若者を中心に活字離れが加速し、出版不況のみならず、新聞離れも昂じて来ていますし、安易なテレビ視聴に替わって来て久しいものがあります。
テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。
ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)
既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。
自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。
権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。
既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。
ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。
その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。
火曜日, 4月 07, 2009
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