先日本屋に行って、気軽に読める新書本ではなく、偶にはじっくりと読める図書を探していましたら、ゲーデル著「不完全定理」と言う岩波文庫がありましたので、買って帰りました。
51年昔、教養学部での数学の講義は、高校時代での問題を解くことを主にする授業と違い、定義を大切にする意味合いが強く、興味深いものでした。
解析学では、当時微分幾何学の気鋭学者である長野正氏が講師で、参考書は高木貞治著「解析概論」と言う名著でした。
代数学では、講師は森繁雄氏で、受験参考書で知られていた人で、スミルノフ著「高等数学教程」を参考書として勧められました。
その後、工学部に進みましたので、数学講義も純粋数学から応用数学へ転換し、犬井鉄郎氏の講義となりましたが、やはり興味をそそるものがあったのです。
企業に入り、応用数学適用の命題が多く、寺沢寛一著「数学概論」を参考にすることも多くなり、業務上の難問解決の為、微分方程式の構築、行列知識の適用・応用等には心血を注いだものでした。
しかし50年を過ぎて、頭もすっかり硬くなり、純粋数学書では、なかなか読み進めることが出来ません。
やはり、工学者の弱点でもあるのでしょうか、物理的意味合いの無い命題を、数学的に理解する意気が続かないのです。
1.形式系と呼ばれる論理学の人工言語で記述された数学は、その表現力が十分豊かならば、完全且つ無矛盾であることはない。(第一不完全性定理)
2.形式系が無矛盾であると言う事実は、その事実が本当である限り、その形式系自身の中では証明出来ない。(第二不完全性定理)
20世紀最大の数学者ヒルベルトは、数学における合理性を究極の形で確立すると言う、極めて近代ヨーロッパ的な目的を担っていたが、上記ゲーデルの不完全性定理が結果的に合理性に対する素朴な信頼性に否を突き付ける形になった。
その為、数学の定理でありながら、西洋哲学、心理学、思想、情報学等の研究者を引き付け、様々な影響を与える結果となっている。
解説が面白いので、もう少し読み進めますが、読破する自信は全くありません!
我が家の本棚には、永らく使われたことが無いまま、高木貞治著「解析概論」、寺沢寛一著「数学概論」、スミルノフ著「高等数学教程」12巻は、寂しく眠っています。
木曜日, 9月 29, 2011
木曜日, 9月 22, 2011
LEDナツメ球
先日、蛍光灯の真ん中についていて常夜灯に使うナツメ球(豆球、ベビー電球)が切れましたので、100円ショップに買いに行きました。
!従来のナツメ球は白熱電球タイプで、フィラメントが光り消費電力は5W程度のものが一般的です。
105円で2個入っているのが売られていましたが、同じ棚にはLEDナツメ球1個が105円で陳列されていましたので、LEDタイプのものを購入することにしました。
蛍光灯の真ん中に付いているナツメ球(豆球、ベビー電球)は、LED光源のものが数年前から実用レベルになって来ている様です。
LEDタイプの消費電力は0.5Wと白熱電球タイプに比べ、1/10に過ぎませんのも魅力です。
玄関外灯、階段灯、トイレ灯等の60W白熱電球はLED電球に取り換えましたが、従来の白熱電球が100円程度で買えたのに比べ、2000円とは高過ぎますので、風呂場灯、玄関内灯は800円程度で買える蛍光灯タイプのままにしてあります。
それでも、消費電力は1/5にはなるからです。
ランニングコストが安いため、短期間使うだけなら白熱電球がお得、長期間使うならLED電球が良いと言われますが、イニシャルコスト次第だろうと思っています。
しかし、LEDナツメ球は従来のものに較べて、2倍程度の価格で手頃、他の場所も取り替えて行こうかと思っています。
!従来のナツメ球は白熱電球タイプで、フィラメントが光り消費電力は5W程度のものが一般的です。
105円で2個入っているのが売られていましたが、同じ棚にはLEDナツメ球1個が105円で陳列されていましたので、LEDタイプのものを購入することにしました。
蛍光灯の真ん中に付いているナツメ球(豆球、ベビー電球)は、LED光源のものが数年前から実用レベルになって来ている様です。
LEDタイプの消費電力は0.5Wと白熱電球タイプに比べ、1/10に過ぎませんのも魅力です。
玄関外灯、階段灯、トイレ灯等の60W白熱電球はLED電球に取り換えましたが、従来の白熱電球が100円程度で買えたのに比べ、2000円とは高過ぎますので、風呂場灯、玄関内灯は800円程度で買える蛍光灯タイプのままにしてあります。
それでも、消費電力は1/5にはなるからです。
ランニングコストが安いため、短期間使うだけなら白熱電球がお得、長期間使うならLED電球が良いと言われますが、イニシャルコスト次第だろうと思っています。
しかし、LEDナツメ球は従来のものに較べて、2倍程度の価格で手頃、他の場所も取り替えて行こうかと思っています。
木曜日, 9月 15, 2011
星と嵐(五つの北壁登行)
森林浴を満喫するべく、時々日帰りで低山トレッキングをしています。
日帰りとするのは、噴き出た汗をゆっくりと自宅のシャワーで流しつつ、疲れた体を休めるのが快適と思っているからなのです。
何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。
もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。
森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。
マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。
28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。

下りでしたので息が切れる訳でもありませんでしたが、富士山頂を越える高さでアルプの世界、周囲は殆ど瓦礫だらけで、その下は永久凍土の世界だったと記憶しています。
日帰りとするのは、噴き出た汗をゆっくりと自宅のシャワーで流しつつ、疲れた体を休めるのが快適と思っているからなのです。
何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。
もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。
本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。
森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。
それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。
マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。
この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。
北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!
天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。
28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。
下りでしたので息が切れる訳でもありませんでしたが、富士山頂を越える高さでアルプの世界、周囲は殆ど瓦礫だらけで、その下は永久凍土の世界だったと記憶しています。
木曜日, 9月 08, 2011
学校秀才の内部告発-官僚の責任
財務省と並んで、キャリア組のエリートが集まる省ともされる経産省生え抜きの改革派キャリアの内部告発なのですが、今話題となっている松下政経塾と関係の深いPHP新書であるのが気に掛ります。
彼の名は古賀茂明、仙石由人の彼に対する脅しは、2010年7月に辞任を、9月にイジメ出張を強要、10月の覚悟を決めて古賀審議官が国会参考人発言したことに、意味の無い公開恫喝を行ったことで、一躍知られることとなりました。
彼は、次の様に分析していて、正鵠を得ている様に思われます。
日本の官僚は優秀でも公正でも中立でも無い。「官僚組織は最高の頭脳集団」は単なる幻想に過ぎなかった。
「世界一」と我々が信じ、拠り所にして来た日本の技術力の高さが、原発事故の対応の拙さから、実は幻想に過ぎなかったと言う現実が明らかになったと同じ様に、日本の官僚も、専門知識に乏しく、判断も決断も出来ず、自分では責任を取ろうとしない、素人集団であることを、広く国民の前に露呈してしまった。
原子力の分野に留まらず、財政悪化させたことから明らかな様に、財務官僚のレベルもお粗末なもので、あらゆる分野で日本の官僚は世界標準に較べて相当遅れていると言わざるを得ない。
それどころか、今や危機的状況にある国を食い潰し、崩壊させかねない存在になっていると言っても過言では無くなっている。
しかし、実務経験に乏しい学校秀才の出自による限界なのか、本書後半の提言で「官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人達が集まれば、未だ何とかなる」との認識には大きな違和感を持たざるを得ません。
「東大法科卒エリートが国を動かす」と言う永らく是認されて来た方針は、東京電力、保安院やエネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性の無さは、失敗だったことを示しています。
其処で、政治家や官僚の思惑で何かを決めるのではなく、国民の強い意志を反映させた産学政官共通基盤で国民を導く体制を構築すること、後世の検証に耐え得る組織が要求されているのです。従前のキャリア組主導方式では上手く行かないのですから・・
上記の如く、起承転結の「転」部分には肯ずる訳には行かない処がありますが、「結」部分には納得出来るものがあります。
消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうでは無く、既得権益グループと戦える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費増税を小さくしても大丈夫な道筋をつけることに命を賭けて欲しい。
そして公務員改革を断行して官僚が真の政治家を全力で支える、それが理想だ。
彼の名は古賀茂明、仙石由人の彼に対する脅しは、2010年7月に辞任を、9月にイジメ出張を強要、10月の覚悟を決めて古賀審議官が国会参考人発言したことに、意味の無い公開恫喝を行ったことで、一躍知られることとなりました。
彼は、次の様に分析していて、正鵠を得ている様に思われます。
日本の官僚は優秀でも公正でも中立でも無い。「官僚組織は最高の頭脳集団」は単なる幻想に過ぎなかった。
「世界一」と我々が信じ、拠り所にして来た日本の技術力の高さが、原発事故の対応の拙さから、実は幻想に過ぎなかったと言う現実が明らかになったと同じ様に、日本の官僚も、専門知識に乏しく、判断も決断も出来ず、自分では責任を取ろうとしない、素人集団であることを、広く国民の前に露呈してしまった。
原子力の分野に留まらず、財政悪化させたことから明らかな様に、財務官僚のレベルもお粗末なもので、あらゆる分野で日本の官僚は世界標準に較べて相当遅れていると言わざるを得ない。
それどころか、今や危機的状況にある国を食い潰し、崩壊させかねない存在になっていると言っても過言では無くなっている。
しかし、実務経験に乏しい学校秀才の出自による限界なのか、本書後半の提言で「官僚や政治家という既存の枠組みの中で、国家を憂う人達が集まれば、未だ何とかなる」との認識には大きな違和感を持たざるを得ません。
「東大法科卒エリートが国を動かす」と言う永らく是認されて来た方針は、東京電力、保安院やエネルギー庁という役所に見られる傲慢な意識や計画性の無さは、失敗だったことを示しています。
其処で、政治家や官僚の思惑で何かを決めるのではなく、国民の強い意志を反映させた産学政官共通基盤で国民を導く体制を構築すること、後世の検証に耐え得る組織が要求されているのです。従前のキャリア組主導方式では上手く行かないのですから・・
上記の如く、起承転結の「転」部分には肯ずる訳には行かない処がありますが、「結」部分には納得出来るものがあります。
消費増税に踏み切るのが責任ある政治家だとの誤解があるが、そうでは無く、既得権益グループと戦える政治家こそ真の責任ある政治家なのだ。消費増税を小さくしても大丈夫な道筋をつけることに命を賭けて欲しい。
そして公務員改革を断行して官僚が真の政治家を全力で支える、それが理想だ。
火曜日, 5月 31, 2011
スマートグリッドは何処に行ってしまったのか?
ベース電力となっていました原子力発電が疑問を持たれる様になって以来、東電も自信を持って宣伝していたスマートグリッドの話題はすっかり霞んでしまいました。
太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーの導入に、スマートグリッドを構築する必要性は高い。
太陽光や風力などは、その発電量が天候や気候に左右され、非常に不安定だ。更に、電力需要が少ない時に供給量が増加してしまうと、送電・配電線に大量の電力が送られ、負荷をかけることになってしまう。そのため、需要と供給のバランスを調整するなどの系統安定化策が不可欠。
具体的には、大型の蓄電池を設置することで電力をプールする方法や、電気自動車の蓄電池としての代替利用、コージェネやガスエンジンといった機器の電力源としての利用など、他の設備に余剰分の電力を移す方法がある。
停電対策よりも再生可能エネルギーの導入のために推進される日本のスマートグリッドだが、その仕組みづくりには、関連する多くの分野からの協力体制が必要になる。
次世代インターネットの経済学-依田高典
2011年現在、日本のブロードバンド・インフラは有線も無線も世界一である。それでも、医療のデジタル・オンライン化は遅れ、中小企業のICT利用も課題が多い。
他方で、インフラ整備で後れを取るアメリカでは、GoogleやAmazonなど時代の寵児が、Microsoftの牙城を脅かす迄に成長した。世界の最富国アメリカのことだ。インフラ整備の遅れは10年で取り戻すことだろう。
その時、ガラパゴス化した日本に何のアドバンテージが残るのだろうか?
そんな思いで、研究テーマをスマートグリッド・エコノミクスと決めた。スマートグリッドとは、ICTを有効利用し、電力系統の効率化を図り、環境に優しい分散型電源の導入を促進し、消費者の省エネ行動の変容を促すエネルギー産業のイノベーションである。
ブロードバンド・エコノミクスと行動経済学の研究成果を一段高いレベルで統合するものと言って良い。
近頃話題となっている「光の道」の根幹となるFTTH(Fiber to the Home)、固定・携帯電話の融合サービスMC(Fixed-Mobile Convergence)にも識見に満ちた解説と提言があり、時宜を得たもので読んでおきたい書籍だと思われます。
太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーの導入に、スマートグリッドを構築する必要性は高い。
太陽光や風力などは、その発電量が天候や気候に左右され、非常に不安定だ。更に、電力需要が少ない時に供給量が増加してしまうと、送電・配電線に大量の電力が送られ、負荷をかけることになってしまう。そのため、需要と供給のバランスを調整するなどの系統安定化策が不可欠。
具体的には、大型の蓄電池を設置することで電力をプールする方法や、電気自動車の蓄電池としての代替利用、コージェネやガスエンジンといった機器の電力源としての利用など、他の設備に余剰分の電力を移す方法がある。
停電対策よりも再生可能エネルギーの導入のために推進される日本のスマートグリッドだが、その仕組みづくりには、関連する多くの分野からの協力体制が必要になる。
次世代インターネットの経済学-依田高典
2011年現在、日本のブロードバンド・インフラは有線も無線も世界一である。それでも、医療のデジタル・オンライン化は遅れ、中小企業のICT利用も課題が多い。
他方で、インフラ整備で後れを取るアメリカでは、GoogleやAmazonなど時代の寵児が、Microsoftの牙城を脅かす迄に成長した。世界の最富国アメリカのことだ。インフラ整備の遅れは10年で取り戻すことだろう。
その時、ガラパゴス化した日本に何のアドバンテージが残るのだろうか?
そんな思いで、研究テーマをスマートグリッド・エコノミクスと決めた。スマートグリッドとは、ICTを有効利用し、電力系統の効率化を図り、環境に優しい分散型電源の導入を促進し、消費者の省エネ行動の変容を促すエネルギー産業のイノベーションである。
ブロードバンド・エコノミクスと行動経済学の研究成果を一段高いレベルで統合するものと言って良い。
近頃話題となっている「光の道」の根幹となるFTTH(Fiber to the Home)、固定・携帯電話の融合サービスMC(Fixed-Mobile Convergence)にも識見に満ちた解説と提言があり、時宜を得たもので読んでおきたい書籍だと思われます。
水曜日, 11月 03, 2010
森の妖精と三人の女神
この書籍は、先日56年振りの小学校同窓会で同級生から贈呈されたもの、純物語を読むのは久しぶりでした。
小中と同級、同じクラスになったことは無いことから、親しく話をしたことが無かったのですが、彼の生き様を知って貰いたいと自分の著書をくれたのだろうと想像しています。
水の惑星と呼ばれる地球も、遠い原始の時代には赤茶けた岩と砂漠しか無かったのだが、神のいたずら心から緑の園が造られることになった。しかし、神の単なるいたずら心では、その園も永続きがせず、太陽と月の支援を受けた森の妖精と三人の女神が、緑の園を生命感の溢れる森の姿に変貌させる物語となっています。

著者は緑の森への深い想いが強烈で、擬人的な太陽と月、及び森の妖精と三人の女神との会話体で物語を展開して行くのです。
そんな会話を読みながら、ふとボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」で女神達が集う様を思い浮かびますし、又勤しんで造り上げた森を大切に思う気持ちはサン・テグジュペリの「星の王子様」で残して来たバラを思う気持ちに通じるものがありました。
この本は、小説物語と言うより手塚漫画「火の鳥」の様に、絵とセリフで展開した方が余程迫力が出て来るのではないかと思われてなりません。
地球も現在の姿、常温水と空気の環境は一瞬、全球凍結の氷河時代から水の無い灼熱時代と輪廻変遷しつつあることも事実、現在の環境無しには人間を含めて全ての生物は生きられないのだと、そんな悠久の歴史を考えながら読み進めるのも一興と思われました。
小中と同級、同じクラスになったことは無いことから、親しく話をしたことが無かったのですが、彼の生き様を知って貰いたいと自分の著書をくれたのだろうと想像しています。
水の惑星と呼ばれる地球も、遠い原始の時代には赤茶けた岩と砂漠しか無かったのだが、神のいたずら心から緑の園が造られることになった。しかし、神の単なるいたずら心では、その園も永続きがせず、太陽と月の支援を受けた森の妖精と三人の女神が、緑の園を生命感の溢れる森の姿に変貌させる物語となっています。
著者は緑の森への深い想いが強烈で、擬人的な太陽と月、及び森の妖精と三人の女神との会話体で物語を展開して行くのです。
そんな会話を読みながら、ふとボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」で女神達が集う様を思い浮かびますし、又勤しんで造り上げた森を大切に思う気持ちはサン・テグジュペリの「星の王子様」で残して来たバラを思う気持ちに通じるものがありました。
この本は、小説物語と言うより手塚漫画「火の鳥」の様に、絵とセリフで展開した方が余程迫力が出て来るのではないかと思われてなりません。
地球も現在の姿、常温水と空気の環境は一瞬、全球凍結の氷河時代から水の無い灼熱時代と輪廻変遷しつつあることも事実、現在の環境無しには人間を含めて全ての生物は生きられないのだと、そんな悠久の歴史を考えながら読み進めるのも一興と思われました。
日曜日, 10月 31, 2010
後有を受けず-誤解された仏教
家内の1周忌に訪れてくれる人も絶え、供えてくれました供花も萎んで来て、又静かな独り暮らしに戻りました。
2週間前の1周忌法要では和上が種々読経してくれたのですが、最後に「般若波羅蜜多」と唱えてくれたことしか覚えていませんし、「般若」は「悟りの智慧」・「波羅蜜多」は「完成」となるのですが、悟りを開いている訳でもなく、信心深くも無いので、普段通りに毎朝焼香しているに過ぎません。
「誤解された仏教」では次の様に述べられていますが、衆生には納得出来るものがあります。
「わが心の解脱は不動である。後有(ごう)を受けない」と釈尊は宣言した。
これは「私は輪廻を解脱した。これが最後の生存で、もう何にも何処にも生まれ変わらない」と言う意味で、これが仏教本来の考え方である。
しかし、愛妻の死が縁となり比叡山で回峰行に挑んだ阿闍利(あじゃり)は「心も肉体も空だから物心一如、一体何が残るのだろうか。私は“想いの深さ”が残ると敢えて言いたい。“想い”によって女房から色々なものを与えられた」と言うのである。
私と17才で知り合い27才の時に結婚したのは、1970年3月東大構内の赤門近くの学士会館別館でした。

それからは39年間の長きに亘って家族を愛し、静かに好きな読書をしつつ、時には義母と共に聴いたクラシック音楽を楽しむと言う平凡な人生を天命と受け止め、天寿を全うしたのです。
葬式仏教の法要・供養を一概に否定するものではありませんが、「後有(ごう)を受けず」で死後の世界は存在せず、「想いが残る」として家族・親戚・知人の心の中に刻まれて残ると言うのが、現在の私としましては、最も納得出来る様に思われます。
2週間前の1周忌法要では和上が種々読経してくれたのですが、最後に「般若波羅蜜多」と唱えてくれたことしか覚えていませんし、「般若」は「悟りの智慧」・「波羅蜜多」は「完成」となるのですが、悟りを開いている訳でもなく、信心深くも無いので、普段通りに毎朝焼香しているに過ぎません。
「誤解された仏教」では次の様に述べられていますが、衆生には納得出来るものがあります。
「わが心の解脱は不動である。後有(ごう)を受けない」と釈尊は宣言した。
これは「私は輪廻を解脱した。これが最後の生存で、もう何にも何処にも生まれ変わらない」と言う意味で、これが仏教本来の考え方である。
しかし、愛妻の死が縁となり比叡山で回峰行に挑んだ阿闍利(あじゃり)は「心も肉体も空だから物心一如、一体何が残るのだろうか。私は“想いの深さ”が残ると敢えて言いたい。“想い”によって女房から色々なものを与えられた」と言うのである。
私と17才で知り合い27才の時に結婚したのは、1970年3月東大構内の赤門近くの学士会館別館でした。
それからは39年間の長きに亘って家族を愛し、静かに好きな読書をしつつ、時には義母と共に聴いたクラシック音楽を楽しむと言う平凡な人生を天命と受け止め、天寿を全うしたのです。
葬式仏教の法要・供養を一概に否定するものではありませんが、「後有(ごう)を受けず」で死後の世界は存在せず、「想いが残る」として家族・親戚・知人の心の中に刻まれて残ると言うのが、現在の私としましては、最も納得出来る様に思われます。
木曜日, 10月 28, 2010
シェールガス(Shale Gas)
今シェールガス開発が注目されているらしい。
通常の天然ガス田の場合、地下の空間にガスが溜まっているが、シェールガスは深い岩盤のすき間に薄く広く存在するもので、掘り出すのが難しかったのです。
しかし米国で水平に穴を掘り、水と薬品で岩をくだいて押し出す技術が確立し、生産が伸びているとのことです。

シェール(Shale)とは、薄い岩石層が固まった頁岩のことですが、層の隙間には化石燃料も封じ込められる事例が多い様です。
私が、コロラド州のオイル・シェール・プロジェクト開発を進めていた会社Toscoを訪問したのは1980年代初頭のことでしたが、採掘コストが当時の原油価格に対抗出来ず、中止となったことはよく覚えています。
ガス(シェールガス)は液体(オイル・シェール)に比べて、採掘コストが安価に実施出来ると言うことなのでしょうが、地下地盤を破壊し、注入した水と薬品の混合物は環境汚染を引き起こすものでありますので、再利用・処理技術の改善が望まれる処です。
岩盤層に閉じこめられている天然ガス「シェールガス」の開発が世界から注目されている。米国で生産が飛躍的に伸びた為で、世界のエネルギー勢力図を揺るがす可能性もある。
2000年に米国の天然ガスの1%だった産出量は昨年、2割に達した。液化天然ガス(LNG)を輸入する必要はなくなり、ガス価格も押し下げた。天然ガス価格は2008年には12ドル/MMBTUほどだったのが、いまは4ドル未満。原油価格は金融危機後に再上昇したのに、ガスは低いままだ。
全世界のシェールガスの埋蔵量は「3200兆立方フィートで在来型の天然ガスの半分ほど」と言われ、かなり大きい。一方で、採掘に使う薬品による環境汚染などの問題もある。
日本企業では、大手商社が相次いでシェールガス開発への大規模投資に動いている。
住友商事は、昨年末米国でシェールガス開発への投資に踏み切り、今年9月にもさらに米国で権益を得た。2件の総投資額は約1500億円に上る。
三井物産は2月に米国で権益を取得し約1260億円を投資する。
双日も6月、米国の既存鉱区からシェールガスを拡大生産すると発表した。
三菱商事が8月に約360億円投資を発表したカナダのシェールガス事業は、出資比率が5割にのぼり、日本企業の資源エネルギー投資としては異例の高さだ。
通常の天然ガス田の場合、地下の空間にガスが溜まっているが、シェールガスは深い岩盤のすき間に薄く広く存在するもので、掘り出すのが難しかったのです。
しかし米国で水平に穴を掘り、水と薬品で岩をくだいて押し出す技術が確立し、生産が伸びているとのことです。
シェール(Shale)とは、薄い岩石層が固まった頁岩のことですが、層の隙間には化石燃料も封じ込められる事例が多い様です。
私が、コロラド州のオイル・シェール・プロジェクト開発を進めていた会社Toscoを訪問したのは1980年代初頭のことでしたが、採掘コストが当時の原油価格に対抗出来ず、中止となったことはよく覚えています。
ガス(シェールガス)は液体(オイル・シェール)に比べて、採掘コストが安価に実施出来ると言うことなのでしょうが、地下地盤を破壊し、注入した水と薬品の混合物は環境汚染を引き起こすものでありますので、再利用・処理技術の改善が望まれる処です。
岩盤層に閉じこめられている天然ガス「シェールガス」の開発が世界から注目されている。米国で生産が飛躍的に伸びた為で、世界のエネルギー勢力図を揺るがす可能性もある。
2000年に米国の天然ガスの1%だった産出量は昨年、2割に達した。液化天然ガス(LNG)を輸入する必要はなくなり、ガス価格も押し下げた。天然ガス価格は2008年には12ドル/MMBTUほどだったのが、いまは4ドル未満。原油価格は金融危機後に再上昇したのに、ガスは低いままだ。
全世界のシェールガスの埋蔵量は「3200兆立方フィートで在来型の天然ガスの半分ほど」と言われ、かなり大きい。一方で、採掘に使う薬品による環境汚染などの問題もある。
日本企業では、大手商社が相次いでシェールガス開発への大規模投資に動いている。
住友商事は、昨年末米国でシェールガス開発への投資に踏み切り、今年9月にもさらに米国で権益を得た。2件の総投資額は約1500億円に上る。
三井物産は2月に米国で権益を取得し約1260億円を投資する。
双日も6月、米国の既存鉱区からシェールガスを拡大生産すると発表した。
三菱商事が8月に約360億円投資を発表したカナダのシェールガス事業は、出資比率が5割にのぼり、日本企業の資源エネルギー投資としては異例の高さだ。
火曜日, 9月 07, 2010
文人哲学者 和辻哲郎
独り暮らしとなると、結構家事に割かれる時間が多く、ゆっくり音楽を聴いたり、本を読んだりする習慣が無くなりつつあります。
以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。
下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。
「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。
西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。
私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。
和辻哲郎「古寺巡礼」
和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。
九鬼周造随筆集
50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。
西田幾多郎-生きることと哲学
以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。
下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。
「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。
西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。
私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。
和辻哲郎「古寺巡礼」
和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。
九鬼周造随筆集
50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。
西田幾多郎-生きることと哲学
水曜日, 5月 05, 2010
セーヌの流れ 印象派の光と色と愛の軌跡
著者の霜月十三星(しもつき とみほし)氏とお会いしたのは、唐木田駅前にある喫茶「友愛」、丁度店内にモーツアルトの音楽が種々流れている時に、話が始まりました。
霜月氏は「ベートーヴェンは良いが、モーツアルトは分からない!」と言うので、私は「気分が落ち込んだ時は、ベートーヴェンは勇気づけてくれるが、モーツアルトは更に落ち込み、精神が充実している時で無いと聞けない。」と応じたのです。
すると霜月氏は「画家モネも貧乏でたいへんでした」と話題を変えましたので、私は「ジヴェルニーでは、平安な生活をして晩年は裕福で幸福だったのではないでしょうか?」と言いましたら、上記の書籍をカバンから取り出して、「どうぞお読みください!」と贈呈してくれました。
ブックカバーには「フランスの芸術家達に多大な影響を与えた、北斎や広重の描いた日本の美。そして、誰よりもその美しさを追求した画家モネと娘マリーが、情熱をかたむけた日本への憧憬を綴る」と紹介されています。
冒頭に「ゲーテの色彩論」が述べられているのに先ず驚きました。これは、大学時代の独文学教科書で、難渋なドイツ語だったと記憶していたからで、遠き思い出を引き起こされたのです。
読み進む内に、「モネの考えを言葉で表現し、理解するには手間は掛らない。彼にとっては、全てが現在形で、過去も無く、未来も無い。人間の無我があるがままの自然に吸い込まれていく。それが美の本質なのだ」と言う核心に近づきます。
カントは「人は哲学を学ぶことは出来ない。ただ哲学することを学び得るに過ぎない」と言っている。
この主張に従えば「人は美を創造することは出来ない。美を創り出す方法を模索し得るに過ぎない」
モネの人生は、東洋の美を模索したひと時であったのか?
人類は皆、限られた生命と寿命の範囲で、絶対への軌跡を描きなぐって行くのみなのか?
そうエピローグで哲学することで結んでくれますので、読後爽快となりました。
閑話休題:著者本名は平林治雄。1925年11月13日生まれをペンネームとしたとのこと
水曜日, 4月 28, 2010
高速増殖炉もんじゅ運転再開
私が「もんじゅ」を見学したのは、1995年秋の定期点検中でした。
1991年試運転を開始し、高速増殖炉は、本来は核燃料にならないウラン238をプルトニウムに変化させ、理論上は使った以上の燃料を生み出せることから、「夢の原子炉」とも呼ばれ、国も原子力政策の柱として開発を推進していた頃でした。
定期点検を終えて、運転再開しましたが、直後の1995年12月にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止したのでしたから驚きでした。
「もんじゅ」原子炉の冷却媒体に金属ナトリウムを使っているのは気にしていたのですが、旧来の水銀では熱伝達率が不足している事情から仕方の無い技術的理由があると納得していたのです。金属ナトリウムは常温では固体で、常に加熱して液体状態を保たなければなりませんし、また空気中では不安定で、水分を含む湿気で発火する弱点があるのでした。
適正な加熱状態を検知する熱電対管の後流にカルマン渦が発生し、その自励振動で熱電対管根元に亀裂が入り、其処から金属ナトリウムが漏れ出して火災を起こしたのが事故の原因だったのでした。
カルマン渦は自然現象でも日常的に見られ、風の強いに電線が振動して風切音が聞こえるもので、電線が切れる事故は無いのですから、設計余裕があれば事故を防げるのです。
高速増殖炉はフランス、ロシア、中国、インド等が開発を進めている「夢の原子炉」ですから、技術的ブレークスルーで難局を突破して頂きたいものです。
日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」について、内閣府の原子力安全委員会は、「運転再開は妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の評価結果を了承した。運転再開に関する国の手続きは終了し、原子力機構は地元の福井県と敦賀市に安全協定に基づく事前協議を申し入れ、運転再開は経済産業省原子力安全・保安院の立ち入り検査を経て、5月の大型連休明けになる見通し。
14年5ヶ月ぶりとなる「もんじゅ」の再開で、運転しながら核燃料を増やせる“夢の原子炉”の高速増殖炉開発が再び動き出すことになった。
もんじゅは、実験炉の次の段階の「原型炉」にあたる。
建設費は当初予算約5,900億円でしたが、事故後処置も含めて、掛かった総予算としては約1兆6000億円とされていて、仕様は下記の通りです。
原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器
1991年試運転を開始し、高速増殖炉は、本来は核燃料にならないウラン238をプルトニウムに変化させ、理論上は使った以上の燃料を生み出せることから、「夢の原子炉」とも呼ばれ、国も原子力政策の柱として開発を推進していた頃でした。
定期点検を終えて、運転再開しましたが、直後の1995年12月にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止したのでしたから驚きでした。
「もんじゅ」原子炉の冷却媒体に金属ナトリウムを使っているのは気にしていたのですが、旧来の水銀では熱伝達率が不足している事情から仕方の無い技術的理由があると納得していたのです。金属ナトリウムは常温では固体で、常に加熱して液体状態を保たなければなりませんし、また空気中では不安定で、水分を含む湿気で発火する弱点があるのでした。
適正な加熱状態を検知する熱電対管の後流にカルマン渦が発生し、その自励振動で熱電対管根元に亀裂が入り、其処から金属ナトリウムが漏れ出して火災を起こしたのが事故の原因だったのでした。
カルマン渦は自然現象でも日常的に見られ、風の強いに電線が振動して風切音が聞こえるもので、電線が切れる事故は無いのですから、設計余裕があれば事故を防げるのです。
高速増殖炉はフランス、ロシア、中国、インド等が開発を進めている「夢の原子炉」ですから、技術的ブレークスルーで難局を突破して頂きたいものです。
日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」について、内閣府の原子力安全委員会は、「運転再開は妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の評価結果を了承した。運転再開に関する国の手続きは終了し、原子力機構は地元の福井県と敦賀市に安全協定に基づく事前協議を申し入れ、運転再開は経済産業省原子力安全・保安院の立ち入り検査を経て、5月の大型連休明けになる見通し。
14年5ヶ月ぶりとなる「もんじゅ」の再開で、運転しながら核燃料を増やせる“夢の原子炉”の高速増殖炉開発が再び動き出すことになった。
もんじゅは、実験炉の次の段階の「原型炉」にあたる。
建設費は当初予算約5,900億円でしたが、事故後処置も含めて、掛かった総予算としては約1兆6000億円とされていて、仕様は下記の通りです。
原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器
土曜日, 4月 24, 2010
ぼんやりの時間-辰濃和男(岩波新書)
筆者は1975~1988年に亘って、朝日新聞の「天声人語」を担当していた経歴を持っていることから、エスプリの利いた筆致で「近代化を見なおそう」と主張します。

無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。
近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。
しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。
この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。
批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。
その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。
現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。
ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。
しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。
ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。
私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。
「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。
無駄な時間をいくら重ねても何の稼ぎにもならない、そんなことに時間を費やすのは愚の骨頂ではないかと、効率至上主義者はそう言うに違いない。
近代化・都市化・過密化・高速化・遅寝化等は、確かに街を賑やかにしたし、便利にしたが、一方では、森を奪い、闇を奪い、静謐を奪い、多様な生命の生存の拠点となる風土生命体を奪っている。
しかし、生を大事にする要諦は、今日と言う日の、今と言う時間を、ゆったりと、のどかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう。
この本の登場する人々の多くは、その様にして生きたと思える人達、生きていると思える人達である。
批評家らしく、古今東西に亘って、人生を大切にした人達を例に取って、その主張を展開して行きます。
その自然との共生論にしても、強烈な自己主張でなく、疑いつつも、生き難い現代に対して少しく有用では無いかと、奥ゆかしいのも微笑ましく感じられました。
現在の雇用・労働の問題は深刻で、人々が失業、長時間労働、ストレスに苦しんでいる。
ぼんやりの時間を造ろうと呼び掛けても、就職先を探している人には届かない。たとえ届いたとしても耳を傾ける気持ちになるまい。
しかし、職を探している人々、長時間労働でくたくたになっている人々、心に鬱屈したものを持った人々にとって、ほんの少しの閑な時間を持つこと、或いは、ほんの少しぼんやり時間を持つことは有害であろうか。
ぼやーっとした時間が、そうしたストレスを軽減するにも役立つことを説明したい気持ちがあった。
私も「忙中閑あり」は良い生き方だと思いつつ、時間に追われた時は、「外に出て悠揚と空を見る」、「好きなクラシックをBGMにする」、「スケッチして油絵を描く」等を座右銘として、人生を過ごして来ています。
「直球勝負では無く、少しすねてゆっくりする」そんな生き方を主張する筆者には共鳴するものがありました。
火曜日, 10月 20, 2009
海潮音-岩波文庫
この文庫本は、周囲が褐色に変色しています。発行年月は1970年ですから無理も無いのでしょう!

その中で、アホウドリを題材にした、ボードレールの「信天翁(をきのたいふ)」が眼に止まりました。
波路遙けき徒然の慰草(なみさみぐさ)と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ、
楫(かじ)の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな、
沖津潮騒すべりゆく舷近くむれ集ふ。
たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止の極なる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。
天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き痩姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、
煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行の空に憧るゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男(さつお)の弓をあざみしも、
地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。
七五調になっていて、日本語として響きが良いものですが、古い文語調でもあり、フリ仮名が添えてありませんと読み易くはありません。
「海潮音」は上田敏が雑誌帝国文学や明星上で発表したイタリア・イギリス・ドイツ・フランス・プロヴァンスといった翻訳した海外詩を1905年に 取り纏めたもので、新潮文庫や「上田敏全訳詩集」岩波文庫(山内義雄・矢野峰人編)、初版復刻版「海潮音」もある。
特に当時文壇の注目を集めていたフランス象徴主義に代表される詩人の作品を、象徴詩として紹介している点で有名であり、日本の象徴詩の隆盛の一端を担った。
カール・ブッセの作品「Pipa Passe」を翻訳した「山のあなた」や、ポール・ヴェルレーヌの「Chanson d'Automne」の翻訳「落葉」は国語の教科書で採用されている。
その中で、アホウドリを題材にした、ボードレールの「信天翁(をきのたいふ)」が眼に止まりました。
波路遙けき徒然の慰草(なみさみぐさ)と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ、
楫(かじ)の枕のよき友よ心閑けき飛鳥かな、
沖津潮騒すべりゆく舷近くむれ集ふ。
たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止の極なる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き双翼は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。
天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き痩姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、
煙管(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行の空に憧るゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ獵男(さつお)の弓をあざみしも、
地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。
七五調になっていて、日本語として響きが良いものですが、古い文語調でもあり、フリ仮名が添えてありませんと読み易くはありません。
「海潮音」は上田敏が雑誌帝国文学や明星上で発表したイタリア・イギリス・ドイツ・フランス・プロヴァンスといった翻訳した海外詩を1905年に 取り纏めたもので、新潮文庫や「上田敏全訳詩集」岩波文庫(山内義雄・矢野峰人編)、初版復刻版「海潮音」もある。
特に当時文壇の注目を集めていたフランス象徴主義に代表される詩人の作品を、象徴詩として紹介している点で有名であり、日本の象徴詩の隆盛の一端を担った。
カール・ブッセの作品「Pipa Passe」を翻訳した「山のあなた」や、ポール・ヴェルレーヌの「Chanson d'Automne」の翻訳「落葉」は国語の教科書で採用されている。
日曜日, 8月 16, 2009
佐々木毅の「政治の精神」-岩波新書1189
今を時めく21世紀臨調共同代表である佐々木毅氏、元東大総長の肩書もあり、総選挙間近い時期、時宜を得たものとも思えますが、別の見方をすれば、一寸時流に阿り過ぎた不満もあります。
著者は次の様に主張していますが、どんなものでしょうか?
マニフェスト(政権公約)をツールとした政党政治改革提案は、余りにも肥大化した密教部分を可能な限り押さえ込み、顕教型体制の正当性を復活することによって、政治的統合機能を回復させるという基本構想に沿ったものである。言い換えれば、戦後自民党が作り上げて来た仕組みはもはや維持できないし、維持すべきでないと言うことである。
政党間の競争と選択の内実を政権公約をツールとして質的に向上させることである。個々の問題を一つ一つ潰していくよりも、大きく全体を動かすことが肝要である。全体が動けば、一つ一つの厄介な問題も解決の目途が立つ。漫然となんとかなると言った感覚から脱出して、選挙に対する政党の態度や取り組みを冷静に判断する有権者の存在が、この質的向上には不可欠である。総選挙は「政党政治の精神」の最大のテストの場であり、政権公約はその中の不可欠な装置であると言うのが私の主張である。
著者は、政治制度並びに体制理解を是とし、その制度並びに体制がもたらす処の脆弱でない政治的統合に於ける政治が肯定されると考えるのである。そこに民主主義の理念よりして問題あるものが出来したとしても、それが政治的統合の強さもたらすものであるならば、積極的に肯定される意義を有すると考えてしまうのだ。
東大政治学の権威で総長であった人物が、その重責・権威の欠片も無く、あまりに時流に阿る曲学阿世の徒ではないかと思わざるを得ません。東大政治学も説得力を持たなくなりました。
著者は次の様に主張していますが、どんなものでしょうか?
マニフェスト(政権公約)をツールとした政党政治改革提案は、余りにも肥大化した密教部分を可能な限り押さえ込み、顕教型体制の正当性を復活することによって、政治的統合機能を回復させるという基本構想に沿ったものである。言い換えれば、戦後自民党が作り上げて来た仕組みはもはや維持できないし、維持すべきでないと言うことである。
政党間の競争と選択の内実を政権公約をツールとして質的に向上させることである。個々の問題を一つ一つ潰していくよりも、大きく全体を動かすことが肝要である。全体が動けば、一つ一つの厄介な問題も解決の目途が立つ。漫然となんとかなると言った感覚から脱出して、選挙に対する政党の態度や取り組みを冷静に判断する有権者の存在が、この質的向上には不可欠である。総選挙は「政党政治の精神」の最大のテストの場であり、政権公約はその中の不可欠な装置であると言うのが私の主張である。
著者は、政治制度並びに体制理解を是とし、その制度並びに体制がもたらす処の脆弱でない政治的統合に於ける政治が肯定されると考えるのである。そこに民主主義の理念よりして問題あるものが出来したとしても、それが政治的統合の強さもたらすものであるならば、積極的に肯定される意義を有すると考えてしまうのだ。
東大政治学の権威で総長であった人物が、その重責・権威の欠片も無く、あまりに時流に阿る曲学阿世の徒ではないかと思わざるを得ません。東大政治学も説得力を持たなくなりました。
金曜日, 5月 15, 2009
ビジネス・インサイト-岩波新書
超優良企業であった自動車企業、電機総合企業各社が大幅赤字に陥って、失業者が町に溢れて不況の只中にいて出口が見えません。
政府の経済活性化対策が不況克服の糸口になればと願うのですが、官僚主導の「靴の上から掻くような施策」ばかりで、どうも納得出来そうもありません。
デパート業界に至っては、前年割れの状態が何年も続き、再生の道筋は無いのでは思われる程で、消費者離れ対策が欠落しているのではと思うばかりです。
官民揃って何れも、昔のサクセスストーリに縋った洞察力不足(Lack of Insight)と言うか、経営陣の不徳の致す処では無いかと懸念するばかりです。
そんな折、「経営者を跳ばなければならない」をキャプションとした、インタラクティブ指向を説く下記の書籍が参考となりました。
ビジネス・インサイト-岩波新書1183(石井淳蔵 著)
与えられた状況下でやるべきことを仮説、それを現実で確かめる検証、そうして経営指針を立てて実行する。それを繰り返すことで、経営の質が改善させる実証型経営を駆動するのはマネジメントの力である。現代資本主義を成り立たせる力であり、大企業を支える最も重要な力であるが、これは「強み伝いの経営」で激動する世情では破綻する。
経営者は将来の事業についての洞察するインサイト、即ちビジネス・インサイトを保持し、跳ばなければ破綻は免れ得ない。
そうした見方は、これまでの経営学の論理実証主義に対して異なった立場であることを自覚して、学んだり研究したりする技法、特にケース教育とケース・リサーチについても検討したい。
そして、次の様なパラダイム・チェンジを提案するのですが、これは啓蒙型マーケティングに取りつかれた現経営陣の総入れ替えがなければその実現は叶いそうに無いと思われてなりません。
製品(Product)、価格(Price)、販売(Promotion)、流通(Place)の4P分析を駆使し、開発物や企画のコンセプトを、消費者に強く絶えず打ち込んで行く啓蒙型マーケティングは、なかなか通用しなくなっている。
これからの企業は「顧客との共同制作物を造る」と言う感覚が重要で、両者が相互依存し、影響し合う一つのシステムとして認識する姿勢が大事だと思われる。
市場も技術も資源そして企業自体も、戦術判断の拠り所にならない世界、謂わば底が抜けた世界では「共同の意思」こそが、唯一残された判断の拠り所になるのだろう。
政府の経済活性化対策が不況克服の糸口になればと願うのですが、官僚主導の「靴の上から掻くような施策」ばかりで、どうも納得出来そうもありません。
デパート業界に至っては、前年割れの状態が何年も続き、再生の道筋は無いのでは思われる程で、消費者離れ対策が欠落しているのではと思うばかりです。
官民揃って何れも、昔のサクセスストーリに縋った洞察力不足(Lack of Insight)と言うか、経営陣の不徳の致す処では無いかと懸念するばかりです。
そんな折、「経営者を跳ばなければならない」をキャプションとした、インタラクティブ指向を説く下記の書籍が参考となりました。
ビジネス・インサイト-岩波新書1183(石井淳蔵 著)
与えられた状況下でやるべきことを仮説、それを現実で確かめる検証、そうして経営指針を立てて実行する。それを繰り返すことで、経営の質が改善させる実証型経営を駆動するのはマネジメントの力である。現代資本主義を成り立たせる力であり、大企業を支える最も重要な力であるが、これは「強み伝いの経営」で激動する世情では破綻する。
経営者は将来の事業についての洞察するインサイト、即ちビジネス・インサイトを保持し、跳ばなければ破綻は免れ得ない。
そうした見方は、これまでの経営学の論理実証主義に対して異なった立場であることを自覚して、学んだり研究したりする技法、特にケース教育とケース・リサーチについても検討したい。
そして、次の様なパラダイム・チェンジを提案するのですが、これは啓蒙型マーケティングに取りつかれた現経営陣の総入れ替えがなければその実現は叶いそうに無いと思われてなりません。
製品(Product)、価格(Price)、販売(Promotion)、流通(Place)の4P分析を駆使し、開発物や企画のコンセプトを、消費者に強く絶えず打ち込んで行く啓蒙型マーケティングは、なかなか通用しなくなっている。
これからの企業は「顧客との共同制作物を造る」と言う感覚が重要で、両者が相互依存し、影響し合う一つのシステムとして認識する姿勢が大事だと思われる。
市場も技術も資源そして企業自体も、戦術判断の拠り所にならない世界、謂わば底が抜けた世界では「共同の意思」こそが、唯一残された判断の拠り所になるのだろう。
金曜日, 4月 24, 2009
新約聖書の世界-ギリシャ・ローマの盛衰
ギリシャ・ローマの盛衰-講談社学術文庫(村川堅太郎他 著)
この文庫本は読み応えのあるものですが、その10章は「新約聖書の世界」となっていて、キリスト教の本質を理解するのに手助けとなる様な気がします。
ユダヤ人で無い者には、イエスと言う人が神の子キリストであると言うことは、とても「本当にそうだ(アーメン)」と言う訳にはいかないものである。しかしこの甚だ奇異な、しかも不確かに見える命題を、敢えて将に確かなものと前提する処に、一つの「生き方」が成り立つ。それは目に見えない絶対者への信頼と隣人との爽やかな交わりに生きようとするものである。
パウロは言う「十字架につけられたキリストはユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召されたもの自身にとっては、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、神の力、神の知恵であるキリストなのである」(コリント人への手紙第一)。
正典とされる「旧約聖書」と「新約聖書」の位置づけにおいても、分かりやすく解説されています。
4つの福音書とパウロの書簡とその他の文書が教典として結集される様になったのは、2世紀後半で、それらは相寄って、イエスによって確立した「新しい契約」を伝えるものであった。この新しい契約は、ユダヤ人に与えられた契約を「旧い契約」としてしまうものであったが、旧い契約に示された神の義が新しく示された神の愛の前提であり、その関係から両者を「聖書」とするのがキリスト教者の態度である。
新約聖書が現在の形で正典となったのは4世紀末であった。
1993年第1刷発行ですので、アマゾン書籍でもインターネット検索されないのですが、読んで頂きたい1冊だと思われました。
この文庫本は読み応えのあるものですが、その10章は「新約聖書の世界」となっていて、キリスト教の本質を理解するのに手助けとなる様な気がします。
ユダヤ人で無い者には、イエスと言う人が神の子キリストであると言うことは、とても「本当にそうだ(アーメン)」と言う訳にはいかないものである。しかしこの甚だ奇異な、しかも不確かに見える命題を、敢えて将に確かなものと前提する処に、一つの「生き方」が成り立つ。それは目に見えない絶対者への信頼と隣人との爽やかな交わりに生きようとするものである。
パウロは言う「十字架につけられたキリストはユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召されたもの自身にとっては、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、神の力、神の知恵であるキリストなのである」(コリント人への手紙第一)。
正典とされる「旧約聖書」と「新約聖書」の位置づけにおいても、分かりやすく解説されています。
4つの福音書とパウロの書簡とその他の文書が教典として結集される様になったのは、2世紀後半で、それらは相寄って、イエスによって確立した「新しい契約」を伝えるものであった。この新しい契約は、ユダヤ人に与えられた契約を「旧い契約」としてしまうものであったが、旧い契約に示された神の義が新しく示された神の愛の前提であり、その関係から両者を「聖書」とするのがキリスト教者の態度である。
新約聖書が現在の形で正典となったのは4世紀末であった。
1993年第1刷発行ですので、アマゾン書籍でもインターネット検索されないのですが、読んで頂きたい1冊だと思われました。
月曜日, 4月 20, 2009
地下鉄に乗って-浅田次郎
こんな描写があり、小中高校と子供時代に徘徊した地域でしたので、気をそそられました。
いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・
中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。
浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。
ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。
そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。
但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。
「覆水盆に返らず」とも言われ、既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。
いま鍋横にいるんだけど、オデヲン座の前に。それがね-何処も変わってないんだよ。交叉点も、商店街も・・とっくに駐車場になってるって言うんだけど、オデヲン座がちゃんとあるんだ・・
中野オデヲン座では、昭和30年代前半にアメリカ映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」を見た記憶もあったからです。
浅田次郎の出世作とも言われる「地下鉄(メトロ)に乗って」は、大きな創業者企業の御曹司でありながら、父を憎み自力自立の道を選んだが、40代にして仕事に倦み、人生にくたびれ切った中年サラリーマンが体験するタイム・スリップの物語。
ストーリーテラーとしての面目躍如たる浅田次郎、危篤に陥った父の意思に導かれる様に、タイム・スリップを繰り返し、自殺した長兄が異父兄であったこと、会社同僚の愛人が異母妹であったことが分かってくるストーリー展開は流石だと言える。
そして軽蔑していた父の生き様を理解する様になり、地下鉄の響きを聴きながら「僕らはただ、父の様に生きるだけです。僕も弟も偉大な父の子供ですから」と自分の意志でこれからも生きて行こうと決意することで物語を終わる。
但し、異母妹の存在そのものを、その母親の転落事故での流産という形で、消去してしまう展開はストーリーテラーとしてやり過ぎと思われます。
「覆水盆に返らず」とも言われ、既成事実は消し去ることは出来ないと思われるからです。
火曜日, 4月 07, 2009
堕落するマスコミへの警鐘-ジャーナリズムの可能性
若者を中心に活字離れが加速し、出版不況のみならず、新聞離れも昂じて来ていますし、安易なテレビ視聴に替わって来て久しいものがあります。
テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。
ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)
既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。
自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。
権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。
既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。
ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。
その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。
テレビ局も社会の木鐸的役割を忘れて、CM受け入れの為、視聴率獲得に狂奔しエンタメ系低俗化が激しいものがあります。こうした状況にテレビ離れも増大、デジタルネット時代の到来となりました。
ジャーナリズムの可能性-岩波新書1170(原寿雄 著)
既成メディアの危機感を次の様に論じていて傾聴に値しますが、一寸時代錯誤的匂いがしないでもありません。
自由と民主主義の社会に、ジャーナリズムは不可欠である。
権力はどんなに民主的に選ばれても放置すれば確実に腐敗し民主主義に背く。自由民主主義社会は激しい倫理観が伴わなければ利己主義が横行する。弱肉強食のジャングルの法則に支配され、貧富を始めとする社会的格差を増幅する。結果として自由も民主主義も大きく歪められ、市民社会は崩壊してしまう。
既存マスコミの再生は、ホリエモンが目指して挫折してしまった「デジタルネットとの融合」を取り入れ、インタラクティブな議論発展以外にはないだろうと思うのですが、筆者は飽く迄ジャーナリスト再生は旧態依然たるジャーナリストにしか出来ないとするのです。
ジャーナリズムは権力を監視し、社会正義を実現することで、自由と民主主義を守り発展させ、最大多数の最大幸福を追求する。人権擁護は勿論のこと、自然環境の保護も、人間性を豊かにする文化の育成も、ジャーナリズムに期待される機能である。
その意図は分からないでもありませんが、あとがきで「新聞社や放送局が不動産で稼いでジャーナリズムを支えるのも一法では無いか」と論ずるに至っては、本末転倒のジャーナリスト再生、付いていけなくなりました。
日曜日, 2月 15, 2009
第2世代バイオ燃料-バイオディーゼル(BTL, BHD)
植物が原料の「バイオ燃料」は、燃焼時に排出されるCO2量が植物の成長する際に吸収したCO2量と等しいことから、「カーボン・ニュートラル」とみなされ、CO2排出はゼロと見なされる燃料なのですが、現状の「バイオ燃料」はトウモロコシや大豆等の食料を原材料とすることから、穀物相場高騰をもたらしたと言う批判も大きなものとなっています。
そこで、食用では無い植物や藻から作る「第2世代バイオ燃料」が注目されています。原料は非食物系の植物「カメリナ」「ジャトロファ」など3種類、これまでは種を搾って油を採りランプ油などに使われて来たことで、食物と競合しないのが利点とされ、しかも、乾燥してやせた土地や高地でも育ち、代替燃料として期待されている様です。
第1世代バイオエタノールとは違って、植物油そのものですから、粘度も高いことからガソリン代替とはならず、ディーゼル油仕様となりますが、化石油代替としては十分です。
フォルクスワーゲン社とダイムラー社は、第2世代バイオ燃料メーカー独コレーン社(CHOREN)に出資、BTL(Biomass To Liquid=バイオマス・トゥー・リキッド)燃料の普及を目的とする。
BTL燃料は植物から生成される液体燃料で、3社は既に2002年から、BTL研究開発を行っている。コレーン社はフライブルグにBTL工場を建設、1万5000トンのBTLを生産するが、これは1万5000台の車が1年間に使用するBTL量に相当する。又、同社は生産能力20万トンの工場を建設する計画も進めている。
日本でバイオディーゼルとされるのは、第一世代のFAME(Fatty Acid Methyl Ester:脂肪酸メチルエステル)、廃食油(天ぷら油など)を回収し、メタノールを加えてエステル化したもので、試験的にバス等の運行に利用されている。植物油のリサイクル利用と言う面では良いのだが、酸化安定性や重合安定性の問題が指摘され、不純物問題もある。
第二世代バイオディーゼルは、BHD:バイオ原料油の水素化処理油(Bio Hydrofined Diesel)と呼ばれ、植物油、廃食用油および獣脂を原料とし、石油精製プラントで水素化精製して作る。FAMEとは異なり軽油に近い組成となり、実用化ハードルは小さいが、原料調達の仕組みをどう作り上げるかが最大の課題となるようだ。
数年来、次世代エネルギーの主役として、水素や燃料電池が脚光を浴びていますが技術的ブレークスルーも経済的な価格面からもハードルも高く、最近では実用化でのハードルの低いバイオ燃料がニュースで取り上げられることになった様に思われます。
そこで、食用では無い植物や藻から作る「第2世代バイオ燃料」が注目されています。原料は非食物系の植物「カメリナ」「ジャトロファ」など3種類、これまでは種を搾って油を採りランプ油などに使われて来たことで、食物と競合しないのが利点とされ、しかも、乾燥してやせた土地や高地でも育ち、代替燃料として期待されている様です。
第1世代バイオエタノールとは違って、植物油そのものですから、粘度も高いことからガソリン代替とはならず、ディーゼル油仕様となりますが、化石油代替としては十分です。
フォルクスワーゲン社とダイムラー社は、第2世代バイオ燃料メーカー独コレーン社(CHOREN)に出資、BTL(Biomass To Liquid=バイオマス・トゥー・リキッド)燃料の普及を目的とする。
BTL燃料は植物から生成される液体燃料で、3社は既に2002年から、BTL研究開発を行っている。コレーン社はフライブルグにBTL工場を建設、1万5000トンのBTLを生産するが、これは1万5000台の車が1年間に使用するBTL量に相当する。又、同社は生産能力20万トンの工場を建設する計画も進めている。
日本でバイオディーゼルとされるのは、第一世代のFAME(Fatty Acid Methyl Ester:脂肪酸メチルエステル)、廃食油(天ぷら油など)を回収し、メタノールを加えてエステル化したもので、試験的にバス等の運行に利用されている。植物油のリサイクル利用と言う面では良いのだが、酸化安定性や重合安定性の問題が指摘され、不純物問題もある。
第二世代バイオディーゼルは、BHD:バイオ原料油の水素化処理油(Bio Hydrofined Diesel)と呼ばれ、植物油、廃食用油および獣脂を原料とし、石油精製プラントで水素化精製して作る。FAMEとは異なり軽油に近い組成となり、実用化ハードルは小さいが、原料調達の仕組みをどう作り上げるかが最大の課題となるようだ。
数年来、次世代エネルギーの主役として、水素や燃料電池が脚光を浴びていますが技術的ブレークスルーも経済的な価格面からもハードルも高く、最近では実用化でのハードルの低いバイオ燃料がニュースで取り上げられることになった様に思われます。
木曜日, 2月 12, 2009
白熱電球と置き換え可能な電球型LEDランプ
電球形蛍光灯が従来の白熱電球に比べ、寿命約6倍、電気代・CO2約1/4とされることから、東芝ネオボールZリアルに交換しましたのは1ヶ月前のことでした。価格は800円強と白熱電球の10倍でしたが、寿命6倍で経費的にほぼ同じだと思ったのです。
ところが、昨日テレビニュースで「LED電球が発売間近」と報じていましたので注目し、インターネットで調べてみました。
東芝ライテックは「E-CORE LED電球」シリーズの新製品「一般電球形4.3W」を発表した。発売は2009年3月18日で、価格は10,500円。
消費電力は4.3Wで、一般的な白熱電球の20-30W型に相当し、白熱電球とほぼ同じサイズを持つLED電球で、既存の白熱電球ソケットに差し替えて使用することが可能だ。
一般的な白熱電球では全方向に光が出るのに対し、同製品では上側にしか光が出ないため、ランプ全体としては20-30W相当の明るさだが、器具に取り付けて照明として使用する場合、下方向に向かう光の量は40W型の白熱電球に相当する。
また、一般電球形4.3Wでは、密閉形の照明器具への取りつけも可能となった。従来、発熱の問題から、電球型LEDは密閉形の器具へは使用できなかったのだが、大型の放熱フィンでこの問題をクリアしており、より広い範囲で使用することが可能になった。LED電球は、電球形蛍光灯が苦手とする、寒い場所や、繰り返しの点灯に強いというメリットもある。
一般電球形4.3Wの定格寿命は4万時間で、白熱電球の40倍となる。価格は白熱電球40個分よりも高い。しかし、4万時間分の電気代では、一般電球型4.3Wの方が2万7,000円程度節約できると言う。
電球型蛍光灯の明るさ比4倍・寿命比6倍であるのに比べ、LED式電球の方は明るさ比8~9倍・寿命比40倍と各段に改善されていることが分かりましたが、販売価格が100倍程度に高いのには驚くばかりで、普及するには時期尚早と判断しました。
又、私の技術的認識では「LED電球は発熱せずに高効率」と言うイメージがありましたので、「発熱問題を放熱フィンで解決」と報じているのも意外でした。
「確認せずに持っている先入観は、あやふやで危険なことなのだ」と、改めて自戒させて頂きました。
ところが、昨日テレビニュースで「LED電球が発売間近」と報じていましたので注目し、インターネットで調べてみました。
東芝ライテックは「E-CORE LED電球」シリーズの新製品「一般電球形4.3W」を発表した。発売は2009年3月18日で、価格は10,500円。
消費電力は4.3Wで、一般的な白熱電球の20-30W型に相当し、白熱電球とほぼ同じサイズを持つLED電球で、既存の白熱電球ソケットに差し替えて使用することが可能だ。
一般的な白熱電球では全方向に光が出るのに対し、同製品では上側にしか光が出ないため、ランプ全体としては20-30W相当の明るさだが、器具に取り付けて照明として使用する場合、下方向に向かう光の量は40W型の白熱電球に相当する。
また、一般電球形4.3Wでは、密閉形の照明器具への取りつけも可能となった。従来、発熱の問題から、電球型LEDは密閉形の器具へは使用できなかったのだが、大型の放熱フィンでこの問題をクリアしており、より広い範囲で使用することが可能になった。LED電球は、電球形蛍光灯が苦手とする、寒い場所や、繰り返しの点灯に強いというメリットもある。
一般電球形4.3Wの定格寿命は4万時間で、白熱電球の40倍となる。価格は白熱電球40個分よりも高い。しかし、4万時間分の電気代では、一般電球型4.3Wの方が2万7,000円程度節約できると言う。
電球型蛍光灯の明るさ比4倍・寿命比6倍であるのに比べ、LED式電球の方は明るさ比8~9倍・寿命比40倍と各段に改善されていることが分かりましたが、販売価格が100倍程度に高いのには驚くばかりで、普及するには時期尚早と判断しました。
又、私の技術的認識では「LED電球は発熱せずに高効率」と言うイメージがありましたので、「発熱問題を放熱フィンで解決」と報じているのも意外でした。
「確認せずに持っている先入観は、あやふやで危険なことなのだ」と、改めて自戒させて頂きました。
登録:
投稿 (Atom)
