火曜日, 4月 10, 2012

吉本隆明も老いて凡愚に還る

老いの超え方-朝日文庫 本書は身体、社会、思想、死の4部構成となっており、全てが対談内容をそのまま文章化して纏めたものである。又各部には、著者が過去に述べた対話が、語録集として追加されることになっている。 しかし、どうしてこの様な手を抜いた書籍を発行したのか、対話形式の文章化は編集者に任せ、自分では怠惰に徹して推敲を重ねる労力を惜しんだとしか考えられない。 戦後の日本を代表する詩人で思想家とされる著者も、老いて怠惰となり愚者に還ったのだと考えると合点が行きますが、侘しさが募って仕方が無い。 結局、本書は各部の語録集とあとがきを読めば、良いのでは思われるのだ。 「“もう良いことなんか何もねえよ”と言う軌道に入ったら、希望を小刻みに持つことしかない。今日は孫と遊んで楽しかった、面白かったと言う状態に持っていける様にするしか防ぎようが無い」と「家族の中で死ぬ」ことを強調するだけとするのも何とも情けない。孤立死は避けて通れないことにつき、発信して欲しいものなのに・・ 死については、高村光太郎の「死ねば死に切り」と親鸞の「生死は不定である」が良いのではないかと結論付けるのだが、釈迦入滅に際して「後有(ごう)を受けず-即ち来世は無い」と喝破していることから考えると、考察不足では無いかとも疑いたくなってしまう。 本書のせめてもの救いは、書き下ろしの「あとがき」で、ゲーテの色彩論についての解釈で、ニュートンの科学的色彩論に較べて惨敗にも見えるのだが、ゲーテは四季折々の自然の豊富な色彩で「自然は際立っている」と感じる、その生態の謎が認知したい処だったのではなかろうかと述べていることにありそうだ。 詩人・思想家と言うならば、死ぬ直前まで意識のある限り、感銘を与える様な文章を発信し続けて貰いたいものだ。

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