火曜日, 9月 07, 2010

文人哲学者 和辻哲郎

独り暮らしとなると、結構家事に割かれる時間が多く、ゆっくり音楽を聴いたり、本を読んだりする習慣が無くなりつつあります。
以前には下着類は自分で買ったことも無かったのですが、家内が亡くなって1年も経ちますとその蓄積も無くなり、近くのデパートに行って、生まれて初めて自分でシャツ・パンツ類を購入せざるを得ず、私の高等遊民的生活は家内に支えられていたのだと改めて実感することになりました。

下着売り場の横に、書籍売り場がありましたので徘徊し、久しぶりに新書を買ってみました。

「和辻哲郎‐文人哲学者の軌跡」と言う岩波新書ですが、次の様に紹介されています。

西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語をつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だった。その故に彼の思考には詩的な響きが内包され、「古寺巡礼」や「風土」など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。

私は文学書「古寺巡礼」や「風土」を読み、影響を受けて中宮寺に行ったこともありましたが、50年以上も遠い昔のこととなりました。

和辻哲郎「古寺巡礼」


和辻哲郎の一高同級生、九鬼周造についても日記掲載したこともあったのですが、和辻哲郎の哲学書は読んだことが無かったのです。

九鬼周造随筆集


50年前には、日本の哲学書は「善の研究」がベストセラーだったのです。

西田幾多郎-生きることと哲学