月曜日, 4月 20, 2009

地下鉄に乗って-浅田次郎

こんな描写があり、小中高校と子供時代に徘徊した地域でしたので、気をそそられました。

いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・

中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。

浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。

ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。
そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。

但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。
「覆水盆に返らず」とも言われ、既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。

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