速増殖炉開発が再び動き出すことになった。
もんじゅは、実験炉の次の段階の「原型炉」にあたる。
建設費は当初予算約5,900億円でしたが、事故後処置も含めて、掛かった総予算としては約1兆6000億円とされていて、仕様は下記の通りです。
原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器
1991年試運転を開始し、高速増殖炉は、本来は核燃料にならないウラン238をプルトニウムに変化させ、理論上は使った以上の燃料を生み出せることから、「夢の原子炉」とも呼ばれ、国も原子力政策の柱として開発を推進していた頃でした。
定期点検を終えて、運転再開しましたが、直後の1995年12月にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止したのでしたから驚きでした。
「もんじゅ」原子炉の冷却媒体に金属ナトリウムを使っているのは気にしていたのですが、旧来の水銀では熱伝達率が不足している事情から仕方の無い技術的理由があると納得していたのです。金属ナトリウムは常温では固体で、常に加熱して液体状態を保たなければなりませんし、また空気中では不安定で、水分を含む湿気で発火する弱点があるのでした。
適正な加熱状態を検知する熱電対管の後流にカルマン渦が発生し、その自励振動で熱電対管根元に亀裂が入り、其処から金属ナトリウムが漏れ出して火災を起こしたのが事故の原因だったのでした。
カルマン渦は自然現象でも日常的に見られ、風の強いに電線が振動して風切音が聞こえるもので、電線が切れる事故は無いのですから、設計余裕があれば事故を防げるのです。
高速増殖炉はフランス、ロシア、中国、インド等が開発を進めている「夢の原子炉」ですから、技術的ブレークスルーで難局を突破して頂きたいものです。
日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」について、内閣府の原子力安全委員会は、「運転再開は妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の評価結果を了承した。運転再開に関する国の手続きは終了し、原子力機構は地元の福井県と敦賀市に安全協定に基づく事前協議を申し入れ、運転再開は経済産業省原子力安全・保安院の立ち入り検査を経て、5月の大型連休明けになる見通し。
14年5ヶ月ぶりとなる「もんじゅ」の再開で、運転しながら核燃料を増やせる“夢の原子炉”の高速増殖炉開発が再び動き出すことになった。
もんじゅは、実験炉の次の段階の「原型炉」にあたる。
建設費は当初予算約5,900億円でしたが、事故後処置も含めて、掛かった総予算としては約1兆6000億円とされていて、仕様は下記の通りです。
原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器
土曜日, 4月 24, 2010
ぼんやりの時間-辰濃和男(岩波新書)
筆者は1975~1988年に亘って、朝日新聞の「天声人語」を担当していた経歴を持っていることから、エスプリの利いた筆致で「近代化を見なおそう」と主張します。

無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。
近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。
しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。
この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。
批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。
その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。
現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。
ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。
しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。
ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。
私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。
「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。
無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。
近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。
しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。
この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。
批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。
その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。
現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。
ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。
しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。
ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。
私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。
「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。
火曜日, 10月 20, 2009
海潮音-岩波文庫
この文庫本は、周囲が褐色に変色しています。発行年月は1970年ですから無理も無いのでしょう!

その中で、アホウドリを題材にした、ボードレールの「信天翁(をきのたいふ)」が眼に止まりました。
波路遙けき徒然の慰草(なみさみぐさ)と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ、
楫(かじ)の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな、
沖津潮騒すべりゆく舷近くむれ集ふ。
たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止の極なる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。
天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き痩姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、
煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行の空に憧るゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男(さつお)の弓をあざみしも、
地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。
七五調になっていて、日本語として響きが良いものですが、古い文語調でもあり、フリ仮名が添えてありませんと読み易くはありません。
「海潮音」は上田敏が雑誌帝国文学や明星上で発表したイタリア・イギリス・ドイツ・フランス・プロヴァンスといった翻訳した海外詩を1905年に 取り纏めたもので、新潮文庫や「上田敏全訳詩集」岩波文庫(山内義雄・矢野峰人編)、初版復刻版「海潮音」もある。
特に当時文壇の注目を集めていたフランス象徴主義に代表される詩人の作品を、象徴詩として紹介している点で有名であり、日本の象徴詩の隆盛の一端を担った。
カール・ブッセの作品「Pipa Passe」を翻訳した「山のあなた」や、ポール・ヴェルレーヌの「Chanson d'Automne」の翻訳「落葉」は国語の教科書で採用されている。
その中で、アホウドリを題材にした、ボードレールの「信天翁(をきのたいふ)」が眼に止まりました。
波路遙けき徒然の慰草(なみさみぐさ)と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ、
楫(かじ)の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな、
沖津潮騒すべりゆく舷近くむれ集ふ。
たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止の極なる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。
天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き痩姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、
煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行の空に憧るゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男(さつお)の弓をあざみしも、
地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。
七五調になっていて、日本語として響きが良いものですが、古い文語調でもあり、フリ仮名が添えてありませんと読み易くはありません。
「海潮音」は上田敏が雑誌帝国文学や明星上で発表したイタリア・イギリス・ドイツ・フランス・プロヴァンスといった翻訳した海外詩を1905年に 取り纏めたもので、新潮文庫や「上田敏全訳詩集」岩波文庫(山内義雄・矢野峰人編)、初版復刻版「海潮音」もある。
特に当時文壇の注目を集めていたフランス象徴主義に代表される詩人の作品を、象徴詩として紹介している点で有名であり、日本の象徴詩の隆盛の一端を担った。
カール・ブッセの作品「Pipa Passe」を翻訳した「山のあなた」や、ポール・ヴェルレーヌの「Chanson d'Automne」の翻訳「落葉」は国語の教科書で採用されている。
日曜日, 8月 16, 2009
佐々木毅の「政治の精神」-岩波新書1189
今を時めく21世紀臨調共同代表である佐々木毅氏、元東大総長の肩書もあり、総選挙間近い時期、時宜を得たものとも思えますが、別の見方をすれば、一寸時流に阿り過ぎた不満もあります。
著者は次の様に主張していますが、どんなものでしょうか?
マニフェスト(政権公約)をツールとした政党政治改革提案は、余りにも肥大化した密教部分を可能な限り押さえ込み、顕教型体制の正当性を復活することによって、政治的統合機能を回復させるという基本構想に沿ったものである。言い換えれば、戦後自民党が作り上げて来た仕組みはもはや維持できないし、維持すべきでないと言うことである。
政党間の競争と選択の内実を政権公約をツールとして質的に向上させることである。個々の問題を一つ一つ潰していくよりも、大きく全体を動かすことが肝要である。全体が動けば、一つ一つの厄介な問題も解決の目途が立つ。漫然となんとかなると言った感覚から脱出して、選挙に対する政党の態度や取り組みを冷静に判断する有権者の存在が、この質的向上には不可欠である。総選挙は「政党政治の精神」の最大のテストの場であり、政権公約はその中の不可欠な装置であると言うのが私の主張である。
著者は、政治制度並びに体制理解を是とし、その制度並びに体制がもたらす処の脆弱でない政治的統合に於ける政治が肯定されると考えるのである。そこに民主主義の理念よりして問題あるものが出来したとしても、それが政治的統合の強さもたらすものであるならば、積極的に肯定される意義を有すると考えてしまうのだ。
東大政治学の権威で総長であった人物が、その重責・権威の欠片も無く、あまりに時流に阿る曲学阿世の徒ではないかと思わざるを得ません。東大政治学も説得力を持たなくなりました。
著者は次の様に主張していますが、どんなものでしょうか?
マニフェスト(政権公約)をツールとした政党政治改革提案は、余りにも肥大化した密教部分を可能な限り押さえ込み、顕教型体制の正当性を復活することによって、政治的統合機能を回復させるという基本構想に沿ったものである。言い換えれば、戦後自民党が作り上げて来た仕組みはもはや維持できないし、維持すべきでないと言うことである。
政党間の競争と選択の内実を政権公約をツールとして質的に向上させることである。個々の問題を一つ一つ潰していくよりも、大きく全体を動かすことが肝要である。全体が動けば、一つ一つの厄介な問題も解決の目途が立つ。漫然となんとかなると言った感覚から脱出して、選挙に対する政党の態度や取り組みを冷静に判断する有権者の存在が、この質的向上には不可欠である。総選挙は「政党政治の精神」の最大のテストの場であり、政権公約はその中の不可欠な装置であると言うのが私の主張である。
著者は、政治制度並びに体制理解を是とし、その制度並びに体制がもたらす処の脆弱でない政治的統合に於ける政治が肯定されると考えるのである。そこに民主主義の理念よりして問題あるものが出来したとしても、それが政治的統合の強さもたらすものであるならば、積極的に肯定される意義を有すると考えてしまうのだ。
東大政治学の権威で総長であった人物が、その重責・権威の欠片も無く、あまりに時流に阿る曲学阿世の徒ではないかと思わざるを得ません。東大政治学も説得力を持たなくなりました。
金曜日, 5月 15, 2009
ビジネス・インサイト-岩波新書
超優良企業であった自動車企業、電機総合企業各社が大幅赤字に陥って、失業者が町に溢れて不況の只中にいて出口が見えません。
政府の経済活性化対策が不況克服の糸口になればと願うのですが、官僚主導の「靴の上から掻くような施策」ばかりで、どうも納得出来そうもありません。
デパート業界に至っては、前年割れの状態が何年も続き、再生の道筋は無いのでは思われる程で、消費者離れ対策が欠落しているのではと思うばかりです。
官民揃って何れも、昔のサクセスストーリに縋った洞察力不足(Lack of Insight)と言うか、経営陣の不徳の致す処では無いかと懸念するばかりです。
そんな折、「経営者を跳ばなければならない」をキャプションとした、インタラクティブ指向を説く下記の書籍が参考となりました。
ビジネス・インサイト-岩波新書1183(石井淳蔵 著)
与えられた状況下でやるべきことを仮説、それを現実で確かめる検証、そうして経営指針を立てて実行する。それを繰り返すことで、経営の質が改善させる実証型経営を駆動するのはマネジメントの力である。現代資本主義を成り立たせる力であり、大企業を支える最も重要な力であるが、これは「強み伝いの経営」で激動する世情では破綻する。
経営者は将来の事業についての洞察するインサイト、即ちビジネス・インサイトを保持し、跳ばなければ破綻は免れ得ない。
そうした見方は、これまでの経営学の論理実証主義に対して異なった立場であることを自覚して、学んだり研究したりする技法、特にケース教育とケース・リサーチについても検討したい。
そして、次の様なパラダイム・チェンジを提案するのですが、これは啓蒙型マーケティングに取りつかれた現経営陣の総入れ替えがなければその実現は叶いそうに無いと思われてなりません。
製品(Product)、価格(Price)、販売(Promotion)、流通(Place)の4P分析を駆使し、開発物や企画のコンセプトを、消費者に強く絶えず打ち込んで行く啓蒙型マーケティングは、なかなか通用しなくなっている。
これからの企業は「顧客との共同制作物を造る」と言う感覚が重要で、両者が相互依存し、影響し合う一つのシステムとして認識する姿勢が大事だと思われる。
市場も技術も資源そして企業自体も、戦術判断の拠り所にならない世界、謂わば底が抜けた世界では「共同の意思」こそが、唯一残された判断の拠り所になるのだろう。
政府の経済活性化対策が不況克服の糸口になればと願うのですが、官僚主導の「靴の上から掻くような施策」ばかりで、どうも納得出来そうもありません。
デパート業界に至っては、前年割れの状態が何年も続き、再生の道筋は無いのでは思われる程で、消費者離れ対策が欠落しているのではと思うばかりです。
官民揃って何れも、昔のサクセスストーリに縋った洞察力不足(Lack of Insight)と言うか、経営陣の不徳の致す処では無いかと懸念するばかりです。
そんな折、「経営者を跳ばなければならない」をキャプションとした、インタラクティブ指向を説く下記の書籍が参考となりました。
ビジネス・インサイト-岩波新書1183(石井淳蔵 著)
与えられた状況下でやるべきことを仮説、それを現実で確かめる検証、そうして経営指針を立てて実行する。それを繰り返すことで、経営の質が改善させる実証型経営を駆動するのはマネジメントの力である。現代資本主義を成り立たせる力であり、大企業を支える最も重要な力であるが、これは「強み伝いの経営」で激動する世情では破綻する。
経営者は将来の事業についての洞察するインサイト、即ちビジネス・インサイトを保持し、跳ばなければ破綻は免れ得ない。
そうした見方は、これまでの経営学の論理実証主義に対して異なった立場であることを自覚して、学んだり研究したりする技法、特にケース教育とケース・リサーチについても検討したい。
そして、次の様なパラダイム・チェンジを提案するのですが、これは啓蒙型マーケティングに取りつかれた現経営陣の総入れ替えがなければその実現は叶いそうに無いと思われてなりません。
製品(Product)、価格(Price)、販売(Promotion)、流通(Place)の4P分析を駆使し、開発物や企画のコンセプトを、消費者に強く絶えず打ち込んで行く啓蒙型マーケティングは、なかなか通用しなくなっている。
これからの企業は「顧客との共同制作物を造る」と言う感覚が重要で、両者が相互依存し、影響し合う一つのシステムとして認識する姿勢が大事だと思われる。
市場も技術も資源そして企業自体も、戦術判断の拠り所にならない世界、謂わば底が抜けた世界では「共同の意思」こそが、唯一残された判断の拠り所になるのだろう。
金曜日, 4月 24, 2009
新約聖書の世界-ギリシャ・ローマの盛衰
ギリシャ・ローマの盛衰-講談社学術文庫(村川堅太郎他 著)
この文庫本は読み応えのあるものですが、その10章は「新約聖書の世界」となっていて、キリスト教の本質を理解するのに手助けとなる様な気がします。
ユダヤ人で無い者には、イエスと言う人が神の子キリストであると言うことは、とても「本当にそうだ(アーメン)」と言う訳にはいかないものである。しかしこの甚だ奇異な、しかも不確かに見える命題を、敢えて将に確かなものと前提する処に、一つの「生き方」が成り立つ。それは目に見えない絶対者への信頼と隣人との爽やかな交わりに生きようとするものである。
パウロは言う「十字架につけられたキリストはユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召されたもの自身にとっては、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、神の力、神の知恵であるキリストなのである」(コリント人への手紙第一)。
正典とされる「旧約聖書」と「新約聖書」の位置づけにおいても、分かりやすく解説されています。
4つの福音書とパウロの書簡とその他の文書が教典として結集される様になったのは、2世紀後半で、それらは相寄って、イエスによって確立した「新しい契約」を伝えるものであった。この新しい契約は、ユダヤ人に与えられた契約を「旧い契約」としてしまうものであったが、旧い契約に示された神の義が新しく示された神の愛の前提であり、その関係から両者を「聖書」とするのがキリスト教者の態度である。
新約聖書が現在の形で正典となったのは4世紀末であった。
1993年第1刷発行ですので、アマゾン書籍でもインターネット検索されないのですが、読んで頂きたい1冊だと思われました。
この文庫本は読み応えのあるものですが、その10章は「新約聖書の世界」となっていて、キリスト教の本質を理解するのに手助けとなる様な気がします。
ユダヤ人で無い者には、イエスと言う人が神の子キリストであると言うことは、とても「本当にそうだ(アーメン)」と言う訳にはいかないものである。しかしこの甚だ奇異な、しかも不確かに見える命題を、敢えて将に確かなものと前提する処に、一つの「生き方」が成り立つ。それは目に見えない絶対者への信頼と隣人との爽やかな交わりに生きようとするものである。
パウロは言う「十字架につけられたキリストはユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召されたもの自身にとっては、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、神の力、神の知恵であるキリストなのである」(コリント人への手紙第一)。
正典とされる「旧約聖書」と「新約聖書」の位置づけにおいても、分かりやすく解説されています。
4つの福音書とパウロの書簡とその他の文書が教典として結集される様になったのは、2世紀後半で、それらは相寄って、イエスによって確立した「新しい契約」を伝えるものであった。この新しい契約は、ユダヤ人に与えられた契約を「旧い契約」としてしまうものであったが、旧い契約に示された神の義が新しく示された神の愛の前提であり、その関係から両者を「聖書」とするのがキリスト教者の態度である。
新約聖書が現在の形で正典となったのは4世紀末であった。
1993年第1刷発行ですので、アマゾン書籍でもインターネット検索されないのですが、読んで頂きたい1冊だと思われました。
月曜日, 4月 20, 2009
地下鉄に乗って-浅田次郎
こんな描写があり、小中高校と子供時代に徘徊した地域でしたので、気をそそられました。
いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・
中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。
浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。
ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。
そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。
但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。
「覆水盆に返らず」とも言われ、既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。
いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・
中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。
浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。
ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。
そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。
但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。
「覆水盆に返らず」とも言われ、既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。
火曜日, 4月 07, 2009
堕落するマスコミへの警鐘-ジャーナリズムの可能性
若者を中心に活字離れが加速し、出版不況のみならず、新聞離れも昂じて来ていますし、安易なテレビ視聴に替わって来て久しいものがあります。
テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。
ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)
既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。
自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。
権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。
既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。
ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。
その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。
テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。
ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)
既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。
自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。
権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。
既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。
ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。
その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。
日曜日, 2月 15, 2009
第2世代バイオ燃料-バイオディーゼル(BTL, BHD)
植物が原料の「バイオ燃料」は、燃焼時に排出されるCO2量が植物の成長する際に吸収したCO2量と等しいことから、「カーボン・ニュートラル」とみなされ、CO2排出はゼロと見なされる燃料なのですが、現状の「バイオ燃料」はトウモロコシや大豆等の食料を原材料とすることから、穀物相場高騰をもたらしたと言う批判も大きなものとなっています。
そこで、食用では無い植物や藻から作る「第2世代バイオ燃料」が注目されています。原料は非食物系の植物「カメリナ」「ジャトロファ」など3種類、これまでは種を搾って油を採りランプ油などに使われて来たことで、食物と競合しないのが利点とされ、しかも、乾燥してやせた土地や高地でも育ち、代替燃料として期待されている様です。
第1世代バイオエタノールとは違って、植物油そのものですから、粘度も高いことからガソリン代替とはならず、ディーゼル油仕様となりますが、化石油代替としては十分です。
フォルクスワーゲン社とダイムラー社は、第2世代バイオ燃料メーカー独コレーン社(CHOREN)に出資、BTL(Biomass To Liquid=バイオマス・トゥー・リキッド)燃料の普及を目的とする。
BTL燃料は植物から生成される液体燃料で、3社は既に2002年から、BTL研究開発を行っている。コレーン社はフライブルグにBTL工場を建設、1万5000トンのBTLを生産するが、これは1万5000台の車が1年間に使用するBTL量に相当する。又、同社は生産能力20万トンの工場を建設する計画も進めている。
日本でバイオディーゼルとされるのは、第一世代のFAME(Fatty Acid Methyl Ester:脂肪酸メチルエステル)、廃食油(天ぷら油など)を回収し、メタノールを加えてエステル化したもので、試験的にバス等の運行に利用されている。植物油のリサイクル利用と言う面では良いのだが、酸化安定性や重合安定性の問題が指摘され、不純物問題もある。
第二世代バイオディーゼルは、BHD:バイオ原料油の水素化処理油(Bio Hydrofined Diesel)と呼ばれ、植物油、廃食用油および獣脂を原料とし、石油精製プラントで水素化精製して作る。FAMEとは異なり軽油に近い組成となり、実用化ハードルは小さいが、原料調達の仕組みをどう作り上げるかが最大の課題となるようだ。
数年来、次世代エネルギーの主役として、水素や燃料電池が脚光を浴びていますが技術的ブレークスルーも経済的な価格面からもハードルも高く、最近では実用化でのハードルの低いバイオ燃料がニュースで取り上げられることになった様に思われます。
そこで、食用では無い植物や藻から作る「第2世代バイオ燃料」が注目されています。原料は非食物系の植物「カメリナ」「ジャトロファ」など3種類、これまでは種を搾って油を採りランプ油などに使われて来たことで、食物と競合しないのが利点とされ、しかも、乾燥してやせた土地や高地でも育ち、代替燃料として期待されている様です。
第1世代バイオエタノールとは違って、植物油そのものですから、粘度も高いことからガソリン代替とはならず、ディーゼル油仕様となりますが、化石油代替としては十分です。
フォルクスワーゲン社とダイムラー社は、第2世代バイオ燃料メーカー独コレーン社(CHOREN)に出資、BTL(Biomass To Liquid=バイオマス・トゥー・リキッド)燃料の普及を目的とする。
BTL燃料は植物から生成される液体燃料で、3社は既に2002年から、BTL研究開発を行っている。コレーン社はフライブルグにBTL工場を建設、1万5000トンのBTLを生産するが、これは1万5000台の車が1年間に使用するBTL量に相当する。又、同社は生産能力20万トンの工場を建設する計画も進めている。
日本でバイオディーゼルとされるのは、第一世代のFAME(Fatty Acid Methyl Ester:脂肪酸メチルエステル)、廃食油(天ぷら油など)を回収し、メタノールを加えてエステル化したもので、試験的にバス等の運行に利用されている。植物油のリサイクル利用と言う面では良いのだが、酸化安定性や重合安定性の問題が指摘され、不純物問題もある。
第二世代バイオディーゼルは、BHD:バイオ原料油の水素化処理油(Bio Hydrofined Diesel)と呼ばれ、植物油、廃食用油および獣脂を原料とし、石油精製プラントで水素化精製して作る。FAMEとは異なり軽油に近い組成となり、実用化ハードルは小さいが、原料調達の仕組みをどう作り上げるかが最大の課題となるようだ。
数年来、次世代エネルギーの主役として、水素や燃料電池が脚光を浴びていますが技術的ブレークスルーも経済的な価格面からもハードルも高く、最近では実用化でのハードルの低いバイオ燃料がニュースで取り上げられることになった様に思われます。
木曜日, 2月 12, 2009
白熱電球と置き換え可能な電球型LEDランプ
電球形蛍光灯が従来の白熱電球に比べ、寿命約6倍、電気代・CO2約1/4とされることから、東芝ネオボールZリアルに交換しましたのは1ヶ月前のことでした。価格は800円強と白熱電球の10倍でしたが、寿命6倍で経費的にほぼ同じだと思ったのです。
ところが、昨日テレビニュースで「LED電球が発売間近」と報じていましたので注目し、インターネットで調べてみました。
東芝ライテックは「E-CORE LED電球」シリーズの新製品「一般電球形4.3W」を発表した。発売は2009年3月18日で、価格は10,500円。
消費電力は4.3Wで、一般的な白熱電球の20-30W型に相当し、白熱電球とほぼ同じサイズを持つLED電球で、既存の白熱電球ソケットに差し替えて使用することが可能だ。
一般的な白熱電球では全方向に光が出るのに対し、同製品では上側にしか光が出ないため、ランプ全体としては20-30W相当の明るさだが、器具に取り付けて照明として使用する場合、下方向に向かう光の量は40W型の白熱電球に相当する。
また、一般電球形4.3Wでは、密閉形の照明器具への取りつけも可能となった。従来、発熱の問題から、電球型LEDは密閉形の器具へは使用できなかったのだが、大型の放熱フィンでこの問題をクリアしており、より広い範囲で使用することが可能になった。LED電球は、電球形蛍光灯が苦手とする、寒い場所や、繰り返しの点灯に強いというメリットもある。
一般電球形4.3Wの定格寿命は4万時間で、白熱電球の40倍となる。価格は白熱電球40個分よりも高い。しかし、4万時間分の電気代では、一般電球型4.3Wの方が2万7,000円程度節約できると言う。
電球型蛍光灯の明るさ比4倍・寿命比6倍であるのに比べ、LED式電球の方は明るさ比8~9倍・寿命比40倍と各段に改善されていることが分かりましたが、販売価格が100倍程度に高いのには驚くばかりで、普及するには時期尚早と判断しました。
又、私の技術的認識では「LED電球は発熱せずに高効率」と言うイメージがありましたので、「発熱問題を放熱フィンで解決」と報じているのも意外でした。
「確認せずに持っている先入観は、あやふやで危険なことなのだ」と、改めて自戒させて頂きました。
ところが、昨日テレビニュースで「LED電球が発売間近」と報じていましたので注目し、インターネットで調べてみました。
東芝ライテックは「E-CORE LED電球」シリーズの新製品「一般電球形4.3W」を発表した。発売は2009年3月18日で、価格は10,500円。
消費電力は4.3Wで、一般的な白熱電球の20-30W型に相当し、白熱電球とほぼ同じサイズを持つLED電球で、既存の白熱電球ソケットに差し替えて使用することが可能だ。
一般的な白熱電球では全方向に光が出るのに対し、同製品では上側にしか光が出ないため、ランプ全体としては20-30W相当の明るさだが、器具に取り付けて照明として使用する場合、下方向に向かう光の量は40W型の白熱電球に相当する。
また、一般電球形4.3Wでは、密閉形の照明器具への取りつけも可能となった。従来、発熱の問題から、電球型LEDは密閉形の器具へは使用できなかったのだが、大型の放熱フィンでこの問題をクリアしており、より広い範囲で使用することが可能になった。LED電球は、電球形蛍光灯が苦手とする、寒い場所や、繰り返しの点灯に強いというメリットもある。
一般電球形4.3Wの定格寿命は4万時間で、白熱電球の40倍となる。価格は白熱電球40個分よりも高い。しかし、4万時間分の電気代では、一般電球型4.3Wの方が2万7,000円程度節約できると言う。
電球型蛍光灯の明るさ比4倍・寿命比6倍であるのに比べ、LED式電球の方は明るさ比8~9倍・寿命比40倍と各段に改善されていることが分かりましたが、販売価格が100倍程度に高いのには驚くばかりで、普及するには時期尚早と判断しました。
又、私の技術的認識では「LED電球は発熱せずに高効率」と言うイメージがありましたので、「発熱問題を放熱フィンで解決」と報じているのも意外でした。
「確認せずに持っている先入観は、あやふやで危険なことなのだ」と、改めて自戒させて頂きました。
水曜日, 1月 28, 2009
家紋を探る-平凡社新書(森本景一 著)
近頃は冠婚葬祭も洋風になり、家紋入りの和服を着る機会も殆ど無いことから、自分の家紋も知らない人が激増しているだと思われます。
未だ墓石の多くには家紋が彫られている現状ですが、家より自分の想いを墓石に刻む例も増えて来ていますので、家紋の将来は風前の灯と言ったところでしょうか?
各家に代々伝わるとされる家紋は、平安時代後期に貴族が装飾的目的で使用し始め、鎌倉時代に武家が敵味方を判別する必要性から広まり、江戸時代に庶民が「家を表す」意味で使うに至って、数および絵柄が著しく増え、現在では2万5000種以上となるそうです。
家紋と言うものは、先祖から受け継がれることに価値があるものですから、出来るだけ探してみるのが良いのです。「家紋を探る」ことは家の伝統を探ることそのもの、此処に家紋を持つロマンが感じられます。
しかし手を尽くしても見つからない時は、新しく作ってしまうのも一つの手で、自分の好きな植物・動物や器具、星座や干支でも良く、自分に纏わるもので自由に作ってしまうことも出来るのです。
外国の紋章が動物をモチーフにしたものが多いのに対し、日本では植物紋が目を引きます。これは日本人が農耕民族だからで、野山に咲く花を愛し、雑草でさえも美しく紋章化してしまう日本人の美意識には脱帽です。
2時間程で気軽に読了してしまえるのは、著者が厳格な家紋専門家でなく、染色補正の職人として家紋を補正している内に、洗練されたデザインに引き込まれた結果の感動が、文章に籠められているからなのかも知れません。
未だ墓石の多くには家紋が彫られている現状ですが、家より自分の想いを墓石に刻む例も増えて来ていますので、家紋の将来は風前の灯と言ったところでしょうか?
各家に代々伝わるとされる家紋は、平安時代後期に貴族が装飾的目的で使用し始め、鎌倉時代に武家が敵味方を判別する必要性から広まり、江戸時代に庶民が「家を表す」意味で使うに至って、数および絵柄が著しく増え、現在では2万5000種以上となるそうです。
家紋と言うものは、先祖から受け継がれることに価値があるものですから、出来るだけ探してみるのが良いのです。「家紋を探る」ことは家の伝統を探ることそのもの、此処に家紋を持つロマンが感じられます。
しかし手を尽くしても見つからない時は、新しく作ってしまうのも一つの手で、自分の好きな植物・動物や器具、星座や干支でも良く、自分に纏わるもので自由に作ってしまうことも出来るのです。
外国の紋章が動物をモチーフにしたものが多いのに対し、日本では植物紋が目を引きます。これは日本人が農耕民族だからで、野山に咲く花を愛し、雑草でさえも美しく紋章化してしまう日本人の美意識には脱帽です。
2時間程で気軽に読了してしまえるのは、著者が厳格な家紋専門家でなく、染色補正の職人として家紋を補正している内に、洗練されたデザインに引き込まれた結果の感動が、文章に籠められているからなのかも知れません。
木曜日, 1月 15, 2009
ヘーゲル法哲学批判序説-城塚登のマルクス解説
ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説-マルクス著 城塚登訳
この本はマルクスの「既存の一切に対する仮借の無い批判」として出版されたものですが、文章が仮借なく晦渋で読みにくいことから、読み続けるには相当の忍耐力が必要とされますが、あとがきに該当する 30ページを超える城塚登氏の訳者解説が秀逸です。
マルクスはユダヤ人であるが、「ユダヤ教の現世的基礎が私利私欲にあること、彼等の世俗的な神が貨幣であることを確認した上で、実際的欲望、利己主義が実は市民社会の原理である」とし、「貨幣はあらゆる神を貶め、それらを商品に変える。この疎遠な貨幣の存在が人間を支配し、人間はそれを崇拝するのである」と喝破するのである。
青年ヘーゲル学派(Jung Hegeliana)として活躍しつつ、やがてヘーゲル法哲学を批判することとなります。
ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが、民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。宗教が人間を創るのでは無く、人間が宗教を創るのであったように、体制が国民を創るのでは無く、国民が体制を創るのである。
この若い時代に、既に官僚主義の弊害に論述しているのは注目に値します。
ヘーゲルは「官僚には、国家の意識および卓越した教養が存在し、合法性と知性とについて国家の基柱をなす」とするが、官僚制の普遍的精神は、内部の位階秩序によって外に向かっては閉鎖的な職業団体と言う性格を持ち保護されている。それ故、公開的な国家精神も国家心情も、官僚にとっては、その組織への裏切りの様に思われる。個々の官吏について言えば、国家目的は彼の私的目的、より高い地位への狂奔、立身出世に転化しているのである。
彼の思考した共産主義は、低開発国のロシアで実現、その後国際共産主義として中国等にも波及するのですが、全ての地で「国家主体とする官僚独占体制」で硬直化、腐敗が蔓延して瓦解することになるのです。
結局、「民主主義と公開的国家精神」を保持する現在の先進国群の方が、彼の意図した共産主義社会に近いのではと思えてなりません。
この本はマルクスの「既存の一切に対する仮借の無い批判」として出版されたものですが、文章が仮借なく晦渋で読みにくいことから、読み続けるには相当の忍耐力が必要とされますが、あとがきに該当する 30ページを超える城塚登氏の訳者解説が秀逸です。
マルクスはユダヤ人であるが、「ユダヤ教の現世的基礎が私利私欲にあること、彼等の世俗的な神が貨幣であることを確認した上で、実際的欲望、利己主義が実は市民社会の原理である」とし、「貨幣はあらゆる神を貶め、それらを商品に変える。この疎遠な貨幣の存在が人間を支配し、人間はそれを崇拝するのである」と喝破するのである。
青年ヘーゲル学派(Jung Hegeliana)として活躍しつつ、やがてヘーゲル法哲学を批判することとなります。
ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが、民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。宗教が人間を創るのでは無く、人間が宗教を創るのであったように、体制が国民を創るのでは無く、国民が体制を創るのである。
この若い時代に、既に官僚主義の弊害に論述しているのは注目に値します。
ヘーゲルは「官僚には、国家の意識および卓越した教養が存在し、合法性と知性とについて国家の基柱をなす」とするが、官僚制の普遍的精神は、内部の位階秩序によって外に向かっては閉鎖的な職業団体と言う性格を持ち保護されている。それ故、公開的な国家精神も国家心情も、官僚にとっては、その組織への裏切りの様に思われる。個々の官吏について言えば、国家目的は彼の私的目的、より高い地位への狂奔、立身出世に転化しているのである。
彼の思考した共産主義は、低開発国のロシアで実現、その後国際共産主義として中国等にも波及するのですが、全ての地で「国家主体とする官僚独占体制」で硬直化、腐敗が蔓延して瓦解することになるのです。
結局、「民主主義と公開的国家精神」を保持する現在の先進国群の方が、彼の意図した共産主義社会に近いのではと思えてなりません。
土曜日, 12月 13, 2008
自負と偏見のイギリス文化-J・オースティンの世界
イギリスではオースティンの作品は「イギリス的ユーモア」があることで、200年に亘って人気があり、学校の教科書にも採用されているとのことです。尤も「学校で読まされる、上品で面白みの無い作家」との範疇になるのだそうですが・・
しかし、1980年代にテレビドラマ化されると共に、魅力再発見となり、空前のオースティン・ブームが続いているとも言うのですが、実感は湧きません。
自負と偏見のイギリス文化(J・オースティンの世界)-岩波新書1149(新井潤美 著)
ジェイン・オースティンは1775年生まれ、6点の小説を出版し1817年にアディソン病と言う難病に冒されて亡くなった女性作家。その頃は摂政(Regency)時代で、寛容でダイナミックな雰囲気に溢れ、自由な社会であった様です。
イギリスでは未だ階級制度が厳然として残っているのですが、彼女は貴族階級でも無く、庶民でもない「ジェントリー」と呼ばれる階級(現在ではアッパー・ミドル・クラス)に属していて、その階級内でのゴシック小説へのパロディ作品を書き続けたのです。
ゴシック小説とは、恋愛・結婚をテーマとし、ヒーローとめでたく結ばれる前に、必ず悪党にさらわれ、何処かに幽閉されて、様々な危険を経て、ヒーローに助けられてハッピーエンドとなる小説を言うのですから現実味の無いもので、ジェイン・オースティンのパロディは時宜を得たものであったのでしょう。
現在、再発見されたジェイン・オースティンを熱狂的に支持する人達は、「ジェイトナイト」(ジェインをもじった言葉で、日本語で言えばジェイン・オタクだろうか?)と呼ばれ、高学歴で、洗練されており、特別な感性を持つと自認する人々であるらしい。
著者の新井潤美(あらい えみ)女史もイギリス生活を経て、「ジェイトナイト」を自認している様ですが、オタクの通例として主観的な自己陶酔が過ぎて、客観的な意味で「ゲーテ、セルバンテスと並び、シェイクスピア、モリエールの様な深み、繊細さを持って人物を描ける作家」とも言われるジェイン・オースティンの良さが伝わって来ません。
しかし、1980年代にテレビドラマ化されると共に、魅力再発見となり、空前のオースティン・ブームが続いているとも言うのですが、実感は湧きません。
自負と偏見のイギリス文化(J・オースティンの世界)-岩波新書1149(新井潤美 著)
ジェイン・オースティンは1775年生まれ、6点の小説を出版し1817年にアディソン病と言う難病に冒されて亡くなった女性作家。その頃は摂政(Regency)時代で、寛容でダイナミックな雰囲気に溢れ、自由な社会であった様です。
イギリスでは未だ階級制度が厳然として残っているのですが、彼女は貴族階級でも無く、庶民でもない「ジェントリー」と呼ばれる階級(現在ではアッパー・ミドル・クラス)に属していて、その階級内でのゴシック小説へのパロディ作品を書き続けたのです。
ゴシック小説とは、恋愛・結婚をテーマとし、ヒーローとめでたく結ばれる前に、必ず悪党にさらわれ、何処かに幽閉されて、様々な危険を経て、ヒーローに助けられてハッピーエンドとなる小説を言うのですから現実味の無いもので、ジェイン・オースティンのパロディは時宜を得たものであったのでしょう。
現在、再発見されたジェイン・オースティンを熱狂的に支持する人達は、「ジェイトナイト」(ジェインをもじった言葉で、日本語で言えばジェイン・オタクだろうか?)と呼ばれ、高学歴で、洗練されており、特別な感性を持つと自認する人々であるらしい。
著者の新井潤美(あらい えみ)女史もイギリス生活を経て、「ジェイトナイト」を自認している様ですが、オタクの通例として主観的な自己陶酔が過ぎて、客観的な意味で「ゲーテ、セルバンテスと並び、シェイクスピア、モリエールの様な深み、繊細さを持って人物を描ける作家」とも言われるジェイン・オースティンの良さが伝わって来ません。
木曜日, 12月 11, 2008
銀河系中心のブラックホール
欧州南天天文台が提供したと言う画像を見てもブラックホールが存在しているとも思えませんが、16年に亘る恒星の動きを追跡研究したデータを処理した結果の結論らしく、格段に進歩したデータ処理技術の成果と考えられます。

近赤外線で観測した銀河系の中心部。見えない超巨大ブラックホールがあり、周囲の星の動きを長期観測した結果、質量は太陽の約400万倍と分かった。ブラックホールの解明が進むと期待される。
これだけでは良く分かりませんので、インターネット英文版を覗いてみますと、次の様に記載されていました。
The 16-year study involved tracking the movement of 28 stars at the center of the Milky Way using telescopes at the European Southern Observatory in Chile.
Using the data collected, astronomers were able to calculate important properties about the black hole -- called Sagittarius A* -- such as its size and mass.
欧州南天天文台チリ観測所に於いて、16年に亘って銀河系中心部にある28恒星の動きを追跡研究して来た。蓄積されたデータを解析し、「サジタリアスA」と呼ばれるブラックホールの大きさ・質量等の重要な特性を計算出来ることとなった。
Professor Reinhard Genzel, who led the study at the Bavaria-based Max-Planck Institute for Extraterrestrial Physics, said the data collected proved the existence of the black hole "beyond any reasonable doubt."
ドイツのマックス・プランク研究所での地球外物理学を主導する、ラインハルト・ゲンツェル教授は「集められたデータは、如何なる疑念も無く、ブラックホールの存在を証明した」と述べた。
"Undoubtedly the most spectacular aspect of our long term study is that it has delivered what is now considered to be the best empirical evidence that super-massive black holes do really exist," said Genzel. The black hole had a central mass concentration of four million solar masses, he added.
ゲンツェル教授は「超巨大なブラックホールが存在すると言うことが、最善の帰納的な証拠として考えられる」、又「その質量は太陽の400万倍」と付け加えた。
The study also enabled astronomers to calculate the distance of the earth from the center of the galaxy, now measured to be 27,000 light-years, and enhanced by six times the accuracy to which they were able to measure the positions of stars -- the equivalent of seeing a one euro coin from a distance of 10,000 kilometers.
この研究で、地球から銀河系中心部までの距離は2万7000光年と計算することを可能とし、その精度は1万km先から1ユーロコインを見極める程度に達している。
ブラックホールをウィキペディアで調べますと、下記解説がありました。
現在、ブラックホール自体を直接観測することはまだ成功していないが、周囲の物質の運動やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すX線や宇宙ジェットから、その存在が信じられている。
銀河の中心には、太陽質量の10*E6~10*E10倍程度の巨大ブラックホール (super-massive black hole) が存在すると考えられており、超新星爆発後は、太陽質量の10倍~50倍のブラックホールが形成すると考えられている。最近、両者の中間の領域(太陽質量の10*E3程度)のブラックホールの存在をうかがわせる観測結果も報告されており、中間質量ブラックホール (intermediate mass black hole; IMBH) と呼ばれている。
今回計算確認されたブラックホールは太陽換算10*E6倍質量ですから、将に探し続けていた巨大ブラックホールなのでしょうか?
近赤外線で観測した銀河系の中心部。見えない超巨大ブラックホールがあり、周囲の星の動きを長期観測した結果、質量は太陽の約400万倍と分かった。ブラックホールの解明が進むと期待される。
これだけでは良く分かりませんので、インターネット英文版を覗いてみますと、次の様に記載されていました。
The 16-year study involved tracking the movement of 28 stars at the center of the Milky Way using telescopes at the European Southern Observatory in Chile.
Using the data collected, astronomers were able to calculate important properties about the black hole -- called Sagittarius A* -- such as its size and mass.
欧州南天天文台チリ観測所に於いて、16年に亘って銀河系中心部にある28恒星の動きを追跡研究して来た。蓄積されたデータを解析し、「サジタリアスA」と呼ばれるブラックホールの大きさ・質量等の重要な特性を計算出来ることとなった。
Professor Reinhard Genzel, who led the study at the Bavaria-based Max-Planck Institute for Extraterrestrial Physics, said the data collected proved the existence of the black hole "beyond any reasonable doubt."
ドイツのマックス・プランク研究所での地球外物理学を主導する、ラインハルト・ゲンツェル教授は「集められたデータは、如何なる疑念も無く、ブラックホールの存在を証明した」と述べた。
"Undoubtedly the most spectacular aspect of our long term study is that it has delivered what is now considered to be the best empirical evidence that super-massive black holes do really exist," said Genzel. The black hole had a central mass concentration of four million solar masses, he added.
ゲンツェル教授は「超巨大なブラックホールが存在すると言うことが、最善の帰納的な証拠として考えられる」、又「その質量は太陽の400万倍」と付け加えた。
The study also enabled astronomers to calculate the distance of the earth from the center of the galaxy, now measured to be 27,000 light-years, and enhanced by six times the accuracy to which they were able to measure the positions of stars -- the equivalent of seeing a one euro coin from a distance of 10,000 kilometers.
この研究で、地球から銀河系中心部までの距離は2万7000光年と計算することを可能とし、その精度は1万km先から1ユーロコインを見極める程度に達している。
ブラックホールをウィキペディアで調べますと、下記解説がありました。
現在、ブラックホール自体を直接観測することはまだ成功していないが、周囲の物質の運動やブラックホールに吸い込まれていく物質が出すX線や宇宙ジェットから、その存在が信じられている。
銀河の中心には、太陽質量の10*E6~10*E10倍程度の巨大ブラックホール (super-massive black hole) が存在すると考えられており、超新星爆発後は、太陽質量の10倍~50倍のブラックホールが形成すると考えられている。最近、両者の中間の領域(太陽質量の10*E3程度)のブラックホールの存在をうかがわせる観測結果も報告されており、中間質量ブラックホール (intermediate mass black hole; IMBH) と呼ばれている。
今回計算確認されたブラックホールは太陽換算10*E6倍質量ですから、将に探し続けていた巨大ブラックホールなのでしょうか?
火曜日, 12月 09, 2008
写真版 東京大空襲の記録-新潮社

著者である早乙女勝元氏は岩波新書版「東京大空襲」のベストセラーを出したことで知られていますし、ご存じの方も多いと思います。
唯、この本では記載文よりも掲載された写真が圧倒的に事実を知らせていると思いますので、その写真家のことを「あとがき解説」で松浦総三氏が紹介して興味深いので転載いたします。
石川光陽氏は警視庁のカメラマンで上司の命令で東京空襲や戦災の写真を撮った人である。戦中は報道管制は厳重を極め、戦災地をカメラを持って歩いただけで逮捕された。そんな中で職務で撮った石川さんの写真は極めて貴重であった。この写真は、戦後占領軍の知る所となりGHQは提出命令を出した。石川さんはこの命令を拒否した剛直の士である。この写真の迫力は、第二次世界大戦の中でも類を見ないものである。これらの写真が、戦争の悲惨さを、戦争を知らない世代に知らせる大きな武器となり、空襲・戦災記録運動に大変役立ったことは言うまでもない。
東京大空襲は、大型爆撃機による無差別の都市爆撃であり、皆殺し作戦である。その1回目はナチスによるゲルニカ爆撃であり、その後日本軍による重慶爆撃、連合軍によるハンブルク爆撃、米軍による東京空襲、広島・長崎原爆投下と続きました。
大戦後になっても、朝鮮戦争ナパーム弾攻撃、ベトナム戦争枯れ葉作戦とエスカレートして行くばかりです。
私は、原爆投下、東京空襲の様なことが2度と起こってはならないと思い、その為には皇軍に虐殺された南京市民と、連帯の手を握りたいと考えている。(1987年6月)
2001年の同時多発テロ事件に続く、アフガン戦争、今回のイラク戦争でも劣化ウラン弾、バンカーバスター、デイジーカッター等の殺戮兵器などが使用されました。
米政府の報道管制が徹底しているのか今の所被害状況が明らかになっていませんが、ベトナム戦争の悲惨さが戦後暫く経って明らかになったと同様に、後遺症も含めて将来公開されることがあるだろうと思っています。
月曜日, 12月 08, 2008
量子暗号通信システム(Quantum Cryptography)
第2回国際量子暗号会議(Quantum Cryptography 2008)が2008年12月1~2日に開催され、NHKBS1英語ニュースで報道されていました。
量子力学の基本原理とされる「ハイゼンベルグの不確定性原理」を利用する技術と言うから驚きです。
「ハイゼンベルグ(Heisenberg)の不確定性原理(Uncertainty Principle)」とは「或る素粒子物質の二つの状態量は同時には正確な測定は出来ず、誤差は避けようが無い」と言う原理で、敷衍すると「量子の或る状態を測定すると量子は必ず別の状態に変化する」と言うことになります。
20世紀物理学の巨星アインシュタイン(Einstein)は、「決まってはいるが人間に分からないだけ、神はサイコロを振らない」と反論し、忌み嫌った理論でもありました。
公開鍵暗号方式は不特定多数の相手と暗号通信を行える技術として普及している。しかし、計算量によって暗号鍵が保証されるパラダイムであり、高性能コンピュータの進歩によっては安全性が崩される可能性もある。
絶対に安全な暗号化技術として「量子暗号」と呼ばれる技術が研究されている。それは「ハイゼンベルグの不確定性原理」に基づいて盗聴の有無を必ず確認することで暗号鍵の安全性が保証される。即ち、量子データ通信中にそのデータを盗み見ようとすると、その量子の状態が変化するためデータが盗聴されたかを認識できる仕組みだ。
一般的な光通信では沢山の光子をまとめて「0」か「1」の情報を符号化させるが、量子通信では光子1個に「0」か「1」の情報を与えるため、光子の変化が厳密に判断できる。
87km長距離通信に成功する等、完成度は高く、光ファイバを活用することが可能。現代暗号と組み合わせたシステムを構築したことにより、実際に製品として納入することも可能だと言う。
しかし、量子暗号通信は通信速度が非常に遅く7.2bpsにしか達しない等、課題克服とはなっていません。
兎に角、素粒子物理学でしか利用出来ないと思われた「ハイゼンベルグの不確定性原理」の工学への適用と言うその進歩には目を見張るものがありますが、通信技術の中核として光子と言う素粒子を問題にするですから、これは必然の方向だったのでしょうか?
量子力学の基本原理とされる「ハイゼンベルグの不確定性原理」を利用する技術と言うから驚きです。
「ハイゼンベルグ(Heisenberg)の不確定性原理(Uncertainty Principle)」とは「或る素粒子物質の二つの状態量は同時には正確な測定は出来ず、誤差は避けようが無い」と言う原理で、敷衍すると「量子の或る状態を測定すると量子は必ず別の状態に変化する」と言うことになります。
20世紀物理学の巨星アインシュタイン(Einstein)は、「決まってはいるが人間に分からないだけ、神はサイコロを振らない」と反論し、忌み嫌った理論でもありました。
公開鍵暗号方式は不特定多数の相手と暗号通信を行える技術として普及している。しかし、計算量によって暗号鍵が保証されるパラダイムであり、高性能コンピュータの進歩によっては安全性が崩される可能性もある。
絶対に安全な暗号化技術として「量子暗号」と呼ばれる技術が研究されている。それは「ハイゼンベルグの不確定性原理」に基づいて盗聴の有無を必ず確認することで暗号鍵の安全性が保証される。即ち、量子データ通信中にそのデータを盗み見ようとすると、その量子の状態が変化するためデータが盗聴されたかを認識できる仕組みだ。
一般的な光通信では沢山の光子をまとめて「0」か「1」の情報を符号化させるが、量子通信では光子1個に「0」か「1」の情報を与えるため、光子の変化が厳密に判断できる。
87km長距離通信に成功する等、完成度は高く、光ファイバを活用することが可能。現代暗号と組み合わせたシステムを構築したことにより、実際に製品として納入することも可能だと言う。
しかし、量子暗号通信は通信速度が非常に遅く7.2bpsにしか達しない等、課題克服とはなっていません。
兎に角、素粒子物理学でしか利用出来ないと思われた「ハイゼンベルグの不確定性原理」の工学への適用と言うその進歩には目を見張るものがありますが、通信技術の中核として光子と言う素粒子を問題にするですから、これは必然の方向だったのでしょうか?
木曜日, 10月 16, 2008
ITPro Expo-分散型PC環境は中央集権に回帰してアウトソーシング化?

昨日、東京ビッグサイトで行われているITPro Expo 2008 Autumnに行って来ました。
大きなテーマは「クラウド(Cloud)・コンピューティング」「クリーン(Clean)IT」「仮想化(Virtualization)技術」となっていた様でした。
1970年代の汎用コンピュータによる企業情報管理から、1980年代のPC性能の格段的進歩によって発展した分散型情報管理方式が、増大する一方のIT経費・セキュリティ問題等を解決すべく、ネット環境の発達と共に変わろうとしている様でした。
特に、クラウド・コンピューティングの市場はいま急速に拡大しようとしていると言うことでした。
第1にセキュアな通信環境整備で強化されたネットワークの上で、サーバーなどのハードウエアをユーティリティとして活用する企業も増加。
ITの保有ではなく利用。自社開発の場合はシステムが稼働するまでに相当の時間と大きな初期コストが発生し、固定資産になるが、クラウド・コンピューティングであれば外部サービスを組み合わせて使え、初期投資を抑えつつ迅速に導入することが出来る。
第2にSAPやオラクル、マイクロソフトといった大手ITプロバイダーも取り組み強化を表明していて、選択肢が豊富。
クラウドから調達したソフトウエアやサービスを社内の既存システムと連携させて企業システムを構築することも出来、多様な組み合わせが可能になる。ユーザーに対してより多様なサービスを提供することができるようになる。
第3にユーザーのニーズで、コスト削減とスピードアップ要求に対応。
オフィスツールやコラボレーション環境などの領域では、容易にクラウド・コンピューティングを導入出来る。最も難易度が高いのは,企業固有の業務が大きな割合を占めているCRMやSCM,ERPなどの領域だ。
又、ユーザー数が一定以上になると外部サービスを利用するよりも、自社保有の方がコスト面で有利になることもある。従って,将来のシステム拡張も考慮しながら「SaaS(Software as a Service) が有利か、自社保有が有利か」と言う分岐点を見極める必要がある。
以上の点に注意しながら、導入が容易な領域からクラウド・コンピューティングを利用することが望ましい。
ICTも企業サイドの変革は風雲急を告げている様ですが、個人・家庭のネット環境への波及は、その様子待ちと言った処では無いかと思いつつ帰宅しました。
木曜日, 6月 12, 2008
占領と改革-岩波新書
著者の主張は、「現在日本の骨格となっている一連の戦後改革は占領政策によるものとされているが、改革の原点は戦前の日本社会から継承したものの中にあったので、占領が無くても改革は行われた」となっているが、その主張は事後からのレトリック的考察に過ぎず、与することは出来ない。
成程、大正デモクラシーから続く萌芽はあったのだが、徹底的に弾圧を受け瀕死の状態で育つことは恐らくあり得なかったと推断出来る。
敗戦後であっても、国会は軍部に懐柔された大政翼賛会に牛耳られたままの状態で、連合国総司令部(GHQ)の強引な「公職追放」実施無しには、それらに属する議員が当選多数を占めて、一切の改革はなし得なかったと思われるからだ。
しかし、著者・雨宮昭一氏の次の分析・予測は傾聴に値する。
戦後体制は、国際的には戦勝国によるポツダム体制・サンフランシスコ冷戦体制、政治的には1955年の自民2/3・社会党1/3体制、経済的には民需中心の日本的経営体制、法的には日本国憲法体制からなる体制である。
そして今、この体制が高度経済成長を経て揺らぎ、次の体制へ移行する処であろう。
このまま放置すれば、その方向に行く体制をパート1、選択する体制をパート2と考えると、パート1は国際的にはアメリカ中心堅持、経済的には新自由主義、法的には憲法改正、社会的には市場主義の体制となろう。
パート2は国際的には国家主権の相互制限、アジアにおける安全共同体、経済では非営利・非政府の協同主義と市場主義の混合体、社会的には個性化・多様化の基づく非営利・非政府領域と連帯の拡大となる。
パート2移行となれば、保守も革新も分解を始めるだろう。
現在与党の自公政権与党もパート1派が勢いを無くし、民主党を核とする野党もパート2を志向しつつ活動していることが窺われる情勢で、現実にも「ねじれ国会」となっている現時点に於いては、過去の離合集散から将来の政界再編を見据えると言う観点から、一読に値する本と思われます。
成程、大正デモクラシーから続く萌芽はあったのだが、徹底的に弾圧を受け瀕死の状態で育つことは恐らくあり得なかったと推断出来る。
敗戦後であっても、国会は軍部に懐柔された大政翼賛会に牛耳られたままの状態で、連合国総司令部(GHQ)の強引な「公職追放」実施無しには、それらに属する議員が当選多数を占めて、一切の改革はなし得なかったと思われるからだ。
しかし、著者・雨宮昭一氏の次の分析・予測は傾聴に値する。
戦後体制は、国際的には戦勝国によるポツダム体制・サンフランシスコ冷戦体制、政治的には1955年の自民2/3・社会党1/3体制、経済的には民需中心の日本的経営体制、法的には日本国憲法体制からなる体制である。
そして今、この体制が高度経済成長を経て揺らぎ、次の体制へ移行する処であろう。
このまま放置すれば、その方向に行く体制をパート1、選択する体制をパート2と考えると、パート1は国際的にはアメリカ中心堅持、経済的には新自由主義、法的には憲法改正、社会的には市場主義の体制となろう。
パート2は国際的には国家主権の相互制限、アジアにおける安全共同体、経済では非営利・非政府の協同主義と市場主義の混合体、社会的には個性化・多様化の基づく非営利・非政府領域と連帯の拡大となる。
パート2移行となれば、保守も革新も分解を始めるだろう。
現在与党の自公政権与党もパート1派が勢いを無くし、民主党を核とする野党もパート2を志向しつつ活動していることが窺われる情勢で、現実にも「ねじれ国会」となっている現時点に於いては、過去の離合集散から将来の政界再編を見据えると言う観点から、一読に値する本と思われます。
水曜日, 6月 11, 2008
オイルシェールによる原油開発-三井物産
1974年のオイルショックを受け、1970年代後半にはオイルサンド・オイルシェールの石油資源開発は注目を浴びていましたが、1980年代の原油価格低迷から、全て中止と言うことになりました。
昨今の異常な原油高騰を受けて、30年振りにオイルシェール開発が取り沙汰されているのが気になりますが、「石油は魔物」と言われていますので今後の動向が注目されます。
三井物産はオイルシェール(油分を含む頁岩)の大型開発に参画する。ブラジル国営石油会社ペトロブラス等と共同で2013年以降、日量5万バレル規模の商業生産を目指し、事業権益の最大2割を獲得する。オイルシェールからの原油量産は成功すれば世界初。米原油先物が一時1バレル140ドルに迫るなど原油高騰が続く中、コスト高で手つかずの新資源への投資が本格化し始めた。
両社は米ベンチャー企業のオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)が米政府から開発権を得ている中西部ユタ州の鉱区開発に参画する。30~40億バレル(日本の年間消費量の2~3年分に相当)の埋蔵量を見込んでいる。
オイルシェール開発を手掛けていたTosco(The Oil Shale Corporation)を訪問したのは1981年頃でしたが、Exxonが介入して来たことで開発プロジェクトは1982年に放棄されたと記憶しています。
イラン革命・アメリカ大使館人質問題も決着に向かい、原油価格が低迷しつつある時期でしたから、採算が取れないと判断された様です。
その頃は、今で言うバイオ燃料、天然ガス由来のGTL(Gas to Liquids)燃料と言う代替石油の選択肢も無く、採算分析は比較的単純だったと思われますが、今回は果たしてどうなるのでしょう?
歴史は繰り返すとは良く言われますが、情勢の違いを克服できるか注目される処です。
世界中に埋蔵されているオイルサンド、オイルシェールから得られる重質原油は5兆バレル以上と推定されている。
オイルサンド(Oil Sands)は、極めて粘性の高い原油を含む砂岩。母岩が砂岩ではなく頁岩の場合にはオイルシェール(Oil Shale)と呼ばれる。
オイルサンド・オイルシェールから原油を得るためには、母岩を採掘・乾留するので、大量の産業廃棄物が発生する。従来原油と比較して採掘及び抽出コストが高く、廃棄土砂の処理に多額の費用を要するため、不採算資源として放置されてきた。しかし、原油(WTI)価格が高騰して採算コストを上回るようになり、大規模な採掘・精製が行われるようになった。これに伴い、埋蔵地や採掘権の買収に多額の投機マネーが集まっている。
オイルサンドは、カナダ(アルバータ州)、ベネズエラに分布する。極めて低質なものは日本でも新潟県新潟市の新津油田などに見受けることができる。代表的なオイルシェール地帯はアメリカ合衆国(西部)、ブラジル、ロシア、オーストラリアなどに分布する。
インターネット検索しますと、Tosco (The Oil Shale Corporation) は幾多の曲折を経て、2001年にフィリップス石油(Phillips Petroleum)に吸収され、2002年からはConocoPhillips 傘下の一部門となっている様です。
今回三井物産が権利を得ようとしているオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)とは、Toscoとは別企業。
未だに「石油は魔物」で、採掘権・鉱区開発などで種々の選択肢があるのは歴史的なものの様です。
昨今の異常な原油高騰を受けて、30年振りにオイルシェール開発が取り沙汰されているのが気になりますが、「石油は魔物」と言われていますので今後の動向が注目されます。
三井物産はオイルシェール(油分を含む頁岩)の大型開発に参画する。ブラジル国営石油会社ペトロブラス等と共同で2013年以降、日量5万バレル規模の商業生産を目指し、事業権益の最大2割を獲得する。オイルシェールからの原油量産は成功すれば世界初。米原油先物が一時1バレル140ドルに迫るなど原油高騰が続く中、コスト高で手つかずの新資源への投資が本格化し始めた。
両社は米ベンチャー企業のオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)が米政府から開発権を得ている中西部ユタ州の鉱区開発に参画する。30~40億バレル(日本の年間消費量の2~3年分に相当)の埋蔵量を見込んでいる。
オイルシェール開発を手掛けていたTosco(The Oil Shale Corporation)を訪問したのは1981年頃でしたが、Exxonが介入して来たことで開発プロジェクトは1982年に放棄されたと記憶しています。
イラン革命・アメリカ大使館人質問題も決着に向かい、原油価格が低迷しつつある時期でしたから、採算が取れないと判断された様です。
その頃は、今で言うバイオ燃料、天然ガス由来のGTL(Gas to Liquids)燃料と言う代替石油の選択肢も無く、採算分析は比較的単純だったと思われますが、今回は果たしてどうなるのでしょう?
歴史は繰り返すとは良く言われますが、情勢の違いを克服できるか注目される処です。
世界中に埋蔵されているオイルサンド、オイルシェールから得られる重質原油は5兆バレル以上と推定されている。
オイルサンド(Oil Sands)は、極めて粘性の高い原油を含む砂岩。母岩が砂岩ではなく頁岩の場合にはオイルシェール(Oil Shale)と呼ばれる。
オイルサンド・オイルシェールから原油を得るためには、母岩を採掘・乾留するので、大量の産業廃棄物が発生する。従来原油と比較して採掘及び抽出コストが高く、廃棄土砂の処理に多額の費用を要するため、不採算資源として放置されてきた。しかし、原油(WTI)価格が高騰して採算コストを上回るようになり、大規模な採掘・精製が行われるようになった。これに伴い、埋蔵地や採掘権の買収に多額の投機マネーが集まっている。
オイルサンドは、カナダ(アルバータ州)、ベネズエラに分布する。極めて低質なものは日本でも新潟県新潟市の新津油田などに見受けることができる。代表的なオイルシェール地帯はアメリカ合衆国(西部)、ブラジル、ロシア、オーストラリアなどに分布する。
インターネット検索しますと、Tosco (The Oil Shale Corporation) は幾多の曲折を経て、2001年にフィリップス石油(Phillips Petroleum)に吸収され、2002年からはConocoPhillips 傘下の一部門となっている様です。
今回三井物産が権利を得ようとしているオイルシェールエクスプロレーション(デラウェア州)とは、Toscoとは別企業。
未だに「石油は魔物」で、採掘権・鉱区開発などで種々の選択肢があるのは歴史的なものの様です。
火曜日, 5月 27, 2008
人生読本落語版-岩波新書
著者は1935年生まれの後期高齢者直前、テレビ放送も無い時代、ラジオ寄席が娯楽番組として全盛を極めている時に青年期を過ごしたことで、落語の面白さを身に沁みて感じた経験も相俟って、過去を回想するのを佳いとする世代の様です。
案の定、40余のタイトルには自分の人生経験と関連する落語が入り混じって紹介されています。
そうは言っても、単なる愚痴と懐古趣味が蔓延していることは無く、新書版で気軽に読め、少しは世の中の情勢への対処法、楽しく人生を送る術を考えさせてくれる書籍です。
近頃は、テレビ放送でも「お笑いブーム」が再燃していますが、視覚的動きで笑いを誘う傾向が強く、読み言葉として文章に耐えられるものは少ない様に思われますが、その点、落語は文章となっても十分面白さを満喫できる資質を備えた伝統文化であることが分かります。
人生読本落語版-岩波新書1130(著者 矢野誠一)
著者は「はじめに」章で次の様に述懐していて、その時流に阿らない姿勢は、傾聴に値するものだと思われます。
古今亭志ん生がしばしば口にした「こんなこと学校じゃ教えない」の一言は、将に教育の妙諦で、あの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。決して世のため、人のためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送る術を学んで来た。
昨今の地に堕ちた世情を見せられると、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁な不便でも心豊かな人生を、落語の世界から改めて学びなおしても良いのではあるまいか。
この本、電車内でも気軽に読めるのですが、本を読みながらもにやにやとせざるを得ず、変な人と思われる危険性がありますので、要注意でしょう!
案の定、40余のタイトルには自分の人生経験と関連する落語が入り混じって紹介されています。
そうは言っても、単なる愚痴と懐古趣味が蔓延していることは無く、新書版で気軽に読め、少しは世の中の情勢への対処法、楽しく人生を送る術を考えさせてくれる書籍です。
近頃は、テレビ放送でも「お笑いブーム」が再燃していますが、視覚的動きで笑いを誘う傾向が強く、読み言葉として文章に耐えられるものは少ない様に思われますが、その点、落語は文章となっても十分面白さを満喫できる資質を備えた伝統文化であることが分かります。
人生読本落語版-岩波新書1130(著者 矢野誠一)
著者は「はじめに」章で次の様に述懐していて、その時流に阿らない姿勢は、傾聴に値するものだと思われます。
古今亭志ん生がしばしば口にした「こんなこと学校じゃ教えない」の一言は、将に教育の妙諦で、あの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。決して世のため、人のためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送る術を学んで来た。
昨今の地に堕ちた世情を見せられると、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁な不便でも心豊かな人生を、落語の世界から改めて学びなおしても良いのではあるまいか。
この本、電車内でも気軽に読めるのですが、本を読みながらもにやにやとせざるを得ず、変な人と思われる危険性がありますので、要注意でしょう!
土曜日, 3月 15, 2008
ルポ貧困大国アメリカ-岩波新書(堤未果 著)
著者の堤未果女史は年齢不詳とされていますが、30才位の新進気鋭のジャーナリスト、マスコミ業界に阿ることも無く、ルポ報告での舌鋒鋭い指摘は新鮮そのものです。
アメリカに倣って経済自由主義・格差是認のグローバル化を直走る日本の現状・近未来に対する警鐘だと見ても差し支えありません。
嘗て「市場原理」は、バラ色の未来を運んで来るかの様に謳われた。競争によりサービスの質が上がり、国民生活がもっと便利で豊かになると言うイメージだ。
政府が国際競争力を規制緩和や法人税の引き下げで大企業を優遇し、社会保障費を削減することで帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中に組み込まれてしまった。
グローバル市場において効率良く利益を生み出すものの一つに弱者を食い物にする「貧困ビジネス」がある。
「サブプライムローン問題」は単なる金融の話では無く、過激な「市場原理」が経済的弱者を食い物にした「貧困ビジネス」の一つだ。
アメリカで中流階級の消費が飽和状態となった時、ビジネスが次のターゲットとして低所得者層を狙ったのが「サブプライムローン」、そこでは弱者が食い物にされ、使い捨てにされ生存権を奪われて行く現実がある。
この世界を動かす大資本の力はあまりに大きく私たちの想像を超えているし、現状が辛いほど私たちは試される。
しかし、現実を正確に伝えるべきメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されている状態に声を上げ、健全なメディアを立て直す。それも私たち国民の責任なのだ。
新鮮な感じのするルポ報告とは言え、何か「アジテーション演説を聞いている様な錯覚に陥ることも無きにしも非ず」と言う処で、このルポに迎合して庶民の声を上げて行くには短絡すぎる気もしないではありません。
その様な懸念を払拭するには、自分の頭の中で論理再構築することも考えなければなりません。
アメリカに倣って経済自由主義・格差是認のグローバル化を直走る日本の現状・近未来に対する警鐘だと見ても差し支えありません。
嘗て「市場原理」は、バラ色の未来を運んで来るかの様に謳われた。競争によりサービスの質が上がり、国民生活がもっと便利で豊かになると言うイメージだ。
政府が国際競争力を規制緩和や法人税の引き下げで大企業を優遇し、社会保障費を削減することで帳尻を合わせようとした結果、中間層は消滅、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中に組み込まれてしまった。
グローバル市場において効率良く利益を生み出すものの一つに弱者を食い物にする「貧困ビジネス」がある。
「サブプライムローン問題」は単なる金融の話では無く、過激な「市場原理」が経済的弱者を食い物にした「貧困ビジネス」の一つだ。
アメリカで中流階級の消費が飽和状態となった時、ビジネスが次のターゲットとして低所得者層を狙ったのが「サブプライムローン」、そこでは弱者が食い物にされ、使い捨てにされ生存権を奪われて行く現実がある。
この世界を動かす大資本の力はあまりに大きく私たちの想像を超えているし、現状が辛いほど私たちは試される。
しかし、現実を正確に伝えるべきメディアが口をつぐんでいるならば、表現の自由が侵されている状態に声を上げ、健全なメディアを立て直す。それも私たち国民の責任なのだ。
新鮮な感じのするルポ報告とは言え、何か「アジテーション演説を聞いている様な錯覚に陥ることも無きにしも非ず」と言う処で、このルポに迎合して庶民の声を上げて行くには短絡すぎる気もしないではありません。
その様な懸念を払拭するには、自分の頭の中で論理再構築することも考えなければなりません。
月曜日, 2月 04, 2008
中国名文選-岩波新書(興膳 宏 著)
日本語は常に変化しつつありますが、原則的には常用漢字2000字を主体として平仮名を使って送り仮名として読みやすい様にし、外来語は原則カタカナ(片仮名)とし表記され、各々の区別がつきやすい様に構成されています。
近頃は漢字で表現出来ることも、英語をカタカナ表現にした日本語の方が恰好が良いと言う風潮から、その様な会話・文章が幅を利かせるようになりましたが、1000年近く使われて来た漢字中心の日本語は今後も廃れることは無い様に思われます。
中国古典は永く日本人の教養を形作って来ましたが、先人が考案した漢文訓読というユニークな読解法が日本語でも違和感無く理解出来ると言うことが大きな役割を果たし、又、それらの簡潔な表現は日本語の文章に影響を与えて、今でも一部は「4文字熟語」として脈々として受け継がれています。
しかし、序章の冒頭に述べられている事実は目から鱗の様に感じられます。
中国では、かなり早い時期から書き言葉の文体が話し言葉から独立して、独自の発達を遂げた。書き言葉によって綴られた文章を「文言」と言うが、その特徴は、口頭で話される言葉を逐一写すのではなく、言わんとする意の要所を摘んで、簡潔に掬い上げることにある。
その「文言」も種々の変遷があるらしく、次の様に紹介しています。
「文言」も「史記」で完成を見ますが、歴史を辿るに従って、六朝時代(3~6世紀)には形式を重んずる文体が発展して技巧を尊重することとなります。しかし、8世紀後半の中唐となって復古運動が推進され、形式に縛られず自由に表現出来る中国のルネッサンスともされる「古文運動」が起きて来ます。
種々古典から選び抜いた名文は、孟子・荘子から宋代の蘇軾・李清照まで12人の文章家による内容・形式もさまざまな代表文、読みどころを押さえながら訓読し、白文も添えて、分かり易い解説がその味わいを伝えてくれます。
新書版で僅か12名文しかありませんので、気軽に中国古典を親しめる機会を提供してくれます。各項目別に、興味が出ましたら詳細な書籍を見つければ良さそうで、日本語ルネッサンスへの恰好な入門書に思えます。
近頃は漢字で表現出来ることも、英語をカタカナ表現にした日本語の方が恰好が良いと言う風潮から、その様な会話・文章が幅を利かせるようになりましたが、1000年近く使われて来た漢字中心の日本語は今後も廃れることは無い様に思われます。
中国古典は永く日本人の教養を形作って来ましたが、先人が考案した漢文訓読というユニークな読解法が日本語でも違和感無く理解出来ると言うことが大きな役割を果たし、又、それらの簡潔な表現は日本語の文章に影響を与えて、今でも一部は「4文字熟語」として脈々として受け継がれています。
しかし、序章の冒頭に述べられている事実は目から鱗の様に感じられます。
中国では、かなり早い時期から書き言葉の文体が話し言葉から独立して、独自の発達を遂げた。書き言葉によって綴られた文章を「文言」と言うが、その特徴は、口頭で話される言葉を逐一写すのではなく、言わんとする意の要所を摘んで、簡潔に掬い上げることにある。
その「文言」も種々の変遷があるらしく、次の様に紹介しています。
「文言」も「史記」で完成を見ますが、歴史を辿るに従って、六朝時代(3~6世紀)には形式を重んずる文体が発展して技巧を尊重することとなります。しかし、8世紀後半の中唐となって復古運動が推進され、形式に縛られず自由に表現出来る中国のルネッサンスともされる「古文運動」が起きて来ます。
種々古典から選び抜いた名文は、孟子・荘子から宋代の蘇軾・李清照まで12人の文章家による内容・形式もさまざまな代表文、読みどころを押さえながら訓読し、白文も添えて、分かり易い解説がその味わいを伝えてくれます。
新書版で僅か12名文しかありませんので、気軽に中国古典を親しめる機会を提供してくれます。各項目別に、興味が出ましたら詳細な書籍を見つければ良さそうで、日本語ルネッサンスへの恰好な入門書に思えます。
日曜日, 1月 20, 2008
西田哲学-西田幾多郎
どうも金権主義と享楽主義が蔓延り、「ハウツーが横行するだけ」の如何ともし難い状況に陥っている様です。
「清貧」と言う言葉は死語と化して「金儲けと享楽のみが生き甲斐」となって久しく、強者は批判を封じ込めることに汲々とし、弱者を見つけると徹底的に批判して「その生き様」まで否定しようとするのですから、世の中は住みにくくなってしまい、とてもではありませんが一般大衆は堪りません。
政治家の政治資金偽装、実業家の偽装行為、マスコミの情報流用操作・インサイダー取引など頻発して「チャンスを生かす強者の論理」は留まることがありません。
「パンとサーカスを生き甲斐」とする哲学不在の時代が、そうした生き様を肯定してしまったのだと言うことでしょうか?
西田幾多郎-生きることと哲学 岩波新書(藤田正勝 著)
西田幾多郎は、「善の研究」で一世を風靡し、純粋経験を標榜した西田哲学を確立した哲人として知られている。
哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」でなくして深い人生の悲哀でなければならない。
「功なり名遂げた」人生を予想するだが、絶筆にあたって全く違った眼で自らの生涯を見ていたことが分かった。
私の論理は学界からは理解されず、一顧も与えられないと言っても良いのである。批評が無いではない。しかしそれは異なった立場から私の言う所を曲解しての批評に過ぎない。
西田は、さまざまな思想家から批判を受けたが、その都度、批判を正面から受け止め、自らの思想を発展させる原動力にして行った。批判を自らの思想の中に取り込み、それを糧として新たな発展を遂げていく力強さ、エネルギーが西田の思索の中にはあった。
西田は図らずも弁証法的生き様を貫いたのかも知れません。
ある命題(テーゼ=正)と、それを否定する命題(アンチテーゼ=反対命題)、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)として、サイクル化されているのである。
全てのものは矛盾を含んでおり、必然的に己と対立するものを生み出す。生み出すものと生み出されたものは互いに対立しあうが、その対立によって互いに結びつき、最後には二つがアウフヘーベン(aufheben)される。
「清貧」と言う言葉は死語と化して「金儲けと享楽のみが生き甲斐」となって久しく、強者は批判を封じ込めることに汲々とし、弱者を見つけると徹底的に批判して「その生き様」まで否定しようとするのですから、世の中は住みにくくなってしまい、とてもではありませんが一般大衆は堪りません。
政治家の政治資金偽装、実業家の偽装行為、マスコミの情報流用操作・インサイダー取引など頻発して「チャンスを生かす強者の論理」は留まることがありません。
「パンとサーカスを生き甲斐」とする哲学不在の時代が、そうした生き様を肯定してしまったのだと言うことでしょうか?
西田幾多郎-生きることと哲学 岩波新書(藤田正勝 著)
西田幾多郎は、「善の研究」で一世を風靡し、純粋経験を標榜した西田哲学を確立した哲人として知られている。
哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」でなくして深い人生の悲哀でなければならない。
「功なり名遂げた」人生を予想するだが、絶筆にあたって全く違った眼で自らの生涯を見ていたことが分かった。
私の論理は学界からは理解されず、一顧も与えられないと言っても良いのである。批評が無いではない。しかしそれは異なった立場から私の言う所を曲解しての批評に過ぎない。
西田は、さまざまな思想家から批判を受けたが、その都度、批判を正面から受け止め、自らの思想を発展させる原動力にして行った。批判を自らの思想の中に取り込み、それを糧として新たな発展を遂げていく力強さ、エネルギーが西田の思索の中にはあった。
西田は図らずも弁証法的生き様を貫いたのかも知れません。
ある命題(テーゼ=正)と、それを否定する命題(アンチテーゼ=反対命題)、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)として、サイクル化されているのである。
全てのものは矛盾を含んでおり、必然的に己と対立するものを生み出す。生み出すものと生み出されたものは互いに対立しあうが、その対立によって互いに結びつき、最後には二つがアウフヘーベン(aufheben)される。
金曜日, 1月 04, 2008
人工浮島で太陽発電-スイスの研究所(CSEM)が研究開発
現在は水素を得る為には炭素を含む化石燃料を原料とし、改質器の中で二酸化炭素(CO2)、猛毒の一酸化炭素(CO)が発生しますので、除去しなければなりません。特に12%も入っています一酸化炭素は、二酸化炭素変成プロセス過程を経て、排気中に10PPM以下となる様に設定されています。結局、排ガス中には相当量の二酸化炭素(CO2)が含まれ、CO2発生率は従来発電方式と殆ど同等となってしまいます。化石燃料を使う限り、その宿命は変わらないのです。
無尽蔵の太陽エネルギーを使って、純水素ガスを製造し、燃料電池で動力・電力を得て、環境を汚さずに生活する、そんな時代が来て欲しいものです。
スイスの民間研究所CSEM(Centre Suisse d'Electronique et de Microtechnique)が太陽発電を行う人工浮島(MegaFloat)を海上に建設するプロジェクトに取り組んでいる。2010年代初頭の実用化を目標に、強い日差しを遮る障害物のない海上で効率よく太陽発電を行う研究開発を進めている。
アラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国のラスアルハイマにてプロジェクトが進められている。2007年5月にラスアルハイマ当局に太陽発電の浮島構想を説明し、500万ドルの資金提供を含めたプロジェクト推進への支援を取り付けた。
直径5km円形の浮島に太陽の熱エネルギーを集めて貯蔵する設備を設置し、太陽熱エネルギーによって蒸気を発生させ、水素を取り出し発電に活用する。且つ、直射日光の強い昼間に熱エネルギーを蓄えて夜間の発電にも利用する。
日本でも経済産業省・環境省・NEDOを中心に同じような動きがあり、人工浮島(メガフロート)上に風力発電・太陽光発電・海水淡水化設備、水素製造設備を設けて海洋上で水素製造・発電する計画ですが、予算化もならず未だ検討段階に過ぎません。
具体的には海上に移動可能な人工浮島を設け、その上でクリーンなエネルギー源である水素を、太陽光や風力などの自然エネルギーで得られた電力を利用して製造する。
技術的には風力や太陽光は天候に大きく左右され、電力の供給源として安定性に欠けることが実用化の上で問題視されているが、この不安定な電力を水素製造するための「水の電気分解」に利用することで欠点を補うことが期待でき、近未来に自動車や家庭のエネルギー源の主流と目されている水素を安定供給する可能性を検討することができる。
又、人工浮島は移動が可能であるため、各地の太陽光や風力などのデータ採取が可能である。他の方法より長期的に環境面で優位と判断されれば、海上を利用した大規模な自然エネルギー水素製造設備や発電設備を検討することもできる。また、海洋上に水素の貯蔵設備が位置するため、地震・津波などの自然災害に強く、万一事故が発生しても周辺への被害が少ない。
日本が検討している人工浮島(MegaFloat)拡張計画、風力発電も入れて一寸欲張り過ぎている気がします。
太陽光発電・水素製造・燃料電池だけに絞らないと膨大な予算が必要で、パイロットプラント化も難しいと考えています。
無尽蔵の太陽エネルギーを使って、純水素ガスを製造し、燃料電池で動力・電力を得て、環境を汚さずに生活する、そんな時代が来て欲しいものです。
スイスの民間研究所CSEM(Centre Suisse d'Electronique et de Microtechnique)が太陽発電を行う人工浮島(MegaFloat)を海上に建設するプロジェクトに取り組んでいる。2010年代初頭の実用化を目標に、強い日差しを遮る障害物のない海上で効率よく太陽発電を行う研究開発を進めている。
アラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国のラスアルハイマにてプロジェクトが進められている。2007年5月にラスアルハイマ当局に太陽発電の浮島構想を説明し、500万ドルの資金提供を含めたプロジェクト推進への支援を取り付けた。
直径5km円形の浮島に太陽の熱エネルギーを集めて貯蔵する設備を設置し、太陽熱エネルギーによって蒸気を発生させ、水素を取り出し発電に活用する。且つ、直射日光の強い昼間に熱エネルギーを蓄えて夜間の発電にも利用する。
日本でも経済産業省・環境省・NEDOを中心に同じような動きがあり、人工浮島(メガフロート)上に風力発電・太陽光発電・海水淡水化設備、水素製造設備を設けて海洋上で水素製造・発電する計画ですが、予算化もならず未だ検討段階に過ぎません。
具体的には海上に移動可能な人工浮島を設け、その上でクリーンなエネルギー源である水素を、太陽光や風力などの自然エネルギーで得られた電力を利用して製造する。
技術的には風力や太陽光は天候に大きく左右され、電力の供給源として安定性に欠けることが実用化の上で問題視されているが、この不安定な電力を水素製造するための「水の電気分解」に利用することで欠点を補うことが期待でき、近未来に自動車や家庭のエネルギー源の主流と目されている水素を安定供給する可能性を検討することができる。
又、人工浮島は移動が可能であるため、各地の太陽光や風力などのデータ採取が可能である。他の方法より長期的に環境面で優位と判断されれば、海上を利用した大規模な自然エネルギー水素製造設備や発電設備を検討することもできる。また、海洋上に水素の貯蔵設備が位置するため、地震・津波などの自然災害に強く、万一事故が発生しても周辺への被害が少ない。
日本が検討している人工浮島(MegaFloat)拡張計画、風力発電も入れて一寸欲張り過ぎている気がします。
太陽光発電・水素製造・燃料電池だけに絞らないと膨大な予算が必要で、パイロットプラント化も難しいと考えています。
土曜日, 12月 22, 2007
ハイタン(Hythane)とナチュラルハイ(Naturalhy)
21世紀は化石燃料も枯渇を迎えて、水素エネルギー利用無しにはエネルギー供給(Energy Supply)が成り立たなくものとされています。
しかし、一挙に転化できるものでも無く、当面は埋蔵量豊富な天然ガス(Natural Gas)を燃料としつつ、段階的に天然ガスに水素を混ぜたハイタン(Hythane)、究極的には水素(Hydrogen)を用いることが妥当とされています。
ハイタン(Hythane)はアメリカにて使われる造語で、 Hydrogen+Methane=Hythaneとされ、米国のBrehon Energy PLC の商標登録用語とされています。
ヨーロッパではナチュラルハイ(Naturalhy)、即ちNatural Gas+Hydrogen=Naturalhyと呼ばれているのですが、アメリカ造語の方が使い易いと思われます。
ハイタン(Hythane)若しくはナチュラルハイ(Naturalhy)は、天然ガスに水素を15~20%混ぜたもので天然ガスに比べ、温室効果ガスや大気汚染物質を約50 %削減すると報告されています。
水素(Hydrogen)の時代は2050年以降と考えられていましたが、COP13のロードマップを考えますと、ハイタン(Hythane)利用が加速して、2020年には水素(Hydrogen)エネルギー時代が始まるものとみて準備を始めておく必要がありそうです。
水素エネルギー社会が実現すれば市内に水素パイプラインが敷設されて家庭や工場に水素が送られることが予想されますが、水素供給チェーン(Supply Chain)での主たるコスト要因は、製造では無く配送と貯蔵と考えられており、長期的な解決策は、水素パイプライン・ネットワーク(Hydrogen Pipeline Network)の構築にあるとされています。
水素ガス・パイプラインの実態漏洩調査から、パイプライン接続部やシール部は、天然ガス・パイプライン以上に頻繁にチェックする必要があることが確認されており、水素ガス・パイプラインは、一般に天然ガス・パイプラインよりも低圧で操業されているのが現状となっていて、エネルギー輸送量が低くなってしまうのが問題となっています。
従って、漏洩防止構造設計と防爆安全設計の向上を綿密に企画し、安全で効果的な高圧力でのハイタン輸送から水素ガス輸送実現が、今後喫緊の課題になるのだと思っています。
しかし、一挙に転化できるものでも無く、当面は埋蔵量豊富な天然ガス(Natural Gas)を燃料としつつ、段階的に天然ガスに水素を混ぜたハイタン(Hythane)、究極的には水素(Hydrogen)を用いることが妥当とされています。
ハイタン(Hythane)はアメリカにて使われる造語で、 Hydrogen+Methane=Hythaneとされ、米国のBrehon Energy PLC の商標登録用語とされています。
ヨーロッパではナチュラルハイ(Naturalhy)、即ちNatural Gas+Hydrogen=Naturalhyと呼ばれているのですが、アメリカ造語の方が使い易いと思われます。
ハイタン(Hythane)若しくはナチュラルハイ(Naturalhy)は、天然ガスに水素を15~20%混ぜたもので天然ガスに比べ、温室効果ガスや大気汚染物質を約50 %削減すると報告されています。
水素(Hydrogen)の時代は2050年以降と考えられていましたが、COP13のロードマップを考えますと、ハイタン(Hythane)利用が加速して、2020年には水素(Hydrogen)エネルギー時代が始まるものとみて準備を始めておく必要がありそうです。
水素エネルギー社会が実現すれば市内に水素パイプラインが敷設されて家庭や工場に水素が送られることが予想されますが、水素供給チェーン(Supply Chain)での主たるコスト要因は、製造では無く配送と貯蔵と考えられており、長期的な解決策は、水素パイプライン・ネットワーク(Hydrogen Pipeline Network)の構築にあるとされています。
水素ガス・パイプラインの実態漏洩調査から、パイプライン接続部やシール部は、天然ガス・パイプライン以上に頻繁にチェックする必要があることが確認されており、水素ガス・パイプラインは、一般に天然ガス・パイプラインよりも低圧で操業されているのが現状となっていて、エネルギー輸送量が低くなってしまうのが問題となっています。
従って、漏洩防止構造設計と防爆安全設計の向上を綿密に企画し、安全で効果的な高圧力でのハイタン輸送から水素ガス輸送実現が、今後喫緊の課題になるのだと思っています。
月曜日, 12月 17, 2007
高性能リチウムイオン電池
リチウムイオン電池は初期型メタハイ(MH)電池よりも、エネルギー密度が高く使用寿命も長いことから、ノートパソコンなどモバイル情報機器に多く使用されています。しかし、過充電は電池を急激に劣化させ、最悪の場合は破裂・発火すると言われ、実際にモバイル機器の電池が火災や爆発が起きて回収となった事例が多くありました。
東芝は12月11日、高温や低温など過酷な条件下でも発火や破裂の恐れが少ない新型の高性能リチウムイオン電池「SCiB(Super Charge ion Battery)」開発成功と事業化計画を発表しました。
「高い安全性、長寿命、急速充電性能、高出力、低温性能」との特徴が挙げられています。
負極材に従来のコバルト酸リチウム(LiCoO2)に替えてチタン酸リチウム(LiTiO2)を採用、引火点の高い電解液や耐熱性セパレータを組み合わせ、内部短絡が起こっても熱暴走を起こしにくい。
バッテリを物理的につぶして短絡させても、セル温度は100℃未満で収まり、発煙も発火も生じない。
急速充電を3000回繰り返しても容量低下は10%未満、約5000回を超える繰り返し充放電が可能。5分間で電池容量の90%以上の充電が可能。
電気二重層キャパシタ並みの高い入出力性能(パワー密度)、マイナス30度の低温環境でも十分な性能を維持するとされている。
2008年3月から量産を開始しつつ、非常用電源・風力発電平準化電源への産業用途、電動アシスト自転車・ハイブリッド車など電動車両への適用を模索し、2015年度には売上高1000億円規模を目指すらしい。
発表された「SCiB」性能の特性上、モバイル用リチウムイオン電池の電圧やエネルギー密度が及ばないことから、現状では携帯電話・パソコン機器向けとは位置づけられていないのが残念です。
しかしコバルトはレアメタル(稀少金属)ですから、チタン適用電池の方がコスト的にも安価に出来る可能性も秘めています。
燃料電池(Fuel Cell)と共に期待したい技術ですし、小型化は寧ろ高性能リチウムイオン電池の方が向いているのではと思っています。
東芝は12月11日、高温や低温など過酷な条件下でも発火や破裂の恐れが少ない新型の高性能リチウムイオン電池「SCiB(Super Charge ion Battery)」開発成功と事業化計画を発表しました。
「高い安全性、長寿命、急速充電性能、高出力、低温性能」との特徴が挙げられています。
負極材に従来のコバルト酸リチウム(LiCoO2)に替えてチタン酸リチウム(LiTiO2)を採用、引火点の高い電解液や耐熱性セパレータを組み合わせ、内部短絡が起こっても熱暴走を起こしにくい。
バッテリを物理的につぶして短絡させても、セル温度は100℃未満で収まり、発煙も発火も生じない。
急速充電を3000回繰り返しても容量低下は10%未満、約5000回を超える繰り返し充放電が可能。5分間で電池容量の90%以上の充電が可能。
電気二重層キャパシタ並みの高い入出力性能(パワー密度)、マイナス30度の低温環境でも十分な性能を維持するとされている。
2008年3月から量産を開始しつつ、非常用電源・風力発電平準化電源への産業用途、電動アシスト自転車・ハイブリッド車など電動車両への適用を模索し、2015年度には売上高1000億円規模を目指すらしい。
発表された「SCiB」性能の特性上、モバイル用リチウムイオン電池の電圧やエネルギー密度が及ばないことから、現状では携帯電話・パソコン機器向けとは位置づけられていないのが残念です。
しかしコバルトはレアメタル(稀少金属)ですから、チタン適用電池の方がコスト的にも安価に出来る可能性も秘めています。
燃料電池(Fuel Cell)と共に期待したい技術ですし、小型化は寧ろ高性能リチウムイオン電池の方が向いているのではと思っています。
月曜日, 12月 03, 2007
C-X輸送機用エンジン選定
私が初めて飛行体験したのは、航空自衛隊木更津基地でのC-46輸送機で、1963年のことでした。座席後部には落下傘降下用の開口部があって、歩いて行けば落ちるのだと少し怖かった思い出も残っています。

それから45年経ちましたが、驚くほど防衛用輸送機は進歩しようとしています。それにつれて調達費用も莫大となり、防衛利権が暗躍する事態となり、賄賂・収賄が取り沙汰されているのは許されることではありませんが、エンジン選定結果そのものは極めて妥当だと思っています。
C-X (Cargo aircraft-X) は、防衛省・航空自衛隊における「次期輸送機」の一般名称で、第一次C-XはC-46の後継として1960年代に計画され、防衛庁技術研究本部と川崎重工業が開発したターボファンエンジン双発の中型輸送機でC-1として採用された。
第二次C-XはC-1の後継として2000年に計画され、防衛省技術研究本部と川崎重工業にて開発が進められている、ターボファンエンジン双発の大型戦術輸送機である。
C-1と比較し積載量は3.75倍・飛行速度は1.2倍、航続距離はC-1がペイロード8t搭載時に約810kmに対し、C-Xは12t搭載時に約8,900kmとなっている。
C-X技術仕様
乗員: 3名(パイロット2名・ロードマスター1名)
寸法: 43.9m L x 44.4mW x 14.2mH
最大離陸重量: 141,100kg
最大積載量: 37,600kg
エンジン出力: 27,900kg(推定)×2
巡航速度: Mach 0.8 (高度12,200mのとき)
巡航高度: 12,200m
航続距離: 0t/10,000km 12t/8,900km 37t/5,600km
装備するエンジンは、ロールス・ロイス(RR)、ゼネラル・エレクトリック(GE)、プラット&ホイットニー(P&W)の3社からの提案を検討した結果、2003年8月にGEのCF6-80C2型エンジンを採用した。CF6-80C2のカタログ価格は1基1,000万ドルである。
選定に際しては、導入されているB747-400(政府専用機)やE-767、導入予定のKC-767が同一エンジンを採用しており、整備面で都合が良いことから決定されたと思われる。海外でも広く普及している為、渡航先での整備拠点もあり、又日本国内のエアラインもボーイング社製の機体と共に、同系統エンジンを600基以上採用しており、信頼性の高さと国内での運用経験も選定の根拠とされている。
この大型ファンエンジンを供給出来るのは、ゼネラル・エレクトリック(General Electric: GE)社、ユナイテド・テクノロジー(United Technologies)傘下のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney: P&W)社、ロールス・ロイス(Rolls Royce: RR)社と、世界に3社しかなく、選定候補は次の様だったと思われます。
P&W候補エンジン: PW-4062 (推力 28,100kg)
GE候補エンジン: CF6-80-C2(推力 27,900kg)
RR候補エンジン: RB-211-524G(推力 27,200kg)
いずれのファンジェットも優れたエンジンですが、私が選定責任を負わされても、燃料消費(Fuel Economy)・運用実績(Flight Experience)・整備体制(Logistics Support)・環境適合(Low Emission)などの観点から、多分GE社のCF6エンジンを選んだと思います。
民間大型旅客機B747開発ではP&W社JT9DとRR社RB211が搭載エンジンを競ったのですが、JT9Dに軍配が上がり、RR社は開発費が嵩んだことで倒産し英国策会社となりました。
遅れを取ったGE社は軍用輸送機C5A‐Galaxy(ペイロード118t:大型戦車輸送可能)搭載のTF39を受注することで、それを民間用に設計変更しCF6シリーズを展開、燃料消費率の優秀さから民間大型旅客機への搭載が増加してP&W社JT9DとRR社RB211を凌駕する事態となりました。
そこでP&W社はJT9Dエンジンを全面設計変更してPW4000シリーズを展開して、3社供給体制を維持して来たのです。
今回のC-X輸送機用エンジン選定問題、山田洋行が防衛利権を掛けて暗躍し賄賂・収賄が取りざたされていますが、選定結果そのものは極めて妥当だと思っています。
それから45年経ちましたが、驚くほど防衛用輸送機は進歩しようとしています。それにつれて調達費用も莫大となり、防衛利権が暗躍する事態となり、賄賂・収賄が取り沙汰されているのは許されることではありませんが、エンジン選定結果そのものは極めて妥当だと思っています。
C-X (Cargo aircraft-X) は、防衛省・航空自衛隊における「次期輸送機」の一般名称で、第一次C-XはC-46の後継として1960年代に計画され、防衛庁技術研究本部と川崎重工業が開発したターボファンエンジン双発の中型輸送機でC-1として採用された。
第二次C-XはC-1の後継として2000年に計画され、防衛省技術研究本部と川崎重工業にて開発が進められている、ターボファンエンジン双発の大型戦術輸送機である。
C-1と比較し積載量は3.75倍・飛行速度は1.2倍、航続距離はC-1がペイロード8t搭載時に約810kmに対し、C-Xは12t搭載時に約8,900kmとなっている。
C-X技術仕様
乗員: 3名(パイロット2名・ロードマスター1名)
寸法: 43.9m L x 44.4mW x 14.2mH
最大離陸重量: 141,100kg
最大積載量: 37,600kg
エンジン出力: 27,900kg(推定)×2
巡航速度: Mach 0.8 (高度12,200mのとき)
巡航高度: 12,200m
航続距離: 0t/10,000km 12t/8,900km 37t/5,600km
装備するエンジンは、ロールス・ロイス(RR)、ゼネラル・エレクトリック(GE)、プラット&ホイットニー(P&W)の3社からの提案を検討した結果、2003年8月にGEのCF6-80C2型エンジンを採用した。CF6-80C2のカタログ価格は1基1,000万ドルである。
選定に際しては、導入されているB747-400(政府専用機)やE-767、導入予定のKC-767が同一エンジンを採用しており、整備面で都合が良いことから決定されたと思われる。海外でも広く普及している為、渡航先での整備拠点もあり、又日本国内のエアラインもボーイング社製の機体と共に、同系統エンジンを600基以上採用しており、信頼性の高さと国内での運用経験も選定の根拠とされている。
この大型ファンエンジンを供給出来るのは、ゼネラル・エレクトリック(General Electric: GE)社、ユナイテド・テクノロジー(United Technologies)傘下のプラット&ホイットニー(Pratt & Whitney: P&W)社、ロールス・ロイス(Rolls Royce: RR)社と、世界に3社しかなく、選定候補は次の様だったと思われます。
P&W候補エンジン: PW-4062 (推力 28,100kg)
GE候補エンジン: CF6-80-C2(推力 27,900kg)
RR候補エンジン: RB-211-524G(推力 27,200kg)
いずれのファンジェットも優れたエンジンですが、私が選定責任を負わされても、燃料消費(Fuel Economy)・運用実績(Flight Experience)・整備体制(Logistics Support)・環境適合(Low Emission)などの観点から、多分GE社のCF6エンジンを選んだと思います。
民間大型旅客機B747開発ではP&W社JT9DとRR社RB211が搭載エンジンを競ったのですが、JT9Dに軍配が上がり、RR社は開発費が嵩んだことで倒産し英国策会社となりました。
遅れを取ったGE社は軍用輸送機C5A‐Galaxy(ペイロード118t:大型戦車輸送可能)搭載のTF39を受注することで、それを民間用に設計変更しCF6シリーズを展開、燃料消費率の優秀さから民間大型旅客機への搭載が増加してP&W社JT9DとRR社RB211を凌駕する事態となりました。
そこでP&W社はJT9Dエンジンを全面設計変更してPW4000シリーズを展開して、3社供給体制を維持して来たのです。
今回のC-X輸送機用エンジン選定問題、山田洋行が防衛利権を掛けて暗躍し賄賂・収賄が取りざたされていますが、選定結果そのものは極めて妥当だと思っています。
土曜日, 12月 01, 2007
M82星雲-すばる望遠鏡の宇宙
おおぐま座にあり、1200万光年の彼方に位置する銀河M82星雲の可視画像。
大きく左右に伸びた白い星雲が星の集団で、上下に広がる赤い筋は中心部での星形成が引き起こす高温の水素ガス風だ。
この銀河の中心部では太陽の10倍以上の巨星が一時に何万個と生まれるのだから、実に激しい爆発的星形成銀河(Starburst Galaxy)だ。
此処までスケールが大きくなって来ますと、人生への屈託も無く、純粋にロマンと知識探究の楽しみのみで痛快の限りです。
人類は太古の昔から、夜空の天体を観測し、星座を作っては神話と融合させる楽しみを育んで来ました。近世、ガリレオの屈折式望遠鏡、ニュートンの反射式望遠鏡の発明からは詳細な天文学も発達して、ロマンがより壮大なものになりました。
すばる望遠鏡の宇宙-岩波新書(著者 海部宣男 写真 宮下暁彦)
著者は、1999年400億円を掛けてハワイ島マウナケア山頂に設置した日本が誇る「8.2mすばる望遠鏡」のプロジェクト・リーダとして建設・運用を纏め上げた経過・結果を記述したもので、直接責任者としての思いが強く感じられる著作となっています。
機器製作、現地建設、運用後の天体写真も、多数のカラー写真で説明されるので、読んでも眺めていても楽しいものがありました。
「すばる望遠鏡」性能の素晴らしさから、数々の成果を得て、ビッグバンから宇宙が膨張し続けている様子、アインシュタイン相対性理論の重力による光の歪みも検証出来たことが平易に説明されています。
著者は、技術論から科学論まで説得力があり、プロジェクト・リーダとしても、天体研究者として優秀なのだと実感させるものがありました。
アルマは、日本の国立天文台、EUのヨーロッパ南天文台(ESO)、米国の国立電波天文台(NRAO)の3者が協力して建設、運営する大電波望遠鏡。
南米チリ標高5000mのアタカマ高原に80基の高精度パラボラを10km以上の範囲に配置するプロジェクトは進行中で、精密なアンテナ搬入も始まっている。
「すばる望遠鏡」以降の新しい大型精密望遠鏡計画の紹介もあって、天体への知識欲・探究心は留まることが無い様です。
月曜日, 11月 26, 2007
新聞社 破綻したビジネスモデル(新潮新書)
言論の自由が役立つ場面よりも、報道被害の方が目に付く中で、国民は「マスコミは知る権利に本当に応えているのか。寧ろ私権を侵害しているのではないか。マスコミに公共性があるとするなら、具体的に示して欲しい」と問いかけるようになった。実際、ワイドショーの中には自分で自分の首を絞めているとしか思えないものがあります。
著者の河内孝氏は、毎日新聞の営業担当常務を務めた人物で、業界内でも語られない販売の裏側について、生々しく紹介しているのは珍しいかも知れません。
「販売が大変だから改革せねばならない」ことには、全員賛成でした。改革案を役員会に提示し全員一致で決めたのです。身を切る改革に販売局、販売店主達から相当の反発、抵抗が起きることも当然覚悟していました。
結果的には私には想定内の事態が、他の人達には予想外の深刻な事態になってしまい、改革は挫折し、私は退任・退社したのですが、誠に残念でした。
ジャーナリズムを議論するのでなく、ビジネスとしての将来像を見つめることで、これまでの新聞批判本とは違う特異性はあります。
3大新聞と呼ばれて来ましたが、圧倒的に読売、朝日のメガ新聞に差を開けられてしまった、毎日新聞の再生の為に採るべき方向を指し示しているのが本書の狙いの様でした。
それは第三極構想とされ、毎日新聞を中心に産経新聞・中日新聞が業務提携するというもので、中部圏では非常に強固な地盤を持つ中日、首都圏では産経、九州地区では毎日が強い地盤なので、連携すれば全国紙の展望が開けると言うのです。
しかし、毎日サイドの我田引水的な色彩が濃く、連携相手とされる産経・中日側には、危機に瀕した毎日と連携するメリットは少ないのでは懸念せざるを得ません。
結局は、社内改革抗争に敗れた著者が、出版社の力を借りてその改革案を世に問うた著作ですが、読み進む内に社内文書を読まされている感じがして仕方がなく、何とも読み応えが無いのが如何にも残念でした。
著者の河内孝氏は、毎日新聞の営業担当常務を務めた人物で、業界内でも語られない販売の裏側について、生々しく紹介しているのは珍しいかも知れません。
「販売が大変だから改革せねばならない」ことには、全員賛成でした。改革案を役員会に提示し全員一致で決めたのです。身を切る改革に販売局、販売店主達から相当の反発、抵抗が起きることも当然覚悟していました。
結果的には私には想定内の事態が、他の人達には予想外の深刻な事態になってしまい、改革は挫折し、私は退任・退社したのですが、誠に残念でした。
ジャーナリズムを議論するのでなく、ビジネスとしての将来像を見つめることで、これまでの新聞批判本とは違う特異性はあります。
3大新聞と呼ばれて来ましたが、圧倒的に読売、朝日のメガ新聞に差を開けられてしまった、毎日新聞の再生の為に採るべき方向を指し示しているのが本書の狙いの様でした。
それは第三極構想とされ、毎日新聞を中心に産経新聞・中日新聞が業務提携するというもので、中部圏では非常に強固な地盤を持つ中日、首都圏では産経、九州地区では毎日が強い地盤なので、連携すれば全国紙の展望が開けると言うのです。
しかし、毎日サイドの我田引水的な色彩が濃く、連携相手とされる産経・中日側には、危機に瀕した毎日と連携するメリットは少ないのでは懸念せざるを得ません。
結局は、社内改革抗争に敗れた著者が、出版社の力を借りてその改革案を世に問うた著作ですが、読み進む内に社内文書を読まされている感じがして仕方がなく、何とも読み応えが無いのが如何にも残念でした。
水道本管(ダクタイル鋳鉄)の更正工事-多摩ニュータウンの事例
多摩ニュータウンでは幹線道路での水道管の更正工事が始まって久しく、半年を経過しても完了していません。処々に路線規制もあり、アスファルト路面も凸凹でとてもスムーズな走行は出来ません。
当初はねずみ鋳鉄(Gray Cast Iron)管からダクタイル鋳鉄(Ductile Iron)管への更新をしているのかと思っていたのですが、1970年代に開発された多摩ニュータウン地区は最初からダクタイル鋳鉄(Ductile Iron)管が敷設されていた様で、今回は「高度浄水」のコンセプトにも対応した管内エポキシ塗装を更新・更正する工事の様です。
東京都水道局では、平成19年4月からNS形ダクタイル鋳鉄管の採用口径を呼び径75~250mmまでを呼び径1,000mmまで拡大したことに伴い、説明会を平成19年3月に開催しました。
その後の入札結果から、施工企業が選定し、ダクタイル鋳鉄管の直管の管内面塗装を現行の呼び径350mmから呼び径1,000mmまでモルタルライニングからエポキシ樹脂粉体塗装への変更工事を行いますのでお知らせします。
留意事項:
US形ダクタイル鋳鉄管の内面継手管・ダクタイル鋳鉄管推進工法など、管路内での作業を伴うものについては、従来どおりモルタルライニング管としますのでご注意ください。
ダクタイル鋳鉄とは、普通鋳鉄の衝撃に弱い欠点を克服し、鋳鉄でありながら鋼と変わらない強度と伸び特性を持つ「球状黒鉛鋳鉄」。1954年クボタが世界にさきがけて大口径ダクタイル鋳鉄管の製造に成功させ、1957年には遠心力鋳造法によるダクタイル鋳鉄管の量産を実現させた。
厚生省では1991年には「フレッシュ水道計画」を策定、「質の高い水道施設づくり」として21世紀に向けた水道整備の長期目標を示し、地震などの災害にも強い水道を強調した。更にモータリゼーション進展により管路に加わる荷重は一層の増大傾向にあり、広範な地域で発生している地盤沈下と言う深刻な課題克服もあり、ダクタイル鋳鉄管は、瞬間的に発生する巨大な衝撃に耐え、長期間にわたって厳しい圧力に耐える要求に応える戦略素形材として位置付けられている。
又、現代の都市事情・交通事情に見合った新しい施工技術。たとえば「パイプ・イン・パイプ工法」「既設管破砕推進工法」も開発されている。既設パイプをさや管としてその中に新パイプを挿入し管路更新する工法である。パイプ接合を省人自動化する「接合ロボット」の研究開発も進む。「高度浄水」のコンセプトにも対応したパイプ内面処理技術の高度化(内面エポキシ樹脂粉体塗装)も進む。
幹線水道本管がエポキシ塗装となりますと、各家庭への小さな給水管は塩ビ製ですから、これでは全てプラスチック配管で供給された水道水を飲むことになり、プラスチックからは環境ホルモン物質の溶解が懸念されることになります。
この様なシステムを変更することは困難と思われますが、近頃多くなった飲料水・お茶販売なども全てペットボトルで販売されていますので、その不安は消えません。
当初はねずみ鋳鉄(Gray Cast Iron)管からダクタイル鋳鉄(Ductile Iron)管への更新をしているのかと思っていたのですが、1970年代に開発された多摩ニュータウン地区は最初からダクタイル鋳鉄(Ductile Iron)管が敷設されていた様で、今回は「高度浄水」のコンセプトにも対応した管内エポキシ塗装を更新・更正する工事の様です。
東京都水道局では、平成19年4月からNS形ダクタイル鋳鉄管の採用口径を呼び径75~250mmまでを呼び径1,000mmまで拡大したことに伴い、説明会を平成19年3月に開催しました。
その後の入札結果から、施工企業が選定し、ダクタイル鋳鉄管の直管の管内面塗装を現行の呼び径350mmから呼び径1,000mmまでモルタルライニングからエポキシ樹脂粉体塗装への変更工事を行いますのでお知らせします。
留意事項:
US形ダクタイル鋳鉄管の内面継手管・ダクタイル鋳鉄管推進工法など、管路内での作業を伴うものについては、従来どおりモルタルライニング管としますのでご注意ください。
ダクタイル鋳鉄とは、普通鋳鉄の衝撃に弱い欠点を克服し、鋳鉄でありながら鋼と変わらない強度と伸び特性を持つ「球状黒鉛鋳鉄」。1954年クボタが世界にさきがけて大口径ダクタイル鋳鉄管の製造に成功させ、1957年には遠心力鋳造法によるダクタイル鋳鉄管の量産を実現させた。
厚生省では1991年には「フレッシュ水道計画」を策定、「質の高い水道施設づくり」として21世紀に向けた水道整備の長期目標を示し、地震などの災害にも強い水道を強調した。更にモータリゼーション進展により管路に加わる荷重は一層の増大傾向にあり、広範な地域で発生している地盤沈下と言う深刻な課題克服もあり、ダクタイル鋳鉄管は、瞬間的に発生する巨大な衝撃に耐え、長期間にわたって厳しい圧力に耐える要求に応える戦略素形材として位置付けられている。
又、現代の都市事情・交通事情に見合った新しい施工技術。たとえば「パイプ・イン・パイプ工法」「既設管破砕推進工法」も開発されている。既設パイプをさや管としてその中に新パイプを挿入し管路更新する工法である。パイプ接合を省人自動化する「接合ロボット」の研究開発も進む。「高度浄水」のコンセプトにも対応したパイプ内面処理技術の高度化(内面エポキシ樹脂粉体塗装)も進む。
幹線水道本管がエポキシ塗装となりますと、各家庭への小さな給水管は塩ビ製ですから、これでは全てプラスチック配管で供給された水道水を飲むことになり、プラスチックからは環境ホルモン物質の溶解が懸念されることになります。
この様なシステムを変更することは困難と思われますが、近頃多くなった飲料水・お茶販売なども全てペットボトルで販売されていますので、その不安は消えません。
月曜日, 11月 12, 2007
石油100ドル/バレル時代の衝撃-代替石油の可能性
石油価格の指標となるNY原油 WTIは現時点95ドル/バレルとなっていて、今にも100ドルを超える情勢となるに留まらず150~200ドル/バレルも予測され、生活への影響は甚大になりつつあります。
一方NY天然ガスは8.3ドル/MMBTUで、相場価格は倍額近く上昇しているものの、原油程の高騰とはなっていません。しかし、このままの単位単価ではエネルギー源としての価格比較は難しいので、原油価格を熱量ベースで天然ガスと同じ単位になる様に算出することにしたい。
1バレル=42ガロン(=159リッター)、石油密度8.34lb/ガロン(=0.82kg/リッター)、石油熱量18,000BTU/lb(=10,000kcal/kg)とすると、石油1バレルに含まれる熱量は(42*8.34*18,000BTU)=6.3MMBTUとなる。
即ち、原油 WTI価格は95ドル/6.3MMBTU=15.1ドル/MMBTUとなり、同じ熱量の天然ガス価格に比べて概略1.8倍の価格となっていることに留意したく、やはり原油相場は極めて投機的色彩が強いのです。
日本の電力・ガス各社はLNGバッチ輸送にて25年長期契約で天然ガスを輸入しており、3ドル/MMBTU程度で、現時点驚くほど安価なエネルギー源となっています。
この天然ガスから代替石油を製造し流通させるのが、バイオ燃料と異なり食料穀物市場との軋轢も無く、現時点では最善の方法と考えています。
フィッシャー・トロプシュ(FT)法を用い天然ガスから石油を製造するGTL(Gas to Liquids)商業用プラントが稼働している。
GTL技術により精製した石油は、硫黄やアロマ分(芳香族)を含まず、排気ガス中の煤塵や硫黄酸化物の有害物質が少なく、環境への負荷が小さい次世代エネルギーとして注目されている。
2006年シェル社ではマレーシアの商業用プラントを稼働させつつ、2010年を目途にメジャー他社とも共同でカタールに世界最大規模のGTLプラントを完成させ、普及拡大を図る方針と伝えられる。日本でも石油資源開発で研究が進められていて、2007年9月新潟市で実証プラントの起工式が行われ、2008年の完成を目指すとされている。
このGTL代替石油、原油よりも可採年数が長いとされる天然ガスを利用するので、長期の安定供給が可能とみられている。又、マイナス162℃の液化天然ガス(LNG)とは異なり、常温での流通が可能で、従来の石油インフラが全て使える利点がある。
1年前に記述しました“GTL-クリーンな代替石油”と言う日記はこちらです
石油時代は終わったと極論する人もありますが、ハンドリング容易なことから離れ難いものがあるのです。
しかし、経済発展に合わせて石油供給量を増やすことを画策するのでは無く、省エネを進めて石油使用量を何とか少なくする工夫が、今求められている喫緊の課題だと思っています。
一方NY天然ガスは8.3ドル/MMBTUで、相場価格は倍額近く上昇しているものの、原油程の高騰とはなっていません。しかし、このままの単位単価ではエネルギー源としての価格比較は難しいので、原油価格を熱量ベースで天然ガスと同じ単位になる様に算出することにしたい。
1バレル=42ガロン(=159リッター)、石油密度8.34lb/ガロン(=0.82kg/リッター)、石油熱量18,000BTU/lb(=10,000kcal/kg)とすると、石油1バレルに含まれる熱量は(42*8.34*18,000BTU)=6.3MMBTUとなる。
即ち、原油 WTI価格は95ドル/6.3MMBTU=15.1ドル/MMBTUとなり、同じ熱量の天然ガス価格に比べて概略1.8倍の価格となっていることに留意したく、やはり原油相場は極めて投機的色彩が強いのです。
日本の電力・ガス各社はLNGバッチ輸送にて25年長期契約で天然ガスを輸入しており、3ドル/MMBTU程度で、現時点驚くほど安価なエネルギー源となっています。
この天然ガスから代替石油を製造し流通させるのが、バイオ燃料と異なり食料穀物市場との軋轢も無く、現時点では最善の方法と考えています。
フィッシャー・トロプシュ(FT)法を用い天然ガスから石油を製造するGTL(Gas to Liquids)商業用プラントが稼働している。
GTL技術により精製した石油は、硫黄やアロマ分(芳香族)を含まず、排気ガス中の煤塵や硫黄酸化物の有害物質が少なく、環境への負荷が小さい次世代エネルギーとして注目されている。
2006年シェル社ではマレーシアの商業用プラントを稼働させつつ、2010年を目途にメジャー他社とも共同でカタールに世界最大規模のGTLプラントを完成させ、普及拡大を図る方針と伝えられる。日本でも石油資源開発で研究が進められていて、2007年9月新潟市で実証プラントの起工式が行われ、2008年の完成を目指すとされている。
このGTL代替石油、原油よりも可採年数が長いとされる天然ガスを利用するので、長期の安定供給が可能とみられている。又、マイナス162℃の液化天然ガス(LNG)とは異なり、常温での流通が可能で、従来の石油インフラが全て使える利点がある。
1年前に記述しました“GTL-クリーンな代替石油”と言う日記はこちらです
石油時代は終わったと極論する人もありますが、ハンドリング容易なことから離れ難いものがあるのです。
しかし、経済発展に合わせて石油供給量を増やすことを画策するのでは無く、省エネを進めて石油使用量を何とか少なくする工夫が、今求められている喫緊の課題だと思っています。
金曜日, 10月 05, 2007
超臨界水による廃液処理
今朝のNHKニュースで、広島県の機械メーカが「超臨界水による廃液処理装置」を製造・販売していることが報じられていました。
注目しているのは焼酎メーカ業界、醸造後の廃液を従来は海上投棄していたのですが、これからは投棄禁止となり、年間22万トンに及ぶ廃液処理は喫緊の課題となりました。
デモンストレーションによると、どろどろの廃液は、超臨界水を使うことで水と2酸化炭素ガスに分解され、固形物は何も残りません。
しかしニュースで見る限り、実験室規模に近く、年間22万トンに及ぶ大型廃液処理プラントが実現するには未だ壁が幾つかある様な気がします。
それでもこのようなニュース報道には、環境技術の進歩が感じられ、持続可能な社会実現への一歩とも思われ、嬉しいものがあります。
超臨界流体は、入り込む気体の性質(拡散性)と、成分を溶かす液体の性質(溶解性)を持っていますので、環境/医薬品分野での有機溶媒の代替としても利用でき、環境に優しい技術として注目を浴びています。
水の場合は圧力22.1MPa・温度374℃、二酸化炭素の場合は圧力7.4MPa・温度31℃を超えた領域で超臨界状態となります。
超臨界水利用は1990年代中頃から始まっていましたが、超臨界二酸化炭素に比べて相当の高温・高圧が必要で、特有の取り扱い難さを伴って進展はなかなかの様でした。
しかし、燃焼処理とは異なり、ダイオキシンやNOx(窒素酸化物)等は発生しませんので、特にプラスチック処理・ダイオキシン分解等には、環境にも優しい超臨界水利用の処理装置実用化の進展が期待されます。
この種の問題は、何時もコスト競争力の有無が、最後の難関となります。
溶剤を使わない超臨界二酸化炭素でのクリーニングは、環境に優しく繊維を傷めず、色落ちも無いことで、数年前に話題になりましたが、現在業界に浸透しつつあるのでしょうか?
注目しているのは焼酎メーカ業界、醸造後の廃液を従来は海上投棄していたのですが、これからは投棄禁止となり、年間22万トンに及ぶ廃液処理は喫緊の課題となりました。
デモンストレーションによると、どろどろの廃液は、超臨界水を使うことで水と2酸化炭素ガスに分解され、固形物は何も残りません。
しかしニュースで見る限り、実験室規模に近く、年間22万トンに及ぶ大型廃液処理プラントが実現するには未だ壁が幾つかある様な気がします。
それでもこのようなニュース報道には、環境技術の進歩が感じられ、持続可能な社会実現への一歩とも思われ、嬉しいものがあります。
超臨界流体は、入り込む気体の性質(拡散性)と、成分を溶かす液体の性質(溶解性)を持っていますので、環境/医薬品分野での有機溶媒の代替としても利用でき、環境に優しい技術として注目を浴びています。
水の場合は圧力22.1MPa・温度374℃、二酸化炭素の場合は圧力7.4MPa・温度31℃を超えた領域で超臨界状態となります。
超臨界水利用は1990年代中頃から始まっていましたが、超臨界二酸化炭素に比べて相当の高温・高圧が必要で、特有の取り扱い難さを伴って進展はなかなかの様でした。
しかし、燃焼処理とは異なり、ダイオキシンやNOx(窒素酸化物)等は発生しませんので、特にプラスチック処理・ダイオキシン分解等には、環境にも優しい超臨界水利用の処理装置実用化の進展が期待されます。
この種の問題は、何時もコスト競争力の有無が、最後の難関となります。
溶剤を使わない超臨界二酸化炭素でのクリーニングは、環境に優しく繊維を傷めず、色落ちも無いことで、数年前に話題になりましたが、現在業界に浸透しつつあるのでしょうか?
土曜日, 9月 01, 2007
ボーイング737事故原因は設計変更不良の疑い
ボーイング737事故原因は設計変更不良の疑いが濃くなり、ボーイング社の製造物賠償責任(PL)法を始めとする法的責任が問われることになる気配となりました。
ボーイング737旧世代機からハイテク装備の新世代機にする際、前部可動翼(スラット)アームを取り付けるナット直径をボルト穴とほぼ同じで抜けやすいものになっていたことが分かった。
旧世代機のナットは直径1.4cmで、新世代機より30%大きい。アーム穴はそれより小さく、しかもボルト穴とナットの間にあるダウンストップ内径は0.8cmで、ワッシャーが無くてもナットが抜けない構造となっていた。
新世代機ではナット直径1.06cm、スラットアーム穴1.12cm、ダウンストップ内径は1.06cmであり、ワッシャーの介在無しには抜け落ちる懸念のある構造となっている。
整備士は「旧世代機の仕様の方が理にかなっている」と話している。
何故その様な設計変更が行われたのか現段階では不明ですが、私は「部品共通性を図った結果」だと推測しています。
何十万点ともなる航空機部品は、共通化が図られれば製造コストダウンも達成出来ますし、使用工具類も少なくなりますので、組立・整備工数も格段に少なくなるのです。
今回問題となったナットは、飛行機での違う構造部材との共通部品になっているに違いありません。
設計時の設計審査(デザイン・レビュー)では、他方面からFail Safe(間違っても安全な運行可能)・Fault Tolerant(未習熟の行為でも安全性確保)が厳しく問われる筈なのにと考えますと、何故見過ごされたのか不思議でなりません。
万全を期しても人知は限りがあるのですが、今回の不具合は「企業倫理を忘れコスト優先に走った」と言う企業営業論理の結果かも知れません。
ボーイング737旧世代機からハイテク装備の新世代機にする際、前部可動翼(スラット)アームを取り付けるナット直径をボルト穴とほぼ同じで抜けやすいものになっていたことが分かった。
旧世代機のナットは直径1.4cmで、新世代機より30%大きい。アーム穴はそれより小さく、しかもボルト穴とナットの間にあるダウンストップ内径は0.8cmで、ワッシャーが無くてもナットが抜けない構造となっていた。
新世代機ではナット直径1.06cm、スラットアーム穴1.12cm、ダウンストップ内径は1.06cmであり、ワッシャーの介在無しには抜け落ちる懸念のある構造となっている。
整備士は「旧世代機の仕様の方が理にかなっている」と話している。
何故その様な設計変更が行われたのか現段階では不明ですが、私は「部品共通性を図った結果」だと推測しています。
何十万点ともなる航空機部品は、共通化が図られれば製造コストダウンも達成出来ますし、使用工具類も少なくなりますので、組立・整備工数も格段に少なくなるのです。
今回問題となったナットは、飛行機での違う構造部材との共通部品になっているに違いありません。
設計時の設計審査(デザイン・レビュー)では、他方面からFail Safe(間違っても安全な運行可能)・Fault Tolerant(未習熟の行為でも安全性確保)が厳しく問われる筈なのにと考えますと、何故見過ごされたのか不思議でなりません。
万全を期しても人知は限りがあるのですが、今回の不具合は「企業倫理を忘れコスト優先に走った」と言う企業営業論理の結果かも知れません。
火曜日, 7月 17, 2007
SS400とSPHC-フジテック・エレベーターの強度不足問題
フジテック・エレベーターの強度不足問題ではつくづく日本製造業の技術力低下を実感しました。
技術力は組織の総合力によって支えられ、設計、製造、購買、営業の各部門がベクトルを合わせて良い製品を造り上げることにあると言っても良い。
何らかの変更が余儀なくされた時は、各部門が連携をとってより良い製品への設計変更・次善の策を模索する方法が長い間培われて来たのです。その中でも、設計部門においては担当者の考えがOJTで上司からダブルチェック・トリプルチェックされ、設計組織全体の責任として他部門に展開されたのです。
強度部材用のSS400に比べ、板金プレート部材のSPHCは強度的に30%劣るのに、見過ごされたミスは信じられません。
今回の強度不足問題は、購買と設計の連携不足にあると言っても間違い無く、担当者の「少しでも安価な鋼材でも良い」と判断したことにありそうだ。
人間個人の考え方には限界があり、総合的組織判断力に委ねる必要があるのだが、今回は欠落していたと断ぜざるを得ません。
売上高・利益率至上主義の蔓延で、部門内のOJTもままならず、又部門間の連携が破壊され、日本製造業の技術力低下は加速度的に低下しているのだと危惧しています。
SS400 一般構造用圧延鋼材(JIS G3101)
SS(Structural Steel)400:最小引張強さ400N/mm2
用途 車両、建築、橋梁、船舶等の強度部材
SPHC 熱間圧延軟鋼及び鋼帯(JIS G3131)
SPHC(Steel Plate Hot Commercial):最小引張強さ270N/mm2
用途 大型キャビネット、各種機械部品のプレート部材
しかし、「プレート部材を強度部材に使用するとは!」、ISO9000規格をどうのこうのと言う前に、基本的技術判断力に欠けた行為で愕然としてしまいます。
技術力は組織の総合力によって支えられ、設計、製造、購買、営業の各部門がベクトルを合わせて良い製品を造り上げることにあると言っても良い。
何らかの変更が余儀なくされた時は、各部門が連携をとってより良い製品への設計変更・次善の策を模索する方法が長い間培われて来たのです。その中でも、設計部門においては担当者の考えがOJTで上司からダブルチェック・トリプルチェックされ、設計組織全体の責任として他部門に展開されたのです。
強度部材用のSS400に比べ、板金プレート部材のSPHCは強度的に30%劣るのに、見過ごされたミスは信じられません。
今回の強度不足問題は、購買と設計の連携不足にあると言っても間違い無く、担当者の「少しでも安価な鋼材でも良い」と判断したことにありそうだ。
人間個人の考え方には限界があり、総合的組織判断力に委ねる必要があるのだが、今回は欠落していたと断ぜざるを得ません。
売上高・利益率至上主義の蔓延で、部門内のOJTもままならず、又部門間の連携が破壊され、日本製造業の技術力低下は加速度的に低下しているのだと危惧しています。
SS400 一般構造用圧延鋼材(JIS G3101)
SS(Structural Steel)400:最小引張強さ400N/mm2
用途 車両、建築、橋梁、船舶等の強度部材
SPHC 熱間圧延軟鋼及び鋼帯(JIS G3131)
SPHC(Steel Plate Hot Commercial):最小引張強さ270N/mm2
用途 大型キャビネット、各種機械部品のプレート部材
しかし、「プレート部材を強度部材に使用するとは!」、ISO9000規格をどうのこうのと言う前に、基本的技術判断力に欠けた行為で愕然としてしまいます。
水曜日, 6月 27, 2007
年金問題の正しい考え方-中公新書
社会保険庁が管理する年金保険料の内「宙に浮いた年金記録」が5095万件、更に93万件と1430万件もの不明年金が在ったことも発覚して、社会保険庁の杜撰さが指摘され、政府首脳のボーナス返納から社会保険庁職員のボーナス返上と、マスコミを賑わせている。
「年金問題を政争の具にすべきでは無い」と言うのは正論であるが、政治家の発言行動は混迷を極め、マスコミの論調も相変わらず異常事態を騒ぐだけで何の見通しも無く、一刻も早い「短期的な救済策」から「長期的且つ建設的な制度提言」が何も見えて来ない状況は「不可解」の一言に尽きる。
そこで、マスコミ情報に踊らされずに年金問題を考えてみたいと、下記の書籍を買って来ました。
年金問題の正しい考え方-中公新書(盛山和夫 著)
年金を巡る政治家の提言やマスコミの論調も、相変わらず混迷が続いている。元来、年金制度は人々に安心をもたらすものである筈なのだが、今ではそれ自体が不安の源となっている。
年金制度は現代福祉国家の持続可能性に関わっている。公的年金は社会的弱者だけの福祉ではなく、全ての国民を対象に生活基盤を安定化することを目指した包括的制度であって、国家が果たすべき基幹的機能の一つである。
今や社会保障費全体は毎年80兆円を超えて、ほぼ国家一般会計の予算規模に匹敵しているが、年金給付は半分の40兆円を超えており、GDP(国内総生産)の10%近くに達している。しかも、年金制度は、限られた世代を超えて異なる世代がお互いに協力し合いながら、永遠に続いて行くことを前提にした超長期的な社会的協働の制度である。
2004年国会において「年金制度改訂2004スキーム」が提出されたが、政治家の年金未加入問題でもめて、実質的な議論が出来ずに通過させてしまった。100年安心とも与党が自賛した「改訂年金制度」は、結局、公平性の観点からは失格していると警告している。
基本的な制度設計を、狭い範囲の官僚と専門学者と言った少数の人達だけに任せて来たのが、問題の根本解決を阻んできた最大の原因である。この状況を変えて、多くの人々が仕組みについての基本的知識を持った上で、積極的に議論参加出来る様にしなければならない。
そして、「望ましい年金制度は次の4項目の基準が満足することが必要で、専門家だけでなく、多くの人々が積極的に議論参加出来る様にしなければならない」とし、将来世代に対する我々の重大な責任としているのには説得力がありました。
基準1 持続可能であること
基準2 それぞれの世代内では、同一拠出に対して同一給付となること
基準3 異なる世代間で、相対的年金水準が一定に保たれること
準則 現役世代の負担が一方的に上昇したり、高齢者世代の給付水準が一方的に削減されないこと。
基準4 将来の拠出負担と給付水準は、人口変化と経済変化に左右されるが、どの様に決まるのか、明確な予測が提示されること
「年金問題を政争の具にすべきでは無い」と言うのは正論であるが、政治家の発言行動は混迷を極め、マスコミの論調も相変わらず異常事態を騒ぐだけで何の見通しも無く、一刻も早い「短期的な救済策」から「長期的且つ建設的な制度提言」が何も見えて来ない状況は「不可解」の一言に尽きる。
そこで、マスコミ情報に踊らされずに年金問題を考えてみたいと、下記の書籍を買って来ました。
年金問題の正しい考え方-中公新書(盛山和夫 著)
年金を巡る政治家の提言やマスコミの論調も、相変わらず混迷が続いている。元来、年金制度は人々に安心をもたらすものである筈なのだが、今ではそれ自体が不安の源となっている。
年金制度は現代福祉国家の持続可能性に関わっている。公的年金は社会的弱者だけの福祉ではなく、全ての国民を対象に生活基盤を安定化することを目指した包括的制度であって、国家が果たすべき基幹的機能の一つである。
今や社会保障費全体は毎年80兆円を超えて、ほぼ国家一般会計の予算規模に匹敵しているが、年金給付は半分の40兆円を超えており、GDP(国内総生産)の10%近くに達している。しかも、年金制度は、限られた世代を超えて異なる世代がお互いに協力し合いながら、永遠に続いて行くことを前提にした超長期的な社会的協働の制度である。
2004年国会において「年金制度改訂2004スキーム」が提出されたが、政治家の年金未加入問題でもめて、実質的な議論が出来ずに通過させてしまった。100年安心とも与党が自賛した「改訂年金制度」は、結局、公平性の観点からは失格していると警告している。
基本的な制度設計を、狭い範囲の官僚と専門学者と言った少数の人達だけに任せて来たのが、問題の根本解決を阻んできた最大の原因である。この状況を変えて、多くの人々が仕組みについての基本的知識を持った上で、積極的に議論参加出来る様にしなければならない。
そして、「望ましい年金制度は次の4項目の基準が満足することが必要で、専門家だけでなく、多くの人々が積極的に議論参加出来る様にしなければならない」とし、将来世代に対する我々の重大な責任としているのには説得力がありました。
基準1 持続可能であること
基準2 それぞれの世代内では、同一拠出に対して同一給付となること
基準3 異なる世代間で、相対的年金水準が一定に保たれること
準則 現役世代の負担が一方的に上昇したり、高齢者世代の給付水準が一方的に削減されないこと。
基準4 将来の拠出負担と給付水準は、人口変化と経済変化に左右されるが、どの様に決まるのか、明確な予測が提示されること
水曜日, 5月 30, 2007
白洲次郎の日本国憲法
白洲次郎は「吉田茂の茶坊主」「ラスプーチン」と揶揄されながらも、黒子に徹していた為か、あまり知られていない。しかも政界での活躍のみならず、戦後日本復興の原動力となった通産省設立、9電力会社体制構築、東北電力社長就任と経済界での活躍も幅広い。
白洲次郎の日本国憲法-(光文社知恵の森文庫 鶴見 紘 著)
戦後日本の方向を決定した日本国憲法制定、対日講和条約に重要な役割を果たしたのだが、黒子に徹していた為か、記録上はおよそ知られていない。吉田茂の右腕としてGHQと対峙し、一方では自由党代議士連を牛耳り「白洲300人力」と囁かれつつ、日本国憲法制定に深く関わった。
1989年に「隠された昭和史の巨人-白洲次郎の日本国憲法」として発行され、白洲ブームの先駆けとなった一作の加筆修正版らしい。
しかし、章の構成に問題があるのか、著者の熱い思いが伝わって来ないのです。
加筆された最終章には「文庫化にあたって 白洲次郎が考えていたこと」として、白洲次郎に対する熱き思いが大いに感じられのだが・・
考えてみると、取材をしつつ資料提供を受けた白洲正子夫人に敬意を表して、巻頭言を譲ったことにその原因があると見ました。この「特別寄稿 ソアラの縁」がこの書籍とベクトルがずれているのだ。随筆家として知られる白洲正子だが、その文体が軽すぎて、しかも変な先入観を読者に植え付けてしまうのが頂けない様に思われるのです。
読了して、最終章と巻頭言を入れ替えることで、著者の熱い思いがストレートに伝わってくるのでは無いかと判断せざるを得ませんでした。
夫唱婦随とは言いますが、このままでは婦唱のみとなっていて、これはいけません!
白洲次郎の日本国憲法-(光文社知恵の森文庫 鶴見 紘 著)
戦後日本の方向を決定した日本国憲法制定、対日講和条約に重要な役割を果たしたのだが、黒子に徹していた為か、記録上はおよそ知られていない。吉田茂の右腕としてGHQと対峙し、一方では自由党代議士連を牛耳り「白洲300人力」と囁かれつつ、日本国憲法制定に深く関わった。
1989年に「隠された昭和史の巨人-白洲次郎の日本国憲法」として発行され、白洲ブームの先駆けとなった一作の加筆修正版らしい。
しかし、章の構成に問題があるのか、著者の熱い思いが伝わって来ないのです。
加筆された最終章には「文庫化にあたって 白洲次郎が考えていたこと」として、白洲次郎に対する熱き思いが大いに感じられのだが・・
考えてみると、取材をしつつ資料提供を受けた白洲正子夫人に敬意を表して、巻頭言を譲ったことにその原因があると見ました。この「特別寄稿 ソアラの縁」がこの書籍とベクトルがずれているのだ。随筆家として知られる白洲正子だが、その文体が軽すぎて、しかも変な先入観を読者に植え付けてしまうのが頂けない様に思われるのです。
読了して、最終章と巻頭言を入れ替えることで、著者の熱い思いがストレートに伝わってくるのでは無いかと判断せざるを得ませんでした。
夫唱婦随とは言いますが、このままでは婦唱のみとなっていて、これはいけません!
水曜日, 4月 25, 2007
種子島宇宙センター
この写真は15年ほど前、種子島宇宙センターを訪問した時のもので、向かって右に並んでおられる現地所長にセンター内を案内して貰った時のものです。
当時はJAXAでなくNASDAの時代で、ロケットもH-II、3重工が独立に現地事務所を開設し、NASDAをサポートしていました。
その前年、H-IIメインエンジンLE-7がエンジン試験場で破損事故を起こしたので、原因究明と対策が検討されている時期でもありました。
水素・酸素燃焼では炎温度が3200℃にも達するので、エンジン試験場への影響・被害も心配でした。
今ではロケットは改良型のH-IIAとなり、製造責任は三菱重工が全体責任を負う様に変更となりました。やはり受け取り機構のJAXAでなく、製造責任がメーカでなければなりませんので、これは正しい改革だと思っています。
現在は国際的に評価される20機連続成功を目指しているのですが、国際競争力を高める為には、一層の品質管理とコストダウンは不可欠だと思っています。
今後、情報収集・宇宙科学需要から、年平均3機打ち上げの官需があり、民間・海外からの追加受注を考えますと、少なくとも年4機打ち上げ体制の構築が必要だと思われます。
従ってロケット製造だけでなく、打ち上げも民営化して業務移管する方向でロケットビジネスの改革が進められている途上となっています。
今後ともJAXA主導で、ロケット製造・打ち上げシステムの仕様改良を行って行く方向ですので、官民の連携を上手く生かして行ければ良いなと思っています。
1969年に設立された種子島宇宙センターは、総面積約970万平方メートルにもおよぶ日本最大の宇宙開発施設です。種子島東南端の海岸線に面しており、世界一美しいといわれているロケット打ち上げ射場です。
ロケットの組み立てから打ち上げまで、そして衛星の最終チェックからロケットへの搭載までを行っており、我が国のロケットや人工衛星の打ち上げを担う施設です。
施設内には、小型ロケット打ち上げ用の「竹崎射場」、日本の主力ロケットであるH-IIAロケット打ち上げを中心とする「大崎射場」があり、その北方には「増田宇宙通信所」「野木レーダ局」、西方に「宇宙ヶ丘レーダステーション」「光学観測所」などの試験設備が整備されています。
また、液体ロケットエンジンおよび固体ロケットの地上燃焼試験等を行う開発関連設備も備えています。
日曜日, 3月 11, 2007
機関設計OB会-現代技術の中核なのに
機関とは駆動機エンジンのことで、外燃機関と内燃機関に大別される。
外燃機関は、エンジン内を流れる作動流体が外部加熱器にて燃料熱で温められて高温高圧のガスとして流入し、動力を発生した後、外部環境によって冷却されて初期状態に戻って、再び循環サイクル流体となる。
代表的なものとしては水/水蒸気を作動流体とする蒸気タービンがあり、加熱器はボイラーと呼ばれて、火力発電所、原子力発電所に多く用いられている。
郷愁を誘う蒸気機関車は、往復動の蒸気エンジンで、これで産業革命が始まった歴史的な外燃機関でもある。
その他、近頃環境対策に良いとされ、宇宙空間にても採用されているスターリング・エンジンもこの範疇に入る機種である。
一方、内燃機関は、大気を吸い込んで高圧状態としてから、燃料熱で直接温められて高温高圧のガスとして流入させ、動力を発生した後は、大気中に排出され、循環することは無い。
自動車用ガソリンエンジン、トラック用も多いディーゼルエンジンが、代表的なものであり、航空機用のジェットエンジン/ファンエンジンもこの範疇に入り、近頃はガスタービン火力発電所も従来型火力を駆逐する情勢で、この世の中の駆動機として用途が極めて広い。
1960年代まで、日本の造船業での主力エンジンであった蒸気タービンは、残念ながら熱効率の観点からディーゼルエンジンに取って替わられ、その設計・製造部門は廃止となってしまっている。
其処から派生発展した航空機用ジェットエンジンが主力機種となっているが、陸舶用ガスタービンはジェットエンジンの下部組織として編入されエンジン製造工場を持てなくなっているのは寂しい。今でも現代技術の中核として考えられ、重工他社の後塵を拝しているのは悔しい限りだ。
機関設計OB会は、長年、江東区豊洲地区で外燃機関と内燃機関設計・製造を担当したOBの集いとなっていて、日本のエンジン技術をリードした猛者が多い。
従って、独自のエンジン製造工場を持てないでいる現在の会社状況を考えると、切磋扼腕するOBが多いのも頷ける。

重工各社は、1960年代とは異なり工学系学生の人気ランキングからも外れつつあり、有能な後継者が育たないと言われているのも、世相が変化しているとは言え、先人としてはとても残念だ。
しかし世の中、全業種で「全てマニュアル通り」が会社方針となり、技術裏付けが希薄なコストダウンが主流、損傷対策・事故対策は後手に回ったことで、ガスストーブ・湯沸かし器の中毒事故等が頻発していると思われるのは、結局何か大切なものを失っていることなのだ。
OB会で先輩後輩と話をしつつ、在籍した会社の、延いては日本の技術レベルの低下を、ひしひしと感じざるを得なかったのが現実でした。
外燃機関は、エンジン内を流れる作動流体が外部加熱器にて燃料熱で温められて高温高圧のガスとして流入し、動力を発生した後、外部環境によって冷却されて初期状態に戻って、再び循環サイクル流体となる。
代表的なものとしては水/水蒸気を作動流体とする蒸気タービンがあり、加熱器はボイラーと呼ばれて、火力発電所、原子力発電所に多く用いられている。
郷愁を誘う蒸気機関車は、往復動の蒸気エンジンで、これで産業革命が始まった歴史的な外燃機関でもある。
その他、近頃環境対策に良いとされ、宇宙空間にても採用されているスターリング・エンジンもこの範疇に入る機種である。
一方、内燃機関は、大気を吸い込んで高圧状態としてから、燃料熱で直接温められて高温高圧のガスとして流入させ、動力を発生した後は、大気中に排出され、循環することは無い。
自動車用ガソリンエンジン、トラック用も多いディーゼルエンジンが、代表的なものであり、航空機用のジェットエンジン/ファンエンジンもこの範疇に入り、近頃はガスタービン火力発電所も従来型火力を駆逐する情勢で、この世の中の駆動機として用途が極めて広い。
1960年代まで、日本の造船業での主力エンジンであった蒸気タービンは、残念ながら熱効率の観点からディーゼルエンジンに取って替わられ、その設計・製造部門は廃止となってしまっている。
其処から派生発展した航空機用ジェットエンジンが主力機種となっているが、陸舶用ガスタービンはジェットエンジンの下部組織として編入されエンジン製造工場を持てなくなっているのは寂しい。今でも現代技術の中核として考えられ、重工他社の後塵を拝しているのは悔しい限りだ。
機関設計OB会は、長年、江東区豊洲地区で外燃機関と内燃機関設計・製造を担当したOBの集いとなっていて、日本のエンジン技術をリードした猛者が多い。
従って、独自のエンジン製造工場を持てないでいる現在の会社状況を考えると、切磋扼腕するOBが多いのも頷ける。
重工各社は、1960年代とは異なり工学系学生の人気ランキングからも外れつつあり、有能な後継者が育たないと言われているのも、世相が変化しているとは言え、先人としてはとても残念だ。
しかし世の中、全業種で「全てマニュアル通り」が会社方針となり、技術裏付けが希薄なコストダウンが主流、損傷対策・事故対策は後手に回ったことで、ガスストーブ・湯沸かし器の中毒事故等が頻発していると思われるのは、結局何か大切なものを失っていることなのだ。
OB会で先輩後輩と話をしつつ、在籍した会社の、延いては日本の技術レベルの低下を、ひしひしと感じざるを得なかったのが現実でした。
火曜日, 2月 27, 2007
風力発電 と国立公園−開発か自然保護か
開発か自然保護かは何時も論議される問題ですが、環境保全を得つつ発電すると言われる風力発電もその埒外では無い様です。
極端な開発も困りますが、極端な自然保護にも付いて行けないものがあります。
Yes or Noの結論を簡単に着けるだけで無く、何とか双方で妥協の出来る次善の方法を探って行く必要がありそうです。
朝日新聞の「天声人語」に次の様に書かれています。
国立・国定公園でも風力発電施設を設けやすくする様な基準を作って欲しいと、推進自治団体や発電事業者の団体が政府に要望した。
環境省の検討会では、安定して強い風が得られると要望のあった山の尾根への建設を、景観が損なうとして厳しく規制する方針と言う。
光や水や風の活用は大事だし、更に広げて行きたい。寧ろ、前向きに考えて、よくよく悩んだ上で折り合いをつけて貰いたい。風は、消えることも減ることも無いのだから。
従来は風の強い地域で、僻地や離島での発電確保を目的とした風力発電も東京湾地区にも設置される様になりました。
化石燃料も核燃料も使いませんので、CO2削減に最適の様ですが、発電容量が極めて小さく設置コストが高価である為、CO2削減の切り札と考えるには無理があります。
政策的な新エネルギー奨励助成が外されますと、従来の火力発電に較べて発電コストが極めて高く、それらと競合出来なくなり経営的には成り立ちません。
種々の評価と論議が必要でしょうが、送電コストが高くなってしまう僻地や離島での発電が、風力発電の生かされる道だと考えています。
経済産業省資源エネルギー庁HPには次の様に紹介されています。
風力エネルギーは、風向・風速の変動により安定したエネルギー供給の難しさはあるものの、潜在的には資源が広範に賦存し、無尽蔵な純国産のエネルギーである。
経済産業省では、1976〜2000年までサンシャイン計画において風力発電システムの技術開発、1981〜1986年度まで三宅島で100kW級風力発電プラントの研究、1990〜1998年度まで大型発電システムの技術開発、1999年度から離島用風力発電システム等の技術開発を実施している。
我が国の風力発電の導入実績は、2001年度で260基超、出力約14万kWとなっている。これまで、そのほとんどは電力会社、地方公共団体、国等が試験研究用あるいはデモンストレーションとして設置したものであったが1992年の電力会社による余剰電力購入制度及び1993年の系統連系技術要件ガイドラインの整備により、近年、発電電力を電力会社に売ることが可能となったため、売電事業を目的として設置されたものも増加している。
また、世界第1位のドイツにおける風力発電の導入実績は約610万kW、第2位のアメリカは約260万kWで、我が国に比して相当大きな導入量となっており、一層の導入拡大を目指した政策的支援が行われている。
我が国における風力発電の導入における最大の課題は、普及が進んでいる欧米諸国に比べ大気の乱れが大きく、設備利用率等に起因する高い発電コストである。1995年度から「風力発電フィールドテスト事業」を創設し、風力発電の有望地域において風況精査を実施するとともに風力発電設備を設置・運転を行い、データ収集等の調査研究事業を実施している。
又、1997年度から地方公共団体に対する支援制度として「地域新エネルギー導入促進事業」及び民間事業者に対する支援制度として「新エネルギー事業者支援対策事業」により導入経費に対する補助を行っている。
極端な開発も困りますが、極端な自然保護にも付いて行けないものがあります。
Yes or Noの結論を簡単に着けるだけで無く、何とか双方で妥協の出来る次善の方法を探って行く必要がありそうです。
朝日新聞の「天声人語」に次の様に書かれています。
国立・国定公園でも風力発電施設を設けやすくする様な基準を作って欲しいと、推進自治団体や発電事業者の団体が政府に要望した。
環境省の検討会では、安定して強い風が得られると要望のあった山の尾根への建設を、景観が損なうとして厳しく規制する方針と言う。
光や水や風の活用は大事だし、更に広げて行きたい。寧ろ、前向きに考えて、よくよく悩んだ上で折り合いをつけて貰いたい。風は、消えることも減ることも無いのだから。
従来は風の強い地域で、僻地や離島での発電確保を目的とした風力発電も東京湾地区にも設置される様になりました。
化石燃料も核燃料も使いませんので、CO2削減に最適の様ですが、発電容量が極めて小さく設置コストが高価である為、CO2削減の切り札と考えるには無理があります。
政策的な新エネルギー奨励助成が外されますと、従来の火力発電に較べて発電コストが極めて高く、それらと競合出来なくなり経営的には成り立ちません。
種々の評価と論議が必要でしょうが、送電コストが高くなってしまう僻地や離島での発電が、風力発電の生かされる道だと考えています。
経済産業省資源エネルギー庁HPには次の様に紹介されています。
風力エネルギーは、風向・風速の変動により安定したエネルギー供給の難しさはあるものの、潜在的には資源が広範に賦存し、無尽蔵な純国産のエネルギーである。
経済産業省では、1976〜2000年までサンシャイン計画において風力発電システムの技術開発、1981〜1986年度まで三宅島で100kW級風力発電プラントの研究、1990〜1998年度まで大型発電システムの技術開発、1999年度から離島用風力発電システム等の技術開発を実施している。
我が国の風力発電の導入実績は、2001年度で260基超、出力約14万kWとなっている。これまで、そのほとんどは電力会社、地方公共団体、国等が試験研究用あるいはデモンストレーションとして設置したものであったが1992年の電力会社による余剰電力購入制度及び1993年の系統連系技術要件ガイドラインの整備により、近年、発電電力を電力会社に売ることが可能となったため、売電事業を目的として設置されたものも増加している。
また、世界第1位のドイツにおける風力発電の導入実績は約610万kW、第2位のアメリカは約260万kWで、我が国に比して相当大きな導入量となっており、一層の導入拡大を目指した政策的支援が行われている。
我が国における風力発電の導入における最大の課題は、普及が進んでいる欧米諸国に比べ大気の乱れが大きく、設備利用率等に起因する高い発電コストである。1995年度から「風力発電フィールドテスト事業」を創設し、風力発電の有望地域において風況精査を実施するとともに風力発電設備を設置・運転を行い、データ収集等の調査研究事業を実施している。
又、1997年度から地方公共団体に対する支援制度として「地域新エネルギー導入促進事業」及び民間事業者に対する支援制度として「新エネルギー事業者支援対策事業」により導入経費に対する補助を行っている。
レイノルズ数-工学無次元数の代表格
工学の世界では、実際の現象を実験室規模でシミュレーションして再現しながら解析し、改良に適用することが重要であるとされている。
それぞれの解析目的で種々提案されていて、代表例として次の様な無次元数がある。
レイノルズ数(流体における慣性と粘性の比率。流体解析に必須)
マッハ数(物体の速度と音速の比率。高速流体解析に必須)
プラントル数(熱輸送と運動量輸送の比率。熱流体解析に必須)
ヌセルト数(熱伝達と熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
ビオ数(熱伝達と固体側熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
レーリー数(温度勾配を無次元化した量。熱対流解析に必須)
グラスホフ数(自然対流を表す無次元数。熱対流解析に必須)
リチャードソン数(密度が層状変化する流れ。気象力学に必須)
逆に複数の現象比較を行う際には、スケールの違いなどの影響を除くために、計測結果などを無次元化して、無次元数で比較を行うことが妥当と考えられる。
流体力学の分野で多く用いられるレイノルズ(Re)数は、代表長さ[長さの次元]、代表速度[速さの次元]、動粘性係数[粘性/密度の次元]の値を用いて求められ、流れ場の状態を表す無次元数となり、応用性が広い無次元数の代表格とされている。

上記のグラフは円管内流れ場におけるRe数と流体摩擦損失無次元数との関係を表したもので、上下水の水道管、ガス管等の大きさ設定の妥当性に用いられる。
即ち、水、各種溶液等の液琉体、空気、各種ガス等のガス流体を流送する場合に、適切な口径と摩擦抵抗に見合うポンプ・圧縮機の所要動力が設定されるのである。
レイノルズ(Re)数は、交通機関媒体を設計するにも有用な無次元数で、設計には欠かせないものとなっている。
例えば、航空機・自動車を設計する際に、実際の媒体と模型について、このレイノルズ数が同じであれば、媒体周りの空気の流れは相似となりサイズは異なっても本質的には同じ現象と考えることが出来るのである。
乗用車であれば大きさは数メートルなので、実際媒体で風洞試験を行い、流体抵抗を実測することが出来そうに思われる。
しかしながら、航空機となると数十から百mを超える大きさになるので、小さな模型を用いてレイノルズ(Re)数が同一となる様に試験して、設計是非を検討することが必須になる。結果は所要エンジン動力大きさに直結するので、極めて重要な試験解析となるのである。
近年コンピュータによるCFD解析で解析出来そうに思われるのだが、Re数が異なればその解析は用を為さないので、どうしてもRe数を同一にしたシミュレーション風洞試験を実施しなければならない。
小さな模型試験で、レイノルズ(Re)数を合わせるには、風洞の高圧化・極低温化など種々方法が考えられるが、いずれも詳細な工学検討と多大な設備投資が必要となる。
この実際動向については種々あるが、多大な設備投資が必要で、国家もしくは多国間プロジェクトで推進されている例が多い。
この件については、いずれ又、次の機会を得て論じたいと思っています。
それぞれの解析目的で種々提案されていて、代表例として次の様な無次元数がある。
レイノルズ数(流体における慣性と粘性の比率。流体解析に必須)
マッハ数(物体の速度と音速の比率。高速流体解析に必須)
プラントル数(熱輸送と運動量輸送の比率。熱流体解析に必須)
ヌセルト数(熱伝達と熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
ビオ数(熱伝達と固体側熱伝導の比率。伝熱解析に必須)
レーリー数(温度勾配を無次元化した量。熱対流解析に必須)
グラスホフ数(自然対流を表す無次元数。熱対流解析に必須)
リチャードソン数(密度が層状変化する流れ。気象力学に必須)
逆に複数の現象比較を行う際には、スケールの違いなどの影響を除くために、計測結果などを無次元化して、無次元数で比較を行うことが妥当と考えられる。
流体力学の分野で多く用いられるレイノルズ(Re)数は、代表長さ[長さの次元]、代表速度[速さの次元]、動粘性係数[粘性/密度の次元]の値を用いて求められ、流れ場の状態を表す無次元数となり、応用性が広い無次元数の代表格とされている。
上記のグラフは円管内流れ場におけるRe数と流体摩擦損失無次元数との関係を表したもので、上下水の水道管、ガス管等の大きさ設定の妥当性に用いられる。
即ち、水、各種溶液等の液琉体、空気、各種ガス等のガス流体を流送する場合に、適切な口径と摩擦抵抗に見合うポンプ・圧縮機の所要動力が設定されるのである。
レイノルズ(Re)数は、交通機関媒体を設計するにも有用な無次元数で、設計には欠かせないものとなっている。
例えば、航空機・自動車を設計する際に、実際の媒体と模型について、このレイノルズ数が同じであれば、媒体周りの空気の流れは相似となりサイズは異なっても本質的には同じ現象と考えることが出来るのである。
乗用車であれば大きさは数メートルなので、実際媒体で風洞試験を行い、流体抵抗を実測することが出来そうに思われる。
しかしながら、航空機となると数十から百mを超える大きさになるので、小さな模型を用いてレイノルズ(Re)数が同一となる様に試験して、設計是非を検討することが必須になる。結果は所要エンジン動力大きさに直結するので、極めて重要な試験解析となるのである。
近年コンピュータによるCFD解析で解析出来そうに思われるのだが、Re数が異なればその解析は用を為さないので、どうしてもRe数を同一にしたシミュレーション風洞試験を実施しなければならない。
小さな模型試験で、レイノルズ(Re)数を合わせるには、風洞の高圧化・極低温化など種々方法が考えられるが、いずれも詳細な工学検討と多大な設備投資が必要となる。
この実際動向については種々あるが、多大な設備投資が必要で、国家もしくは多国間プロジェクトで推進されている例が多い。
この件については、いずれ又、次の機会を得て論じたいと思っています。
木曜日, 1月 04, 2007
日中2000年の不理解
創刊朝日新書の一つで、横帯には「何故日本人の心は隣人に伝わらない-卓越の日本文化論」となっていますので、購入し読了しました。この手のタイトル本には、私を含めて島国の住人である日本人は弱い様です。
納得できる論点もありましたが、多様性国家の代表格である中国を儒教国家と単純に位置づけ、日本を感性主体の無宗教国家と位置づける拙速さが目立ち、結論的には性急で固定観念に満ちた漢民族から見た比較文化論だと思われます。
日中2000年の不理解-朝日新書(王敏 著)
小著は日本人・日本文化論の範疇に属するかも知れない。日本文化を感性文化と特色付けて輪郭だけを描くことに主眼をおいた。そして、この宿命的な感性文化のマイナスを克服して、日本は国際化を図らなければならない。
一向に未熟から抜け出られない愚考であることを正直に告白し、多くの方のご叱正とご教示を受けたいと願っている。
「日本は如何なる文化・宗教も受け入れるが、その過程で日本式に変容させてしまう」と喝破したことで知られていますのは、大正末期の芥川の小編「朱儒の言葉」ですが、それを念頭に散文的に敷衍させただけの様にみえて仕方がありません。
「キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々から見て、日本文化は完全に異文化である」と指摘するに至っては、漢民族を普遍的とした中華思想を発露した傲慢さが感じられるとしか言い様がありません。
山本七平氏がイザヤ・ペンダサンのペンネームで発表した「日本人とユダヤ人」と比べて、視点の低さは大きいものと感じざるを得ないものがあります。
曰く「互いに交われば相互理解が出来ると単純に考える日本人が余りに多い。お互いに肩を触れ合い話す機会は益々多くなり、日常的なことなる。だが、それが相互理解に通ずる等と絶対に安直に考えてはならない。もしそうなら、ユダヤ人はもう二千年も、西欧人と肩を触れ合って生きているのである。」
要は乱暴な国家論の観点から文化を論じるのでなく、また排他的宗教的見地でもなく、個人の主体性が真価を問われる時代に来ていると言うのが妥当な見方だと思っています。
その点からみると、この新書は旧態依然としていて、飽き足らないものがあります。
納得できる論点もありましたが、多様性国家の代表格である中国を儒教国家と単純に位置づけ、日本を感性主体の無宗教国家と位置づける拙速さが目立ち、結論的には性急で固定観念に満ちた漢民族から見た比較文化論だと思われます。
日中2000年の不理解-朝日新書(王敏 著)
小著は日本人・日本文化論の範疇に属するかも知れない。日本文化を感性文化と特色付けて輪郭だけを描くことに主眼をおいた。そして、この宿命的な感性文化のマイナスを克服して、日本は国際化を図らなければならない。
一向に未熟から抜け出られない愚考であることを正直に告白し、多くの方のご叱正とご教示を受けたいと願っている。
「日本は如何なる文化・宗教も受け入れるが、その過程で日本式に変容させてしまう」と喝破したことで知られていますのは、大正末期の芥川の小編「朱儒の言葉」ですが、それを念頭に散文的に敷衍させただけの様にみえて仕方がありません。
「キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々から見て、日本文化は完全に異文化である」と指摘するに至っては、漢民族を普遍的とした中華思想を発露した傲慢さが感じられるとしか言い様がありません。
山本七平氏がイザヤ・ペンダサンのペンネームで発表した「日本人とユダヤ人」と比べて、視点の低さは大きいものと感じざるを得ないものがあります。
曰く「互いに交われば相互理解が出来ると単純に考える日本人が余りに多い。お互いに肩を触れ合い話す機会は益々多くなり、日常的なことなる。だが、それが相互理解に通ずる等と絶対に安直に考えてはならない。もしそうなら、ユダヤ人はもう二千年も、西欧人と肩を触れ合って生きているのである。」
要は乱暴な国家論の観点から文化を論じるのでなく、また排他的宗教的見地でもなく、個人の主体性が真価を問われる時代に来ていると言うのが妥当な見方だと思っています。
その点からみると、この新書は旧態依然としていて、飽き足らないものがあります。
日曜日, 12月 10, 2006
山雲涛声(さんうんとうせい)−東山魁夷
「山雲涛声」は奥飛騨路天生峠の霧「山雲」、能登西海岸輪島近くにうち寄せる波「涛声」を主題にした唐招提寺御影堂障壁画の画題で、完成は1975年6月です。
平凡な風景を生命自体の輝きを宿すものと見たのは、実は戦争の為に絵を描くことはおろか、生きる望みを失ったその瞬間でありました。私は、その時の心が最も純粋であったと後に気が付いたのです。
近頃平和呆けした日本では考えられない戦争の悲惨さを体験した画家の東山魁夷氏は唐招提寺の障壁画完成記念講演で述べています。
企業社会が発展し経済第一に何の疑念も持たず、生きる哲学も無く、欲望の赴くままに他人を騙して迄も金に執着する拝金主義の現状に対する警告でもある様に思われます。
日本の美を求めて−講談社学術文庫(東山魁夷 著)
「山雲涛声」の画題は、この障壁画の着手の初めに、鑑真和上の伝記を読み、唐招提寺の性格を研究しました時、自然に浮かんで来たものです。
人は意志する所に行為がある、と言われます。しかし、自己を無にする場合に初めて自分の外から発する真実の声が聞こえるのです。
私はずっと以前から、自分は生きているのでは無く、生かされていると感じると言う考えの下に、今日まで自分の道を辿って来た様な気がします。
私は宗教心が薄いものですから、私が何によって生かされ、何によって歩かされているかは分かりません。しかしそう感ずることによって、地上に存在する全てのものと自己が同じ運命に繋がる、同じ根を持つ同根の存在であると感じたのです。
山の雲は雲自身の意志によって流れるのでは無く、又、波も波自身の意志によってその音を立てているので無い。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによっているのでは無いでしょうか?
1976年12月発行の僅か100ページ程の小さな本ですが、職業著作家では無い率直な表現が新鮮に感じられました。
掘り下げ方がもう少しあったらと思いますが、何故絵を描くのかが良く理解出来る珍しい書籍の一つかも知れません。
平凡な風景を生命自体の輝きを宿すものと見たのは、実は戦争の為に絵を描くことはおろか、生きる望みを失ったその瞬間でありました。私は、その時の心が最も純粋であったと後に気が付いたのです。
近頃平和呆けした日本では考えられない戦争の悲惨さを体験した画家の東山魁夷氏は唐招提寺の障壁画完成記念講演で述べています。
企業社会が発展し経済第一に何の疑念も持たず、生きる哲学も無く、欲望の赴くままに他人を騙して迄も金に執着する拝金主義の現状に対する警告でもある様に思われます。
日本の美を求めて−講談社学術文庫(東山魁夷 著)
「山雲涛声」の画題は、この障壁画の着手の初めに、鑑真和上の伝記を読み、唐招提寺の性格を研究しました時、自然に浮かんで来たものです。
人は意志する所に行為がある、と言われます。しかし、自己を無にする場合に初めて自分の外から発する真実の声が聞こえるのです。
私はずっと以前から、自分は生きているのでは無く、生かされていると感じると言う考えの下に、今日まで自分の道を辿って来た様な気がします。
私は宗教心が薄いものですから、私が何によって生かされ、何によって歩かされているかは分かりません。しかしそう感ずることによって、地上に存在する全てのものと自己が同じ運命に繋がる、同じ根を持つ同根の存在であると感じたのです。
山の雲は雲自身の意志によって流れるのでは無く、又、波も波自身の意志によってその音を立てているので無い。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによっているのでは無いでしょうか?
1976年12月発行の僅か100ページ程の小さな本ですが、職業著作家では無い率直な表現が新鮮に感じられました。
掘り下げ方がもう少しあったらと思いますが、何故絵を描くのかが良く理解出来る珍しい書籍の一つかも知れません。
新聞は生き残れるか−岩波新書
近頃の種々の情報がインターネット、テレビ等で氾濫していますが、私にはその場限りのどうでも良いようなニュースが大半の様な気がします。
インターネットは能動的で自分で選択して見ることが出来るのですが、受動的なテレビ放送では何の意味もない芸能タレントの馬鹿ふざけ番組が多く、視聴者に笑いや雑学を提供はするのですが、真面目に「考えさせてくれる」番組は減ってしまい希有となって来ている様です。
一昨日の日記に新聞とテレビの関連を書きましたので、気になって本屋に行って関連のありそうな2003年4月発刊の岩波新書を購入して読んでみました。著者は朝日新聞で政治部員、論説委員に長年携わっていた人ですが読み進む内に、信頼できる情報提供の雄としての位置を占めている新聞が購読者数を減らして存亡の危機を迎えていると知り驚いてしまいました。
どの家庭でも配達される新聞を購読すると思ったのですが、若い世代を中心に新聞離れが進み、無読者層が増えていると言うことです。
新聞は生き残れるか−岩波新書(中馬清福 著)
新聞普及率というのがある。日刊紙を月決めで購読している世帯が総世帯の内にどの位あるか、その比率のことだ。1984年この普及率は97%だった。日本が世界に冠たる新聞王国であったことは良く知られていたが、それにしても大変な数字である。
ところが、中央調査社のマスメディア・リサーチ(MMR)によると、1991年まで何とか97%で推移していた普及率は、1992年から低下し始め1999年には94.6%になった。
特に若者がひどく、例えば世帯主が24才以下の世帯の普及率は、1984年90.4%あったものが1999年には53.4%迄急落した。15年間で37ポイントの下落だが、内33ポイントは最新10年間で落ちているから、新聞離れに加速がついている。
世帯主が25才から29才の世帯も、普及率は毎年低下し1999年には25%が新聞をとっていない。
このまま進めば2004年には、30〜34才世帯が75%、35〜39才世帯が87%に落ちると推測される。
30才迄の関心事項の順位は、事件、音楽、流行、おしゃれ・ファッション、スポーツ、旅行・レジャー、環境、飲食店、芸能・タレント、就職・アルバイト、と続き、経済は12位、政治は16位だ。1位の事件を除き、日本の一般紙が積極的で無かったテーマである。新聞が若者に敬遠される筈だ。こうした若者の反乱に大いに悩まざるを得ない。
あとがきで次の様に結んでいます。
インターネット系にしろ、テレビ番組にしろ、確かに情報は乱舞していますが、知的な情報となると、専門的分野は兎も角、一般的には満足出来る段階とは言えません。印刷媒体か電子媒体か、それはどちらでも良い。人々に「考えさせる喜び」を与える媒体づくりを急がないと、この国の知的状況は厄介なことになるのではないでしょうか。
どうも記者・編集者を経験している割に文章に迫力が無く魅力に欠けている様に思われ読みにくいのです。即刻読ませる新聞記事とじっくり読ませる書籍文では、文章表現が違うのでしょうか?
結局は読者ニーズに合わせた紙面作りを提唱している様ですが、それにしても全てのニーズに応えられる筈も無く、混迷に困り果てている現状に愚痴を述べている本なのかと消化不良を感じる読後感が残りました。
こんなことを日記に書く私自身もトレンディーな流行に乗り遅れている愚痴を言っているだけかも知れないと自戒に念も出て来て仕方ありません。
インターネットは能動的で自分で選択して見ることが出来るのですが、受動的なテレビ放送では何の意味もない芸能タレントの馬鹿ふざけ番組が多く、視聴者に笑いや雑学を提供はするのですが、真面目に「考えさせてくれる」番組は減ってしまい希有となって来ている様です。
一昨日の日記に新聞とテレビの関連を書きましたので、気になって本屋に行って関連のありそうな2003年4月発刊の岩波新書を購入して読んでみました。著者は朝日新聞で政治部員、論説委員に長年携わっていた人ですが読み進む内に、信頼できる情報提供の雄としての位置を占めている新聞が購読者数を減らして存亡の危機を迎えていると知り驚いてしまいました。
どの家庭でも配達される新聞を購読すると思ったのですが、若い世代を中心に新聞離れが進み、無読者層が増えていると言うことです。
新聞は生き残れるか−岩波新書(中馬清福 著)
新聞普及率というのがある。日刊紙を月決めで購読している世帯が総世帯の内にどの位あるか、その比率のことだ。1984年この普及率は97%だった。日本が世界に冠たる新聞王国であったことは良く知られていたが、それにしても大変な数字である。
ところが、中央調査社のマスメディア・リサーチ(MMR)によると、1991年まで何とか97%で推移していた普及率は、1992年から低下し始め1999年には94.6%になった。
特に若者がひどく、例えば世帯主が24才以下の世帯の普及率は、1984年90.4%あったものが1999年には53.4%迄急落した。15年間で37ポイントの下落だが、内33ポイントは最新10年間で落ちているから、新聞離れに加速がついている。
世帯主が25才から29才の世帯も、普及率は毎年低下し1999年には25%が新聞をとっていない。
このまま進めば2004年には、30〜34才世帯が75%、35〜39才世帯が87%に落ちると推測される。
30才迄の関心事項の順位は、事件、音楽、流行、おしゃれ・ファッション、スポーツ、旅行・レジャー、環境、飲食店、芸能・タレント、就職・アルバイト、と続き、経済は12位、政治は16位だ。1位の事件を除き、日本の一般紙が積極的で無かったテーマである。新聞が若者に敬遠される筈だ。こうした若者の反乱に大いに悩まざるを得ない。
あとがきで次の様に結んでいます。
インターネット系にしろ、テレビ番組にしろ、確かに情報は乱舞していますが、知的な情報となると、専門的分野は兎も角、一般的には満足出来る段階とは言えません。印刷媒体か電子媒体か、それはどちらでも良い。人々に「考えさせる喜び」を与える媒体づくりを急がないと、この国の知的状況は厄介なことになるのではないでしょうか。
どうも記者・編集者を経験している割に文章に迫力が無く魅力に欠けている様に思われ読みにくいのです。即刻読ませる新聞記事とじっくり読ませる書籍文では、文章表現が違うのでしょうか?
結局は読者ニーズに合わせた紙面作りを提唱している様ですが、それにしても全てのニーズに応えられる筈も無く、混迷に困り果てている現状に愚痴を述べている本なのかと消化不良を感じる読後感が残りました。
こんなことを日記に書く私自身もトレンディーな流行に乗り遅れている愚痴を言っているだけかも知れないと自戒に念も出て来て仕方ありません。
火曜日, 12月 05, 2006
岩波新書の歴史-深刻な出版不況の中で
深刻な出版不況の中で、売れ筋の新書版の巨人「岩波新書」新赤版が1000冊を超えたらしい。
1970年代迄の青版では「教養・向学」と言う観点から出版されていたのですが、新赤版では「ハウ・ツー」ものが多くなり、極めて通俗的になって来たと思っています。
岩波新書の歴史-岩波新書(鹿野政直 著)
岩波新書は、「新書」と言う体裁の出版物では元祖の位置を占め、その歴史は半世紀を越えた。それを総括すると、次の様になる。
赤版 1938~1946年 101冊
青版 1949~1977年 1000冊
黄版 1977~1987年 396冊
新赤版 1988~2006年 1008冊
日本現代史を専攻すると言う立場から、岩波新書と言う窓を通して戦中・戦後の思想史を眺めようとしたことになるかも知れない。こうした目標に向けて序章に「新書の誕生」を置き、1~4章は時期ごとの特徴づけを試みて、この本を構成した。
著者は、出版不況・読書離れについては、編集長レポートを引用し「現代の読者は、テレビ・メディアを中心として形成された圧倒的なメディア支配の下で、書物と言うものを処遇している」、そして「大量で画一された情報の社会的強制によって、もはや“自分の人生の行き着く先が分かってしまっている”との運命論的現実認識が、若者に読書離れをもたらせている」と分析していますが、将に正論で、「近頃のテレビ・メディアは安易なお仕着せエンタメ放送が殆んどを占め、自分で考えない様に目隠し誘導している」と思わざるを得ません。
「出版不況」とインターネット検索すると、次の様な記事がありましたが、読者だけで無く出版者もビジネス本位となり、使命感を失っている様です。
書籍・雑誌の販売総額は今や2兆5千億円と低迷し、街中の本屋がどんどん少なくなり、経営基盤が脆弱な出版社の破産も多いらしい。
金額だけが尺度かもしれないが、「本が危ない」のは何も売上げだけではない。出版界では柳の下にドジョウが30匹までいると言われる。編集者はベストセラーの追従が企画だと思い,類似書を本屋の店頭にうずたかく積み上げている。読者はベストセラーを図書館に予約して競って借りるが,数年後ブックオフなどの新古書店の店頭に1冊百円で並んでいても誰も手にとろうともしない。雑誌は読者ではなく広告主のために創刊され,広告収入に頼った雑誌が返品率を押し上げている。 既刊本が売れなければ勢い新刊依存になる。昨年の新刊は7万点に近づき過去最高となった。専門書にも売れ筋があり,売り上げ重視で,安易に寿命の短い新刊を作った自分の反省もある。つまり出版不況は売れないことだけが問題なのではない。類似の企画,雑な編集,安易な新雑誌の創刊。どれもこれも出版界の精神的不況の結果である。貧すれば鈍する。だから本が危ないのである。
1970年代迄の青版では「教養・向学」と言う観点から出版されていたのですが、新赤版では「ハウ・ツー」ものが多くなり、極めて通俗的になって来たと思っています。
岩波新書の歴史-岩波新書(鹿野政直 著)
岩波新書は、「新書」と言う体裁の出版物では元祖の位置を占め、その歴史は半世紀を越えた。それを総括すると、次の様になる。
赤版 1938~1946年 101冊
青版 1949~1977年 1000冊
黄版 1977~1987年 396冊
新赤版 1988~2006年 1008冊
日本現代史を専攻すると言う立場から、岩波新書と言う窓を通して戦中・戦後の思想史を眺めようとしたことになるかも知れない。こうした目標に向けて序章に「新書の誕生」を置き、1~4章は時期ごとの特徴づけを試みて、この本を構成した。
著者は、出版不況・読書離れについては、編集長レポートを引用し「現代の読者は、テレビ・メディアを中心として形成された圧倒的なメディア支配の下で、書物と言うものを処遇している」、そして「大量で画一された情報の社会的強制によって、もはや“自分の人生の行き着く先が分かってしまっている”との運命論的現実認識が、若者に読書離れをもたらせている」と分析していますが、将に正論で、「近頃のテレビ・メディアは安易なお仕着せエンタメ放送が殆んどを占め、自分で考えない様に目隠し誘導している」と思わざるを得ません。
「出版不況」とインターネット検索すると、次の様な記事がありましたが、読者だけで無く出版者もビジネス本位となり、使命感を失っている様です。
書籍・雑誌の販売総額は今や2兆5千億円と低迷し、街中の本屋がどんどん少なくなり、経営基盤が脆弱な出版社の破産も多いらしい。
金額だけが尺度かもしれないが、「本が危ない」のは何も売上げだけではない。出版界では柳の下にドジョウが30匹までいると言われる。編集者はベストセラーの追従が企画だと思い,類似書を本屋の店頭にうずたかく積み上げている。読者はベストセラーを図書館に予約して競って借りるが,数年後ブックオフなどの新古書店の店頭に1冊百円で並んでいても誰も手にとろうともしない。雑誌は読者ではなく広告主のために創刊され,広告収入に頼った雑誌が返品率を押し上げている。 既刊本が売れなければ勢い新刊依存になる。昨年の新刊は7万点に近づき過去最高となった。専門書にも売れ筋があり,売り上げ重視で,安易に寿命の短い新刊を作った自分の反省もある。つまり出版不況は売れないことだけが問題なのではない。類似の企画,雑な編集,安易な新雑誌の創刊。どれもこれも出版界の精神的不況の結果である。貧すれば鈍する。だから本が危ないのである。
土曜日, 11月 25, 2006
アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書
この本は半世紀以上にわたるアメリカの心象風景をまとめたもので、体験した原風景を基調にしながら、エッセイ風に書き綴りました。
私はブッシュ政権がイラク戦争を開始した直後、「アメリカよ!」と言う本を編纂し、末尾は「アメリカよ、美しく年をとれ」と言う短い一文で締めくくったので、それ以来同じタイトルで一冊にまとめてみようと考えていました。
アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書(猿谷 要 著)
こんな「あとがき」で終わっていますので、一般的なアメリカ礼賛書で、その過程で一寸苦言を呈する程度の本だろうと読み進めました。
しかし、「嘗てあれほど世界から愛され好かれていたのに、そのプラスの財産を使い果たし、マイナスのイメージが先行するようになってしまった」と言う如く、苦言と言うより批判の連続でした。
特に「レーガンからブッシュ親子へと引き継がれた共和党政治」への痛烈な批判は、長すぎる一党継続政権が国を腐らせてしまうのだとの主張でもあり、日本の長すぎる自民党政治体制と酷似するのではと、そんなことまで考えさせられてしまいます。
「西部開拓史」と言う表現は如何にも一方的で、アメリカ政府にとっては都合の良い表現で、今では私は「開拓」と言うより「侵略」とか「征服」と言った方が現実に近いと考えている。
悪名高い「マッカーシズム」、アメリカ人は自分たちの自由民主主義を基調とする資本主義より、共産主義社会の方がもっと平等観念が進んだ社会に見え、コンプレックスがあったのでは無いか?
黒人(アフリカ系アメリカ人)差別解消の「公民権法」、問題は解決されたのかと言うと決してそうでは無く、目に見える差別は見えなくなったが心理的な差別は消えていない。
厳然として人種別居住地域が区分けされ、日中は同じオフィスで働いても夜は別々の社会に戻っていくのだ。今まで労働組合等が黒人を中産階級に押し上げたが、今では失業率が高まり、夢も消えようとしている。
私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、重点を移行させるのが最善の方策であると信じる。世界の警察官を務める無益を悟り、自国内に未だ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。
そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。
この結言、意識的か否かは分かりませんが、アメリカに向けられているようで日本の現状に向けられているのでは、と考えてしまいます。
憲法改正論議から唐突に出て来た「核武装論」、美しい日本の名の下に推し進められる愛国教育推進、非正規社員の固定化構想、このような情勢では、文化力よりも経済力、経済力より軍事力、と最悪の方策が取られ始めていると感じざるを得ません。
私はブッシュ政権がイラク戦争を開始した直後、「アメリカよ!」と言う本を編纂し、末尾は「アメリカよ、美しく年をとれ」と言う短い一文で締めくくったので、それ以来同じタイトルで一冊にまとめてみようと考えていました。
アメリカよ、美しく年をとれ-岩波新書(猿谷 要 著)
こんな「あとがき」で終わっていますので、一般的なアメリカ礼賛書で、その過程で一寸苦言を呈する程度の本だろうと読み進めました。
しかし、「嘗てあれほど世界から愛され好かれていたのに、そのプラスの財産を使い果たし、マイナスのイメージが先行するようになってしまった」と言う如く、苦言と言うより批判の連続でした。
特に「レーガンからブッシュ親子へと引き継がれた共和党政治」への痛烈な批判は、長すぎる一党継続政権が国を腐らせてしまうのだとの主張でもあり、日本の長すぎる自民党政治体制と酷似するのではと、そんなことまで考えさせられてしまいます。
「西部開拓史」と言う表現は如何にも一方的で、アメリカ政府にとっては都合の良い表現で、今では私は「開拓」と言うより「侵略」とか「征服」と言った方が現実に近いと考えている。
悪名高い「マッカーシズム」、アメリカ人は自分たちの自由民主主義を基調とする資本主義より、共産主義社会の方がもっと平等観念が進んだ社会に見え、コンプレックスがあったのでは無いか?
黒人(アフリカ系アメリカ人)差別解消の「公民権法」、問題は解決されたのかと言うと決してそうでは無く、目に見える差別は見えなくなったが心理的な差別は消えていない。
厳然として人種別居住地域が区分けされ、日中は同じオフィスで働いても夜は別々の社会に戻っていくのだ。今まで労働組合等が黒人を中産階級に押し上げたが、今では失業率が高まり、夢も消えようとしている。
私はアメリカが軍事力より経済力へ、経済力より文化力へと、重点を移行させるのが最善の方策であると信じる。世界の警察官を務める無益を悟り、自国内に未だ20%近くもいる貧困層の救済に努めた方が、結果として世界からの賞賛と好意を得る道につながると思っている。
そのときこそ、アメリカは美しく老い始めるのだ。
この結言、意識的か否かは分かりませんが、アメリカに向けられているようで日本の現状に向けられているのでは、と考えてしまいます。
憲法改正論議から唐突に出て来た「核武装論」、美しい日本の名の下に推し進められる愛国教育推進、非正規社員の固定化構想、このような情勢では、文化力よりも経済力、経済力より軍事力、と最悪の方策が取られ始めていると感じざるを得ません。
火曜日, 11月 21, 2006
子供が減って何が悪いか?−リサーチ・リテラシーの勧め
都心に出掛ける電車の中で読もうと駅前の書店で購入した本でした。近頃年金改革で問題となって少子高齢化を論じた軽い読み物だと思っていたのです。
論点が重複したり、主張の展開方法が雑だと思われる所も見受けられますが、新書版にしては割合読み応えのあるものでした。特にリサーチ・リテラシー(Research Literacy)を発揮して、公表少子化データの誤りを指摘している所は迫力がありました。
結論的には、「少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず、年金制度設計は低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ」となるですが、従来公表されている「男女共同参画的な少子化対策が出生率は回復する」が夢想に過ぎないことを看破していること等は非常に興味がそそられることになりました。
子供が減って何が悪いか−筑摩新書(赤川学 著)
世に溢れる世論調査や統計的データの中には胡散臭いものが相当含まれている。そのようなデータ類を批判的に解読するリサーチ・リテラシー(Research Literacy)が提唱されている。リサーチ・リテラシーとは国や報道機関が公表したことなら事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階を超えて、データに対して疑いの目を向け、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目標としている実践教育である。
男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは、マスコミとか政府関係者とかの言説であって、いくらその層を支援しても晩婚・非婚の解消には繋がらないし、夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しか無い。
著者は社会学を専攻する大学助教授であり、少子化問題については素人であると告白していますが、その専門分野で使われるリサーチ・リテラシーを駆使して少子化問題についての公表データ・結論等が間違っていると指摘するのは小気味良いのです。
その為か、アンチ・フェミニズムの保守派と詰られて一般公表するのも躊躇したらしいのですが、一石を投じる意義はあると出版に踏み切った経緯もあとがきに述べられています。
この手の本は往々にして予見を持って読まれることが多いのですが、この本は虚心坦懐に読むことが求められそうです。
著者の言うリサーチ・リテラシーの立場からすれば、この本自体を批判的に読むことも許されるのでしょうし、又逆に、無批判に受け入れること無く読み進めば多くの論点において一読に値する内容を備えた本だと思われました。
論点が重複したり、主張の展開方法が雑だと思われる所も見受けられますが、新書版にしては割合読み応えのあるものでした。特にリサーチ・リテラシー(Research Literacy)を発揮して、公表少子化データの誤りを指摘している所は迫力がありました。
結論的には、「少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず、年金制度設計は低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ」となるですが、従来公表されている「男女共同参画的な少子化対策が出生率は回復する」が夢想に過ぎないことを看破していること等は非常に興味がそそられることになりました。
子供が減って何が悪いか−筑摩新書(赤川学 著)
世に溢れる世論調査や統計的データの中には胡散臭いものが相当含まれている。そのようなデータ類を批判的に解読するリサーチ・リテラシー(Research Literacy)が提唱されている。リサーチ・リテラシーとは国や報道機関が公表したことなら事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階を超えて、データに対して疑いの目を向け、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目標としている実践教育である。
男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは、マスコミとか政府関係者とかの言説であって、いくらその層を支援しても晩婚・非婚の解消には繋がらないし、夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しか無い。
著者は社会学を専攻する大学助教授であり、少子化問題については素人であると告白していますが、その専門分野で使われるリサーチ・リテラシーを駆使して少子化問題についての公表データ・結論等が間違っていると指摘するのは小気味良いのです。
その為か、アンチ・フェミニズムの保守派と詰られて一般公表するのも躊躇したらしいのですが、一石を投じる意義はあると出版に踏み切った経緯もあとがきに述べられています。
この手の本は往々にして予見を持って読まれることが多いのですが、この本は虚心坦懐に読むことが求められそうです。
著者の言うリサーチ・リテラシーの立場からすれば、この本自体を批判的に読むことも許されるのでしょうし、又逆に、無批判に受け入れること無く読み進めば多くの論点において一読に値する内容を備えた本だと思われました。
火曜日, 11月 07, 2006
「中国・アジア・日本」-書評をAmazonに投稿
近頃、中国は「北朝鮮核開発問題」6者協議の議長国として存在感を増し、米国からも「共通利害関係者(Stakeholder)」として謝意を受ける程となっているのは4千年歴史の重みでしょうか。又、ASEAN諸国の経済共同体構築外交、アフリカ諸国への資源獲得外交と「アジア盟主」を自認しての外交攻勢が続いています。
一方、日本では「日米同盟一色で良い」との硬直した政府方針が国是となりつつあり、アジアの中で孤立してしまうのでは無いかと懸念を覚えつつあります。100年以上も前に「アジアは一つ」と日本のあるべき姿を論じた岡倉天心の精神は何処に消えてしまったのでしょうか?
「中国・アジア・日本」-筑摩新書(天児 慧 著)
中国には世界最古の文明国としての誇りがありながら、近代においては戦争で日本に痛めつけられたと言う大きな屈辱は今も疼いている。
日本は明治維新以来アジアで近代化を成功させた唯一の国として、又第二次世界大戦後奇跡の復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったと言う誇りがある。
双方とも相手に対する強い対抗心が盛り上がっている。台頭中国はまだ続き、「失われた10年」を乗り切った日本も元気を取り戻している。したがって、日中両雄がライバル意識を強めているのも無理からぬことであろう。
日中がそれぞれ発展し、繁栄して行く為には、既にお互いが必要な存在になっている現実を認識することであり、その障害となっている相互信頼意識の欠如を解消することが急務である。そうすれば、大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる。
現状分析については傾聴に値するものがありますが、結論は極めて楽観的に過ぎ、注意して付き合うべきだと警戒心の欠如が気にかかる所です。やはり実務に疎い評論家の宿命かも知れません。
そこで、Amazonに投稿した書評は次の様になりました。
江沢民政権の反日愛国教育を受けた世代が次の政権を握ることは間違い無いし、そうした思想は如何に取り繕うが変わることは無さそうに思える。
本書では「両雄並び立たず」の確執を超克し、相互に安定的で協力し合う関係を創造することが、問題解決の要点としているが、反日DNA世代に対しての警戒心への対応が薄弱。
「大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる」と論じているのだが、相互信頼が確立されて初めて生きて来る論理で、時期尚早と見る。
現代中国は、民主化以前の共産党独裁政権、胡錦濤政権で是正されつつあるが、その変貌の様子を見つつ付き合うのが必要と考えるのが妥当。
共産党独裁政権へ好意的であるのは、専攻が「中国政治、アジア現代史」と言うことで、実務に疎い大学教授としての限界を示している様な感がある。
一方、日本では「日米同盟一色で良い」との硬直した政府方針が国是となりつつあり、アジアの中で孤立してしまうのでは無いかと懸念を覚えつつあります。100年以上も前に「アジアは一つ」と日本のあるべき姿を論じた岡倉天心の精神は何処に消えてしまったのでしょうか?
「中国・アジア・日本」-筑摩新書(天児 慧 著)
中国には世界最古の文明国としての誇りがありながら、近代においては戦争で日本に痛めつけられたと言う大きな屈辱は今も疼いている。
日本は明治維新以来アジアで近代化を成功させた唯一の国として、又第二次世界大戦後奇跡の復興を遂げ、世界第2位の経済大国になったと言う誇りがある。
双方とも相手に対する強い対抗心が盛り上がっている。台頭中国はまだ続き、「失われた10年」を乗り切った日本も元気を取り戻している。したがって、日中両雄がライバル意識を強めているのも無理からぬことであろう。
日中がそれぞれ発展し、繁栄して行く為には、既にお互いが必要な存在になっている現実を認識することであり、その障害となっている相互信頼意識の欠如を解消することが急務である。そうすれば、大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる。
現状分析については傾聴に値するものがありますが、結論は極めて楽観的に過ぎ、注意して付き合うべきだと警戒心の欠如が気にかかる所です。やはり実務に疎い評論家の宿命かも知れません。
そこで、Amazonに投稿した書評は次の様になりました。
江沢民政権の反日愛国教育を受けた世代が次の政権を握ることは間違い無いし、そうした思想は如何に取り繕うが変わることは無さそうに思える。
本書では「両雄並び立たず」の確執を超克し、相互に安定的で協力し合う関係を創造することが、問題解決の要点としているが、反日DNA世代に対しての警戒心への対応が薄弱。
「大局的戦略的な思考に長けた中国人に対して、枠組みをきめ細かく作り物事を処理することに長けた日本人は相互補完的になれる」と論じているのだが、相互信頼が確立されて初めて生きて来る論理で、時期尚早と見る。
現代中国は、民主化以前の共産党独裁政権、胡錦濤政権で是正されつつあるが、その変貌の様子を見つつ付き合うのが必要と考えるのが妥当。
共産党独裁政権へ好意的であるのは、専攻が「中国政治、アジア現代史」と言うことで、実務に疎い大学教授としての限界を示している様な感がある。
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