著者の主張は、「現在日本の骨格となっている一連の戦後改革は占領政策によるものとされているが、改革の原点は戦前の日本社会から継承したものの中にあったので、占領が無くても改革は行われた」となっているが、その主張は事後からのレトリック的考察に過ぎず、与することは出来ない。
成程、大正デモクラシーから続く萌芽はあったのだが、徹底的に弾圧を受け瀕死の状態で育つことは恐らくあり得なかったと推断出来る。
敗戦後であっても、国会は軍部に懐柔された大政翼賛会に牛耳られたままの状態で、連合国総司令部(GHQ)の強引な「公職追放」実施無しには、それらに属する議員が当選多数を占めて、一切の改革はなし得なかったと思われるからだ。
しかし、著者・雨宮昭一氏の次の分析・予測は傾聴に値する。
戦後体制は、国際的には戦勝国によるポツダム体制・サンフランシスコ冷戦体制、政治的には1955年の自民2/3・社会党1/3体制、経済的には民需中心の日本的経営体制、法的には日本国憲法体制からなる体制である。
そして今、この体制が高度経済成長を経て揺らぎ、次の体制へ移行する処であろう。
このまま放置すれば、その方向に行く体制をパート1、選択する体制をパート2と考えると、パート1は国際的にはアメリカ中心堅持、経済的には新自由主義、法的には憲法改正、社会的には市場主義の体制となろう。
パート2は国際的には国家主権の相互制限、アジアにおける安全共同体、経済では非営利・非政府の協同主義と市場主義の混合体、社会的には個性化・多様化の基づく非営利・非政府領域と連帯の拡大となる。
パート2移行となれば、保守も革新も分解を始めるだろう。
現在与党の自公政権与党もパート1派が勢いを無くし、民主党を核とする野党もパート2を志向しつつ活動していることが窺われる情勢で、現実にも「ねじれ国会」となっている現時点に於いては、過去の離合集散から将来の政界再編を見据えると言う観点から、一読に値する本と思われます。
木曜日, 6月 12, 2008
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