金曜日, 11月 23, 2012

習近平が仕掛ける新たな反日-中国では発禁処分だろう

共産主義独裁の国家真本主義で発展の一途を辿って来た中国も、官僚腐敗等の制度矛盾により陰りが見えて来たように思われます。 日中国交回復から40年、日本主導の互恵関係から、中国主導の競争関係となり、江沢民時代の反日教育が功を奏して、潜在していた反日暴動も顕在化してもう日中友好時代に後戻りすることはありません。 トウ小平から胡錦涛までの30余年、中国共産党の3代指導者は政治に於いて前例踏襲に終始し、其処に進歩と言う文字は無かった。トウ小平は天安門事件の遺恨を残し、江沢民は宗教団体の法輪功を弾圧し、胡錦濤は非暴力改革派学者の劉曉波を牢獄に送り込んだ。民衆の憤懣と言う火山が間もなく爆発しようとしているのが、現在の中国の姿である。 妥当な分析だと思われるのだが、言論自由が無く、政府批判の許されない中国本土では即発禁処分になるだろうと思われます。 現在、中国には約500の強大な権力と財産を持つ家柄があると言われている。江沢民家族、曾慶紅家族はその華麗なる豪族であり、13億人強の中国人民の頂点に立つ億万長者であり、当然、これら巨大な財産は超特権階級の立場を利用して根こそぎ奪い取って来たものだ。 江沢民と曾慶紅が手を組んで習近平をトップに仕立てた理由も理解できる。習近平に恩を着せ、引き続き自らの利益集団を守らせる-これが江沢民と曾慶紅が仕組んで習近平を引き上げた真の狙いだろう。 胡錦濤の意を汲む李克強が後継者争いで習近平に負けたのは、胡錦濤の策略が江沢民のしたたかさが無かったからだと言えるだろう。 しかしながら、習近平政権の中国は破綻すること無く改革を成し遂げ、中華覇権主義を成功させ世界トップの経済国となって君臨することとなり、日本は中国には単独で対抗出来ないと結論付けていることには、疑念を抱かざるを得ません。 日本は東アジア自由貿易協定にも、TPP協定にも加入することが出来る。更に南に下がって東アジアとインドの巨大市場にも参入することが出来、日本は2大経済圏を左右する大きな鍵となる。 21世紀は、日本にとって挑戦とチャンスの時代で、適切に生かせば、必ず収穫のある世紀となる筈である。反対に、どちらにも付かず決断がはっきりしない場合は、黄金期を逸し、スペインの様な2等国へと陥落し、世界的な経済大国から外れる可能性もあるのだ。

木曜日, 7月 05, 2012

最後の未確認素粒子「ヒッグス粒子」の発見

「神の粒子」と呼ばれ、最後の未確認素粒子とされ、星や生命などの誕生の源である「ヒッグス粒子」の発見に王手が掛ったと言うことです。 欧州合同原子核研究機関(CERN)は、「ヒッグス粒子とみられる新たな素粒子を見つけた」と発表した。 ヒッグス粒子はすべての物質に「質量」を与えた粒子で、神の粒子と呼ばれている。存在が確認されれば、宇宙の成り立ちの解明につながると注目されている。スイスにある巨大な装置で実験を行った結果、ヒッグス粒子とみられる粒子を99.99998%の確率で観測したとしていて、「発見に向けて王手」ということで、現代物理学は新たなステージに突入する。 壮大な宇宙論と素粒子物理論が結びつくのではとロマンを誘う話題ですが、工学技術者である私には、質量とは考える前の前提条件でしかなく、将に「猫に小判」、解説を読んでもなかなか理解しにくいものがあります。 宇宙が誕生した137億年前のビッグバンの瞬間、ヒッグス粒子を含むあらゆる素粒子は光速で飛び回っていた。しかし約100億分の1秒後、宇宙が急膨張したことで冷やされ、水蒸気が水になるような「相転移(そうてんい)」という急激な変化が起きた。その時、飛び回っていた素粒子の周りにヒッグス粒子が結露のようにまとわりつき、素粒子は水の中を泳ぐように動きづらくなった。この「動きづらさ」が質量と考えられている。 宇宙誕生の大爆発(ビッグバン)以来、137億年間未だに膨張が止まらないとされる宇宙であり、質量保持するべく今でも地球を含めて宇宙にはヒッグス粒子が充満してとのことですが、その謎にも挑むことが出来るのでしょうか?

日曜日, 6月 17, 2012

40年廃炉は原子力規制委が判断-40年寿命は妥当

政府が脱原発政策の目玉に掲げた、原発の運転期間を原則40年とする大方針が、早くも揺らいでいる。 三党合意では、40年廃炉の文面だけは残ったが、9月に発足する見通しの「原子力規制委員会」が期間を速やかに見直す規定が盛り込まれ、その判断次第では廃炉の文面は有名無実となる。 規制委は国家行政組織法三条に基づく独立性の高い組織で、有識者5人で構成。5人は国会の同意が必要で、今回の修正と同様に、自民党などの意向に左右される。 「40年を超える原発は、例外に当たらなければそこで止めることになっている」と枝野経済産業相は強調したが、先行きは危うい。 電気事業法技術基準によれば、原子力容器や蒸気タービン等高温に晒される機器は、10万時間クリープラプチャー強度に対して安全率2倍にて設計製造されなければならないことになっていましたし、今でもそれが原則だと考えています。 従って、年間6000時間稼働させるとしますと、16年間は安全に使用出来ることになっています。ですから、当初は原子力発電所も16年使用で寿命廃炉とする計画になっていたと思いますが、何時の頃からか耐用年数が30年、40年と延長され、今では60年との説もあります。技術革新の世の中で、発達した予防整備である程度寿命を延長出来ることは理解するのですが・・ 意見具申したのは誰か分かりませんが、政府の言う40年廃炉方針は、通常火力発電30年余の寿命設定から見て一寸長いが、使用材料データ更新も考慮すると妥当ではないかと判断しています。 部品交換し60年超の運転可能とするのは、我田引水の詭弁ではないかと思っています。 40年廃炉を見直す動きの背景には、原子力ムラからの強い巻き返しがある。電力各社でつくる電気事業連合会は1月に「40年で運転制限する技術的根拠の明確化」を国に要望。日本原子力学会も今月、原発は部品交換すれば60年超の運転が可能として、制限は「合理性・科学性に疑問」と反対を表明した。 細野原発事故担当相は40年廃炉を確実にする厳しい基準をつくると宣言していたが、準備はまったく進んでいない。 それどころか、規制機関であるはずの経産省原子力安全・保安院は、東京電力福島第一原発事故について、老朽化の影響は「考えがたい」とする見解を発表。7月に運転開始40年を迎える関西電力美浜2号機の運転延長に道を開く不可解な審査を強行した。 脱原発依存・40年廃炉について政府は明確に約束した。安易な妥協を繰り返し、約束を反古にすることは決して許されない。 同じ様に高温に晒される機器を持つ、自動車、船舶、航空機等はせいぜい20年で寿命とされ、通常は技術革新が20年では格段に進み、旧態依然たる機器は新機種に換装し更新する方が得策とされているのです。 原子力関連では、現状の熱効率の悪い蒸気リアクターから高効率のヘリウムガスリアクターへの技術革新も考えられ、現状の蒸気リアクターに関する電気事業法技術基準だけが例外的扱いで寿命更新することは妥当ではないと思っています。

月曜日, 6月 11, 2012

ダイソンのエアマルチプライアーへの疑問

今年は節電志向が強く、エアコンの替りに高額の扇風機に人気が集まっていると聞き、家電量販店に行ってみました。2万~3万円の種々の工夫をした新製品が並び、結構売れているようでした。 兎に角、中心部と外周部でファン形状を変えたり、ファン枚数を増やして静粛な風切り音となる等、柔らかく一様で自然に吹く風に近い工夫をする技術が発揮されている様で白物家電の好調さはメーカーの努力による処が大きいと感心させられました。 その中で異質を放っていましたのがダイソンのエアマルチプライアー、至って高額で5万円を越えますし、見た目では大きな輪があるだけで羽根が無いのが特徴です。 工学的に言いますと、蒸気エジェクター(Ejector)・空気エダクター(Eductor)を応用したもので、特に突出した技術ではありません。 支柱ポールに内蔵されている遠心式の斜流インペラー(Mixed Flow Impeller)で圧縮された空気を円輪状のスリットから放出して、周りの空気を誘引して15倍の風を作りだす空気エダクター装置なのです。 この斜流インペラーはダイソンのサイクロンセパレータ式掃除機にも利用されているもので、回転数が毎分10万回を越える強力なものですので、高周波騒音が大きいことでも知られています。 通常の改良型軸流式ファンでは、従来の30W動力を半減させ、静音設計で20dBを実現させているのです。 しかしながら、ダイソンのエアマルチプライアーでは40~65Wと所要動力と大きくて節電志向ではありませんし、騒音も改良型軸流式ファンとは較べものにならない程大きいと推測出来ますので、静かな室内で使うには適当では無いと考えるに至りました。

土曜日, 6月 02, 2012

浄土真宗は何故日本で一番多いのか(島田裕巳 著)-幻冬舎新書

日本の主な宗派としては、奈良時代からの南都六宗を始め、天台宗、天台宗から派生した浄土系(浄土宗、浄土真宗)、禅系(臨済宗、曹洞宗)、法華系の日蓮宗等があり、その「宗」の下にはいくつもの「派」が存在する。 浄土真宗では、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)が、その勢力を二分し、共に大教団となっている。 それら宗派及び新宗教(創価学会)の成り立ちと特徴・現状を分かりやすく紹介してくれているのは有り難く、宗派への理解が少し出来る様になりました。 信徒数は曹洞宗が700万人強、真宗本願寺派が700万人弱と続き、真宗大谷派、浄土宗、日蓮宗の順番になるらしい。 しかし、新宗教の創価学会は信徒1700万人とされる最大の宗教集団であり、その他の新宗教集団も相当数の信徒を抱えているが、日蓮宗から派生しつつも、決別して在家仏教を目指して性格を鮮明にして独立方向にあるらしい。 現在の葬式仏教は、曹洞宗の発案で、死者を一旦僧侶にするべく、戒律を授け、戒名を授けると言う仏教の伝統的考え方から外れる儀式を行うのだが、定着して他の宗派にも伝わって行く。 編み出された葬儀方法を通して、故人の供養と言う領域にも進出して、宗派の経済的基盤を充実させたことは大きい。 民間の霊園が多くなり、其処に墓を求めても、檀家関係を結ばないケースが増えている。檀家は本来、寺を支えるスポンサーとしての役割を果たすものであり、檀家離れは寺の経済基盤を失わせることに結びついて行く。 団塊の世代が消滅した後からは、死亡者数は減り、葬儀の簡略化は一層進み、檀家離れも加速されていることだろう。その時点で、本格的な葬式仏教の危機が訪れる筈だ。 しかし、新宗教を含め多様な仏教宗派が産まれ、それが現代にまで受け継がれていると言うことは、それだけ日本人が仏教に多くを期待して来た証でもあるのだ。 我が家でも、葬儀・49日法要は、葬儀社が紹介してくれた青梅市の和尚にお願いしましたが、納骨式、1周忌法要、3回忌法要は、霊園で近郊の和尚を紹介して貰ってことで、寺との檀家関係は無いのです。

日曜日, 5月 20, 2012

米国ノースダコタ州のシェールオイル

昨晩、NHKBSドキュメントWaveで「シェールオイルを掘り起こせ:新石油開発の衝撃」と言う番組で、ノースダコタ州バッケン(Bakken)油田でのオイルブームの様子が放映されていました。 米国は、新技術の開発によりシェールガス層から天然ガスを生産するのに加え、シェールオイル層から原油採掘を開始して、世界一の埋蔵量を保持する国に変貌しつつあり、アメリカンドリームの再来と期待されているのです。 シェールガスとシェールオイル採掘法: ShaleGas シェールオイル開発は1980年代前半に採掘コストが高く、一旦断念となったのですが、近年の原油高騰で、再び脚光を浴び出したのです! 石油産業コンサルタントEPRINC(Energy Policy Research Foundation, Inc.)からノースダコタ州におけるシェールオイルの開発状況に関する特別レポートの寄稿を受けたので、同社の許可を得て掲載する。 Bakkenシェールオイル層とThree Forksシェールオイル層は、Williston Basinの一部を形成しており、カナダ・サスカチュワン州、マニトバ州、米国ノースダコタ州、モンタナ州、サウスダコタ州を取り囲むように賦存している。 Bakkenシェールオイル層の主要生産ゾーンは、主にノースダコタ州西部、サスカチュワン州南部とモンタナ州東部地域にある世界最大の連続した石油集積層であると考えられている Bakken地域では、地表から約1万ft(3048m)地下のシェールロック層に軽質・低硫黄原油が賦存している。Bakkenシェールは3層から構成されており、上部はシェールロック層、中間は砂岩/ドロマイトの層、下部は再びシェールロック層となっている。 今日では、通常、中間の砂岩層を対象に水平坑井が掘削され、フラッキング(水圧破砕法)処理が施される。 Bakken地域の原油生産は採掘コストが高いが、先進的な技術の適用や運用会社のサポート強化によって、50ドル/bbl以上の井戸元価格を確保できる限りは、生産は維持できると考えられている。 フラッキング(水圧破砕法)処理は、掘削孔に高圧水やプロパント(砂、セラミック)、化学薬品を坑井から圧入してこのフラックを広げ、シェールオイル層に含まれる原油を坑井側に流し出す技術で、これに高度のノウハウが必要とされている。 しかし、この技術は完成されておらず、地下水脈への環境汚染が懸念されており、一部の州では規制の動きが強まっており、全てのシェールオイル層が、3000mを越える地下に賦存しているとは言えないことから、更なる技術開発が望まれる情勢にあるらしい。

水曜日, 5月 09, 2012

老いて知力が著しく低下-ウィーナーのサイバネティクスが読み難い

現代の制御・通信理論の原点となって、名著とされるウィーナーの「サイバネティクス」が岩波文庫として復刊されていましたので購入して来ましたが、とても読みにくいのです。 雑音の解析・合成には、非線形装置に無作為入力を与え、その出力をエルミート多項式と密接に関係した直交函数系の明確に定義された級数に展開することであり、非線形回路の解析は、多項式の係数を入力信号のあるパラメータの函数として、平均操作により決定することに帰着する。 曲線の予測を行う装置では、変分法の問題から導き出されるある型の積分方程式は、導波管の問題や、その他多くの応用数学の面白い問題にも出て来ることが示された。 大学時代は工学部ではありましたが、応用数学は好きな講義の一つで多少は勉強もし、直交函数系によるフーリエ変換、ラプラス変換、変分法は成程と習ったものでした。 しかし、会社に就職してからは、行列、全微分法、偏微分方程式を適用させることはあっても、積分方程式展開に至ることは無く、何時しか知識は忘却の彼方となっていたのです。 ギブズの統計力学には、時間平均と位相平均が出て来て、これら2種類の平均がある意味同じであることを示そうとした点では正しかったが、その関係の示し方に於いては完全に間違っていた。それにはルベーク積分の知識が不可欠なのだが、やっとアメリカに伝わって来たばかりで、30年後になって初めてフォン・ノイマン等の数学者達が、遂にギブズの統計力学に正しい基礎を与えたのである。 ギブズは同時代のヘヴィサイドと同じ様に、物理数学的な勘が論理に先行し、一般には正しい理論に達するけれども、何故正しいのかと言う説明が出来なかった学者の一人である。 ギブズは熱機関工学者にとって、自由エネルギーで知られる著名学者なのですが、応用数学講義ではルベーク積分の習得も無かったので何とも理解し兼ねる処があります。 又、ヘヴィサイドはフィードバック理論に不可欠なラプラス変換を使って、実質的に制御フィードバック理論を展開させたのですが、厳密な数学理論を基礎づけたラプラスにその名を譲ることになったのです。 実用を重んずる工学の世界では理論より応用が重視されますので仕方が無いのですが、工学者の一員として寂しいものがあります。 何れにせよ、サイバネティクスを読破出来るか否か、甚だ疑問の状態です!

木曜日, 4月 19, 2012

古代インド思想史観からの仏教概説-仏教誕生(講談社学術文庫)

日本では大乗仏教しか流入しておらず、その大乗仏教が最大の論的とした「外道」一派の思想研究を専門とした著者の論述は非常に興味あるものとなっている。 釈尊が創始した初期仏教は、道徳論に近いもので、難解では無かったとするのである。 因果応報の法則に基づいて生類は輪廻しつつ生きていると言う考えの下では、生類が自ら積んだ善悪の所産である。 この教えを代表するものとしては七仏通戒偈で、漢訳では次の通りである。 諸悪莫作 諸の悪を作すことなかれ 衆善奉行 衆くの善を奉行せよ 自浄其意 自ら其の意を浄めよ 是諸仏教 是れ諸の仏の教えなり 成道を得た釈尊その人には善悪は全く存在しない。ただ、釈尊は、窮極の目標に達していない人に向かっては、善をなし悪を止める様に勧めたのである。 仏教を広めるべく、大衆化路線が執られ、釈尊を超人的な仏として崇拝、祈念することによって、その無限の慈悲のお蔭で救われると言う救済思想を生みだしたとし、空海が持ち込んだ密教思想も初期仏教からの変質が激しいとするのである。 しかし、絶対的救済神を奉ずるヒンドゥー教の刺激を受け、西暦紀元前後に興った大乗仏教は、民衆化の名の下に超越的な仏、無辺の慈悲による菩薩救済と言うテーマを打ち出し、禅定と言う名の瞑想も極めて神秘主義的となり、心作用が停止する三昧体験を窮極の目標たる解脱であるとした。 密教に至っては手段が目的とされ、悟りとは三昧体験だと言う瞑想と智慧との区別が全く出来ていない根本的な誤解に貫かれた解釈だと言わざるを得ない。 又、苦行修行による覚り開眼も、禅宗の祖とされる道元をも、釈尊への誤解ではないかと具申するのです。 釈尊は説法を始めてから死に至るまで、苦楽中道の生き方を貫いた。既に釈尊は窮極の目的を達成していたのであるから、この生き方が修行であったとは言えない。 我が国の道元禅師は、「釈尊は生涯に亘って修行生活を送った、覚り(証)は修行(修)の中のみに現れる」と解釈しているが、これは彼独自の美しい誤解である。 結局は、祈祷仏教と葬式仏教に陥ってしまった我が国の仏教は、変革する余地があるのではないかと提言するのです。 わが国で、智慧の生まれ無い処に僅かに生き残ったのが祈祷仏教と葬式仏教だけと言うのも、当然の成り行きだったのであろう。 アジアに仏教と名のつく宗教が数ある中で、日本仏教ほど生のニヒリズムに縁遠い仏教は無かったのである。 既存仏教に飽き足らず数多くの新興宗教が興りつつある現在、著者の提言は仏教界のプロテスタント運動なのか知れないと思われてなりません。

土曜日, 4月 14, 2012

ひきこもれ-吉本隆明(大和書房)

本書は対談集では無いのですが、命題を定めた会話を録音編集したものであり書き下ろし文に較べて冗漫性は否めません。 それでも、我慢して読み続けますと示唆に富んだ提言を発見することが出来ます。 「ひきこもり」は良くなく、ひきこもっている奴は社会に引っ張り出した方が良いと言う考え方に僕は到底賛同することが出来ません。 家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。周りからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない一纏まりの時間」を持つことが、どんな職業にも必ず必要なのだ。 世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身に着けないと一人前になれない種類のものなのだ。 ですから自信を持ってひきこもれと言うのですが、やはり個人では生き抜けないと一般社会的な問題分析を提示するのです。 ひきこもりの人の弱点は、職業を持って自立することが遅れがちなここで、「いい年をして定職に着かない」と非難されることもある。 其処からの展開は、意を決して仕事を見つけることを推奨するのですが、少なからず唐突感があります。 なるべく早く、引っ込み思案ならその自分に合った仕事を見つけた方が良いのだ。何故なら、どんな仕事でも経験の蓄積がものを言うからで、持続と言うことが大切で、ある日突然何者かに成れると言うことは無いと言うことを知っておいた方が良い。 他人に満足をもたらす仕事には熟練が必要であり、又、熟練する程賃金も良くなり、本人にも自分は何かを身につけたと言う実感があります。 「ひきこもり」問題には、吉本隆明も示唆に富んだ提言をしてくれましたが、昔も今も自助努力・他人の助け無しには解決を見つけにくいと言うことで、やはり正解を見つけにくいと言うことなのでしょう。

火曜日, 4月 10, 2012

吉本隆明も老いて凡愚に還る

老いの超え方-朝日文庫 本書は身体、社会、思想、死の4部構成となっており、全てが対談内容をそのまま文章化して纏めたものである。又各部には、著者が過去に述べた対話が、語録集として追加されることになっている。 しかし、どうしてこの様な手を抜いた書籍を発行したのか、対話形式の文章化は編集者に任せ、自分では怠惰に徹して推敲を重ねる労力を惜しんだとしか考えられない。 戦後の日本を代表する詩人で思想家とされる著者も、老いて怠惰となり愚者に還ったのだと考えると合点が行きますが、侘しさが募って仕方が無い。 結局、本書は各部の語録集とあとがきを読めば、良いのでは思われるのだ。 「“もう良いことなんか何もねえよ”と言う軌道に入ったら、希望を小刻みに持つことしかない。今日は孫と遊んで楽しかった、面白かったと言う状態に持っていける様にするしか防ぎようが無い」と「家族の中で死ぬ」ことを強調するだけとするのも何とも情けない。孤立死は避けて通れないことにつき、発信して欲しいものなのに・・ 死については、高村光太郎の「死ねば死に切り」と親鸞の「生死は不定である」が良いのではないかと結論付けるのだが、釈迦入滅に際して「後有(ごう)を受けず-即ち来世は無い」と喝破していることから考えると、考察不足では無いかとも疑いたくなってしまう。 本書のせめてもの救いは、書き下ろしの「あとがき」で、ゲーテの色彩論についての解釈で、ニュートンの科学的色彩論に較べて惨敗にも見えるのだが、ゲーテは四季折々の自然の豊富な色彩で「自然は際立っている」と感じる、その生態の謎が認知したい処だったのではなかろうかと述べていることにありそうだ。 詩人・思想家と言うならば、死ぬ直前まで意識のある限り、感銘を与える様な文章を発信し続けて貰いたいものだ。

日曜日, 3月 25, 2012

政府は必ず嘘をつく-堤未果(角川新書)

著者の堤未果女史は現在では少なくなった左派のジャーナリストであり、希少価値があるかも知れません。分析には鋭いものがあるのですが、自己変革に向けての啓蒙活動という方策しか示されていないのは残念に思われます。 しかし、現在問題とされる記者クラブを通じて政官と癒着してしまったマスコミに対してメスを入れたことは読んでみる価値があると思われます。 原発を推進して来た自民党と原発事故を隠蔽する民主党の根っこは同じだった。官僚と企業の癒着が安全神話を撒き続け、マスコミも学者も支配下に置いていた原子力村の存在は、海外メディアにも大きく取り上げられている。 巨大な資金力を持つ経済界が政治と癒着する“コーポラティズム”が支配を進める程に、選挙も又消費活動の一環としてマーケティング戦略に組み込まれて行き、“資本独裁国家”と化して、国民の選択肢は限りなく一党独裁に近いのだ。 対話形式の論理展開が多いので、雑駁の感は否めないが、ナオミ・クライン(Naomi Klein)の「ショック・ドクトリン」の日本版と言えないこともありません。 豊かな国有資源を持つイラクが、フセイン転覆後に大資本の特売場と化したように、リビアの富も又、市場に並べられるのだろうか。ナオミ・クラインが指摘した“戦争と債権の民営化モデル”が、此処にも見え隠れしている。 TPPへの参加協議を迎える日本も例外で無く、東日本大震災被災地における外資への税制優遇が「特区構想」や、「グローバル化」を掲げるだけでその実態は説明されないままだ。5大紙の社説はこうしたワンフレーズを含む推進内容になっており、「漁協」「農協」が旧体制のシンボルとして成長を阻む敵の様に描かれている。 TPP全加盟国の中でアメリカだけが、自国内法と異なるルールが検討事項に挙がった際、議会の承認が得られないことを理由に拒否できるのだ。これはTPPが自由貿易ではなく、アメリカ政府が要求するルールに支配されるものであることを示している。 これらショック・ドクトリンへの対抗策は、FacebookもTwitterも“コーポラティズム”範疇にあるので、自己変革が必要だと結論づけるのには竜頭蛇尾と残念に思われて仕方がありません。 原発も放射能汚染も、TPPも金融危機も、医療も教育も第一次産業も、様々な立場からの声が上がるだろう。大切なのは一つの情報を鵜呑みにせず、多角的に集めて比較し、過去を紐解き、自分自身で結論を出すことだ。 マルクスが望んだ「99%のプロレタリアよ、団結せよ!」は、資本独裁主義へのアンチテーゼとして復権されるべきなのでしょう!

土曜日, 2月 25, 2012

不確定性原理が訂正されるらしい

20世紀の物理学の発達は、アインシュタインの天才振りに負う処が大きいのです。 光は波動でもあり粒子でもあると言う光量子説で、ニュートン力学を超越することとなり、光電効果は次の様に表され E=hν-W (hはプランク定数) 光センサとしての用途が広く、各種の研究開発や工業生産・測定などの現場で利用されていて、太陽光発電も此処から派生したと考えられます。 相対性理論では、物質のエネルギーは次の様な簡便な等式で表わされることを推奨し E=mc2 (cは光の速度) 核物理学が発展し、核分裂の連鎖反応による原子爆弾兵器の製造を導くこととなった。尤も彼は核爆弾禁止活動に奔走し、原子力平和利用に邁進努力したとされています。 1927年にハイゼンベルクの不確定性原理が発表されたのですが、アインシュタインは自然は極めて単純な等式で表わされると言う経験と自負から、認め難たったとされています。 ハイゼンベルクが提唱した不確定性原理は、等式で無く不等式で表わされるからです。 εqηp ≧ h/4π (hはプランク定数、πは円周率) アインシュタインの想いに反して、あらゆるものが曖昧で確率的にしか決まらないと言う不確定性原理は認知されることとなり、量子コンピュータや量子暗号等、情報技術の研究の有力な武器になって来ていますが、この有名な不確定原理が訂正されるらしいのです。 数学者の小澤名古屋大教授は、2003年にハイゼンベルクの式を修正する「小澤の不等式」を提唱しました。 εqηp + σqηp + σpεq ≧ h/4π 新たに出てきたσq,σpというのは物体の位置と運動量が,測定前にもともと持っていた量子ゆらぎ。ハイゼンベルクの原式と違って、εqやηpがゼロになっても、σqやσpが無限大であれば成立します。つまり誤差ゼロの測定が実現できるのです。 「小澤の不等式」は「ハイゼンベルクの不等式」を厳密に整理し直したものですから、量子力学の基本方程式は変わりません。 尚、光速を超えたとしたニュートリノの実験結果は間違いだったと最近報道されていますので、アインシュタインの相対性理論は存続する様子です。

土曜日, 2月 11, 2012

天災と国防-寺田寅彦 そして原発問題

寺田寅彦氏は、悲惨な自然災害には、過去の教訓を無視した人災が大きく影響する結果となり、それが2千年来繰り返されていると断じています。
昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかった様である。それは実際いくらか考え映えがする世の中であったからかも知れない。 これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細い様な気がする。2千年来伝わった日本人の魂でさえも、打ち砕いて夷狄の犬に喰わせようと言う人も少ない世の中である。一代前の言い置き等を歯牙にかける人はありそうもない。 しかし地震や津波は新思想の流行等には委細構わず、頑固に保守的に執念深くやって来るのである。科学の法則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。 それだからこそ、20世紀の文明と言う空虚な名を恃んで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は1923年の地震で焼き払われたのである。 解説者の畑村洋太郎氏は、その寅彦氏の述懐を反映して、福島第一原発の深刻な事故について次の様に解説しています。 日本全国には原発反対運動と言う大きな縛りがある。電力会社は反対派に対抗する為に「原発は絶対に安全」と言う建前を貫き、その根拠を国の定める外部基準に求め、盾にする様なことをして来た。 しかし原子力を運用する組織がこれを前提に動いていたら、これ程危険なことは無い。 福島第一原発の深刻な事故に結びついたとすると当然の成り行きとしか言いようが無い。 安全対策と言うのは危ないことを前提に動いているから効果があるのである。想定外の問題が起こった時に正しく対処するには、進むべき道を自分で考える為の内部基準が必要となる。内部基準が無い場合は、想定外の門題が起きると大抵は思考停止状態に陥る。 福島第一原発で全ての電源が喪失すると言う想定外の事故が起きた時、何も手を打たず、当然予想できた水素爆発が起こるのを許してしまった。そうすると、この事故は想定外の問題に対して対処出来る内部基準を備えることを怠った組織不良によるものであることは間違い無いのである。 災難であれ失敗であれ、辛い厭なものだが、これらは使い様によって人間を成長させる糧にすることも出来る。自然災害による試練は、地球に住む限り避けては通れない宿命である。そうであるなら、寺田の言う通り、寧ろこれらと向き合って、多くの知恵を授かる様にした方が良いだろう、それが賢い生き方と言うものである。 従来の想定内の事故に対する「制御安全」に拘泥することなく、他国からのミサイル攻撃に耐え得る「本質安全」を目指して聖域なき奮闘努力をして頂きたいものだと思っております。 畑村氏とはどうも大学同期生で、私が学んだ航空学科では、鵜戸口英善氏の材料力学講義、藤井澄二氏の振動学講義には機械学科建屋に出向いて講義を受けていましたので、机を並べて学んでいたと思われますが、学科の違いもあり覚えていませんのは残念です!

金曜日, 2月 10, 2012

中公新書 寺田寅彦-和魂洋才の物理学者

「天災は忘れた頃にやって来る」とは物理学者である寺田寅彦の警言として良く知られています。 東大教授として理化学研究所主任研究員として、ノーベル賞になるべき種々の科学業績を残しつつ、随筆家としても文筆家として類稀なる足跡を残しています。 彼は興味の視点が多岐に亘っていて、理学博士の学位論文が「尺八の音響学的研究」と一風変わった学位論文で、イギリスのノーベル物理学者レーリー卿の「音響理論」に触発されて研究されたものでした。 その論文選択には、熊本第五高等学校からの恩師であった夏目漱石の文学的影響に加えて、科学への係わり方、人生観への影響も少なからずあったのだと推断出来ます。 しかし其処で、著者は寺田寅彦には二人の師がいたとし、それは夏目漱石とレーリー卿だと断ずるのですが、著者の勝手な思い入れと解釈で、真実は違うのではないかと思わざるを得ません。 寅彦には夏目が人生の師であり私淑したことは確かでしたが、彼を通して“高等遊民”的な人生感を学び、感化された「音響理論」を上程したレーリー卿が偶々“高等遊民”的な生き方していたことに憧れたのかも知れないと考えるのが妥当だと思うからです。 しかし、著者の寅彦に対する判断は以下の点では納得出来るものがありました。 20世紀初頭は物理学の“疾風怒涛”の時代で、こうした嵐の吹き荒れる時代に身を置いた寅彦は、古典物理学の世界に専心し、科学解説サイエンス・コミュニケーションと言う試みを行い、新しい潮流にも力を入れると言う“棲み分け”をしながら、物理学全体を視野に収めた稀有な存在であった。 アインシュタインの「相対性理論」が発表された際に、その素晴らしさを認識した世界でも数少ない物理学者の一人とされていることから、そのことが分かります。 彼が研究視点を分散せず、新しい物理学研究に専心することがあったら日本人初のノーベル物理学受賞者になったことだと思われてなりません!