月曜日, 4月 27, 2015

コーシーとリーマン-高木貞治著「近世数学史談」

函数論は高等数学の入口ともされ、複素平面上にて正則函数の挙動を研究する分野で、多項式函数、 指数函数、三角函数、対数函数等を含むもので、大学では犬井鉄郎教授の講義を受けて、面白さに惹かれたものでした。
社会に出た後、地中管からの熱放出による温度分布解析には、等角写像を用いた図形変換で簡単に解決出来た際には、応用数学の有用さを実感したものです。

正則函数とは、複素函数(複素数を変数とする函数)の内で、定義域にて微分可能な函数のことである。領域内の全てで微分可能であることは正則性と言われ、多項式函数、 指数函数、三角関数、対数函数、ガンマ関数など、複素解析において中心的な役割を演じる函数の多くはこの性質を持っている。
z = x + iy とし、複素函数 f)は実 2 変数函数 u(x,y), v(x,y) を用いてf(x,y) = u(x,y) + iv(x,y)と表すことができる。f(z) = f(x, y) が正則函数であれば、u, v はコーシー・リーマンの方程式と呼ばれる偏微分方程式を満たす。


教養学部での解析学の教科書「解析概論」の著者である高木貞治氏は、1933年に「近世数学史談」を刊行、近世数学の巨人達の様子を紹介していますが、これがロマンチックな物語となっていて、倦むことがありません。
函数論の章では、コーシーを先駆者、リーマンを発展者として次の様に紹介しています。

コーシーの業績で最も顕著なのは函数論の創設であろう。しかしコーシーは創設を意識していたのではなく、ラプラース、ルジャンドル等が遭遇した特殊な定積分を計算することが要因だったのである。それらの定積分が複素変数を用いることに由って統一的な方法で計算されることを看破し、1825年「虚数限界内の定積分の論」なる論文を発表、その成果は今日で言う「極点(pole)に関する留数の定理」であった。
1851年に至って、今日の解析函数全てが函数論の対象として確認され、30年の歳月を経てコーシーの函数論に目鼻がついたのである。 1851年と言えばリーマンの学士論文「複素変数の函数の理論基礎」が出た年である。「微分商dw/dzが微分dzに関係無き一定の値を有する時に、wを複素変数zの函数」とし、コーシーが30年の歳月を経て辛くも達し得た立脚点を、平気で占有したのであった。


理論の進歩とはそう言うもので、ロゴス(知性論理)には適正な先人の業績を受け継ぐ伝統が必要なのでしょう!

月曜日, 4月 13, 2015

示唆に富む人生体験随想-五木寛之著「選ぶ力」

私たちは何時も大小取り混ぜて何らかの選択をしていますが、この何事も不確定で「思うままにならない」時代にどの様に対応して良いのか不安を覚えることも多い筈です。

著者は学校教師の家庭に生まれるも、生後まもなく朝鮮に渡り、敗戦による引き揚げでの生活苦、何とか大学入学するが貧困による大学中退、売血による生活維持しつつ、生来の活字好きから編集の仕事にあり付き、ルポライターを経て作家に転身と言う激動の人生を送った体験が詳らかに綴られています。

選ぶ、選ばれるは人生の一大事だ。しかも最近の世相は、「選ぶ」幅が激減して、やれリストラだ、非正規雇用だと、「選ばれる」リスクが大きくのしかかって来ている。一方で私たちの目の前には、自ら「選ばざるを得ない」状況が次々と巡って来る。
私自身は敗戦以来、一度の健康診断も検査も受けずに今日まで来た。いくつかの健康上の問題を抱えつつも、放置して暮らしている。しかし、それも私自身が選んだ道であり、そのことに関しては後悔が無い。


著者は近年、仏教への思いを募らせた著作が多く、本書でも始祖である仏陀の言葉や、法然・親鸞の著作が引用されて、選ぶ・選ばれる際の参考にすべきとしている。

仏陀「自分自身を頼りとして生きよ。そして真理を見失うな」
法然「阿弥陀仏一仏信仰は相互選択的なもの、選ぶ力が大切」
親鸞「分からないままに闇を彷徨い嘆くなら、何かを信じるしかない」

「思うままにならない」世の中では、巧みな言葉だけで励まされる様な時代は。もう終わったのだ。私たちに必要なのは、大声で送られるエールではなく、すれ違う際の一瞬の目配せの様なものではあるまいか。
私が述べたことは、私自身の正直な体験に過ぎない。それが迷いつつ生きる人々の何らかの一助になれば、と密かに願っている。


若い世代には嫌われる老人の昔話物語についても、回想療法と言うアルツハイマー対策での一番の治療法と述べていることにも納得出来る処がありました。