「山雲涛声」は奥飛騨路天生峠の霧「山雲」、能登西海岸輪島近くにうち寄せる波「涛声」を主題にした唐招提寺御影堂障壁画の画題で、完成は1975年6月です。
平凡な風景を生命自体の輝きを宿すものと見たのは、実は戦争の為に絵を描くことはおろか、生きる望みを失ったその瞬間でありました。私は、その時の心が最も純粋であったと後に気が付いたのです。
近頃平和呆けした日本では考えられない戦争の悲惨さを体験した画家の東山魁夷氏は唐招提寺の障壁画完成記念講演で述べています。
企業社会が発展し経済第一に何の疑念も持たず、生きる哲学も無く、欲望の赴くままに他人を騙して迄も金に執着する拝金主義の現状に対する警告でもある様に思われます。
日本の美を求めて−講談社学術文庫(東山魁夷 著)
「山雲涛声」の画題は、この障壁画の着手の初めに、鑑真和上の伝記を読み、唐招提寺の性格を研究しました時、自然に浮かんで来たものです。
人は意志する所に行為がある、と言われます。しかし、自己を無にする場合に初めて自分の外から発する真実の声が聞こえるのです。
私はずっと以前から、自分は生きているのでは無く、生かされていると感じると言う考えの下に、今日まで自分の道を辿って来た様な気がします。
私は宗教心が薄いものですから、私が何によって生かされ、何によって歩かされているかは分かりません。しかしそう感ずることによって、地上に存在する全てのものと自己が同じ運命に繋がる、同じ根を持つ同根の存在であると感じたのです。
山の雲は雲自身の意志によって流れるのでは無く、又、波も波自身の意志によってその音を立てているので無い。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによっているのでは無いでしょうか?
1976年12月発行の僅か100ページ程の小さな本ですが、職業著作家では無い率直な表現が新鮮に感じられました。
掘り下げ方がもう少しあったらと思いますが、何故絵を描くのかが良く理解出来る珍しい書籍の一つかも知れません。
日曜日, 12月 10, 2006
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