昨年はジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)生誕100年だったそうで、フランスでは3月から国立図書館で「サルトル展」が開かれ、6月にソルボンヌで生誕記念式典が行われた様ですが、日本では既に「過去の人」として位置付けられているのでしょうか、あまり話題になりませんでした。
我が家の書棚にはカミュの「異邦人」、「ペスト」、「シジフォスの神話」等が散見されますが、サルトルに関しては僅か「革命家反抗か」と言う書籍位しか見つけることが出来ません。
サルトルは第二次世界大戦後、実存主義の旗手として活躍し、評論や小説、劇作を通じて、実存主義思想は世界中を席巻することになり、日本でも大きな影響を与えました。
しかしながら、1950年には一転マルクス主義に転向して実存主義作家カミュとの論争となりました。
その後、ソ連の立場を概ね支持しながらも、ソ連による1956年のハンガリー侵攻、1968年のチェコスロヴァキア侵攻「プラハの春」に対する軍事介入には批判の声を上げ、対峙することとなりました。
その間、1964年にはノーベル文学賞に選ばれましたが、「神格化されるには値しない」と言って、これを辞退したことは良く知られています。
1980年4月に逝去してからは、これらの事例に対する一貫しない態度に誹謗と中傷が集まり、彼の著作への封殺が始まりましたが、1990年には逆に彼の訴えていた「一貫したヒューマニズム」の復権が始まり、今に至っている様です。
サルトル-岩波新書(海老沢 武著)
まえがきに次の様な著者の思いを綴っています。
20世紀は、大量に人間が人間を殺し・監禁した世紀であり、サルトルは幸福で無かったこの20世紀の様々な出来事に対し、その都度自分の立場を明らかにし、精力的にメッセージを発信し続けた。意見を異にするにしても、同時代人には比類なき対話者だった。
21世紀の人間にはどうだろう。21世紀は民族と宗教の時代とも言われるが、時代の提出する問題は大きく変わっていない。問題は生の意味であり、自由であり、人間的なものへの破壊にどう抵抗するかだからだ。
サルトルの著作は残されているので、問いかけてみよう。私たちの問いを問い直させ、幅を広げ、深化させて、生きてゆく勇気を、時には与えてくれるからだ。
僅か200頁しかない新書版ですので複雑な彼の想いが十分描かれていない可能性もあり、その内違った思いが生まれましたら、別の日記に記載してみようかと思っています。
日曜日, 10月 15, 2006
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